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国会から女性議員を増やすための試みが始まろうとしています。
男性に偏った現状是正が目的です。
いずれ、地方もこの流れの影響をうけるでしょうね。
男性は抵抗するのか、どうなんでしょう。

▪️スウェーデンのランズクローネ市の女性副市長を訪ねた時のこと

今から10年も前の話で恐縮です。
女性の社会進出がめざましい北欧の実態を知りたく、
議員になった初年度に個人で訪問。
その時の会話を紹介します。
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2005年5月11日
★ 翌朝、「ニルスの不思議な旅」の舞台にもなった肥沃な穀倉地帯 スコーネ地方の ランズクローネへ移動する。

ここでは、市役所で、市の議員、兼、副市長でもあるマリタに会うことと、Aさんが紹介してくれる老人施設と保育園を訪問する予定。

市役所の正門は、施錠されている。
インターホンで名乗るか、暗証番号でしか入れない。
防犯上とはいえこれは市民としてちょっと不便ではないのだろうか。
管理職の部屋は、個室。緑と白で統一された廊下やドアなど、清潔な印象を受ける。

Aさんを通じて、ランズクローネの女性副市長、マリアンの部屋を訪ねる。
彼女は、市会議員でもある。
市長と副市長2名は議員の中から選ばれる。
市長は30代の若い男性。この日は用事があるからと副市長の彼女が対応してくれたが、私にとっては女性である彼女に会えたことのほうが嬉しい。
年齢も近い(^^;) 市の人口は約5万人。

Q「議員の数と男女比は?」
A「21人で 半分ずつ」
Q「年齢は?」
A「若い人から中高年までバラェティーに富んでいる」
 「仕事中でも議会にでる許可が得られる。本職の仕事よりも議員活動に熱心な人の場合は、本職の仕事を辞める場合がある。社会民主党の党首は39歳の女性でとても人気がある。若い女性の議会への進出は当たり前となっている」

Q「年金世代も議員に多く出ているのか」
A「2〜3人はいる。引退して年金をもらうようになったらボランティアをする人が多い」

感想ーーーーーーーーーー

★ 教育界、介護の世界、学生、医療の世界と、それぞれの立場から議員として出てきて、社会貢献する。女性の社会進出を背景に、女性が議員や役所や職場の管理職となっていく。

Q「日本では政治家の汚職が問題となることがあるが、この国ではどうか」
A「政治家にはない。公共の職員は疑いがあるだけでも 辞めさせられる」

★ 優秀な人が集まって議論をして良い社会を作っていくのだという考え方。
しかし、中には政治家ではないが、社会にはスキャンダルが全くないわけではないが、そういう人は信用をなくしていく。
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10年前の自分のブログ記事ですが、今、読み返しても日本は、依然として男女格差が改善されていない分野があることを考えさせられます。

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【再びの挑戦】

2016年2月3日(水曜日)晴れ

明日から、ブログを再開しようと思います

2年近く、ブログを休んでいました。
介護の終わりを書いたのが、2015年6月1日、その前に1年も離れていたので1年半近く、ブログを離れていたことになります。
毎日、何らかの変化はあり、写真も撮ってはいましたが、自分から何かを発信するエネルギーが足りませんでした。

また、今日からfacebookに入門して、たくさんの昔の知合いに会うことができました。
ブログからfacebookに移る人が多いのは、記事を書きやすいからだと聞きます。まだ、その実感もありません。



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【介護の終わり】

2015.6.1(月)晴れ


長い間、ご無沙汰していました。

ブログを続けられなくなり、1年以上、休んでしまいました。というのも、個人的な事情ですが、2015年2月7日、母が91歳で亡くなりました。
部屋からベッドが消えたのをみると、やはり母はいないのか、、、と寂しくなります。
介護期間は、長く感じられましたが、終わってみるとあっけないほど短かったこの10年間。 一人暮らしの限界から、娘の家に移ってきて、施設と自宅を行き来した10年間。

思えば、母は幸せだったかも知れません。
何といっても、介護をしてくれる家族が傍にいたから。
家族の様に、親身になって世話をしてくれた施設に恵まれたから。

当然ながら、私にも介護を巡って葛藤がありました。
母が寝たきりになったら、私は身動きできなくなるからと、母が施設に行っている間に、駆けずり回ってあれやこれやとやっていましたが、母は最期には介護度が5になったものの、車いす生活で、意識も確かで、食べる事を何より楽しんでいました。

しかし、突然、誤嚥性肺炎を発症、回復した数日後、
施設でターミナルケアを受け、延命措置をせず、自然死を選んでとても静かに穏やかにこの世に別れを告げました。

家族は、この間の母の激変にとてもショックを受け、右往左往しました。自然死は母の意思でしたが、家族も同意はしたものの、いざ、その場になると 大変、迷い、悩みました。


大往生でむしろ喜ばしいことかもしれません。
ただ、よりよく生きようと一生懸命努力すると同じくらいに、より良く死ぬことの大切さ、というか・・・価値をこれほど考えさせられたこともありません。家族は、その姿を前にして、いくら高齢でも、この世から消える事がどれほど大きな意味なのか、誰もが親あってのこの命、別れ方も様々です。それぞれの人が、肉親との別れを経て、命をつないで今があるのですね。

1年ぶりのブログがこんな個人的な事になってしまいました。








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3月29日(土) 晴れ

タイトル 放射能から子どもたちを守ろう                             被ばく責任を問い続けます

名古屋の昭和区役所講堂で29日、午後1時半から前、双葉町長の井戸川さんの講演会がありました。井戸川さんは、双葉町から全国各地に避難されている方々に会うため各地を回っておられます。
司会の西さんの挨拶のあと、井戸川さんが「原発による避難生活がもたらす苦難」について話されました。
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福島では、真実がなかなか表にならない状態が今も続いており、「もう安全」という風潮が意図的に広めようとされている一方、内部被曝の恐怖が依然としてあること。

各地で避難計画が策定されようとしているが、一旦、原発事故によって避難するということが、どんなことか、よく考えて欲しい。
ほかの自然災害と違って、放射能汚染区域では避難した人たちが、生きている間に帰還できる見通しが見えないため、若者は避難先から戻らないし、残る人は高齢者ばかり、やがては残った人もいなくなり、無人の荒れ果てた土地が残るだけになってしまう。放射能による汚染が、どれだけ悲惨なものか、4つの原発が壊れたのですよ。チェルノブイリよりも深刻な事態なのですよ。

ボランティアの皆さんがよく歌ってくれる唱歌「ふるさと」を聞くのは、とても辛い。
ふるさとを失うということは、基本的人権を奪われることなのです。
人間としての尊厳を根こそぎ奪われるようなこの現実は、避難という一時的な言葉では語れないほど、重いことなのです。
そもそも避難計画と立てるというが、事故以前の状態に完全に戻すという前提があっての避難だろうか? 二度と戻れないような避難計画をそのまま住民は「はい」と言って受け入れていいのか。
双葉町のようになってしまってもいいのですか。
自分が町長の時の事故だったが、少しでも遠くへ町民を避難させねばと埼玉までみんなに避難してもらった。少しでも被爆を避けたい一心だった。
だが、ふるさとへ戻れない。戻りたくても、戻れない。
未だに仮設に暮らす人がいる。
ある高齢の男性が、「わし、このまま仮設で死にたくはない」と言われた。
避難計画というものをもっと皆さんは、真剣に考えて、なぜ 避難するのか?
避難したら、いつ 戻れるのか?
戻れる状態までの生活(暮らしの全て)がどうなるのか。
誰が受け入れてくれるのか?
避難したが最後、これまでの暮らしが全て奪われてしまうこと、家族も暮らしも土地も家も何もかもがこれまでとは一変すること、失うものばかりだ。
こんなことが許されるのか。

事故から3年間の皆さんの苦しい日々を代弁された。
会場には、放射能医学の専門家の松井英介先生も参加され、内部被曝についてアドバイスがあった。

確かに、事故当時と比べて、報道も減りました。
しかし、井戸川さんも言われましたが、事故の直後より、今の方が福島では放射能数値が高くなっていることがたいへん恐ろしい、事故は終わっていないということは、ネット情報をみればかなりのところまで、把握できます。

それでも、再稼働の日は近く、何が何でも再稼働を急ぐ一方、「南海トラフへの警戒」が官邸から出ているこの矛盾、第2、第3の福島原発事故を恐れるのは私だけではなく、会場を埋める人がこれほど多いことからも、皆さんの関心がとても高い。







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