『韓国』とは関連無し

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テンちゃん

大正生まれの父は、同世代の大部分の青年たちと同じように、戦争に行った。
敗戦の日、北朝鮮のある島にいた父は、そのままソ連軍によってシベリアに連れて行かれた。
翌々年、本国に引き揚げが叶い、妻とも再会することができたが、
幼い息子二人は、死んでいた。栄養失調だったそうだ。

父はソ連には好意的ではなかった。
この時代の多くの人がそうだったらしく、ソ連の「背信行為」を恨む気持ちもあったようだ。
そして、共産主義の問題点を、まだ小学生だった私に、真剣に説いた。
いつも飄々としていた父だっただけに、少し意外だった。

一方で、父は昭和天皇のことを、いつも「テンちゃん」と呼んでいた。
苦笑を浮かべた、茶化すような口ぶりだった。
戦前戦中戦後のことも、時々ごく簡潔に語ってくれたけれど、
今になってみれば、もっともっと聞いておきたかった。

まさか、まさか、【天皇陛下万歳】などという唱和が、
公の式典(?!)でなされる日が来るなんて、思いもしなかった。
墓石の下で、父は思わず寝返りを打ったにちがいない。

福岡の冬

福岡で半月以上を過ごした。
ひさしぶりに、ニッポンの初冬の中に身を置いた。

肺ガンでホスピスに入院していた母が、そろそろ危ないということで
神奈川の伯母と二人、病院に詰めた。
家のこと、ネコのことが気がかりで
日帰りでもと、一時帰ろうとする私のえりがみを
主治医と伯母がつかんで、放さない。
いつ母は逝くのか、誰にもわからない状況で、
完全な昏睡状態に入って九日目に、ほとんど前触れなく母は息をひきとった。

その時、私は伯母と私の昼食の準備中で、病棟のファミリーキッチンでトマトを洗っていたのである。
息が止まる瞬間を目撃したのは、伯母ひとりだけだった。

おかげで昼飯はお預けとなったが、遺体の清拭(伯母に睨まれて、不精不精手伝った)や
さまざまな手配、連絡、区役所への届けをなんとか済ませる。
一人娘ということで忙しくはあるが、ある意味気楽である。

翌日病院でキリスト教式の入棺式(母はクリスチャンだった)をしてもらって、
お世話になった方々に、私としては最大限に丁重にお礼を述べた後
遺体は晴れて九大医学部へ献体された。

25年前、父を送った時を思い出した。
明け方亡くなった父は、無宗教だったので
朝一番ですぐ献体に出されたが、
迎えに来た大学病院の人に、着替えさせるようにと渡された死装束を手にとりながらも
怖さとうす気味悪さで父の遺体に触れることができず、ただ困惑していた私。

それに比べると、今回は曲がりなりにも母に
準備してあった新品のパジャマを着せることができたのは
亀の甲より年の功、なのか、
私も死に近づいてきた証拠なのだろうか。

なんとか二匹のネコよりは、長生きしたいと思っているこの頃。

仮面

肝臓を病んでいた父が、昏睡状態に陥ったのは、今から23年前の9月のこと。
家族の者たちと一緒に、病院のベッドの傍らを守りながら、
父の顔の変化に驚いた。

普段とは全然違うのに、確かにどこかで見た覚えがある。
しばらく考え込んで、やっと気づいた。
父が10代の頃に写した写真に、そっくりなのである。
顔色も、表情も、死期を迎えた老人とは思えぬほどにツヤツヤして、若々しい。

父の死後になってからだが、母校の助教授から
全く同じ体験談を聞かされたことがある。
さすがに専門家らしく、これを
「ようやく仮面を脱ぎ捨てることのできた安らぎ」と説明していた。

我々は皆、自らが作り上げた仮面をかぶって生きている。
仮面の種類も、厚さも、人さまざまではあるけれど、
間違いなく、「他人からこのように見られたい」といつも自らを律している。
「死」は、その重すぎる仮面を脱ぐことの出来る、最後の機会なのかもしれない。

  生命維持装置に囲まれながら、
  家族や周囲の人々の誰よりも、「若々しい顔」でベッドに横たわっていた父だったが、
  日が過ぎるにつれ、またしても序々に表情が変化していった。
  どこか苦しそうな、辛そうな顔に。
  
  医者と家族とでの相談の末、延命装置が外されたのは、その何日か後のことだった。
  その日の明け方、病室の窓の外に、昨日まではなかった彼岸花が咲いていた。 
  
  
  

その時にはわからなくても、後になって気づくことがある。

40年程前、まだ小学校に上がる前。
横浜の片隅で、父が某小学校の分校の主任をしていたので、
校舎と棟続きの教員住宅に、両親と私は住んでいた。

毎朝、家の廊下の突き当たりのドアを開け、
机が4つしかない分校の教員室に、父は出勤して行った。
家の前には別棟の小さな給食室があって、
給食を担当していたIさんという、中年の女性が私をとても可愛がってくれた。

給食の時間になると、「レイ年生の給食ください」と
給食室に駆けていく。
幼い頃は食が細く、がりがりにやせていたのだが
     (現在の私をご存知の方、笑わないでください。事実です。)
Iさんの作ってくれる給食だけは、楽しみにしていた。

近所のIさんの家にも、何度か遊びに行ったことがある。
ある日の昼食にIさんが、カレーを作ってくれたのだが、
カレーを見たとたん、Iさんの娘さんのタミちゃん(当時高校生)が
「え〜〜お母さん、何よこれ...」
その言葉に勇気を得て、私もつい
「食べられないよ〜〜こんなの...」

カレーの中に、ゆでて細かく切ったホウレンソウが浮いていた。
それも、かなり大量に...
タミちゃんと私の反応に、Iさんはとても悲しそうだった。

それから20年余が過ぎた、ある日。
偏食の激しい息子のために、ホットケーキのタネにニンジンをすりおろしていた時、
あの時のホウレンソウ入りカレーと、
悲しそうなIさんの表情が、突然目の前によみがえった。

Iさんが亡くなってから随分経つけれど、
ついにお詫びができなかったことが、今も心に残る。

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