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旧南洋庁ポナペ島

ポンペイ(旧南洋庁ポナペ島)
市の警察署隣のテニスコート裏の私宅にて(2013年3月16日撮影)
 
海外における「奉安殿」調査 第1弾!!
「幻の奉安殿」を確認。
 
イメージ 1
 
 
 1914年10月、第一次世界大戦の際に、日本は4隻の艦船をポンペイに入港、無血で占領した。大戦終決後の1920年には国際連盟によって、日本の委任統治(C式委任統治)が認められた。
 日本の占領政策はこれまでの支配と異なり、同化政策をとったが島民に日本国籍は与えられなかった(婚姻は別)。同時に当地での農業、漁業を中心とする殖産興業が推進された。特に1922年に南洋庁支庁の設置により、日本からの移民も多数ポンペイに入植し、1945年の終戦時点では13,000人を超す日本人が居住していた。これはパラオ、サイパンに次ぐ三番目の規模である。
 日本海軍は1940年に守備隊を初めてポンペイに駐屯させたのに続き、太平洋戦争開戦後の1942年には本格的な警備隊を配備した。それ以後も陸軍、海軍が兵力を補塡して、西のチューク島にあった海軍の一大拠点の防備を担った。
 これに対しアメリカ軍は1944年2月15日の大規模な空襲に始まり、5月にかけてポンペイに攻撃を加え、コロニア市街は大きな被害を受けた。チュークの基地が空襲で機能を失い、主戦場がマリアナ、フィリピンに移った同年6月以降、ポンペイは輸送の途絶した状況になったが、鮮魚や芋等の食料自給が可能であったことと、それ以後大きな攻撃を受けなかったことから、終戦までの1年余り比較的平穏な状況が続いた。
 1945年の太平洋戦争終了により、アメリカの占領が始まり、1947年に国連の信託統治領としてアメリカの統治が始まった。ポンペイはパラオ、ヤップ、チュークとともに四つに区分けされた地区の中心として、当初から政庁が置かれた。アメリカの統治方針は「zoo theory」と揶揄されるように、経済的な援助はするものの、産業育成による自立支援は行わなかった。
 1965年、アメリカは国連の要請を受けて、ミクロネシア議会の発足を認めた。当初、議会はマリアナ、マーシャル、パラオを含めた形でサイパンにおいて開催され、ポンペイに移ってくるのは1977年のことである。1978年には現在の4州で連邦を構成、1979年には憲法が制定され自治政府が誕生した。1986年11月に独立してからは、ポンペイは連邦の首都機能を有している(以上、Wikipediaより、引用)。

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