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写真の笑顔の少年 ワンことアズワンの家は メインロードを西に入った カンポン(村)にあった くねくねと曲がりくねった道には ところどころに民家があった マレーシアらしい高床式の家々 アズワンの家も そんな簡素な家のひとつだった わたし達が到着し ユセフが声をかけると なかから初老の女性が現れた わたしはその笑顔を見て アズワンの家族だと確信した それほどに 顔立ちがそっくりだったのである 「わたしはアズワンのママ!」 ユセフから事情を聞いた彼女は言った わたしは手を取られ 家の中まで招き入れられた 家の中は薄暗く がらんとしていた アズワンの父親、弟、二人の妹がいた わたしは母親に手を取られながら できる限りのマレー語で 自分が1997年に写真を撮ったこと 日本からこの写真を持ってきたこと この写真をアズワンに渡したいという願いを告げた 少しの沈黙の後 母親から告げられた事を 理解するのに 時間がかかった それは わたしが全く予想していなかったことだったから・・・ アズワンは2002年 交通事故でこの世を去っていた わたし達は ただ手を取って泣いた 無口そうな父親も 兄弟達も ユセフも 泣いた 父親は弟に何かを告げ 彼は 3枚の写真を持って現れた そこには 成長したアズワンがいた 少年から青年になる アズワンがいた 「息子のことは 一日たりとも忘れたことはありません まぶたにいつも 姿が浮かびます パパは無口で何も言いませんが 同じ気持ちです」 母親は写真を抱きしめた 妹達が スイカと紅茶を捧げて やってきた 紅茶はいつも食堂で飲むものより
はるかに薄く 一家の暮らしがけして豊かではないことを感じさせたが そこには たっぷりの砂糖が入っていた |
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2006年9月 わたし達はローカルバスを乗り継いで ランタウ・アバンのバス停に降り立った 話に聞いていた通り ランタウ・アバンは昔のような賑わいはなく 多くのバンガロータイプの宿泊施設が 打ち捨てられ さびれていた わたしは一人で メインストリートを人影を求めて 歩いた 老人達には何人か会ったが 成長した少年の年齢であろう若者には なかなか逢えなかった 日差しは容赦なく照りつけ 人影はない 戻ってあの老人達に聞くしかないと思ったとき 一軒の家の庭で 青年がその妹達であろう少女たちと一緒に マンゴーを取っていた 「ハロー!」 わたしはすがるように声をかけ 庭に入った 彼らは怪訝そうな顔をしていたが わたしは 記憶の中のインドネシア語を引っぱり出し 彼らに尋ねた 「この写真の少年を探しているんだけど・・・」 わたしは笑顔の少年を指差した 彼らは興味深そうに写真をのぞきこんだ 「この写真は9年前のものだから 今はきっとあなたぐらいの年だと思うんだけど・・・」 青年が言った 「ワンだと思う なぜ彼に会いたいのか?」 何かを疑うような口ぶりだった やっぱり探し当てることができた! わたしはそんな彼の言葉を振り払うように 「この写真を彼にプレゼントしたいんです!」 彼らは早口で何かを話し合い そして 「ここからは歩いてはいけない ここまで何できたのか」 と聞いた わたしは チェラティンからローカルバスで来たことを告げると 青年は 「自分がバイクで送ってやる」 と言ってくれた それは助かる! わたしは嬉しくなった わたしは彼のバイクの後ろにまたがり 彼の名前を聞いた 「ユセフ」 「本当に感謝します、ユセフ!」 あの笑顔の少年の家に行ける!
逢えるかもしれない! |
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「あたし 親戚の間じゃ バツイチってことになってるんだよっ」 れりぃ友人女性 友人は独身主義であるが ご両親はそれを理解できない &それが悩み あまりにも彼女が結婚しないので 彼女が彼氏と一緒に里帰りしたあと 親戚中を納得させる為に 「あの人と結婚した」 と発表してしまった! その友人は彼氏と別れたが 事情を知らない親戚は ご両親に 「子供は?子供は??」 とうるさい 子供など産まれるはずもなく 困ったご両親は 「それがね 離婚したのよ、、、」 と説明 これってなんか
スゴイ! とんだヌレギヌだ |
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今回の旅の目的のひとつ、、、 それは マレーシア東海岸沿いの町 ランタウ・アバンに住む少年に この写真をプレゼントすることだった この写真は わたしが1997年7月に 初めてマレーシアを旅行した時に 撮ったものだ わたしはこの写真が大変気に入っていて 大きく伸ばして コンテストに応募したりした とりわけ 笑顔の少年が気になった 結果的には なんの賞も取ることはできなかったが わたしのお気に入りであることに 変わりはなかった 今回の旅行にあたって ほとんどの持ち物を処分した時 「少年にこの写真をあげよう」 と思いついた この写真の少年は 10歳ぐらいに見える きっとはたちぐらいになっていることだろう 今もカンポン(村)に暮らしているのだろうか? 都会に働きに行っているかもしれない それなら 家族に手渡せばいい・・・ それはものすごく いい思いつきのように思われた わたしは相方にこのことを話すと 相方の反応は 思いもよらず よいものではなかった ランタウ・アバンは広い村なので 彼らの家を探すのは 難しいだろう・・・・ それが相方の意見であった しかも 当時のランタウ・アバンは ウミガメの産卵を目玉とした観光地として そして マレー半島東海岸縦断の中継地として 多くの外国人旅行者で賑わっていたが 環境破壊が原因してか ウミガメが来なくなってしまい それに伴って 旅行者の足も遠のき ゴーストタウンのようになっているらしかった 「観光に携わっていた多くの人々が ランタウアバンを離れたに違いない」 相方の意見はもっともであった けれど わたしが 「絶対探し出せる」 と思ったのは なぜだろう? 全く何の根拠もなかった はたちぐらいの年頃の青年を何人か探して この写真を見せれば 二人のうちどちらかを知っているに違いない おまえは ランタウ・アバンに行くのが めんどくさくて そんなことを言っているのであろう おまえが行きたくないのなら 自分ひとりで行く 相方はわたしが 一度言い出したら聞かないのを知っている 相方は 自分も一緒に行くと言った 続く
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旅行している間 あんなに円安で 日に日に 両替してもらえるお金が下がって カナシイ思いをしていたのに ワタシが日本に戻ったとたん がぜん円高って どういうこと?? 対アジア通貨でも
円高なのだろうか? だったら すごく クヤシイー |



