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雅峰生の手紙
私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

2873

幸福は必ず質素とささやかな暮らしと共に在ります。私の一生の間、此の感覚を裏切った現実に出逢った事は一度も有りません。
此の価値観を信じて、此のまま行きましょう。私は何故か、その道を行く私を沢山の人が応援してくれている様な気がするのです。

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2872

小銭入れに五百円玉が二枚以上入っていると、私は豊かな気分になります。何か少し気持ちに余裕が出来ますね。
そういう次元に、私の求める幸福が在るのだと思います。冗談ではなしに、それでこそ私だという気がします。此の生活を意識的に守らねばなりません。断固。

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2871

今にも水面の下に沈みそうになってあっぷあっぷしている姿、若しもそれが自分一個の利益福利を目的とした結果であれば、それこそみっともないでしょう。滑稽の極みで、自業自得と思われて当然でしょう。しかしそれが誰か他人を助ける為にそうなっているというのであれば、何処(どこ)の誰がその姿を嗤(わら)うでしょうか。まともな人間なら、声援を送るでしょう。
斯(こ)の様に、人の言動は写真の様にその場だけを切り取ったものでその価値が決まるのではありません。動機も経緯も含め、且つ一番その『目的』の処で価値が決まるのです。背景を一切知らない人間からの評価を気にする必要の無い所以(ゆえん)です。背後を何も知らない人は、評価するという事が根本的に出来ないのですから。

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2870

相手の事をよく知らない間に『他人と自分とは一切関係が無い』と思い、自分の態度として決めた瞬間に、その相手ではなく自分自身に属する何ものかを失うのです。自分にとってのその相手の意義などよりも、もっと大きなものを、です。私はそう思っています。説明は出来ません。何故なら思考ではないからです。
実際に相手に接してみて相手が何(ど)んな人間かを知った上で自分と切り離す事には、何も遠慮すべきではないでしょう。しかしそれが判る前にして既に最初から他人を拒否する処に、自分の精神の健全な維持は無い様に私には感じられます。

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2869

私が大学生の時に、一つの小説の素案を抱きました。良い素案だと今でも思っています。しかしそれは私に拠って未だ書かれてはおりません。ずっと、ずっと、私の胸の中にだけ在るのです。何が契機となって、私が本当にそれを文字に起こす事になるのかは判りません。しかし何かの時にそれは、遂に書かれるでしょう。私はその時を今から楽しみにしているのです。
他人に問い掛けるというのは、本当に楽しいものですね。怖く思いながらも、矢張愉しいのです。

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