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こんにちは。
子育でというスパンが何を必要とするのか、リーデングしてみました。
子供は親の鏡といいます。子供の姿はわが身です。
自分が不機嫌だから、子供がただをこねる。
自分がご機嫌だから、子供が笑う。
病も親の身代わりになっている場合もあるように感じます。
0歳〜15歳までは本人が天界から親を選んできたことを魂は完全に忘れていません。
間、多少の反抗期はあるものの、親の言う事は基本的に利く時期でもあります。
親が居なければ、不安だということも理解している時期です。
0歳〜5歳までは大人が子供に教わる時期です。
泣くだけの子供を見て親が要求を満たしてあげる愛。
数ヶ月の赤ちゃんすら抱っこという愛情が欲しくて泣くときがあります。
無償で愛を与えることを学びます。
16歳過ぎてからの生き方もこの時期の愛情が関係しているとまで思っています。
6歳〜10歳自立行動を促す時期です。
鼻緒が見えます。
しっかりと地に足をつけて歩くときでもあります。
頼りないですから、親の付き添いがあっての人間となります。
11歳〜15歳 白い花が蕾から開くまで。
可憐な小さな白い花の蕾が視えます。思春期に入ります。
愛されてきたときから愛することを学ぼうとする時期になります。
まだ、傷つくことが怖い時期ともいえます。
16歳以上は自分で歩き始めるときです。
親は自分の意のままに子供を動かせないことが分ると思います。
親離れ、子離れという時期が来ています。
自分で結論を導くことを教えなければならないでしょう。
リーディングして色々分っても、人間の私は至らぬことばかり。
どうしてこうなるんだろうと落ち込んでばかりです。
いま家庭での学びが未熟な私を教育しているのだと理解するしかありません。
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こんばんは^^完全でないからこそ自分が反省し、子供も反省する事を知るのでは無いでしょうか?親が完璧な人間であるなら子供は窮屈な殻に閉じこもり、自分の行動や失敗に対して後悔しか出来なくなるのでは?と思いますけどいかがでしょう?
2005/10/20(木) 午後 8:56
親と子というご縁は、お互いにとって必要なものなのですね。でも頭でわかったつもりでも、親子の間だと言葉さえも乱暴になってしまいますよね。これも甘えから生じることなんでしょうが・・・。
2005/10/21(金) 午前 3:57
こんにちは、SENさん。重くお言葉頂戴いたしました。そうですね。反省は日々成長につながりますからね。頑張ります(^^)
2005/10/21(金) 午前 7:55
こんにちは、ゆーじさん。生まれた瞬間から全身「ママ」が全てという甘えで育っていますからね。名残はあっても仕方ないのでは?私だって母とよく喧嘩しますよ(^^)
2005/10/21(金) 午前 8:09
おはようございます。子持ちの友人が完璧な母を目指してましたが、子供はいうことを聞かない、いろいろトラブルはある毎日で・・ある日何もかも疲れて、頑張るのをやめて子供の前で素の自分(だらしない部分、干渉もしない)を見せ、何か力をぬいていたら、子供はいう事をきくようになり、何事もうまくいくようになったとか・・まだまだ日々いろいろあるみたいですが、メーテルさんもリラックスしてご自愛くださいませ〜
2005/10/21(金) 午前 10:26 [ - ]
こんにちわ☆子育ては親育てでもあるんですね。
2005/10/21(金) 午前 11:28 [ mar*k*01*082 ]
こんにちは、usagiさん。3人目にもなると適当なもので^^; その手抜きの方が心配だったりして^^;
2005/10/21(金) 午後 1:23
こんにちは、NUNさん。いい事仰いますね。ほんとその通りです。
2005/10/21(金) 午後 1:24
15歳前に、親と死別してしまうっていうのは、ではきっとそれなりの理由があるんだろうなぁと、この記事を読んで思いました。全ての力になりうる筈の「愛」のなんと儚く脆く、けれど強力なものかと、つくづく思います。
2005/10/22(土) 午前 8:55 [ lara ]
こんにちは。もしも15歳前に死別という経験が必要ならば、それは、ご自分でそのハンディをはじめから組み込んで生まれてきたように思えています。生まれるときから魂はご存知だったと思います。
2005/10/22(土) 午後 6:30
メーテルさん、ありがとうございます。なんとなく、自分の中での解決のひとつの糸口が見えた気がしました。そうか、なるほど。うーんうーん…。多分、早い死別ってのは、きちんと自分の中で何かのテーマ?をクリアするためのものだと思ってはいましたので。でも、長生きしてもらいたいものですね(^_^;)
2005/10/25(火) 午前 1:34 [ lara ]
こんにちは。死別程辛いものはありません。その辛さを乗り越えて精神を鍛えるという修行だったのでしょうね。私は辛い経験があればあるほどその人の精神が高められていくのだと思います。
2005/10/25(火) 午前 4:59