酔っぱらいのたわごと

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Kleiber

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来ぬ人を

来ぬ人を
まつほの浦の夕凪に
焼くや藻塩の
身もこがれつつ

−藤原定家−


いくら待っても
来ない人を待つ
松帆の浦の夕凪のころに
焼く藻塩のように
私の身も焦がれてしまう





そんなほど
待ちに待ちこがんだ
演奏の再放送があります。
二十数年待ちに待った

もう出会うことは出来ないのかと思っていた
私の音楽の原点であるこの演奏。


たった
1回か2回観ただけで
20数年私の中で
色あせない
演奏があります。

2004年
彼が亡くなるまで
私は一度も
彼のベートーヴェンを
聴くことはありませんでした。

死後
やっと私は
ベートーヴェンと
ブラームスと
その他
聴くようになったのです。


2009年1月9日(金)教育テレビ 午後9:00〜深夜0:30
http://www.nhk.or.jp/etv50/detail.html

そして1月4日には
「薔薇の騎士」全曲もあるようです。

名指揮者の軌跡
vol.1 カルロス・クライバー

イメージ 1

私はこれを1〜2年くらい前
新星堂にだけ一枚、最後に残っていたのを
急いで購入した。

4,700円(税抜)!!

白黒&モノラル
なので高いなぁと思いつつ
これを逃すと再発売なんかされないだろうと
思いつつ思い切って・・・


そしたら先月末
再発売!><
しかも2,500円〔税抜)

ちょっとショック。

でも、この1〜2年の貴重な時間を
2,200円で買ったのだと思えば
安いもんだと・・・

でも2回くらいしか見てないけど・・・++;


さてさて
そんな愚痴はともかくとして
内容は

「こうもり」序曲(1969年12月、1970年1月)(リハーサル34分、本番8分)
「魔弾の射手」序曲(1970年4月) (リハーサル47分、本番9分)

南ドイツ放送交響楽団〔現シュトゥットガルト放送交響楽団)

となかなか見ごたえがある〔疲れる・・・)


思えば20年くらい前にテレビで放送したのを
見たような記憶もある。



まず、私が全編を通して感じるのは
若いクライバーがいかに楽団員に気を遣って
いかにして自分の考えを伝えようとしているかである。

最初は、「この若造が」って感じで
しょうがねぇやってやるかなぁと言わんばかりに
吹いていた、気難しそうな長老のオーボエ奏者が
最後には身を乗り出し眼鏡を外してその「若造」の話に
耳を傾ける姿を見た時はかなり感動した。

と言うのも私は
その二人の間に流れる微妙な空気にドキドキしていた。
二人と言うよりはオーケストラ全体の雰囲気というのだろうか。
厳格の象徴のようなオーボエ奏者。

私だったら逃げ出したくなってしまいたくなるような
微妙な雰囲気。

作曲家であったり
指揮をしたり
アンサンブルの中心的役割を
担ったりしたことのある人なら
必ずと言っていいほど
この空気は感じたことがあるはずである。

やる気がなくなったり
集中力がなくなったり
耳を傾ける気がなくなったり
そうなった瞬間に
もう何もコントロールすることは
不可能となってしまう。


気難しくリハーサルの途中で帰ってしまったり、
と言った逸話で有名な!?クライバーだが
若干39歳のクライバーはここまで気を遣って練習を
していたと言うことが垣間見える。
いや、若いからという訳ではないと思う。
一世を風靡している時代も同じだったであろう。
余りにも色々なことが見え気を遣っているあまりに
オーバーヒートしてしまい耐えられなくなったのだろう。

この映像はおそらくかなり編集されており
クライバーの「ことば」がかなり目立っている。
とても比喩が上手く、「クライバーのことば」として
しばしば注目を集めるが、私は余りそうも思わない。
あくまでも比喩であり手段でしかないからだ。

音を出せない指揮者や作曲家は辛い。
だからこそそういう手段を身につけなくてはならない。

いつも頭に電極でもつけると
自分の中にある音楽が再生できる装置でもあって
こうやるんだ!って言えないかなぁと思う。
でもまたそれもちょっと違うんだけど。
聴いたものを再現してもなんの意味もない。

そんな意味も含めとにかくいかに必死に
色々な手段を使って相手のものを引き出そうとしていたが
がわかる練習風景である。

必ず2回3回とやっていくうちに集中力が
鈍ってきてしまうが、その辺のコントロールの仕方も
よくわかっている。
○問題を指摘する
○比喩を使って説明する
○相手をおだてる
○冗談を言ってその場をなごます
このバランスが彼の指揮姿同様
変幻自在で鮮やかなのである。
切れかけていた集中力もすぐに戻り
音が生き生きとしてくるのがわかる。

もちろんこれらはクライバーの音楽を伝える為の
手段であり、後のカリスマ的なクライバーの姿からは
想像できないほど楽団員に対して気を遣っていたことがわかる。

どんなに偉大な才能を持っていたとしても
必ずしも全ての人がそれに同調するとは限らない。

様々な努力の積み重ねで
10年後20年後のあのクライバーの姿があると言うことを
実感させられるこの映像である。
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php
C.クライバーのベートーヴェン交響曲第4番
HMVでポリーニとロストロポーヴィッチと
一緒に注文していたのに何故か入手困難で
遅れること数週間。
この前(だいぶ前^^;)届きました。。


イメージ 1

もうかなりの回数聴いています。

同時に注文した同日に収録した7番も聴いています。
両方の話はともかくとして

まずは4番。

このHMVに書いてあったレビュー。
まぁ、思ったことを書くのがレビューなんだけど。


とにかくこの演奏は素晴らしいです。
その後のコンセルトヘボウとの映像や
日本での公演のルーツがここに見いだせる
80年代のクライバーの原点とも言える演奏であろう。

・・・とその他諸々はまた書くとして・・・(2回目;)

そこに載っていたレビューには
(あまり繰り返し読む気はないので記憶で書くが)
これは正しいベートヴェンではなくクライバー流とか
本来の4番を壊しているとか
激しいのが好きなら3番や7番を聴けばいいとか

しかし、「本来」とか「正しい」とか
これが正当な演奏だ
という「正当」はどこから来ているのだろうか?

おそらくそれはそう思った人の好みや
それまで聴いた「普通」の範疇でしかないのだろうか?


そもそも100人が演奏すれば
100通りの演奏があるはずである。
例えそこにベートーヴェンが出てきて
「おまえの演奏は好きでない」と言っても
「おまえの演奏は違う」と言うことは
言えないはずである。


高校生の頃、音大受験を控えた学生達が
この曲はこう弾かなければいけないとか
こう弾いてはいけないとか・・・
そんなのを耳にしたような気がする。


演奏するということは
上手いとか下手とか
関係なく表現することこそ
一番大切なことだと思う。


もしベートーヴェンが
「おまえの演奏は違う」
と言ったとしたら
それは、ただ単にベートーヴェンの
好みに合わなかった可能性が高いように思う。

ドラマティック・ソプラノが
コロラトゥーラ・ソプラノに対して
「あなたの声は軽くて使い物にならない」
と言っているようなものである。


むしろ責められるべきは
なんの意志もない
音符を正確に弾き
それで満足しているような
人たちである。


クライバーの演奏は
ベートーヴェンの想定していたものを
そしていままでベートーヴェンを沢山聴いていた
人たちの想定を
越えてしまっただけである。


(いちおう)作曲家である私は思う。
楽譜は音になれば作品になる訳ではない。
そこに演奏家の息吹があって初めて
作品としての生命を持つ。

自分が想像もしなかった
生命を植え付けてくれるような
演奏にどれだけ出会えるのだろうか?

少しでも多く出会えれば幸せである。



そして、
クライバーのベートーヴェンも
「100通りある演奏」の中の
ひとつでしかないのである
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php

私の人生を変えた演奏

それは忘れもしない・・・
今思えば
というか
知った・・・1986年5月。

私はテレビに釘付けになった。

一秒たりとも目を離したくなかった。
一秒も無駄にしたくなかった。

ただただテレビにかじりつき
他のいっさいを遮断し
一音たりとも聞き逃す事なく
また彼の動きを一つも見逃すことなく

しがみついていた。

NHKの放送。

演奏日は5月。
放送したのはいつだろうか?

とにかく
私にとって
一瞬たりとも
目を離せる時間はなかった。

話しかけてくる親を
うるさいっ
と怒鳴りつけたのもこの時であった


ビデオなどないこの時期
見れたのはたったの
この一度きりである。

しかし、今の今まで
ずっと鮮明にこの時の
映像は覚えている。


以来私は
彼の振る
ベートーヴェンの7番は
ずっと避け続けてきた。


ウィーン・フィルとの録音があり、
コンセルトヘボウとの映像もある。

それより何より
来日のチャンスは幾度かあった

想いが強ければ
強い程
遠ざけたいという心理は
私の特有なものだろうか??

その鮮明な鮮烈な
印象を壊したくなかった。

そんな禁断の
1ページを紐解いたのは
2004年の彼の死後間もなく。

他の数少ない録音や映像の
最後に購入したのは
コンセルトヘボウとの
ベートーヴェンの7番。
1983年の映像。

そして今日、
そのNHKの映像に
21年ぶりに出会った。

ちょっと避けてはいたのだが

いつか売り出してくれないかと

願っていた


冷静に見ると
1983年のコンセルトヘボウとの
方がいい演奏・・・

かも

あんまり売れるようなものでも
ない

かも


まぁ
そんなことはともかく

比較するものでもなく

再び出会えたことに
感激しています。


カルロス・クライバー

なんだか亡くなった時に
ホッとしました。

生きていればいろいろ
思うところもあるけれど
これだけのものを残して
いてくれれば・・・



この1986年
3月には
三善晃の「響紋」
も聴きました。

私の人生を変えた
一曲です。



1986年。

今まで気が付かなかったけれど

この年は
私にとって
忘れられない
一年であります。


素晴らしい演奏家に
出会えることこそ
私の生命の源

カルロス・クライバーとエーリヒ・クライバー
先日HMV(ネット)で申し込んだCDのうち2枚が届きました。
カラヤンのベートーヴェン交響曲全集は入荷が遅れているようで
6月半ばになるようです。

イメージ 1
まずカルロス・クライバーの
ベートーヴェンの交響曲第5番と第7番。
これは以前持っていたのだが知人に貸したまま
戻ってこないので安かったので新たに買い直しました。
DATに録ってあるので聴いてはいましたが不便なので。。

イメージ 2
そして前から気になっていたエーリヒ・クライバー。
交響曲第5番と第6番。
カルロスの6番もあるので聴くのが楽しみ。。


・・・
と言いながら聴いております。。。
エーリヒは前へ前へと突き進むカルロスとは
対照的にゆっくりとしたテンポ・・・
押さえて押さえて・・・突き進もうとする気持ちを
必死に押さえているとしか思えない。
それがゆるんだ瞬間にふと走り出す。
自在にテンポを操っていたカルロスとは違い
抑えた感情をほんの一瞬あらわにする・・・
ほんの一瞬。。。
しかしその抑えている感情は
爆発しないまま物凄いエネルギーを発している。
カルロスとは全く逆を行くように見えつつ
根っこは同じ所にあるような気がする。

父エーリヒを手本としこの時代の
演奏様式を残す最後の指揮者
などと言われていたのは全く間違えである。

父の楽譜を使っていたのは
紛れもない有名な事実であるが
全く持って違う演奏をしているのだから。

と・・・言うには他にも
エーリヒの演奏を聴かなければならない。
さらにはフルトヴェングラーやトスカニーニも・・・
避けて通っている道なんだけど・・・。

ぎょわっ
(゚_゚;)
(~_~メ)
(・υ・)ホォー
∝∝∝∝∝...=((#--))
何じゃこりゃぁ・・・
田園3楽章のコーダ!???
こっこっこりゃすげえ・・・

・・・・

・・・

(絶句)

・・・・・・・・


・・・・


・・・・・・


・・;
u

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