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Yahoo!ブログが終わるそうですね。
自分では消せない記憶も、有無を言わせず消されてしまえば、それはそれと思えるような気もします。 頭の中の記憶も、同じように消えてしまうなら尚良いのですが。 この頃ふと思うのです。 酷い事件などがあると、その罰について。 死刑でも、終身刑でも、加害者がその罪を悔いないのなら、被害者は悲しいままだなぁと。 罪が軽くても、重くても、悔いて、謝ってくれたなら、その記憶はなくならなくても、少しは傷を癒す効果があるような気がするのです。 我が家の出来事は、大層な罪ではないのかもしれません。 いつまでも傷付いたなどと口にすることも許されないほどの、よくある話なのかもしれません。 謝罪の言葉など必要もないことだったのでしょう。 「ごめん」のひと言も聞いた記憶はありません。 それどころか、この数年、毎日泥水を掛けられているような気分の日々が続いています。 仕事は楽しく、趣味と実益も兼ねたようなストレス解消法などのお陰で、ほぼほぼ笑顔を保てて過ごしていますが、時々ふと「私の何が悪くてこの扱いをされるんだろう」と立ち止まってしまいます。 答えは出ません。 行き着くところは「そういう人だから」 虐待などのニュースを目にすると、うちは死ぬほど殴られるわけではないから、まだ良い方なんだな、と納得するようになりました。 家庭に於けるあらゆる不幸な出来事のニュースと比べて、そう思う日々。 不健全だなぁと思います。 刑事事件でも、加害者が反省も後悔も謝罪もしなければ、どんな罰でも無意味だと感じる今日この頃。 悲しい、つらい、痛い、苦しい思いをした人と同じ日々を、それを与えた人が全く同じように感じることの出来る罰があれば良いのに、と思うのです。 目には目を、では、殺した人は殺されなければなりませんから、誰かが手を汚すことになりますが、それでは善良な人には罰は下せないので。 同じ悲しみを、同じ痛みを、同じ期間受け止めていると感じられる、そのような罰があればいいのに。 例えば、長い長い夢でも良いから。 この悲しみを、この痛みを、あなたに味わってもらいたい。 そして、それらを相手に与えているのは自分なのだと、理解して欲しい。 それでも、反省も、後悔も、謝罪も出ないのかな。 それでも、現実から逃げ続けるのかな。 最近のくだらない願いです。 |

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思うのです
加害者が躾と称して子供を死に至らしめた折檻を
加害者に罰として行う事・・・・
2019/3/7(木) 午後 7:19