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雅峰生の手紙
私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

父親を待つ娘

以下のリンクに本文を置いています。(原稿用紙30枚 398KB)
https://drive.google.com/open?id=1Ib-W1ES-9b4JwmgIryFvVYeLyLVGI8q1

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1803

時々、仕事をさぼってでも可(い)いから、自分が生まれ育った故郷の町を歩き廻ってみたいと思う事が私には有ります。別に何処も、予め行きたいと予定する場所は無いのですが、歩き廻る間に『此処も、あっ、此処にも』と次々と想い出が蘇って来るでしょうから、飽きる事が無いと想像するのです。そして家に帰る。故郷の家に。その時私は本当に子供で居る事が出来るのです。だから、そういう事がしたいのかも知れません。
そうやって歩き廻る時に私が観るものは、一体何でしょうか。私は結局、自分の正体だと思うのです。

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1802

茫然自失、私はそれに恋い焦がれます。自らを失う、何か決定的な前提が崩れる、その先には思いもよらず想像も出来なかった未来に至る道が続いている。その茫然が来(きた)る迄は、何故かその当然の道が見えなかった。
そういうものではありませんか。凄い転機です。何も即座に自分に好都合な道の事を謂っている訳ではありませんよ。『自分が進むべき、進むに値する新しい目標』の事を謂っているのです。

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1801

自分の未来は何に拠って決まるのでしょうか。今の自分の言動に拠って、またそれらを生み出す自分の現在の価値観に拠って決まるのです。
私なら、気分転換また気分転換で年月が過ぎて行く事に恐怖を覚えます。人生の主目的が立っていないのに、気分転換もへったくれも無いと思いますが。そんな事をしていて何が楽しいのでしょうか。屹度(きっと)全然楽しくないに違い有りません。その気分転換をしている当の本人が。

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1800

考えて生み出すのではありません。『気付く』のです。私の経験では、自分にとって本当に納得出来る結果というのは、何かに気付いて、その気付きに背反しない様に行動して、それでその納得出来る結果に至るのです。
考えて生み出す為に必要なものは知識です。それを持っていなくてはなりません。しかし何かに気付く為に必要なものは、濁っていない澄んだ心です。そして人が欠いた時に致命的になるのは此方(こちら)の方なのです。

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