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Pollini

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ブラームス;コンプリート・エディション(46CD)

イメージ 1

そもそもこのセットを買おうと思ったのは
ブラームスのピアノ協奏曲第2番
@ポリーニが含まれているからだ。

ポリーニは2回この曲を録音しているが
私が欲しいのは1回目の'76年の録音。

この76年の録音は単独では売っていなく
1番とセットでしか何故か無い。

どうせダブるならこのセットで買ってしまえ!
と今回購入を決意。

46枚で8,457円!
信じられない値段です。

安いからと言って
あなどってはいけません。。。

交響曲はカラヤン指揮
管弦楽&協奏曲は
アバドにカラヤン。

ピアノは
ウゴルスキやケンプ

カール・ライスターのクラリネットに

ジェシー・ノーマンと
フィッシャー=ディースカウの歌


グラモフォンの超一流の布陣でこの価格です。


さてさて、
ブラームスのピアノ協奏曲第2番

クラウディオ・アバド指揮
ウィーン・フィル


出だしのホルンのなんと美しいことか!

ウィーン・ムジークフェラインの
豊かな響きに溶け込むように
第一楽章は始まる。

激しくもあるのだが
どこか常に甘美な
感情を抑えたような
ロマンチックな息の長い音楽を
歌い上げていく。

これは、続く第二楽章への序奏のようにも
聞こえる。

第二楽章:スケルツォ
トリオ形式のこの楽章は
テーマが繰り返されるごとに
テンションは高まっていく。
特にトリオ(中間部)に向かうところと
二楽章の一番最後に至っては
よくぞここまでやってくれた!!
というくらいポリーニらしい
激しく前に突き進んでいく姿が見える。
それに応えるアバド=ウィーン・フィルも
崩壊寸前まで突っ走る。
何か第一楽章でためたエネルギーを
ここで一気に放出しているかのようにも
思える。


そして、ブラームスの作品の中でも
群を抜いて美しいと私が思う第三楽章。
嵐のあとの美しい朝日のような。
とにかくウィーン・フィルならではの
弦の美しさと、そこに乗るソリストたちの
美しい音色たち。
そして、一音一音大切に輝く宝石のような
音をちりばめていくポリーニのピアノ。

夢から覚めたあとのような爽やかな第四楽章。
一緒に暴れ回った第二楽章とは対照的に、
ピアノが感情的になっても
オーケストラは爽やかに駆け抜ける、
この両者のバランスが何とも心地良い。

アバド=ポリーニの組み合わせは
この2番の方が断然良いように思える。
「イタリア的」などとの表現は絶対避けたいところだが、
この横に延びていく息の長い音楽と
感情を入れすぎてもどこか後を引かない
ドロドロとしていない・・・
そんな二人の演奏はむしろ
この曲には適していると思った。

私はこのブラームスのピアノ協奏曲第2番は
ホロヴィッツ=トスカニーニ
と言う往年の名演(音質はかなり悪い)と
リヒテル=ロリン・マゼールの演奏で持っている。

そのどれとも違った、
また1番とも対照的な
アバドとポリーニの最良の組み合わせとも思える
この演奏は、また私の中で
何度も繰り返し聴く一枚になるだろう。

技術に
寄りかかれば寄りかかるほど
小さな事故は
大けがとなる

感情に走れば走るほど
技術は
コントロールできなくなる。


鍵盤の上に生える
松の葉
そこからは
宝石のような音が
紡ぎ出される。

鍵盤の下には
太い幹が生え
根は舞台上の下に張り巡らされ
会場全体を覆い尽くす


ポリーニの音色の美しさは
一応知っていたつもりだったが
きらきらと輝く
指先から紡ぎ出される音色は
磨き抜かれた宝石のような
色彩を放っている。

これが「今」たどり着いた
ポリーニの音楽なのだろう。

しかし私は前半少々戸惑った。
鍵盤からハンマーを伝わって
会場中を覆い尽くすきらびやかな宝石箱。
しかし、鍵盤の下には大きな空洞が広がっている。
根はなくなり
鍵盤の下から幹は
地面に付く前に
枯れてしまっている。


人間歳を重ねれば
必ず筋力は落ちていくものである。
そして、若い時のような気力は
違うものにかわっていくのであろう。

これを老化と見るか
進化と見るかは
見方によって違ってくるものだと思う。

もしこれを衰えと本人がとらえるのならば
クライバーのように演奏しなければいい。

しかしポリーニは
いぶし銀のような色彩を放っているのである。

特に後半のシェーンベルクなどは
今のポリーニでこそたどり着いた
極地ではないかと思う。



その幹が根を張り始め
がっしりした姿を見せたのは
後半も最後、アンコールの中でであろうか?



私の聞きたいポリーニはここにあった。


どっしりと大地に根を張り
会場中をのみ込む。

しかし、そこに
技術と感情のギリギリのバランスは
すでにない。

それをコントロールする術を身につけたと言う見方もある。

ただ、私はそんなものをすべてかなぐり捨てて
最後のアンコール3曲を弾くポリーニの姿を
みれたことが本当に嬉しかった。

もうちょっとそんなポリーニを聞きたかったのだが
3曲目が終わった瞬間私は
「おじいちゃん早く帰ってお休み・・・」
と心の中でつぶやいていた。


ポリーニはどこまでいっても
ポリーニであり
その音は
まぎれもなくポリーニである。


その進化の過程を
また見届けたいなぁと・・・。

昨年の3月に買った
ポリーニ・エディション13枚組

実はまだ封を切っていないCDが
何枚かあるのです。

その中の貴重な
シューベルト。

これはかなり衝撃です。

いや、
何が衝撃なのかというと
今までになかった
ポリーニの顔が・・・

いや
そんな事はない
音色はポリーニに他ならないし
鍵盤の上をさらさらと滑ってようなのに
芯のしっかりした音だし、
何より息の長い緊張感のある
まるで弦楽器で歌うような
細い糸をピンと張ったフレーズ感は
一瞬の隙も与えず
まさにポリーニである。



ピアノソナタ イ長調 D.959
アレグレット D.915
Drei Klavierst??cke D.946 (三つのピアノ小品?・・・邦題分からない。。。)

D.959が1983年の録音で
D.915と946が1985年の録音。


年代別に聴いている訳ではないので
これがどういう時期なのかはよく分からないが、
私が好んで聴いていたのは
1970年代の演奏であろうか?

ストラヴィンスキーに
ブラームス。

これは私の大のお気に入り。


90年代のベートーヴェンなども聴きましたが。


このシューベルトの3曲で
一貫しているのは
終始、最初から最後まで
感情を抑えて
押し殺して
常に
どこまでいっても
終始一貫しているのである。


私のよく知っているポリーニは
ゴムをゆっくり引っ張って
ギリギリまで引き延ばし
最後に爆発する、
そのゴムは太い事もあれば
とても細い
切れるか切れないかの
ギリギリのものもある。

息を止め
息を飲み
緊張した後には
必ず深い
ため息が出る。

ため息は
爆発でもあり
解放でもある。



しかし、
・・・

このシューベルトは
決して
感情を外に出すことなく
押し殺しているのである。

何故なのだろう?

何故ここまで
美しく弾こうと思ったのだろうか?

どういう心境の変化なのだろうか?

美しいというのは
表面的に美しいだけではない


余分なものを
すべて削げ落とし
磨き尽くした
後にだけ
本当に
この世のものとも思われない程の
美しさが生まれてくる。



何度も書いている気がするが
抑える
というのは
そこに抑える
感情がない限り
抑える事はできない。


校庭一周500メートルを
猛ダッシュした直後に
ピアノに座って弾くような!??
激しい感情を持ちながら

息を止めながら
息を吐く事を我慢し
外に出す事を
壁を作って阻止する。


ピアノソナタの
第4楽章の美しさなど
えも言えない
くすんだ輝きを放っているし、

三つの小品の一曲目も
激しく弾けばいくらでも
激しく弾ける曲である。

ゆっくりと長い時間かけて吸った息を
一瞬で解放するため息ではなく
吸った同じ時間かけて
吐き切るかのごとく。

常に山を
登り切った先に
ジャンプ台はない・・・。

シューベルトのピアノ曲なんて
今までほとんど自分から進んで
聴いた事はないが、
これだけ惹きつけて放さない
演奏を聴かせてくれるなんて
驚きである。

これは、
ポリーニの
シューベルトに対する
解釈なのだろうか?
特に晩年の曲に対する。

それとも
ポリーニが
そういう演奏をする
年になったのだろうか?
(ってこの当時ですが)

あるいは
たまたま
この時は
そういう心境だったのだろうか・・・?


とにかく私にとって
この一枚は
目立たずも
宝石のように
しっかり輝く
一枚となった。

音色

小学生の頃、ピアノって楽器は
ドを押せばみんなドがでるけど
他の楽器はそうはいかない・・・

みたいな事を音楽の先生が言っていた。

高校生の頃習い始めたばかりのピアノを
先生に教わっていたときに
なんでこんなに弾き方によって
音色が変わってしまうのかが
不思議でたまらなかった。

一つの音だけ
ポーンとならすとそんなに違いはわからないのに
曲として弾くと全然違ってくる。

鍵盤って縦に長いけど
何か私がイメージするのは
一番いい音がするのは
その長い鍵盤のピンスポットで
しかもそこに入る指の角度で
音色も変わってしまうように思えてならない。

楽器の構造上は
鍵盤を押すと
ハンマーが弦をたたくだけで
そのハンマーのたたく弦は
常に同じ角度であり
違うのはスピードくらいなものなのだが。。。

何か足つぼマッサージに通じるものがある!!????
同じ場所を押しても
強さや角度、スピード
その他諸々によって
全然感覚が違う。

そのツボにはまったときは
指先は針のように
ピンポイントでその
ツボを捉える。

しかし、ピアノは白鍵・黒鍵があり
その曲(流れ)によって
白鍵でも根本の方を弾かざるを得なかったり
和音を押さえる都合上
良い場所を押さえられなかったり・・・。

基本的にはてこの原理で鍵盤の先の方(演奏者の近く)を
弾くのが一番合理的なはずである。

どこの場所をどのくらいの強さで
どのくらいの速さで弾くのかは
日々の鍛錬で指が覚えていくと考えられている。

その為にハノンやらいろいろな
練習曲があってどこの鍵盤でも
均一に最良のポイントを無意識に
弾く練習をする。


しかし、曲が難しくなればなるほど
どうしても技術が追いつかずに
そこのポイントに入らなくなってしまう。

そうならないために
日々の鍛錬を欠かさないよう・・・
と考えられている。

・・・世間一般には。


私のようにろくにピアノが弾けない人間にとっては
大体そのポイントにはまる事自体が
曲の中でも少ないのだが・・・

ほとんどは鍵盤をひっぱたいている状態・・・。


普通のピアニストは
感情的になって
我を忘れてしまうと
ひっぱたく状態になってしまう。
これを畏れるためか
どうも日本の(?)ピアニストなるもの
感情を抑えているように見える。
(でたまに感情をあらわにしているのを見ると
ひっぱたいていると感じてしまう私もなんなんだが・・・)


その点ジャズのピアノストなんかは
もうヤケクソ!?
もう音色なんて関係なく・・・
っていうか綺麗な音色たるものの感覚が
根本的に違うのでしょうか?

でも、それをのぞいては
音楽性はとても素晴らしいと思います。



で、
私が驚いたのは

というか

驚愕でした。


まず、第一にその音楽性。

しかも、そこまで感情をあらわにしても
崩れないテクニック。

というよりも
どんなに難しいパッセージでも
どんなに興奮していても
決して針の穴のピンポイントにはまる
その音色なんです。


しかも、ほんとうに
盛り上がって感情的になったときに
その感情のあまりに意識的に
そのピンポイントを外して
ぶっ叩いているのです。

技術的に困難で届かない音は
不快ですが
感情のあまりそこを超越している音は
心臓をえぐり取られるほどの
迫力があるのです。


このようなテクニックというのは
実はテクニックではないのだと
最近思えてきました。

指の角度や
鍵盤に対するスピードや
弾き方
そんなものが
理屈の上で
音色に直結しているのでしょうが

私にはもっと先の
お腹や
頭の先や
つま先から出てくる
音が
音色を作っているのではないかと。


技術を磨く事は
同時に技術を
破壊していく事と
等しくなければ
本当に磨かれた音色は
出てこない。
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php

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