国見ラジオ(フィジカル・インテンシティ)

nbaの話題を中心に日本のこと、私、国見良寛の好きなことを

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

僕は吸ったこともないし試してみたことすらない。けれどもその事件の人たちの気持ちは少し分かる気がする、というか僕も一応早大OBなんですけれども。少なくとも早大・慶大のような名門大学でなぜ?みたいな、マスコミの報道には違和感を覚えた。

その理由をいくつか。かつては大学に進学する人はそれほど多くなく、その中で早大・慶大といえばやはりエリートだった。終身雇用の制度もあったし、早大・慶大を出ただけで安泰、とはいかなくてもそれなりに誇れることだった。そう、つまりかつては早大・慶大といえば「特権階級」だったのだ。しかし、大学全入時代を迎えつつある現在、それに早大に通っていた身としてこれだけは言いたい、それほど大した授業が行われているわけではない、地方の大学と早大とどれくらい授業の質に違いがあるかといえば、それほど、世間で思われているほど違いはないのではないか、というかほとんど全員寝ているかぼーっとしているか、授業なんてつまんないね、なんてのがほとんどで楽しんでいるやつは彼女がいる奴、と大体相場が決まっていた。そう、かつて存在した「特権」という幻想がくずれつつあるのだと思う。

ただなんとなく早大・慶大に通っている人間よりも資格を取るために専門学校に通っている生徒のほうがずっと充実した毎日を送っているのかもしれない。我慢して勉強をしてきてしてきて、それでそれほど大学がつまらなくて、しかも大学を出たからって就職が確定するわけではなくて、第一志望のところに入れるやつなんて早大・慶大を出てたってほんの一握りで、という現実を見たとき、人は何を思うのだろうか?

たぶん、早大・慶大に入ったことで「特権」を得られるなんてことはほとんどない。そもそもこの情報化社会に大学は立ち遅れているのだから。今、早大・慶大に入ったことの特権を得ようとするならばせいぜい塾講師のバイトをするか、それかそれでもまだ合コン受けがいいくらい?けれどももちろん、早大・慶大だからってそれで全てがうまくいくとは限るわけがない。

大麻をやってしまった人たちってある意味、現状に満足できなかった人たちなんじゃないのかな?それが大学に見つからなくて、それで悪い方向に流れていってしまったのだろうと思う。大ばか者、と一言で片付けてしまうのは簡単だけれども、この事件はいろんなことを象徴しているのだと思う。一つは早大・慶大のようないわゆる名門大学にしかないもの、というものが消えてしまったこと。そして今の若者が抱える閉塞的状況を象徴しているのではないかと思う。

ちなみに僕は大麻には反対だし、すったことは一度もないですよ。けれども退屈で、無駄だなと分かっていた授業に毎日毎日縛り付けられていたころには本当に何でも悪いことはしてやろうと思いそうなこともあった。大学は嫌いだった。そしてあの授業は今でも一体何の役に立ったのかさっぱりと分からないでいる。苦労して、受験競争に勝ち抜いて、そしてそこにしかないもの、それだけの価値のあるもの、それを大学側が見出さなければ今後もこういう事件は起こるんじゃないですかね。

最後にもう一度だけ論点を確認します。早大・慶大という名門大学でなぜこのようなことが起きたのか?というような報道をマスコミはしていたのですが、昔と違って名門大学、というものの社会における価値、特権性が変わってきているので、僕は別に起きても不思議ではないのでは?と思い、今後、こういう事件が起こらないようにするには大学が変わらないといけないと思っています。

高橋尚子、彼女がシドニーオリンピックのときに金メダルを取ったのは僕が高校生3年生のときだった。受験に燃えていた夏で、初めてオリンピックを真剣に見てみた年でもあり、新しいスターの誕生とその笑顔に勇気付けられたのを覚えている。彼女と僕とには奇妙な因縁がいくつかあって、それをいくつか書くことにする。

彼女が金メダルを取って、その後、しばらくはいい話ばかりが続いていた、けれどもやがて彼女に対する激しいバッシングが始まる。「太りすぎ」「不細工」「調子に乗っている」汚い言葉がスポーツ新聞だけでなくTV欄にも現れていた。激しく落ち込み、走ることを止めようかと思った、と後に高橋は言っていたが、ちょうど、その頃だった。志望校に受かったものの、何も考えずに授業をぽんぽんと登録し、それが厳しい授業ばかりだったので、なんていうか、高校三年生のときよりもハードな毎日を送っていたというか、それに大学にうまくなじめなかったというか、ストレスとかなりの猛勉強で目の下にクマを作り、そして僕がかなり太っていたのは(今はちょうどいいくらい、からやせていると言われることもある)。汚い言葉、がちょうどその頃の自分に当てられているみたいで、すごく傷ついた、というか社会というか、人間とかメディア全体とかそういうものって信用できないんだな、とそのとき思っていた。

その後、高橋は奇跡の復活を一時的に遂げる、しかしまさかのアテネオリンピックの選考に落ちからその後は夢叶わずというか、零落する一方で、恩師小出監督との決別も印象深かったが、その諦めの悪さ、時には怪我が長引き走ることさえ出来ないという運の悪さ、が際立っていた。たぶん人生ってうまく行くこともあるけれど、きっとそういう人、も多いんじゃないかな。少なくとも優勝して各方面でちやほやされている彼女だけでなくその後、何をやってもうまくいかない、という姿を見れたことで僕は何かを学ぶことが出来た、というか、その頃、僕もまた別の意味でどん底に立っていた。そういう意味で共感できる数少ない、珍しいスターだ。

彼女には魅力がある、人をひきつける力が、そして何か人に与える力がある、それは確かだ。けれど一方で彼女を批判する人もいる。今回の引退だって「けっきょく中途半端だったな」とか「シドニーの跡は微妙だった」とかそういうことを言う人が必ずいたはずだ。けれどそういう人にはなんていうか、人生の深みというか、ある要素が欠落しているのだと思う。別に偉ぶるつもりはないけれども。少なくとも彼女については悪く言う気はあまりしなかった。強いて言えば負けるたびに言い訳めいたコメントを残すのが気になってはいたけれども。彼女が金メダルを取ったあとの不愉快なごたごたについての小出監督の言葉を今でも覚えている。「金メダルを取ってまで泣くことないじゃないか」

強い選手はまた必ず現れる。けれどもそれだけではない、強いだけではなく違う何かを与えられる人だった。高橋尚子の引退をしのぶ。

話題の舞台、三谷幸喜のグッドナイト&スリープタイトに行ってきました。いや本当にすばらしかったですね。三谷さんらしい舞台で、音楽と台本の絡みもいいし、舞台袖でBGMを奏でるミュージシャンの人と役者の方が微妙に絡むところもいい(本当は見えているはずがないのだけれど)。それと最近の三谷舞台では頻出の回転する舞台(中華レストランのあれを思い浮かべてください、あれの上に役者が乗って劇が進んでいきます)も使われていて、よっぽどお気に入りなのだなと思いました。

さてストーリーなのですが、前作「コンフィダント・絆」と同じく出会いがあれば別れもある、けれども出会ったことは間違いではない、というテーマをより複雑に、皮肉に、そしてそれだけに切なく描いた作品となっている。作者がどのような思いを込めて本作を描いたのかは不明だが互いの思いが交錯したり、けっきょく自分のことしか考えていない姿を浮かび上がらせたり、その辺はやはりうまいな、と思うと同時に切ない気分にさせる作品。しかしどれだけ別れの残酷さを書かせても、人のエゴイズムを書かせても、品のよさ、見終わったあとに人恋しさのような暖かさが残るのは彼の才能のなせる業なんだろうな、やっぱり。すばらしい舞台でした。

ところで今回見たのはプレビュー公演というやつだったのですが、本公演の前に一応、このプレビュー公演をはさんで、微調整をして、というものだそうです。しかしそれでも本公演まで2、3日しかないのだから本当に微調整しか出来ないはずなのですが、今回の公演、そんなことはあってはならないくらいに役者が台詞をつっかえる場面が多かったです。それもプレビューの醍醐味といえば醍醐味なのだろうか。あ、あと中井貴一さんと目があった気がしました。ちょうど観客席の真ん中の真ん中くらいで見ていたもんで。それはそれで照れくさいというか、お互いにやりづらかったですね(あほ)。三谷さんの上演前の諸注意もいろいろ工夫を凝らしていて面白かったです。毎回いろいろ考えるなというか。。。すごい人ですよね。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事