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線香HANABI
お一人様でパチパチと見せる火花は綺麗だね

ユーロドル戻り売り

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ドル円日足
2007/7〜2007/12

ユーロドル 1H足

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8/16〜直近のトレード。
戻り売り狙いで。青 建玉 黄色 手じまい
建玉を10pips刻みでおおよそ3分割で1単位。損切を投下資本の2%程度になるようにLotを調整。1回目は1350で反発して損切。現在2回目。建玉平均1421。



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川中島の合戦

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ドル円日足グラフ
2007/1〜2007/6
グラフ用の場帳書き終わったのでグラフアップ再開。

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お友達のお仕事お付き合いで朝も早よから長野県の川中島に行ってきた。
届け物を届けて終わりだったので午後は観光。善光寺という有名(僕は知らなかった)なお寺へ。

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仁王門をくぐり境内へ。いつも神社にしか行かないので、いまいち作法がわからないのだが、護摩焚きを頭にささっと浴びる。

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蓮の花。綺麗な大輪を咲かせていた。蓮の葉の上にお金が乗っかっているのを見ると、とにかくお金を投げ込みたくなるのが日本人の性なのかな。

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お寺だけど御朱印を頂く。昨今の御朱印ブームで御朱印の種類も増え、季節限定の御朱印まである。1つ貰うと300円で、全部もらうツワモノも含めると、原価ほぼなし、かつ非課税ときたら住職もランボルギーニを転がすのだろうなどと下世話な考えに至る。

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帰りは昨日に引き続き、温泉と岩盤浴でグータラゴロ寝。仕事の付き合いなので今日は運転も交通費も全て友達持ちでした。ありがたや。

川中島と言えば、武田信玄と上杉謙信が合戦したことで有名だが、戦国の頃を思うと、合戦の平野があり、そこに何万という兵が集まるというのは壮観なのだろう。

でも合戦するとしても、例えば間者にいついつくらいに合戦しようみたいな感じでやり取りして、集まるもんなのかなと。集まってみたはいいけどなんか相手が来ませんね、こりゃすっぽかされたかなと。そこから妄想が肥大。

今の時代にもし合戦となったら連絡の手段はもちろんlineだろう。いついつに川中島のいつものとこで合戦する?既読。スタンプでOK!随分とシュールな光景である。

もちろんグループラインにいついつ合戦だからと各武将からラインが入る。既読スルーしようものならその場で打ち首である。乗り気でない兵なんかは出来れば既読などつけたくないが、あとでどんな咎めがあるかわからないからひとまず既読。ツワモノ達の威風堂々たる言葉がグループラインに飛び交うのを冷ややかな目でスクロール。ひとまず何か書いとくかと 頑張ります とか、たくさん討ちとります とか定型文のような言葉を並べ立てる。もう想像するだけでくだらなすぎて一人で笑えた。

そんな事を考えていたら友達は先にでて置いてきぼりを食らいそうになったとさ。今日は早かったので早めに床につこう。

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日常の幸せ

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毎度おなじみスペアリブ。今日はソースもケチャップベースにしたら ちと甘すぎた。

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午後は1時間半ほどバイクで流しながら田んぼや土手沿いを走り、涼やかな風を受けながら温泉へ。岩盤浴で汗を流し、テラスで涼みながら本を読む。

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永井荷風の断腸亭日乗を読み始めた。約50年という時間の風雪に耐えた本という事で勧められていたので読んでみたはいいが、言い回しが慣れない。人気の無いテラスの喫煙席で煙を吐きながらこういう慣れない本を読むと、この言い回しはこんな意味なのだろうか、こんな情景を思い描いて書いているのだろうかとゆったり情景を浮かべながら本の中に浸ってゆける。時折、涼しげな風が火照った身体から熱を逃がし、また岩盤浴房へ戻り一汗かく。この繰り返しだけでとっぷりと日は暮れる。夜風にあたりながらバイクを走らせ、今の季節を思いながら家路につくのである。この日常に幸せを噛み締めている。

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季節の匂い

今日はとても涼しくて過ごしやすい一日だった。久しぶりにここ二日ほどお盆明けのお勤めをして、職場を出た時にふわっと秋の匂いがした。

季節の匂いは多分人それぞれ感じ方が違うだろうし100人いれば100の在りようがあるだろうから言葉で伝えるのが難しい。僕の場合は夏から秋にかけて涼やかな風を感じると秋の匂いがする。この匂いが四季の中で一番好きで、気持ちが弾む。

例えばコーヒーの匂いとか、花の匂いなんかは実際に嗅いでもらえばああコレねと共有出来るが、この季節の匂いだけはこの匂いと言われても恐らく嗅いだその匂いは僕の感じているソレとは全く別物なのだろう。一つに恐らくなのではあるが過去の何かの体験がこの匂いと共に蘇っている気がするのだが、何の記憶に紐付いているのかまではわからない。ただとても気分が良いとだけしかいえないのである。

それでもなんとかこの匂いを共有したくて言葉を駆使して表現を紡ぎ、相手に伝わるように書いている。本来はそこには無いのかもしれない季節の匂いというものを伝えるべく言葉を使って共有する。

言葉や文字があるおかげで、本来なら伝わりようの無いものが形となって伝わると思うと言葉ってすごいよなってそんな事を思いながら季節の香りに包まれながら今日は帰宅した。

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人口の減少について

 最近、今まで読んでこなかった分野の本を読むことが多いのでずいぶんと思考が刺激される。もともと文章を書くのは嫌いな方では無く、子供の頃から当時のワープロでよく自分で小説なんかを書いてたりしてたので物語なんかを書くのは好きな方だった。
 
 こうして今までにない考え方に触れると思考が溢れてそれを文字に起こしたくなる。書いている内容はその時思った僕の気持ちなので別段とりとめのない事であるがそれをブログに書いて自分の思考をブラッシュアップしようという試みから最近は自分の考えをブログに載せることが多い。あまり相場のこと書いてないけど思考することは楽しいのでお付き合い頂きたい。というよりずいぶんと文体も変わった気がする。
 
 ちょうど人口がどんどん減っているというテーマをよく猫さんのブログで目にするので僕も一考を投じます。
 
人口が減っている単純な要因として思うのはINよりOUTの方が大きいからであり、つまり出生より死去の方が多いからというのはもちろんだろう。なぜ出生が少なくなったのかという事に、一つは育てる環境が整っていないから。それは単純に賃金の問題だけではなく、核家族化がすすみ、旦那さんまたは奥さんの母親は孫の面倒をみることもなかなかできない。保育所はたくさんの待機児童で溢れ、もちろん非正規雇用などによる賃金の低さから共働きしなければ家計が追い付かない状況において子供を育てる余裕などない。
 
 ここに僕が思う部分を一つだけ加えるとすると、前にかいた家族の崩壊という投稿で家族・コミュニティが崩壊した背景を書かせてもらったが、そもそも今の社会の風潮は資本を持つ強者が生き残り、弱者は自己責任だよねと切り捨てる。単純に考えて赤ちゃんは弱者(一人では何をすることもできない)だとすると、もう赤ちゃんを持つということがそもそも実利的な意味合いにおいて不利な方向に働くという意識がどこかにあるのではないのかと思ってしまうのである。もちろんそんなことはないというのも同意はするのだが、社会構造的に弱者は切り捨て、手を取り合うことがない世の中だとしたら、本来なら国の資源である子供でさえもその瞬間だけみたら弱い者なのだから育てること(手を取り合うこと)が出来ないという意識があるのではないかと。
 
 内田先生の著書の中で「グローバル人材」というものについて書かれている部分を読んだ。言葉を借りると「諸外国に対してタフなネゴシエーションが出来、他国の文化にすぐ適応できる人間」という理想像であり、それって明日いきなり外国に行ってよと辞令が出てもそれに対応しうる人材ということになるのだが、いきなりそんな辞令で飛ばされても周りの人は誰も困らないのであれば、その人は家族・コミュニティにおいてかけがえのない貴方がいないと困るというような存在ではない存在ということになる。会社にとっては必要なのかもしれないが最終的にはそれは会社の利益につながるからであって要は“金”の話なのである。そんな文章を読んだときに僕はとても虚しい気持ちになった。貴方がいなくてもいいなんて生きている内に聞きたい言葉では絶対にない。

 人という資源を企業が無尽蔵に消費して、貴方の代わりなんていくらでもいるよという世の中がこのまままかり通るのであれば、いずれ数十年もすればそもそも人という資源が枯渇していくんだから上手く立ち行かなくなっていくと思うし、そうなって初めて「人・労働力を無尽蔵に労わることなく消費する企業の在り方」が間違いであったと気づくのだろうか。そうなってからじゃとっくに手遅れな気もするけど。
 
 マルクスの考えに触れたとき、人はどうしてフェアに生きることができないのか、そもそも格差が生まれること自体がある意味「人間らしさ」なのだろうか。日本のプロレタリアートはもう手を取り合うことができないのか。そんな他者を思う気持ちの希薄さが少なからず人口減少の一端になっているような気がするのは僕だけだろうか。

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