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長崎旅行記Pt.5

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「ある日事件は突然始まり、突然に終わった。」と彼は言った。 
事件の顛末の中で述べたシーボルトの言葉は、この事件の複雑さを物語る。 彼にとっては、全く不可解な事件だったのかも知れない。

一般に、「シーボルト事件」とは、彼が天文学者、高橋作左衛門影保に宛てた小包の中に北方探検家で幕府隠密の間宮林蔵宛への手紙が入っており、これを高橋作左衛門経由で手にした間宮林蔵が開封することなく、一度も会ったことのない外国人からの手紙に驚き、上司の勘定奉行、村垣淡路守定行にこの手紙を届けたことで事件が発覚。
これにより、シーボルトと高橋作左衛門との密接な関係が幕府側に明らかになる。 シーボルトは、帰国間際であったが、運命のいたずらか、帰国のため乗船する予定であった、コウネリウス ハウトマン号が大きな台風が九州地方を直撃し、浜に座礁してしまった。
幕府側の内偵によって、以前から「シーボルト怪し」と伝わっていたこともあり、長崎奉行が、早速この座礁した船の積荷を調べたところ、国外持ち出し禁止とされていた地図類などが発見され、シーボルトと関係した多くの人々が罪に問われ、シーボルト自身も国外追放となった。 というのが事件のあらましである。
だが、しかし、どうも上に述べたように一般に言われている様な事だけではなさそうだ。

江戸では、すぐに高橋作左衛門が囚われ、牢に入れられた。 彼は、訊問の中でシーボルトに渡した物の詳細、また、渡した際に関わった人物を白状した為に、幕府から長崎奉行にそれが伝わり、シーボルトが国外に持ち出そうとしていた物品のほとんどが押収され、事件に関わった人物も逮捕された。
押収品の中でも一番重要視されたのが伊能忠敬の描いた「大日本沿海輿地全図」で、役人が探そうとも中々見つからなかった。 彼は、出島の中に隠していたのだが、奉行からの執拗な訊問に屈し、それを渡した。 
だが、最近、シーボルトの子孫が保管していた箱包みから、この「大日本沿海輿地全図」地図が発見された。 と言うことは、シーボルトは、もう一つ「大日本沿海輿地全図」を持っていたことになる。 実は、彼は、高橋作左衛門にもう一枚この「大日本沿海輿地全図」を最初の地図が東に傾いていたので真北になる様に等、修正した上で複写する様に頼んでいたのであった。
ものすごい執念である。 この地図は、真北に修正されていたことから、彼が高橋作左衛門から受け取った2枚目の地図か、それを書き写したものと推測される。 更に、彼は、北方地域に精通していた最上徳内から間宮林蔵が調査し、彼自身が描き記したとされる樺太の地図、「黒龍江中之洲并天図」をも入手していた。

しかし、幕府の態度がどうも、腑に落ちない。 座礁したコウネリウス ハウトマン号は、入り船として検査を受けることになる。 検査は、密貿易やキリシタン流入を防ぐために行われていたが、通常、オランダ船にはこれまで行われていなかったし、出港の際にも積荷と人員の簡単なチェックのみが行われるだけであった。
検査後、禁制品が多く含まれていることが判明し、即刻、天文方の高橋作左衛門が囚われる。 彼は、シーボルトに渡したもの(日本地図のみならず、蝦夷、樺太などの地図等)を告白し、詳細が長崎奉行に伝えられ、シーボルトに禁制品をすべて渡すように命令するも、彼は、のらりくらりと言い交わし地図の複写をする為の時間稼ぎをする。
だが、このような訊問が続いていた中で、突然、高橋作左衛門が獄中死する。 この彼の死を境になぜかシーボルトへの追求がなくなり、押収品の大半が彼に返却される。 彼が言った、「ある日事件は突然始まり、突然に終わった。」というのは、この時期の事を述べているのであろうか。
幕府は、一枚目の地図をとりあえず取り戻したことで体面を保ることはできた。 しかし、二枚目の地図については知っていながら何故か追求していないし、押収品のほとんどが返却されている事実もある。 さらに、過去に出島の商館で働いていたケンペル等も禁制品といわれる物を持ち出しており、幕府もそれを知りながら何も追求していない。 
更に、事件発覚のきっかけとなった間宮林蔵への手紙も、「シーボルトと間宮林蔵は一度も会っていない。」という幕府側の見解があるが、一度会っていることが調査により明らかになっている。 どうも、この辺りの幕府の態度に理解が苦しむ。 恐らく、林蔵が隠密であることを他(特に薩摩藩)に知られたくなかったものと想像される。
一応、表向きは、天文方の高橋作左衛門の処刑(獄中で死んだが、その後、正式に処分が決まるまで塩漬けにされ、死体に対してその首がはねられた。)と、シーボルトの国外追放で事件の幕は下りた。 

これらを考慮すると、どうも裏事情がありそうだ。 分からないのは、
 1.シーボルトが手に入れた日本地図等、禁制品と言われているものは、過去にも
   国外に持ち出されていたし、幕府もそれを知っていて黙認していた。
 2.天文方の高橋作左衛門が獄中死してから、シーボルトへの追求はなくなり、
   押収品のほとんどが返された。
 3.シーボルトと間宮林蔵とは一度会っているにも拘らず、幕府はこの二人が一度も
   会ったことがないとしている。
上の謎を考えると、幕府には他に狙いがあったのではないかと思わざるを得ない。

当時の将軍は、家斉である。 家斉の御台所は、茂姫といい、父は薩摩の島津重豪である。 当時、薩摩藩は、幕府から強制された木曽川の治水工事で莫大な借金を抱えており、農業生産だけでは借金を返すことは不可能であった。
そこで、島津重豪は、抜荷(密貿易)を行うようになった。 幕府には知れてはいたが、将軍の義理の父であることもあり、処分ができずにいた。 立場を大いに利用した重豪は、密貿易を更に拡大し、当初は唐との密貿易が多かったが、オランダとも関係を深めてゆく。 事実、シーボルトとも彼の江戸参府時、三度も会っている。
自分が言うことを聞かせることができぬこの横柄な島津重豪を、将軍家斉や、幕府高官は、なんとか陥れたかった。 更に、日本の開国を説く蘭学者を中心とした革新派の一掃も彼らには必要であった。
その為には、切っ掛け、口実が必要であった。 幕府は、このシーボルト事件を利用したのであったのではなかろうか。  将軍の義理の父と言うことで罰せられはしなかったが、幕府からの薩摩藩への圧力、締め付けは強化されていく。
そして、南蛮学者等の革新派への締め付けも同時に進行していく。 幕府側の狙いは、ここにあったのかも知れない。 つまり、禁制品をシーボルトと高橋作左衛門の二人によって国外に持ち出されようとした事を口実に島津重豪並びに蘭学者等の革新派の一掃を狙ったのではないかと考えられる。
蘭学者の締め付けは、その後、「蛮社の獄」でも引き続いて行われていくことになる。

シーボルトは、帰国後、日本に関する著書「日本」を書き、欧州中に日本を紹介した。 そして、彼が持ち帰った、樺太の地図「黒龍江中之洲并天図」でもって、当時は樺太が半島か島か知られておらず、南極と並んで未知の場所であったのを「島」であることを紹介した。
彼は、樺太と大陸との海峡を「間宮海峡」と名づけ、世界で唯一日本人の名前がついた場所となった(もっとも、ロシアは、悔しいのか、他の名前で呼んでいるが)。 そして、ロシアの航海家クルーゼンシュテルンをして、「日本人我に勝てり。」と言わしめたのである。

シーボルト達、オランダ商館に勤務していたオランダ人が住んだ出島は、バームクーヘンを三通りに切った形をしていて、別名「扇島」とも呼ばれる(写真3)。 海上に島を作るという発想した人物や設計、工事監督した人物、そして土木技術についても謎に包まれているそうだ。 出島ができた由来は、幕府が、キリスト教を禁止するための一環として、ポルトガル人を収容するための施設として作られた人工の島である。
しかし、1639年の鎖国令によって、ポルトガル船の来航が禁止され、後、1641年に平戸にあったオランダ商館が出島に移転し、1859年まで218年間西洋に開かれた唯一のゲートであった。 その間、約7百艘の船が出島に来航した。
しかしながら、1781年フランスがオランダを併合し、後、1815年ネーデルランド王国(現在のオランダ)ができるまでの5年間、オランダの国旗が翻っていたのは、ここ出島だけであった。 
ここには、シーボルトが持ち帰った樹木の内、「かえで」などが、いわゆる、「里帰り」している。 これは、一つの物語であろうか。
ここには、15分の1のミニチュアモデル(写真2)で出島を復元しており、概要が良く見えることができる。 
出島を隈なく歩いたが、あっという間に端から端にたどり着いてしまう。 商館員達は、滞在期間中、どれほど暇をもてあましたことであろう。 とてもじゃないが、これだけの小さく限られた空間では、気がめいってしまう。 

尚、シーボルトが持ち帰った物の内、かなりの品がライデン市にある国立民族博物館に展示されている。 オランダ滞在期間中、2度ライデンを訪問したが、残念ながら、改装中でこれらの品々を見ることができなかったことが悔やまれてならない。

(写真)
*出島全体のミニチュア
*バームクーヘンの形が良くわかります

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