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詩人の恋

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詩人の恋 2-2

シューマン
歌曲集「詩人の恋」Dichterliebe

第2曲。
“Aus meinen Tr??nen sprie??en”「私の涙から」


昨日に引き続き・・・その2

イメージ 1

音楽の友社 新編 世界大音楽全集 シューマン歌曲集I

この曲はごく簡単な
2部形式A(aa)B(ba)という
もっとも歌曲には多い形をとっている。


しかし普通と違うのは
起承転結の「転」であるbの部分。

多くの曲はここにクライマックスを迎え
(大体ここに最高音がくる)
落ち着いてから最後の再現をする、
というのが一般的である。


この“Aus meinen Tr??nen sprie??en”では

Schenk ich dir die Blumen all’,
私はきみにこのすべての花を贈ろう

ともっとも言いたかったことが
これまでにまったく出てこない
低い音域で歌われることが特徴である。


これは意図的に逆説的な
アプローチをした訳だが
このような奥深さがドイツ歌曲の
特徴でもあろうか?

bの部分は詩の内容からも
後半に向けて上がっていっても
いいはずである。


むしろクライマックスは
最後のaの部分に持ってきている。

ピアノのパートにクレッシェンドがあり
歌は最初とほとんど変わらない形なのだが
三連符になっている。

そしてその和音もIではなく
IVへ行くための属七の和音である。

これによってklingen (響く)
という言葉をより強調している。




では、最初から細かく見ていってみよう。

Aの8小節はまったく同じ事を
4小節ずつ繰り返している。

ほとんどcisばかりの音型は
レチタティーヴォを思い起こさせる。

音は4つしかない。。

和音進行も
I→IV→I
とV→I×2
というとても簡単なものである。

特徴的なのは
歌は半終止で終わり
その後ピアノが解決するところである。


イメージ 2

何か途中まで言いかけて
言いとどまっているような・・・

別人格の歌とピアノがいて
歌が言えなかった代わりに
ピアノが喋っている

そんな感じがする。


或いは途中まで言いかけて
もじもじしている歌に対して
あざ笑うようにハイおしまい!
と終わらせているような・・・。


ともかくこの4小節はいずれも
終わっているのである。


次の4小節(b)は
終わらない・・・。

半終止のまま


さらに次の2小節目まで
解決を引き延ばすのである。


bの部分は転調の連続である。
E→h→fisと転調してfisのVで半終止する。

9,10小節目で冒頭に出てきた
下降音型を連続させ
休符へと入る手法は鮮やかである。

イメージ 3

転調と切迫感、
そして一番大切な部分に
休符を入れる。

しかもその到達点は
歌の最低音である。

そして、ここで初めて
歌と同じ応えをピアノがするのである。

イメージ 4


そしてこのcis,eis,gisから
a,cis,e,gの属七の和音への
転調はある意味分断である。

(長3度下の和音に行く転調は
よく用いられるがこれ何って
呼び方だったっけなぁ・・・?)


歌とピアノが一体になったことで
躊躇していた気持ちが一気に花開く・・・

ピアノに後押しされているようでもある。

この曲で唯一たった2小節の間だけ
歌とピアノが一緒に・・・
たった2小節の間だけ・・・



Und vor deinem Fenster soll klingen
そしてきみの窓辺には響かせよう

イメージ 5

唯一・・・感情を表に出している一瞬。。。

そして・・・また途中で言い終わってしまう・・・



この不思議な半終止

私には
「こうだったらいいのになぁ・・・」
「そんな訳ない・・・」

という歌とピアノの自問自答に聞こえる。

一つの歌の中に二つの人格・・・

詩人の恋 2-1

“Aus meinen Tr??nen sprie??en”「私の涙から」

シューマン作曲「詩人の恋」Dichterliebe
ハイネの詩に付けられた16曲からなる
歌曲集「詩人の恋」の第2曲。



Aus meinen Tr??nen sprie??en
Viel bl??hende Blumen hervor,
und meine Seufzer werden
Ein Nachtigallenchor.

私のあふれ出た涙から
沢山の花が咲き出した
そして私のため息は
ナイチンゲールの合唱となる

Und wenn du mich lieb hast,Kindchen,
Schenk ich dir die Blumen all’,
Und vor deinem Fenster soll klingen
Das Lied der Nachtigall

かわいい人、きみが私を愛してくれるなら
このすべての花を贈ろう、
そしてきみの窓辺には
ナイチンゲールの歌が響くであろう


う〜ん・・・
美しい詩ですが・・・
ある意味・・・○○○○○○・・・

私のことを愛してくれるのだったら
私の「涙から咲いた花」と
「ため息から生まれたナイチンゲールの歌」を
お礼にあげよう・・・

って・・・
そんなもん押しつけられても・・・

まぁ「私」にとっては
これほどかけがえのないものは
無いのですが・・・

「きみ」が「私」のことを愛してくれるのだったら
「きみ」にとってもかけがえのないものに
なるのですがねぇ・・・。


という訳で・・・!?
私この「詩人の恋」
最初からこの恋愛は
成就していないものと見ます。

6曲目までが愛の賛歌であり
7曲目に失恋・・・
という解釈はありますが

私は1曲目から妄想の世界に思えてならないのです。
失恋の後の複雑な心境を歌っているような。
いや、それはシューマンの解釈なのかも・・・。
だからこそこういう美しくも異常な音楽になるのです。
表面的には限りなく美しいものを讃えつつ
本当の心の中はまったくそうではない。


という訳で
2曲目はつづきます・・・

詩人の恋 1

シューマン作曲「詩人の恋」Dichterliebe

ハイネの詩に付けられた16曲からなる歌曲集「詩人の恋」

このDichiterlibeもそうだが
シューベルトの「冬の旅」Winterreise同様に!?
恋に破れた末に精神にまで異常をきたしていく・・・
というような内容である。

以前にも書いたが私はシューマンの
とりわけ「詩人の恋」に病的なものを感じるが
「冬の旅」にはむしろ健全な精神を感じる。

「冬の旅」の詩はかなり病的な志向をではあるが
シューベルトの音楽にそれを感じることは少ない。
私はそれを勝手にシューベルトの病的への憧れと解釈している。
終曲の「辻音楽師」Der Leiermannなどその憧憬のように見える。


しかし、シューマンは明らかに異常なのである。

シューマンといえば精神病の末ライン川に身を投じたことが有名であるが・・・
あれ・・・??ライン川に飛び込んだ後、精神病院に入ったんだっけ・・?

とにかくその異常さについて分析していくことで明らかにしていこう。


イメージ 1

音楽の友社 新編 世界大音楽全集 シューマン歌曲集I


Im wunder schoenen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen,
Da ist in meinem Herzen
Die liebe aufgegangen,

この上なく美しい5月に
すべてのつぼみが咲く時
私の心の中に
恋が咲き出した。


何とも美しい詩でありこの上なく美しい音楽である。

しかし、楽譜を見れば見るほど異常であり
その異常さを音楽から感じない
自然なこの世のものとは思えない美しさから
この作曲家の異常さを感じるのである。

まずは歌のパートを見てみる。
これは順次進行を基調にしたA-durに始まり後半D-durに転調するごく自然な旋律である。


問題!?はそこに付けられたピアノの伴奏。


右手のcisに始まり次は左手のdが出てくる。
これのcisはA-durのII(h,d,fis)の和音の掛留音で
その後のhで一瞬解決している。

イメージ 2

しかし2小節目にはまたVIのV(cis,eis,gis,h)。
この進行はfis-mollのIV→Vという見方も出来る。
まぁそれが一番自然な解釈であるが・・・。

とにかくこのcis〜d、
そこに下方転位音であるaisも加わり調性を不安定にしてる。

またこの旋律の核であるcis→h→eisという増四度の音程も特徴である。




そして歌が始まった瞬間にこの曲のA-durがやっと確立される。
教科書に出てくるようなII→V→Iという形で。。。

イメージ 3

しかもバスラインはオクターブ下がって主音へ行くもっとも安定した主和音Iへの解決。

この歌の旋律は出だしのピアノの右手のメロディーの反行型にもなっている。
これは解決と未解決という意味でも対をなしている。

しかし、ここでも密かに解決を避けているのである。



dがcisに解決されるのは「五月Mai」のiのあたりである・・・!?
これはフェイント!!???

イメージ 4


「こんなにも美しい五月’wunderschoen’」
と歌っているのにもかかわらずそこにほんの目に見えない心の闇を見ているようである。

そしてこの旋律が二回繰り返された後、分断される。


A-durからD-durに転調すると前に書いたが
このA-durのIをD-durのVと読み替えた時、
次の小節はIIの和音になり
D(ドミナント)→S(サブドミナント)の弱進行となる。

イメージ 5

この旋律からすると普通はA-durのV(e,gis,h,d)を付けるだろうが
あえて弱進行にしたところに「五月の美しさ」と
「僕の心」のかけ離れた現実を見るような気がする。



特に「心 ’Herzen’」といった瞬間に前奏にも出てきた下方転位音、
ここではeis,ais 

イメージ 6

そしてさらにはD-durの転調を確定させる上方転位音であるgも出現する。



そして曲は佳境に・・・
準固有和音IV(g,b,d)→V→IとD-durに解決する。
この準固有和音は分断ではなく色彩の変化とでも言おうか?
自然の流れの中での重みに感じる。

イメージ 7

この四小節の中にはさらに解決されることのない音が含まれている。
ピアノの右手に出てくる歌をなぞっているタイでつながった音。
一つ一つの言葉をどこまでも引きずっているような印象さえ受ける。

歌は自然な順次進行をしD-durに解決する。

とした瞬間にピアノはgからgisへ・・・

この強引な転調。
直前に歌がgを歌っているのをかき消すようなgis。
しかもd〜gis・・・増四度・・・どっかで見たような・・・。

ここでもまた「美しい五月」と「私の心」とが分断されているのである。


このように
掛留
弱進行
解決しない
転位音
がこの曲の特徴である。

また2〜3小節目のII→VIのVと
9小節目とはA-durとD-durの違いはあるけれども
同じ和声進行である。

さらには4〜5小節の進行も弱進行である。
fis-mollとしてみた場合、VからIVというかなり強烈な・・・。


イメージ 8


それにしてもこれほどまでに異常な!?曲なのに
何とも自然でありこの上なく美しいのである。


シューベルトの場合、意図して異常さを押し出そうとしているように感じる。

しかし、シューマンはここに何の意図的なものが感じられない。

自然に出てきたものとしか思えないのである。

このわずか4小節×3の中にいくつもの人格がいる・・・
(4+4+4と言うよりは2+2+4のごく短い中)
それは全くの別人格でありながら見事に一人の人間なのである。

私はこの曲を聴くたびにシューマンの異常性に身震いがするのである。



出だしのcis→d→ais

異常性の中の自然

吸い込まれていくような感覚に襲われる


詩人の恋の異常性について・・・
つづく・・・かも




---
今日は久々の休みでのんびり昼寝する予定だったのが・・・

シューマンに取り憑かれてしまった。
楽譜を引っ張り出し分析し・・・
ドイツ語の辞書やら和声の本やら引っ張り出して・・・

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