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雅峰生の手紙
私が妻や友人に宛てて書いた郵便から

3139

或る日母が私に言いました。
「あの棚の上、一番隅っこには、お爺さんとお婆さんが昔住んでいた家から持って来た食器が入っているのよ」
驚きました。私が小さな子供の頃からずっとその場所に在った箱です。我が家で使った事は一度も無いので私の記憶には一切無いのですが、それはそれで凄まじい貴重品です。いや何も高価だという意味ではなく、私は古いものが何でも好きですから。近いうちに一度箱を空けて、御開帳といきたいです。思わぬ楽しみが出来ました。
母は亡き父を偲ぶでしょう。自分達の過ごした若き時代を振り返るでしょう。私も自分の知らない過去を様々想像するでしょう。そしてその夢幻の想像の中に、私はまた何か物語を得るでしょう。生きるという事は、本当に面白いものです。正しく謂うならば、『面白い事も有る』ですね。それ有るをもって、笑顔にならなければなりません。それは大切な事に繋がっているのですから。

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3138

危険を避けていては、何も獲得する事が出来ない。危険を避けて避けて自分が守ろうとして来たものは、軈(やが)て失われる。失わなければ、代わりに気付く。実はその自分が守ろうとして来たものというのは、自分が思っていたものとは違っていた。それは自分の腕の中で守られながら、いつしか全く異なるものに『変質』して仕舞っている。
本当に大切なもの、それは自分が危険の中に飛び込んだ上、更にそれを傷付ける事をしない様に懸命に守らなければならないのではあるまいか。そうやっている場合にだけ、それは真実に自分が大切にしようと誓ったもので『あり続ける』のではないだろうか。

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3137

落ち着いて考えてみると、自分が回復しようもない程に疲れる、本当に明日を如何に生きるかに詰まって仕舞う、そんな気持ちになる時というのは必ず心に誰の事も想っていない時に限る様に思います。自分の大切な人を心に想っているなら、私は其処(そこ)まで身動き出来ない穴の中に沈み込む事はないのだと。
独りと、そうでない事則ち誰かと共に生きるという事との間には斯くまでも大きな差が有るのです。否、それは『差』と呼ぶにはあまりにも大きな違いです。両者は屹度(きっと)根本的に違うのでしょう。私は誰かと共に生きる道を選びます。他の人間なら兎も角、私が誰をも心の支えにしないなど、出来ないのみならず絶対にあってはならない事なのでしょう。

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3136

自分が心から大切に想う事の出来る人が一人いたなら、それが全くいない場合と比べて生活は全然違うものになるでしょう。その、たった一人の大切な人を見付ける事が出来ない人が、如何に世の中に多いと思いますか。それは自分の暮らしの在り様も、人生を構成する要素も全部を変えて行くのです。それも、自分自身の心からの納得と共に、です。
そういうものを既に持っているなら、それに相応しい『取り扱い』というものがあるでしょう。自分がそれに相対する姿勢というものがあるでしょう。既にそういう大切なものを持っている者には、今度はその課題が課せられるのです。そしてそれを怠る時、恐ろしい罰が下るのだと私は信じます。罰が来ない筈がない。本当に、心から大切にしなければ。

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3135

タイムカプセル。何か、今の自分の持ち物を何処かに入れて封印するのです。十年後、二十年後に再び開くと決めて。私の卒業した小学校では、体育館の横にそんな『銅像』が在りました。中が空洞になっていて、何かしら入っているという寸法です。
今私は、将来の『余興』の為に何かを封印しそんな事をするでしょうか。多分しないと思います。今の私はする事一杯、考える事一杯です。それに将来だって屹度(きっと)そんな余興に興じてはいないでしょう。将来の私だって、する事一杯で生きている筈です。それに私にとって、過去とは直ちに現在なのです。懐かしいです。しかしそれでも、現在と全然隔絶していないのです。私は自分の此の特性を、量り切れない幸いだと思っています。感謝です。

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