|
本堂の裏手に進む。 階段を上ると、高床の細長い建物に、額がうじゃうじゃと貼り付けてある。 額堂(がくどう)。 国指定重要文化財。 「額堂」とは、奉納額や絵馬などを掲げる建築物であり、 このお堂は文久元年(1861年)に当山で二番目の額堂として建立された。 ……額堂の前に立つ案内板によると、ここから更に長い説明が続くのだが、 読んでもよく分からず、前回それを書いていて空しかったので、 ここまでにしておく。 万が一(笑)興味があれば、案内板の画像をupしたので、 そちらを拡大して参照してください。 外側だけではなく、床下から覗くと、内部にも所狭しと額が張り付いていた。 その更に奥。 工事用の大きな覆いをかけられてた建物。 光明堂(こうみょうどう)。 国指定重要文化財。 1701年に建立された。ここも旧本堂であった。 1742年と1768年の改修を経て、新本堂(前回紹介した現在の釈迦堂)建立にあたり、本堂の後方に移築。 更に1964年、大本堂建立のときに現在の地に移設された。 本尊には、真言密教の教主である大日如来(だいにちにょらい)が安置されている。 ふう、これで成田山の重要文化財は全て撮影完了、と。 成田山新勝寺は有名なお寺だし、 参道にはたくさんの土産物屋が並んでいて、 休日ともなれば多くの人が訪れる。 でも、あまりにもきれいに整備されていて、 のんびり散策して昔の雰囲気に触れ、侘び寂を感じる、 という感じでは全くなかった。 まあ言ってみれば、博物館的な感じかな。 そんなわけで、光明堂の写真を取り終わると、そそくさと境内を後にした。 成田駅には来た道は戻らずに、 坂を上り下りしなくて済む、細くて観光客向けの店がほとんどない道を選んだ。 ……この道は、駅の方からは探しにくい。 参道沿いの土産物屋の策略?と考えてしまう自分は、 なんとも罰当たり極まりない。 あー、それにしてもこの日は歩いた歩いた。 お陰で後日、久しぶりに筋肉痛になってしまった… 撮影: 2006.9.4
|
寺社建築
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
今回はうんちくが激しく長くなってしまったので、 やはり二部構成と致します。 「房総風土記の丘」から予想外に早く戻ることになってしまったため、 成田空港に戻る途中、ちらっと成田山に寄ることにした。 JR成田駅を出て、参道の坂を下る。 平日のためか、あまり参拝客の姿は見られない。 駅から徒歩10分。 坂を下りきったところが境内の入り口。 今度は境内に向けて階段を上る。 その階段の途中にあるのが、仁王門。 国の重要文化財。 新勝寺には、この他4つの重要文化財伽藍があるが、いずれも1980年5月30日に指定。 「文政13年(1830年)に建立された八脚門。 正面に向かって左側には密迹金剛(みっしゃくこんごう)、 右側には那羅延金剛(ならえんこんごう)が安置され、 境内の入り口である山門にあって、諸堂伽藍を守っている。 特にこの二尊は昔から「朱振り(しゅぶり)の仁王尊」と言われ信仰されている。 また裏仏には、左側に人々に福徳を授ける多聞天(たもんてん)を、 右側には仏心を起こさせる廣目天(こうもくてん)を安置している。 屋根は入母屋造銅板葺で、正面に大きな千鳥破風、背面には軒唐破風を付けている。 組物は三手先の詰組とし、軒を二軒の扇垂木としているところなど、 八脚門としては類例が少なく、材料工法とも極めて優秀で、 江戸時代末期の特色を遺憾なく発揮した建造物と言える。 頭貫上の各柱間には、後藤亀之介作の竹林の七賢人や司馬温公瓶割りなどの彫刻が施されている。 なお正面に掲げられている「成田山」の大額は、東大寺の別当道恕上人(どうにょしょうにん)の筆になる。」 案内板より。 門をくぐり、更に急な階段を上る。 これを上るのが不自由な方向きに、 もっと緩やかな階段やエレベーターも備わっているらしい。 階段を上りきると、大きな御堂がいくつか立ち並ぶ広い境内に出た。 まず目の前にそびえる巨大な建物が、本堂。 しかし、鉄筋コンクリート製であり、迫力以外の趣はない。 興味は湧かないので、写真も撮らず、お参りすらしなかった。 ちょっと非常識だったかな…? 次に目を引くのが、極色彩を放つ三重塔。 国指定重要文化財。 「正徳2年(1712年)に建立され、宝暦7年(1757年)、享和元年(1801年)、安政5年(1858年)に大修理が行われている。 また、昭和58年(1983年)、現在の姿に復元された。 塔の初層内陣には、金剛界大日如来の「五つの智慧」を表す五日如来(ごにちにょらい。大日如来、阿閦(あしゅく)如来、宝生(ほうしょう)如来、阿弥陀如来、不空成就(ふくうじょうじゅ)如来のこと)が安置されている。 塔の高さは相輪頂上まで約25mで、 初重の柱、長押(なげし)、台輪(だいわ)などに地紋彫りを、 各重の尾垂木(おたるき)の先端部は竜の丸彫りで飾り、 脇間板壁には十六羅漢の彫刻をめぐらせている。 また板軒には雲文を浮き彫りにして極彩色を施すなど、 江戸時代中期の極めて華麗な塔である。 昭和56年から58年に渡り漆塗り、彩色工事を主体とした保存修理工事を行ったが、 この工事は享和3年(1803年)の古文書に書きとめられていた漆塗り、彩色の仕様を元に復元されている。」 案内板より。 確かに豪華絢爛だし、昔の姿をそのまま伝えてはいるのだろうけど……。 なんというか、いにしえの趣は感じられない。 次は、見るからに古い、黒ずんだ大きな建物。 旧本堂の釈迦堂。 ここも国の重要文化財。 「安政5年(1858年)に建立された前本堂。 大本堂の建立にあたって昭和39年(1964年)、現在地に移築。 本尊には仏教を開いた釈迦如来が安置されている。 周囲の板壁には、修行僧として最高位に達し、功徳をそなえた五百羅漢(ごひゃくらかん)像を見事な浮彫り彫刻で8面、 また扉には、中国の代表的な孝子物語である二十四孝12面を付けるなど、 堂内の華麗な欄間彫刻と共に、時代の特徴をよく表している。 板壁の五百羅漢は、絵師狩野法眼一信(かのうほうげんかずのぶ)の下絵を元に、 仏師松本法橋良山(まつもとほうきょうりょうざん。通称不動金兵衛)が10年の歳月を費やして彫刻したもの。 また扉の二十四孝は、無関堂島村俊表(むかんどうしまむらしゅんぴょう)の作である。 建物は5間堂で、中央の柱間が広く取られている。 屋根は入母屋造りの瓦捧銅板葺きで、 正面には千鳥破風や軒唐破風付きの向拝(こうはい)を設け、荘重さを加えている。 組物は、三手先を詰組とし、軒は二軒の繁垂木(しげたるき)で総欅(けやき)木を用いている。」 ここではさすがにお参りをし、賽銭箱を鳴らした。 ここで、その2に続く。 撮影: 2006.9.4
|
全1ページ
[1]


