酔っぱらいのたわごと

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たわごと

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今、私にできる事

とか何とか言う
バカな
CMを毎日テレビの中で
見なければいけないが

そんな事を
他人から強制され
道徳のごとき
押しつけられなければ
出来ないほど
この世の中には
バカが多いのだろうか?


今、私にできる事
今、私がしなければいけない事
それは
花見に行き
ビールを飲み
音楽をし
そして、
明日から公開になる
パンダを観に行かなければいけない。

戦争であろうが
非常事態であろうが
私は
自分がすべき事は
信念を持って
自分で考える。

それが出来ない人は
何の信念もない
自粛に流されていれば
幸せであろう


娯楽

今日もまた
演奏会の中止や
仕事のキャンセルの知らせが
続々と入ってくる。

音楽とは何か?

「音を楽しむ」
なんて安易な
「楽」を言い出すようになってから
娯楽でありエンターテイメントであり
余興であり遊びでしかない意識を
塗り続けられている。

まぁでも人々の意識が
「娯楽」であろうが
崇高な「芸術」であろうが
音楽自体は音楽なのだから
何も変わらない。


「綱紀粛正」
「贅沢は敵」
「非国民」
「お国のため」


「こんな時代に演奏会をするなんて」



芸術とは何か?

そんな事をあちらこちらで
言って回っているが

その答えとしてよく
”必ず必要なもの”
とか
”なくてはならないもの”
と言った声を聞くが

私のたどり着くのは

""芸術で空腹は満たされない""

だ。

世の中芸術がなくたって生きていける。
明日食べるお金がないのに
コンサートのチケットを買う人もいない。


でも残念ながら
私は芸術家として生きているのである。
音楽家としてしか生きていけないのである。

私の仕事は音楽をすることであって
被災地に赴いて瓦礫を片づけることではない。

まぁやろうと思えばできなくもないが。

音楽をするというのは
ただ音楽をする事実だけであって
苦しい人を助けるためでも
人々に勇気を与えるためでもなく
ただ五線に音符を書き、
音符を音にするだけの作業である。


ボーリング場の館長も
観光地の旅館の女将さんも
飲食店の店長も
みんな立派な仕事である。

こんな時にボーリング行くなんて
こんな時に旅行なんて
こんな時に送別会するなんて
こんな時に歓迎会するなんて
こんな時に結婚式するなんて

こんな時に笑うなんて

落語家やお笑い芸人は罪なのでしょうか?


今この卒業式のシーズンに
中止の知らせをよく聞く。


卒業する人たちには
こころから「おめでとう」と言うし
結婚した人も本当におめでとうございます。
学校に合格した人は本当に良かったです。
旅行に行って楽しんできて下さい。
ボーリングをしてストレスを発散しましょう。


そして
音楽家は
「チャリティー」とか「慰霊」とか
そんな言い訳の看板はいらないので
正々堂々と胸を張って
ただ純粋に音楽をしましょう。

何も後ろめたいことはないのだから。


「芸術とは社会性、倫理その他の何にも拘束されず
それ自身のためだけに存在するもの」



辞書にも書いてあるし

煽動

昨日は電車の止まる恐れを抱きつつ
都内へ出た。

土日は全く普通に動いていたのに。

土曜の仕事は中止となり
日曜は普通に結婚式が行われていて
「こんな時期に結婚式なんて」
なんて声よりも普通に世の中が動いていることに
安心した。

しかし、月曜日は全く違っていた。

横浜から東京へ行く手段としては
東海道線も横須賀線も
京浜東北線もすべてJRが動いていないとなると
京急線しか残っていない。

すべてのJRの乗客は京急に回ったために
横浜駅では1時間以上待っても駅には入れなかったらしい。

私はその手前から京急に乗ったのでスムーズに都心までいく事ができた。

しかし、そんな想いをして行った練習の演奏会は延期となり
ドイツ語のコースは今週中は中止、つまり終わり、
仕事は次々と中止となり・・・

そしてスーパーへ行けば食品は品薄
その日の帰り、京急は15時半で運転を取りやめると聞き
慌てて電車に乗り込んだ。
だいぶ時間が掛かってたどり着いた地元の駅で
いつもよりだいぶ多い乗降客は
いつも閑散としているスーパーへなだれ込んでいった。


3月に入ってから急激に値上げされたガソリン。
満タンにすると高いので10〜20リッターずつくらい
こまめに補給していたのだが
今、給油することすら困難な状況にある。


日本では海外で起こったような
被災地での商店などでの略奪は決して起こらないだろう。
しかし、健全であるはずの都会ではこのような事態に陥る。

我々にできる事は
被災した方々のことを心配するのは貴重なことである。
しかし、できる事は限られている。
むしろできないことの方が多いのに
しようとすること自体に無理がある。

できもしないことに対して
感情の共有をしようとすること自体
恩義の押し売りとしか思えない。

大丈夫大丈夫と心配して
メールを送り続けるのは
通信の妨げとなる上に
貴重な電源を奪うことともなりかねない。

悲しみ苦しんでいる人の気持ちを
本当に理解できるはずがないのに
理解したような気持ちになるのは
偽善に過ぎない。


「自粛」という名の下に
何かをする事を不謹慎だと
皆を煽動するのは間違った考え方だと
私は考える。

自粛したからといって
被災した方々の為には
何もなっていないからである。

本当に苦しみ嘆いている人は沢山いる。
しかし、どんなにその人の話を聞き
その人と同じ感情を共有しようとしても
そんな事はできないのだから。

そういう努力をする人を否定するものでは無い。
私もしばしば本気でそうありたいと思う。

しかしそれを他人に共用したりはしない。


知人が亡くなった時に
何故私はこんなに悲しいのに
世の中は普通に動いているのか
嘆いたりもした。


道徳を掲げて
自粛を強要するのはやめて欲しい。

被災地に対して心配するのも
自分の生活を取り戻すことが復興と考えるのも
どちらも同じ次元の考えである。

それぞれ個人のできる事など限られている
しかし、できないことをできるごとくして
できる事までできなくなってしまっては
元も子もない。

無常

世の中の全てのものは
変化し
変わらないものは無い

言葉は
100年に10パーセント変化するという。

では200年で19%

500年で40%

6〜700年前の言葉は半分しか理解できない。

1000年前の言葉はほぼ3分の2は理解できず
1500年前の言葉は8割方理解不能だ。

そして2100年前になると9割方理解不能で
2800年前には95%
4300年前あたりになると1%しか理解できない。

まぁ雅楽はおよそ1300年の歴史を持つと言われているが
1300年前の言語は4分の1しか理解不能と言うことになる。

おそらく言葉よりも何倍も変化の激しい音楽にあてはめて考えると
1300年前のそのままの形を残している
なんてあり得ない話だ。
おそらく10年前の演奏とも
今の録音技術があっても
全く変わっているというのに。

わずか200年前のベートーヴェンの言葉も8割しか理解できないのに
その当時の演奏をそのままなんてバカげているかと思う。

ついでに言えば
私は作曲家からすべてを教わり
作曲家の意図したものをそのまま表現している
なんてそんなアホな事いう演奏家がいること自体信じがたい。

誰かの直弟子であろうが
違う人間がやる以上
違う音楽であるに決まっているのだから。

もし、それが全く同じものであったならば
そこには何の創造性もなく
すぐに枯れ果てるであろう。

伝統音楽とは
一見、過去の繰り返しのように見えるが
常に新しい才能により
先達を乗り越えていかない限り
未来はないのである。

作曲家は楽譜を生み出すが
その楽譜の最良の表現者とは限らない。

音楽は育っていくものであり
成長しない限り
埋もれていってしまうものだと思う。

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