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ふろはぃる

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古希

昨日は高校のときの先生の
古希の集いでした。

以前も書いた↓
http://blogs.yahoo.co.jp/magamonabe/48841510.html
(下の方)
私が高校に入って間もなく

「こんなのも歌え無くって音楽コースに何しに来た
まして作曲やりたいなんてとんでもない」

と死刑宣告を下した先生です。


「古希の集いをやるのでそこで演奏して欲しい」
と連絡をもらったのでおいしい仕事を蹴って駆けつけました


「高校に入って音楽の勉強ができると夢と希望に溢れている生徒に
なんてひどい事を言う先生なんだ」
「いつか見返してやると思って続けてきましたが、
今日その積年の恨みを果たす事ができます」

とスピーチしたらかなりウケました


T先生は20年前とあまり変わりなく
ちょっと声は衰えたところはありますが・・・
以前のエネルギッシュさはまったく衰えを知らず
常に動き回っていました。


「カタリ」を絶叫するT先生
イメージ 1

勝手に載せます

オペラ遍歴 その2

さぁてずいぶん前にオペラの話を書いていたんでした。


1987年秋。
日本では絶対に上演不可能と言われていた
ニーベルングの指輪
全4部作(序夜付き3日間)

この時は統一前の西ベルリンが総力をあげて作り上げた。
「トンネル・リング」といわれた舞台全体がトンネルになっている演出。
その映像を見つけた。



日本での演奏は舞台の奥行きが足らずにトンネルが二方向に分かれているというもの。
これはこれで迷路のように感じられてなかなか面白かった。
その僅か2年後にドイツは統一し、ベルリンのオペラハウスの顔は
ベルリン国立歌劇場へと変わっていったのですね。

それにしても1984年に初演出したこのゲッツ・フリードリヒの演出
いまだにやっているのですね・・・


ゴールデンウィークの頃にやってますね。
まさかこれは行けないけれど・・・。

それにしてもこんな映像があるんだから
きっとDVD化できるだろうに、何故売り出さないんだろう。

高校の頃 その6

ずいぶん久しぶりになってしまったなぁ・・・

どこまで書いたっけ・・・!???

高校二年生の夏過ぎだろうか?
新しい作曲の先生にお世話になり
それまでの先生にはピアノとソルフェージュを
週2回くらい。

そして、毎月の音楽の友は
発売日の18日に本屋へ走り、
N響の演奏会は月2回。
ワーグナーの「ニーベルングの指輪」
全曲日本初演を聴きに行ったのも
この頃だっただろうか?
一週間のうちに8回演奏会があった時もあった(゚_゚;)

その頃はレコードなんて買うお金は無いので
N響は2日同じプログラムで演奏しているので
1日目はFMで予習、翌日本番を聴く。
そして「リング」なんて一年分の小遣いはたいて
買ったチケットなので死ぬ気で聴かないと!?
とか何とか言いながら「名曲解説全集」を借りてきて
そこに載っているストーリーと譜例を元に
勝手に想像してピアノで弾いてメロディーを覚え
演奏会に備えた?!

その頃の私の興味は
オーケストラをピアノで弾く事。

中学生の頃からのクラシック仲間の友達と
連弾をしたりしていた。
最初はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の
第2楽章を連弾に編曲。
ところどころオーボエ吹いたりして・・・。

そしてドヴォルザークの「スラブ舞曲集」は
これは楽しかったですね〜。
発表会でも弾きました。


家から2時間以上かけて通う
作曲のレッスンは緊張しつつも
とても有意義なものであった。

思えば先生は一度もクビを縦に振った事が
なかったような気がする。
和声の課題でも良いものが出来たと思っても
もっとこうすればもっと良くなる
ここをもっと
もっと
もっともっと
とキリがなかった。
そうなのだ
音楽に100点など無いのだ。
どこまでも終点が無く
ここまでできたら
もっとできる。
それがどんどん自分を高めていく
事なんですよね。
私はこの「もっともっと」
って言うのが楽しくて仕方ない。
(これを否定ととる人もいるのですが・・・)

その頃、私にとって本格的な!?
最初の作品とも言える曲を作曲した。
高校2年の終わりの校外演奏会で
初めての作品発表でもある。
ピアノ曲で交響的幻想曲と名付けた
部分的には4段で書いていたりして・・・
今見ると顔から火が出るほど
めちゃくちゃ恥ずかしい。
それにしてもピアノを弾いていながら
ピアノの音を聞いていない
オーケストラへの憧れなのでしょう。
この時の演奏はちょうど入学直前の
新入学生の何人かも聴きに来ていたようで
後々、印象に残っていたと聞かされた。
高校3年生にしてやっと劣等感は薄まりつつあり
楽しくも??!!短い・・・高3を迎える・・・。


つづく

仏教と声明と

大学時代には
図書館にある声明のレコードを
すべて聴きあさり
仏教の本を読みふけっていた私が
何故、そこまでのめり込んだのかは
よくわからない。

物心ついた頃には
すでに祖父はおらず
優しかった祖母は
最も多感だった中学生の頃
相次いで世を去った。

その前に、小学校高学年か
中学生にはなっていなかったか・・・。
おじさんが亡くなった。
子供の私には
「死」
というものがまったく理解できなかった。

先月、元気に話をしていた
あのおじさんが・・・。
木の箱の中に入り
おばちゃんやいとこや
母親は悲しみの渦中にいる。
ついこないだ話をしていた
あのおじさんは
もう身動きすることなく・・・。

寿司を食べ
そして花を入れ
車に乗り
釘を打たれた箱は
二度と開かれることなく
狭い部屋へ納められる
また食べ物と飲み物が並び
それが一段落した頃に
小さな焼け焦げた
白い骨をみんなで拾う。
手が震え
骨を落とし
「痛かったね、ごめんね」
と言う母の言葉は
その時の私には
理解できなかった。
ただ私が見ていたのは
灰となった細い塊の中の
すかすかの茶色いものと
白い手袋をした
「職人」の手際よく
かき分ける仕草だけであった。


それから
母方の祖母と
父方の祖母は
相次いで世を去っていった。


私にはお坊さんの奏でる
お経だけが耳に残った。


その後だろうか?
私の部屋には
親に内緒で買って
目につかないところに隠してある
「曹洞宗のお経の本!?」
そんな感じのタイトルのカセットテープ付きの書籍があった。

私は仏教について本を買った。
無常
悟り
彼岸

死とは何なのか?
生とは何なのか?

そんな時に出会ったのも
また、三善晃の「響紋」を初めとする
三部作である。

そして高校生の頃
新聞の夕刊の演奏会案内の中に見つけた
国立劇場での声明と雅楽の公演。
「日の虚階・月の虚階
日月屏風一雙」
なる公演を聴きに行った。
これが私の初めての
声明・雅楽演奏家だろうか。

大劇場と小劇場で
同時に演奏される。
どちらか一つしか聴くことはできない。
それが虚階なるものらしい。
聴けないが為に向こう側が何をやっているか
想像する・・・。
後半は大劇場が雅楽
小劇場が声明
私は迷うことなく声明を聴いた。

祖母の葬儀では
「お経」の他に
お坊さんが歌を歌っていた。
今思えば声明だ。

これは私の意識の下にあったものなのだろうか?

ともかく私は
声明に惹かれ
仏教の本を読み
大学に入れなかったら
仏門に入りたいと思っていた。
声明を究めるためには
お坊さんになるしかない・・・と


幸運にも大学に入ることができた
私は、雅楽をはじめた。
日本人として作曲するには
雅楽を究めるしかない・・・と。



今日(というか昨日)
師の訃報を受けた。
私には未だに「死」の意味はわからない。
また「生」の意味も。

7〜8年前に先生が替わり
その後は1年に1〜2回会って
ちょっと話をするくらいの
関係になってしまっていた。
何年間習っていたのだろうか?
10年近く。
「昔ながら」の教え方の師は
厳しくもあり不器用でもあった。

そんな師から
一番最初に習ったのは
「還城楽」

ちょっとさっき舞ってみたけれど
しっかりと覚えていました。
もう10年くらい舞ってないかもしれないなぁ・・・。

これはこれで
大切に
とっておかないと。


知らないなかで
ただ、通り過ぎてくれれば
それはそれでいいのだが
・・・
認知するためにあるのだろうか?

高校のとき・その5

和声の勉強を始めてから
半年ほどで和声の教科書の1巻を終え、
「私の教えられるのはここまで」
という事で、新しい先生を
紹介してもらう事になった。
その先生の同級生・先輩・後輩や
その知り合いなど。
候補には三名ほど名前が挙がっていた。
「あんまり偉くなると○×△□※☆◇で
□○△×★※だから、中堅でしっかり
実力があって曲を書いていて・・・云々」

そんな事で紹介してもらったのが
洗足で講師をしている作曲家の先生。

初めて電話した時の恐怖はいまだに忘れられない。
私の先生がその先生と電話で話していて
親がどういう考えなのかを知りたいようなので
親から電話をかけた方が良いと言われた。
そして親が電話をかけると開口一番
「本人に変わってください」

「親から掛けるよう言われたので・・・」
先生
「一回この電話切るので、あなたから掛け直しなさい」

 (((((((・・;)

・・;

。。。。

(*_*)


(゜;)


(×_×)


(((((((・・;)


そして、掛け直すと
今度は優しく電話に出て
時間と場所を打ち合わせ
会ってお話しする事になりました。

先生
「その時に私は君に作曲を辞めるよう説得するから、その反論を考えてきなさい」


(◎-◎;)



私は毎日悩みました。
この恐ろしい先生を
どう説得して私がいかに
作曲の勉強をしたいかを説明し
弟子にしてもらうか・・・。
この先生に断られたら後は
自分で探してもらうしかない
なんて脅されてたりもして。。。


どうも、今も昔もそうなのだが
私の中には希望的観測というものがない。

希望的観測というか
その上を行っているのである!?
「こうなればいいなぁ」とか
「こうなりたい」とか
「もしかしたらこうなれるかも」
とか・・・じゃなく

「こうなる!」
しかないのである。

夢というのは叶うと良いなぁ〜ってものではなく
叶えるものであり
叶えなければいけないものなのである。


だから、もしダメだったら
なんて事は考える余地すらないのだ。


作曲家になる事は
もう決まっているのに!?
何故、その途中の階段で
こうも立ち止まらされる事が多いのか
と・・・。

私は先生を説得する言葉を一生懸命考えた。

そして、その当日

そこは
鶴見川を渡り
多摩川を渡り
隅田川を渡り
荒川を渡り
江戸川を渡った
小高いある大本山のすぐそば。

恐怖におののきながら
私はその先生の前に
鞄の中から
それまで書きためてきた
五線紙の山を
ドサッと
差し出した。

先生はその楽譜の山に
ササッと目を通すと
「わかった」と言い
次のレッスンの
打ち合わせとなった。

これが、私の作曲の師との出会いである。

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