行くなら奈良!

奈良の寺社、古墳を歴史を交えての紹介と日欧交渉史を中心に情報を発信します。

全体表示

[ リスト ]

長崎旅行記Pt.9

イメージ 1

イメージ 2

硫黄の噴煙を背にして、車を島原へと走らす。 途中、雲仙普賢岳噴火してできた平成新山が見える。 ここは、まだ火山活動が活発なのか山頂付近では数々の煙を噴き上げている。
雲仙地獄で轟々と音を立てていた様が脳裏に浮かぶ。 頂上ではあのような激しい音をきっと立てているのであろう。 
国道57線を更に下っていくと火砕流が発生した、水無川を通過する。 文字通り、水は全く無い。 水無川とはよく言ったものだと感心しながら、島原市へ到着。 すぐさま、島原城へ向かう。

随分、立派な城である。 この島原城は、松倉重政が、新しい領主として赴任し、新たに造った城である。 半島には、前の領主、有馬家の居城であった日之江城があったが、そこには住まず新たに島原に城を造った。
廃城となっていた、原城そして前領主の居城であった日之江城をぶっ壊し、そこにあった材料を運んで新たに城の建築に当たった。 建築に駆り立てられた半島の住民はさぞかし迷惑であったろう。
わざわざ新た城を造るというのは、自らの力を誇示したかったのである。 松倉重政がどういう人物であったか良く理解できようか。 農民から絞るだけ絞り、人を牛馬のように使い、殺すというような悪政を執っていた領主なんぞには、この城は立派過ぎる。 まさに「身分不相応」である。

城から降りて、武家屋敷へ向かう。 道の中央に川が流れている。 洗濯、洗い物に使われた用水のようで、最近の映画、吉永小百合、竹中直人主演の「幻の邪馬台国」でこの通りが1シーンとして登場する。 
同じようなものが大和郡山市の紺屋町にも見られる。 紺という文字が表しているように、そこでは通り中央に流れる川は、染色用に使われていた。 
そろそろ、日が暮れてきているので、長崎へ戻ることとした。 途中、あの悪名高い諫早湾干拓用の潮受け堤防を走る。 両方が海である。 なにかオランダの大堤防を思い出させるもので、これと同じくちょうど中間地点で車を駐車できる。 道路を横切る高架橋を渡って両方の海を眺めも、干拓事業工事は、ここからは良く伺えない。
恐らく、まだ、進んでいないのであろう。 しかし、一度決めたものだからと言って、何も何が何でも実行する必要は無いと思うのだが。 後に、不要だという結論になれば、計画を中止すればいいだのと思うのだけれど。 どうして、こうも意固地になるのだろう。

しかし、良く走った。 約300Kmのドライブであった。 翌日は、長崎最後の日となる。 西彼杵半島へ向かう予定である。 

(写真)
*武家屋敷の通り
*諫早湾干拓潮受け堤防


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事