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JR長崎駅前からバスに乗って西彼杵半島、外海、(これを「そとめ」と読む)へ向かう。 市内から途中にある、バス桜の里ターミナルで一度乗り換えなければならず、面倒くさい。
飲み物を買って、備え付けのテレビを見ながら待っていると、目的地へ行くバスが来た。 ローカル線である事は否めず、バス自体も旧式であり、最近良く見られる「ノンステップバス」ではない。 周りを見渡すと、乗客は少なく、お年寄りばかりである。
腰が曲がったお婆さんも乗り込んでくる。 段のあるバスを乗り降りするのは実に不自由だ。 お年寄りが降りる際、実にスローな動きでお金を払い、降りて行く。 それを我慢強く運転手はじっと見守り、安全を確認して発車する。 見ているこっちがなんか苛々してくる。
こういう路線なのだから、ノンステップバスにすべきだと思うのだが、やはり、営業的に最新のバスを導入しても採算は取れない。 将来、この路線も廃線になる運命なのであろうか。
最初の訪問先は、 遠藤周作文学館である。 バスは、だんだん海沿いを走り、太陽がキラキラ海を照らす。 しかし、ここも、島原半島同様、山が海に迫るような地形で、平地が実に少ない。 作物の収穫も、少ないであろう。
バスは、黒崎地区を過ぎた。 黒崎地区へは、帰りに寄ることにして、遠藤周作文学館のあるバス停「道の駅」に近づいてきた。そろそろだなと思って、停留場のアナウンスを良く聞かず、停車ボタンを押してしまった後、一つ手前の駅だと言うことに気がついた。
「間違いです!」と、いうのも恥ずかしいので、そのまま降りてしまった。 「まぁ、一つ手前なので、さほどの距離はないし、天気も晴れていて海を見ながら歩くのも心地が良い。」と、恥ずかしさを隠すために、一人強がって歩き始めた。
何故、こんな僻地に、こんな立派な施設があるのか、不思議がる人もいるであろうが、実は、「深い河」と並ぶ遠藤氏の代表的作品の一つである「沈黙」の舞台がこの外海である。
「沈黙」は、日本へやってきた外国人宣教師が、繰り返される拷問に負けてしまい、自らの信仰を捨てて、日本人の名前と罪人の未亡人と子供を与えられ、日本人として生きた彼等の栄光と挫折を描き、神とは、信仰とは何かを問うすばらしい作品である。
この小説は、実際にあった歴史上の事実を小説化したもので、主人公のポルトガル人宣教師、ロドリゴのモデルは、イタリア人のジュゼッペ キャラであり、もう一人は、ポルトガル人宣教師のクリストバン フェレイラ(モデルと同人)である。 フェレイラは、沢野忠庵、キャラは、岡本三右衛門と言う名を与えられ生涯母国に帰ることはなかった。
館内には、氏が生前使っていた机や椅子、そして生の原稿等が展示されている。 感想を書くノートを覗いてみる。 修学旅行生などがいろいろ感想を書いてあったが、その中で、ある教師は、この小説を教材に使っており、この文学館訪問を以前から希望し、遠藤氏への思いを切実に綴られていたのが特に気を引いた。
文学館を後に、次の出津(しゅっつ)町へ向かう。 道は下り坂となる。 どうも、文学館のある辺りが山の頂上に当たるようである。 距離にして2km位はあろうか。 下ると言うことは、戻るときは昇りなる訳で先が思いやられるが、目的地に向かって歩いてゆく。
ここには、カトリック出津教会、ドロ神父記念館、歴史民族資料館等、見るものがあるが、時間は余りないので、歴史民族資料館にある、「沈黙の碑」を見るだけに留めた。 遠藤氏の言葉「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりにも碧いのです」と、刻まれている。
フランス人のドロ神父は、鎖国が解かれた後、来日し、大浦天主堂で司祭をした後、外海に赴任し、村の人にパンやそうめんの作り方を教え、布教活動をした。 その為か、ローマ法王庁の日本人枢機卿(法王のサポート役)がこの町から二人も輩出しているそうだ。
次に、坂を昇り、先に訪問した遠藤周作文学館を通り、黒崎地区へ向かう。 4〜5kmはあろうか。 海を見ながらの風景も段々と飽きて来た。 冬とは言え、日差しがあるので歩き続けると結構、暑さ感じる。
上り坂は、結構、疲れるが、しかし、歩いて大正解であった。 実は、頂上辺りから下っていく途中で、「ここは日本か。」と思わせる風景を目の当たりにすることになった。
それは、すべてが十字架からできているキリシタン墓地であった。 こんな広大な敷地が、十字架だらけなのである。 そこで、予定にはしていなかったが、この黒崎キリシタン墓地を訪れることにした。
墓碑には、名前が刻まれているが、苗字の後に、ポルトガル語による洗礼名が続き、最後に日本人名が刻まれている。 周りは綺麗に草が刈られ、生花と造花で飾られ、美しい。
フランシスコ ザビエルが来日して450年以上が経っているが、この風景を見て、改めて外国人宣教師の強い使命感と信仰心に驚き、そして、これは、歴史そのものだと感じ入った。
次に黒崎教会へ向かう。 正面に美しい白いマリア像があり、注意を引く。 そして、その下には、教会の由緒書きが記されている。 そこには、イエズス会のスペイン人神父、カブラル師がこの地で布教活動されたこと等が記されている。 入り口を入ろうとしたとき、二人の品の良さそうなご夫人2人が出てこられ話している。 「カブラルさんて、バリニャーノさんに叱られて、直ぐに帰った人だよね。」「そうそう、バリニャーノさんが一番偉かったのよ。」 ぬ、ぬ、ぬ。良く勉強しているなぁ。カブラル神父は、日本の布教長であったが、日本人を蔑み、食事も日本食を拒否し、牛肉ばかりを食べていたらしい。 当時、日本では、肉食の習慣はない。 当時の日本人は、「農業に役に立つ、牛馬を食らうとは何事だ。」と言う考えだったらしい。 日本人が、肉食の習慣を持つようになったのは、キリスト教の宣教師の影響かも知れぬ。
カブラルは、日本国内では、一番偉かったが、バリニャーノは、アジア地区の責任者である。 どちらが聡明な人物であったかは、一目瞭然で、バリニャーノは、カブラルの行動、考えに到底受け入れられないものと判断したのであろう。
黒崎教会を後にし、枯松神社に向かう。 案内板があって、何故か分からぬが、勝ってにすぐそばにあると決めかかっていたのが間違いだったのか、歩けど、歩けど着かない。
結局、4、50分は歩いたであろうか。 この神社の祭神は、日本の神でなく、サン ジワンという神父である。 これは、隠れキリシタンが、神社と見せかけて、密かにキリスト教を信仰していた聖なる場所である。
ここには、結晶片岩でできた大きな岩があって、この周りに隠れキリシタンが集まっていたという。 この神社には、小さい木造の神殿があるが、賽銭箱や神社には欠かせない鳥居がない。
これを考慮すると、やはり本来の神社と言う性格のものではなく、隠れ蓑の存在であることは明白だ。
隠れキリシタンは、鎖国の期間長い年月を経て、隠れて信仰して来た為にキリスト教の教義からはずれてしまい、全く別の宗教となった。 黒崎地区には、現在も200戸余りの隠れキリシタンを続けている人たちがいるそうである。
徳川時代300年も隠れて信仰した為に、カトリックでもなく、プロテスタントでもなく他の地区、平戸や生月の隠れキリシタンとのつながりも無く、独自の宗教となった。
外国人神父達も、正当なカトリックに戻そうと努力したようであるが、これを拒否し、独立した宗教になっているそうである。 若者はどうせ離れていくものも多いであろうから、この宗教も、いずれは無くなって行くであろう。
一時間一本のバスが来た。 長崎へ戻ってお土産にカステラを買う。 カステラの語源は、Castilla(カスティーリャ)である。 オリジナルのお菓子は、ビスコッチョと呼ばれるもので、大して美味しいとは思えぬ。
しかし、日本人は、オリジナルのものを改良し、より美味しいものを作った。 このオリジナルを改良し、より以上のものを作る日本人の能力は今も昔も変わらぬ。
今でこそ、液晶は、当たり前のものであるが、オリジナルは日本ではない。 電卓競争でカシオに負けたシャープは、消費電力の少ない液晶に目をつけたが、サンプルを手にした時に同封されてきた手紙には、「これは、あなた方が希望されている製品になるものではない。」と書かれていたそうだ。 これ以降のことについては、説明の必用はあるまい。
Castillaとは、首都、マドリッドのある、スペインの中央から北部に当たる地域のことで、かつては、独立国であった。 当時は、スペインはさまざまな国に分かれていて、カスティーリャ国とバルセロナのあるアラゴン国が合併して今のスペインの基礎が出来上がった。
これは、政略結婚によるもので、カステーリャの女王、イサベルとアラゴンの王子、フェルナンドが結婚してスペインの基礎を作る。 そして、800年もの間、アラブ系、回教徒に支配され続けたイベリア半島は、力をつけたスペインによって、その当時の支配者が排除され、カトリック国として歩むことになる。
そして、イサベルがコロンブスを保護し、彼の計画に理解し、支援したことから、アメリカ大陸の発見と共に、そこを領土化し、「日の沈むことのない国」と言われた大国スペインになって行く。
カステラは2本買った。 でも、結局、この2本は、他人の胃袋に納まることはなかった。
長崎旅行記はこれで終了。 昨年末に行ったのではあるが、旅行記をまとめるには、随分と長く掛かってしまった。
直ぐに、書けると思っていたが、どうも、書き続けていくと、「これが足りない」、「ここがちょっと調査不足」とか考えてしまい、参考文献を読み直したり、新しい文献を探したりと、予想以上に時間を費やしてしまった。
まぁ、ちょっと、マニアックでアカデミックな内容であるので、読んでもらってはいても、コメントがなく、反響は皆無である。 一抹の寂しさは覚えるが、仕方あるまい。
(写真)
黒崎のキリシタン墓地
枯松神社
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