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ドイツで活動していた頃や
ドイツ人と話しをしていると 何かちょっとしたアイデアを出すと それを実現するために すぐにいろいろなアイデアを出し 話しを進めていく。 結果としてそれがうまくいかなかったとしても 前向きに話し合った事は重要であり やってみてダメだったら納得もいく。 しかしまあなんとここでは すぐに最初から無理とかできるわけないとか 話しを聞こうとする態度さえない事が多いのだろうか。 前向きな努力は苦にならないが この種の人を説得するのに使う労力が あまりに多すぎるといつも思う。 僕の人生もこのあとそんなに長い訳じゃないんだから こんな事ばかりしていたら すぐに終わってしまうよ おまけに前向きに生きてるひとを ちょっとした言葉づかいだかなんかで 罵倒する人がいたり そんなん気にせずに 過ごして来たけど いい加減ここんところ多すぎる 滅入るな ここ数日 気分が落ちこみ やる気がおきない ポジティブに生きれるところへ行きたいなぁ |
たわごと
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なにひとつとして
一緒に考えたり 何かをしたり 作り上げたり やり遂げた と思えることがない 表面的には いろいろな事が 進んでいたとしても 一方的な良心の押し付けは ひとりよがりの勝手な行動でしかないようだ 本当に苦しい時に 助けを求めた事も あったが 助けてはくれなかった しかし まぁそんな事は すっかりどうでもいいほど 今は健全に いろいろな人たちと 共同作業が進められる 普通だったことが 理不尽となり 当たり前の事が 普通になったいま 前は我慢できた事も 耐え難くなってくる |
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人間、長い間
理不尽な中に居ると
それを理不尽と感じずに
普通と思い込むように
なるのかも知れない。
しかし
何が理不尽で
何が普通なのかは
その人次第なのかも知れない。
アメリカからならず者国家呼ばわりされた
北朝鮮も北朝鮮からしたら
西側諸国がならず者なのかも知れない。
なんとアホな事を書いているのかと
思う人もいるかも知れないけれども
どちらが良いかなんてのは
おそらく永遠にわからない事だと思う。
どちらも自分たちが普通で正しいと思っているからだ。
どちらの考えを持つかは
その人次第であって
どちらでも良いと思う
ただ問題は自分で生まれる国を選べないことだと思う。
ここまでは
今までテレビなどで得た情報を元に書いているので
実際のことをどうこう言うつもりはない。
少なくとも
私が幼少の頃から植えつけられてきた
西側諸国は自由で
共産圏は自由が無く
拘束され監視されている
という先入観は
それらの国や人々と出会うことで
変わっていった。
もちろん、そんな数日で
いろいろなことが解るわけはないのだが
少なくとも偏見はなくなっていると思う。
私はベルリンという
確かに西ベルリンと東ベルリンがあったが
東のど真ん中にあるベルリンに一年いた。
もちろん壁が崩れ東西統一して20年以上
そのような面影はほとんど無いのだが
私は旧東の人や街に行くたびに
ホッと安心して和やかな気分になるのだった。
とても親切に外国人でも話しかけてきてくれ
いろいろ深い話ができるのは
旧東の人の方が圧倒的に多かった。
ライプツィヒのオペラハウスで
ワーグナーの「バルシファル」を聴いた時
それは素晴らしい舞台であった。
それなのに、しかし、
客席はガラガラ
2割くらいしか入っていなかったのではないだろうか?
私のとなりには老夫婦が座っていた。
おだやかな二人は私に話しかけた
いや、私から話しかけたのかも知れない。
私は尋ねた
「なんでこんなにガラガラなのでしょう?」
夫人は
「以前はいつも満席で
5ユーロ(たしか)くらいで聞けた」
でも東西統一してからずっとこんな。
ほかでもなんかこのての話を聞いたな
昔はのんびりしてたって
何が良いのかなんて
周りからは見えないんだなぁ
と
話しは遠回りしてきましたが
その逆に
理不尽な中でそれを我慢していたところから
解き放たれて
普通を見つけた人間にとって
ちょっとでも
その理不尽の片鱗を見ると
気が狂いそうなほど
動揺して取り乱しそうになる
20年もの理不尽を
我慢して
やっと普通を見つけた身としては
全ての理不尽を払拭して
どんなに忙しくても
心の安定を保っているが
砂粒ほどの理不尽のかけらを見つけると
もう
心の安定は消え去り
取り乱し発狂しそうになる。
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悲劇の始まりは
iPhoneを落とした事に 始まった 何度か落とした事はあったが 横に傷がつくくらいで 今まではなんともなかった。 しかし、 今回は ぐしゃっ と 鈍い音を立てて 画面側から 道端へ 。。。 まさか 自分のiPhoneが こんなあわれな 蜘蛛の巣状になるなんて 想像だにしてなかった ガラスの破片もいっぱい飛び散っているにもかかわらず メールを送らざるを得なかった すぐに修理したいところだけど なかなか都合が悪く Appleストアの予定とも合わず。 とりあえずラップで巻いて ガラス片が飛び散らないようにしてしのんだ。 さて、 そんな中 久しぶりに曲を書くのに フィナーレを起動してみた ん? 何回やっても落ちる 起動できない 曲を書くために 時間を使いたいのに 起動するのに何時無駄にしたか 結局プレイバックコントローラーの なんかをオフにしないといけないとか よくわからない事をすれば 動くのをネットで見つけて なんとかなりました。 そしてiPhoneの画面を直すのに バックアップをとらないと とiTunesに繋いで バックアップしても すごい時間がかかった挙句 iPhoneが取り外されました って 外してねーよ 何度やってもダメで なぜかパソコンもそんなに大きなファイル入れてないのに 残りの容量があんまりなくて それが原因かと思って 大きなファイルを探しても 写真と音楽くらいしかないし 仕方ないので Time Machineにバックアップしてるので 写真を消して もう一度試してみましたが やはりダメで iCloudに保存はなんとかできたけど 容量が足りないので一部だけだし 何度も同じことを繰り返し 仕方がないのでつのパソコンで試してみると できたっ! ってなことでAppleストアを予約 パソコンも持って昨日行ってきました Appleストアに着くと 予約時間より10分以上早かったけど すぐに案内してくれて 画面の割れとバックアップが取れないのでパソコンを見てもらう なんでこんなに容量を食っているのかと質問すると おそらくバックアップファイルがたくさん作成されているだろうという結論になって見てみると すごい数のバックアップファイルが作成されていた いらないものは全て削除しようとゴミ箱に入れて 作業をしてもあまりにも遅いので やはりこのパソコンがおかしいと言うことになりました そのバックアップファイルだけで何十ギガあったのですが それを消去するのに30分以上はかかった。 そしてどうしたら良いのかいろいろ相談して 一度診断をしてみた方が良いとのことで パソコンのカウンターへ 診断に30分 何かソフトに問題があるようで バックアップも取ってあるし 初期化してしまえ ってことで さらに初期化に30分 次の予定まで時間がなかったけど バックアップ取っておきたかったので さらにその場で バックアップ 終わらない 終わらない お わ ら ない バックアップに40分 そして新しいiPhoneの手続きを 大急ぎで済ませ 駅まで走る そして 新しいiPhone起動 でも Wi-Fiないと最初の起動できないじゃん たまたま駅にあった無料Wi-Fiを使って何とか起動できました。 そしてパソコンに使ったつないで復元しようと思ったら 今度は 「この古いiPhoneでは復元できません 最新のiOSをダウンロードして下さい」 って をい なんだよ とりあえず使いたかったので 新しいiPhoneとして起動しました。 無事にSIMも認識して 電波もつながって ネットを見ようとしたら ??? 繋がらない いくらやっても繋がらない あーー そういえば この格安SIM なんかダウンロードして 設定しないと データ通信できなかったんだ って 撃沈 仕事を終え Wi-Fiの繋がるところへ行き 落ち着いてセットアップできるところへきました そして無事にバージョンアップにも成功 いよいよ「バックアップからの復元」 をすると 「バックアップのロックを外すパスワードを入れて下さい」 って なんだよそりゃ?? バックアップするのにパスワードなんか入れてないぞ 思い当たるすべてのパスワード入れてみたけど 全然ダメで 別のパソコンに朝バックアップしたのでやるか〜 ってやってみたけど だって朝バックアップしたんだから パスワードなんか入れてないの明らかじゃん それなのに やはりパスワードを要求 ここまで要した時間 数時間。。。 もうデータ諦めるか っと思った 夜中の1時過ぎ iCloudにも部分的にバックアップしてたなって思って iPhoneを一度初期化して 最初からやり直し iCloudからデータを移行するようにしたら できました! 4日前くらいのデータだけど 全然まし さっきやっとアプリもダウンロード終わった 終了まで26分とか出てたのに夜中の間ずっと、 朝までかかった うー 一週間無駄にしたな 送信ボタンがちょっと 遠くて 押すのに手が滑った結果が これでした |
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俳句とか
和歌とか
短歌とか 詩でもいい
凝縮したことばの中に
いろいろな思いを詰め込んだ
形式の場合
そのことばの中から
その行間に
どんな考えがあるのかを
読み取るという作業は
想像力を膨らます上で
とても楽しい作業である。
特に
たったひとつの単語に
いろいろな意味を感じられる
言葉というものは
それだけで
深く考えさせられるものがあり
言葉の持つ力の偉大さを知らしめてくれる。
ただし、それは
おそらく
作者も
ことばに出来なかった
何かを
行間に潜ませているのであって
その行間を全て説明してしまったら
そこにあったことばの意味の魅力は
消えてしまうように思う。
そんな慎ましやかな
行間を読むという
想像力と自分の経験を
すりあわせて
行う作業
これは
おそらく
作者がどう意図したとかは
どうでもいい話であって
そこから自分が
何を共感して
自分の人生に活かしていくかが
楽しい作業なのであって
それぞれが
それぞれの解釈を生める作品というのが
いい作品だと思っている。
まぁ
日本の文学と
外国の文学の違いは
よく知らないが
俳句のように
短い中に様々な意味を込め
直接的でなく
いろいろなことを暗示するのが
日本人の奥ゆかしい美徳だとも思っている。
そこに
決まった答えはなく
それぞれが思ったものが正解であり
作者が全く意図していないものでも
それをそう感じたのであれば
それは作者の作ったもののひとつの解釈である。
しかし
そんな奥ゆかしい美徳も
逆の方向から見ると
非常に難解な日本人像を生むことになると
思っている。
長年私はこれに苦しめられていたのだと
行間というのは事由に解釈出来るものだと思うが
それをひとつの解釈以外認めない風潮
さらに進むと
空気を読め
という
全くもって
何も言っていないのに
理解しろと言う
とんでもない暴力的な発言になる。
そこには
ひとつの答えしかないのだ。
自分の意志を主張できない代わりに
相手が理解する能力が無いという言い方をする
この空気を読めない
という言い方。
あるいはこういう人もいた
「私は以前こういう事をこの人にされて嫌だった」
そう言う話を聞くと
ふーんそうなんだ
以外の何もないけど
訳(こういう事をしないで欲しい)
という意味を持っているんだ。
この種の話を聞かされるたびに
私はなんてひどいことをしてしまったのだと
そのひどい人と同じ罪を犯してしまったとの
自責の念に駆られてしまい落ち込んでいた。
このまま行けば
私は鬱病への道まっしぐらだったのだろうが
幸いにもどっかで
転機が訪れた
だいたいこういう人は
自分の意見を相手に伝える努力をせずに
相手が分かってくれないと非難するだけだ
そして何かの問題が起きた時には
他人のせいにするのだ。 自分の意見も考えも何も言っていないくせに。
まぁそんな人種がどれだけ多かったことか。
それがあたりまえの中に居ると
自分がおかしい人間だと思えてくるが
そうでないとこに居場所を見つけると
何とバカげていたことかと思えるようになった。
黙っていても
親鳥がえさを運んできてくれるのを待っているような
そう仕向けるような輩とは一線を画したい
自立した人と
関わっていこうと
そうすると
生きていくのが楽しくなってきた
答えの決まっている行間や
押しつけられた空気は
読まない事にしている。
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