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雅峰生の手紙
私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

2328

私が魅力を感じるのは、途轍も無い思い込みだけです。根拠も無く子供の様に憧れている人間の姿、その顔だけです。それは詰まり、問答無用で信じているという事なのです。
私はそれに勝る人間の力を知りません。それが人間の生み出す事の出来る最も強い力だと思うのです。此れに比べたら、人間が生み出す他のものはその威力が影の様に霞みます。その力だけが実体に思えるのです。

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2327

いつだって、自分を励ますものが尊いのではありませんか。その近くでただ呆然として自分でも無為だと思って居る様な時間を過ごす、そういうものではなくて。
その傍(そば)に居ましょう。その傍(かたわ)らで、自分が何かを生み出せる筈です。そうやって生み出したものこそ、自分の精髄ではありませんか。自分が生きた証ではありませんか。

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2326

お酒を止(や)めるともう後に何も残らないと話している七十歳近い掃除のおじさんと話をしました。その言葉をそのまま受け取るかどうかは兎(と)も角(かく)、自分が心を注いで打ち込むものが見付からなかった人の話です。陽気そうに見える中にも、淋しさが漂いますね。本を読んだり音楽を聴く事はと私は問いましたが、本は読んだら眠って仕舞う、音楽は特に聴きたいものも無いという事でした。
一生の間見付からなかったにしても、見付けようとはしたのでしょうか。私は其処(そこ)を一番思いました。若しも見付けようと努力して来たのであれば、何も残らないという事は無かったと思うのですが。人の生きている時間は、求める事をしなければ本当に夢幻(ゆめまぼろし)の如し、です。年齢が進むに従って此の事が目を背(そむ)ける事が到底出来ないかたちで、自分の真正面の直ぐ眼前に立って来るのだと思います。厳粛な事ではないでしょうか。

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2325

小銭入れを覗いていて気が付きました。昭和の刻印の有る硬貨が既に少ないのです。十円玉位にしか、それも一、二枚しか有りません。百円玉は全部平成になってからの製造でした。当然と言えば当然なのですが、時が、時代が過ぎて行くのですね。斯(こ)ういう事を通して実感します。昭和は遠い昔になって行くのですね。此れ程脳裡に瞼にはっきりとその光景、そして魂がその匂いを憶えているというのに。
その流れて行く中で、今日も生きます。自分の地上での使命が終わる迄。

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2324

何であっても、自分のしている事が程度の低い詰まらないものだと思うと、人はやる気を失うものです。ところが、
「それは立派な事で、大したもので、凄い事だと思います」
と言われると、何だか満足な気持ちになり、それなりにやり甲斐というものを感じるものです。しかし自分で自分のしている事の価値を信じられるかという事の方が、ずっと大事な事だとは思いませんか。その事に就いて殆ど何も知らない他人が評する言葉よりも。
自分が価値有りと信じられる事をしましょう。見付からなければ探しましょう。それに尽きると思います。

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