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先月、本屋をウロウロとしていて、面白い雑誌を発見しました。 月刊「一個人」の8月号、『日本の庭園入門』です。 そして、その表紙には京都の龍安寺の石庭が使われていました。 「石庭」と聞くと多くの人が「龍安寺」を連想するのでは、と思うほど、 今や龍安寺は京都旅行の定番となっている感さえあります。 私も「龍安寺」を訪れ、その美しく手入れされた石庭で、時間の許す限りボーっと過ごすのが好きです。 その石庭、75坪の白砂の世界には、大小15個の石が点々とならんでいます。 そして見れば見るほど・・「この作者はいったい何を表現したいと思っているのか?」について 思索をめぐらせてしまいます。 ある高名な評論家は言います。 「作者が何を表現しようとしているか分かろうとしてはいけない。ただ、あるがままを受け入れればいいのだ。」 確かにそうかもしれません。 しかし、この方丈の縁側に座り、 75坪の白砂の、東から5・2・3・2・3という組み合わせで配置された石と対峙するとき・・ その疑問が、どうしても湧き上がってきてしまいます。 購入した雑誌でも、庭の作者、作庭された時期、作者の意図といった疑問に対し、仮説を提示し、この説が有力だというのを分析していました。 しかし、それもあくまで有力な説であって、正解ではありません。 もしかしたら、龍安寺の石庭は、その配置を楽しむのもいいのでしょうが、 その石自体が持つ美しさを眺めるのがいいのかもしれません。 余談ですが、私が龍安寺を訪れるとき・・そこには必ず修学旅行生がいてワイワイ騒いでいます。 できれば彼らがいない時に、このお庭を訪れて、さらに静かに思索を巡らせたいものです(汗) |
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2011年07月28日
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