史跡と文化財、そして映画を巡る日々

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遺跡

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難波宮跡

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この日は大阪で、午後から仕事。
午前中、またも史跡&文化財巡りをすることにした。

大阪の定宿、大阪ラマダホテルから、大阪市営地下鉄で15分。
中央線、谷町四丁目駅下車。
9番出口の階段を上りきると、目の前に、異様に広い原っぱが見える。

    https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2775894_0?1160203266-10-07

難波宮(なにわのみや)跡。

国指定史跡。1964年5月2日指定。




西暦645年の大化の改新以降約150年間(飛鳥時代から平安時代にかけて)、
日本の首都、または副都であり、日本の古代史上大きな役割を果たした。

昭和29年(1954年)以降長年にわたる発掘調査の結果、
前期、後期の二時期の難波宮跡が、
大阪市中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになった。

現在、内裏・朝堂院部分が、国の史跡に指定されている。

……大阪市教育委員会立て札より。




つまり、
異なる時期の都の跡が同じ場所で発見されたという点で、貴重だそうである。

個人のサイトだが、
http://ariosu-web.hp.infoseek.co.jp/t/miya.htm
でかなり詳しい解説がなされている。



御影石とコンクリートでできた、
建物の跡らしき舞台状のものが見えるので、そちらへ。

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2775894_1?1160203266-10-07

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2775894_5?1160203266-10-07

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2775894_2?1160203266-10-07

大極殿の跡らしい。



それにしても。
広い原っぱがただ広がっているだけならまだしも。
中途半端に整備して、そのまま維持せずにほったらかしているのか、
膝丈ほどの草がぼうぼうに生え、
そんな中に、ベンチやら歩道やらが点在している。
趣もへったくれもない。



高さ2mほどの舞台の上に上ってみた。

    https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2775894_3?1160203266-10-07

丸い石は、柱のあった位置。




大極殿跡の四方には、かがり火?の跡。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2775894_6?2006-10-07
 
新しいものだったので、なにかのお祭りに使ったのだろうか。



散歩道としては、申し訳ないが、かなりイケてなかった。



撮影: 2006.9.8

鴻臚館跡

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福岡城跡内、多聞櫓から今度は北東方向へ。
平安時代、大宰府政庁の外国人迎賓館として使われた、鴻臚館(こうろかん)跡がある。

国指定史跡(2004年9月30日指定)。

1987年、西鉄ライオンズの平和台球場の取り壊し工事で遺跡が発見され、
現在も発掘調査が続けられている。

廃墟と化した、平和台球場跡。

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2238058_4?2006-09-30

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2238058_5?2006-09-30





このすぐ隣に、現在は立派な資料館が建っている。

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2238058_3?2006-09-30





入館は無料。
復元された原寸大の館の一部、そして柱が立っていた跡が保存されている。

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2238058_0?2006-09-30

      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2238058_1?2006-09-30





資料館の外も鴻臚館跡であり、
その場所は広い庭のような形で、保存されている。

     https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2238058_2?2006-09-30





文化庁のサイトに紹介文が書かれているが、
非常に長いため、興味のある方はそちらへ飛んでください。

http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp
から、「鴻臚館跡」で検索。

所在地: 福岡県福岡市中央区城内。裁判所合同庁舎の西隣。


撮影: 2006.8.28

岩屋古墳

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一つだけ、国の史跡に指定された古墳があるので、帰りがけにそちらに向かう。
舗装された車道から、鬱蒼とした雑木林に入る。
100mほど行くと、突然目の前に、雑草に覆われ、桜の木が点在する小高い丘の前に出た。

岩屋古墳。

    https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2228146_3?2006-09-30

          https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2228146_0?2006-09-30

国指定史跡。1941年1月27日
東日本で最大級の方墳(四角い古墳)。
築造年代は、古墳時代末期、7世紀末ごろと言われている。
画像ではいまいち分かりにくいが、底辺80m、高さは12mもある。
被葬者は不明だが、
近隣に龍角寺や古代の役所が存在したとされる推定地があることから、
「印波国造」の関係者と思われる。
…千葉県栄町教育委員会解説より。

石室は二つあり、一つは崩落している。
下は、残っている方の石室の入り口と、その中。

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          https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_2228146_2?2006-09-30

中は真っ暗で肉眼では全く様子は分からなかったが、
フラッシュを焚いて写した画像の感じからすると、
奥行き4〜5m、高さ2mといったところか。
お墓なので、写真を撮った後、合掌して頭を下げた。

(…ナンカ見える、なんて言わないで下さいヨ…)




今回は残念ながら休館日だったが、
気持ちよく散歩できたので、やはり訪れてよかったと思う。
機会があればまた来てみたい。



房総風土記の丘
住所: 千葉県印旛郡栄町竜角寺1028
公式ホームページ(?): http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/

公園のすぐ近くに、
JR成田線安食駅始発の路線バス(千葉交通、竜角寺台車庫行き)の停留所がある。
ただしバスの本数はあまり多くない。




撮影: 2006.9.4

斎場御嶽 その2

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(それぞれの画像はクリックで拡大可能です)



やがて、巨大な岩と、祭壇のようなものが見えてきた。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_0?2006-09-12
大庫理(うふぐーい)。
聞得大君のお新下り儀式での「お名付け(霊威づけ)」儀礼が行われた場所。
首里城正殿の2階には、ここと同じ名前の祭祀(さいし)的な機能を持つ格式の高い場所があった。
前面にある磚(せん)敷きの広間では、
女神たちが聞得大君を祝福し、琉球王国の繁栄を祈った。




更に奥に進むと、
快晴の日中にもかかわらず、辺りは更に薄暗くなる。
火山性の、高さ10mはあろうかという巨大な岩が周りを囲み、
そこに熱帯植物の巨根がグネグネと絡まっている。
まるで覆いかぶさってくるかのような感じ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_3?2006-09-12


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ちょっと分かりにくいが、
画像の右手。直径3mほどの池がある。
「砲弾池」という、小さな立て札があった。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_1?2006-09-12





寄満(ゆいんち)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_2?2006-09-12
寄満とは、首里城内にある建物の名前で、国王のために食事を作る厨房を指す。
当時、ここには国内外からの海の幸、山の幸が集まった。
それが、「豊穣の寄り満つる所」と理解されていったのだろう。
同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、太平洋戦争前まで、
その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)が置かれていた。

寄満は御嶽の最深部。
画面中央に白く光っているのは、
上から垂れ下がった巨大な鍾乳石。
荘厳と言うか、相当に不気味と言うか。
霊感なんか全くないのだけれど、
火を使った跡のある香炉が置かれた祭壇には、近づき難い何かを感じた。
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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_5?2006-09-12
寄満とは別の行き止まりの場所にあるのが、ここ三庫理(さんぐーい)。
巨大な二つの岩で構成されている。
人工建造物ではなく、
断層により自然にできたものらしい。

写真だと分かりにくいが、
岩の割れ目のてっぺんまでは7〜8mはありそうなかんじ。
ただただ、その迫力に圧倒される。

割れ目の内部。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_7?2006-09-12
もちろん、余裕で立って歩ける高さ。
奥行きは…10m弱、といったところか。




岩の割れ目をくぐった先には、
そこだけ光が差す久高遙拝所(くだかようはいじょ)がある。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_6?2006-09-12
琉球神話に登場するアマミキヨという女神が降臨したという神話の島、
久高島を目の前に望むことができる。




三角岩の右側には、「貴婦人様御休み所」と2本の鍾乳石がある。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_1114753_4?2006-09-12
滴り落ちる水は、その下に置かれた壷に受けられ、
それぞれが中城御殿(国王の世子)と聞得大君御殿の吉兆を占うと共に、
お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水だった。

また、ここでは金製を含む勾玉や、中国青磁器、銭貨を組み合わせたものが出土しており、
それらは国の重要文化財に指定されている。





荘厳、厳粛、神聖といったような言葉が
これほど強く身に染みた場所は、ここが初めてだった。
相当なカルチャー・ショックだった。

斎場御嶽を紹介するいくつかの個人のサイトで、
「神聖な場所なので、あまりチャラチャラした気分で訪れない方がよい」
と異口同音に書かれていた意味が、非常によく分かった。



ホテルと御嶽の間の移動時間、往復3時間半近くかかったが、
訪れてよかったとしみじみ思った。




38番系統のバスは、1時間に3〜5本運航している。

……とは言うものの。
ローカルバスの旅を満喫したい、という方以外は、
道路はきちんと整備された走りやすそうな道なので、
レンタカーで行かれることをお勧めする。




撮影: 2006.8.29

斎場御嶽 その1

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斎場御嶽(せーふぁうたき)その1




今回の記事は画像が多く、
トータルで2MBを超えているので、二つに分割することにしました。
いずれの画像も、クリックで拡大可能です。


このときの出張は、福岡の翌日、沖縄、那覇市内に向かうものだった。
この日は仕事が午前中で終わったので、
ホテルから公共交通機関で行ける世界遺産を訪ねることにした。

那覇市街の中心地にある「那覇バスターミナル」から、
東陽バス、38番系統で、約1時間(片道750円)。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_7?2006-09-08

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_8?2006-09-08
…30年くらいは頑張っちゃってるんじゃないかと思われる、かなーり年季の入ったバス。
もうこういうの、大好き。
やっぱりモノは大事に使わないと。





島の南東部、南城市(旧知念村)の、
海の近くの森(というか殆どジャングル)の中に、斎場御嶽はある。

1972年5月15日、国の史跡に指定。
2000年12月2日、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして、世界遺産に登録。




「体育センター入り口」のバス・ターミナルで下車。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_9?2006-09-08
…ちなみに東陽バスには、ピカピカの新しいバスもモチロンある。




すぐ目の前に、国道331号線と、御嶽に向かう道の交差点。
知念郵便局脇の道を入っていく。
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バス停から御嶽入口までは、緩い上り坂を400mほど。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_1?2006-09-08
何もないジャングルの中をかき分けていくと思い込んでいたが、
途中は意外と開けていて、ちょっと肩透かしを食う。



斎場御嶽入口。
世界遺産に登録されてから、このような立派な駐車場ができた。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_2?2006-09-08

御嶽内の地図。クリックで拡大可。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_3?2006-09-08





「御嶽(うたき)」とは、
奄美諸島から宮古・八重山に至る南西諸島に広く分布している聖地の総称。

斎場御嶽は、
琉球王朝時代、第二尚氏王統第3代王の尚真(在位1477〜1526)が整備した、
国家的な宗教組織との関連が深い、格式の高い祭祀場であった。

琉球の神話の中では、この国が7つの御嶽から出来上がったと伝えられている。
この斎場御嶽はそのうちの一つであり、
その七御嶽の中でも最も格式の高い、琉球王国最高の聖地、とされている。

「せーふぁ(霊威の高い聖なる場所、という意味)」の名前が示すように、
巨石や聖樹に囲まれた空間には、首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、
当時の王府と斎場御嶽の関わりの深さを見ることができる。
当時、内部に入れたのは王府関係者に限られていた。

琉球最高女神である聞得大君の就任儀礼、
「お新下り」の御名付けがこの地で行われたということは、
王権を信仰面、精神面から支えていた証ともいえる。
現在でも、聖地巡拝の習慣を残す東御廻り(あがいうまーい)の聖地として、
参拝客は後を絶たない。





入り口からすぐのところに、
ウロー泉(カー)への入り口がある。
この道だけは殆ど整備されておらず、
ご覧の通り、草や倒木に埋もれているような感じ。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a1/47/macchabah/folder/479513/img_479513_918849_4?2006-09-08
短パン、Tシャツといういでたちでは怪我するかも、
と恐れをなして、そちらへの進行は断念。




石畳で整備された参道を登っていく。
急な上り坂には、キチンとした手摺も付いている。
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…あ、これは帰り道に撮ったので、急な下り。



少し入ると、いきなり雰囲気はそれまでとはガラッと変わり。
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打って変わって、うっそうと茂った熱帯雨林に囲まれる。




ここで、その2へ続く。

撮影: 2006.8.29

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