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中学生の頃の・・・。

今日実家に行って
中学の時の
美術の授業で
描いた絵と
彫刻した作品二点。


姫路城
イメージ 1


文化祭のポスター
薬師寺の東塔です
イメージ 2

ちょっと色あせてしまった。。。

それにしても
壁が・・・
年期を感じます。。。!?


この頃から
日本に目覚めていました。

高校のとき・その4

どういう順番だったか
よくは覚えていないが
この頃、私が雅楽
いや、日本音楽を
強く意識するようになった。

雅楽のCDは当時
私が見つけたのは二種類。
宮内庁式部職楽部が演奏する
越殿楽三調というのと
東京楽所かどこかのCD。

私は越殿楽三調のCDを手に入れた。
その中でも特に印象に残っているのが
「納蘇利」
その太鼓の迫力とリズム感に
何とも言えず興奮した。

そして、
高校の音楽コースの合宿に行く前、
国立音楽大学へ見学に行った時に
楽器博物館?のようなところで
雅楽の楽器を見た事。
大学でも雅楽を教えているという事。

そして、たまたま新聞で見かけた
国立劇場での雅楽と声明のための
新作の演奏会。
一柳慧の「こかい」という演奏会だった。
(字がわからない・・・)
これは大劇場と小劇場と
同時進行の演奏会で
後半は古典で
大劇場が雅楽
小劇場が声明
だったが
私は迷うことなく声明を聞きに行った。


当時はまた
雅楽や日本音楽に関する本も
ほとんどなかった。
雅楽に関しては増本喜久子さんの
「雅楽」という本と
絶版で取り寄せ不可能だった
東洋音楽選書の「雅楽」という
古楽譜を研究した全くの
専門書くらいであった。

そしてもう一つ私が読みふけったのは
小泉文夫著「日本伝統音楽の研究」
というわらべ唄から日本の音階を研究した
日本音階の研究の最大の本である。


この頃には
私がどう音楽家として
作曲家として生きていくか
完全に固まっていたように思う。


高2になってすぐ
和声の1巻は終わり
ソルフェージュ・ピアノ・和声を
習っていた先生から
私が教えられる作曲の勉強はここまで
という事で作曲の先生を新たに紹介してもらった。


つづく

高校のとき・その3

その頃の私の
もっぱらの喜びは
少ない小遣いを貯めて
演奏会に通う事と
CDを買う事であった。

横浜から電車を乗り継ぎ
秋葉原まで行き
石丸電気の
クラシックコーナーへ行き
お目当てのCDの輸入盤を探す事。
今でもそうだが国内盤より
かなり輸入盤は安かった。

今でこそ国内盤の
廉価版があるが
当時は安く買うには
輸入盤だった。

そしてもう一つ。
銀座のヤマハまで行き
スコアを買う事。

気に入った曲のスコアを手に入れ
曲を流しながら
楽譜を追っていく。
これはもう中学生の頃からの
曲を聴く楽しみ方だったが、
高校生になると
オペラのスコアを集め出すようになる。

RICORDIの楽譜は5000円位して
かなり高級感があったが
それでも奮発して
ヴェルディの「運命の力」と
「椿姫」は持っている。

それに対して
DOVERの楽譜はとても安く魅力的でった。
ワーグナーの楽譜は3000円位で買えた。

ちょうど高校生の時
ベルリン・ドイツ・オペラの
ワーグナー「ニーベルングの指輪」全曲
の日本初演があり
それを聞きに行って以来
ワグネリアンになった私は
ワーグナーのCDと楽譜を
買いあさるようになる。

といってもそんなしょっちゅうは買えませんが。

でも当時は
CDが買えなくても
年末のバイロイトの放送を
カセットテープに録音して
それで楽しんでいたのも多い。

CDやテープをかけながら
指揮をしながら
楽譜を追っていく。

楽譜の書き方や
オーケストレーションや
楽器の音域や特徴などは
こんな事から自然と身についていった。

私の音の憧れは
常にオーケストラにあった。


そして、やはり
聞いているだけでは満足できず
オーボエもあるので
オーボエパートも吹いてみる。

カラオケだけでは満足できず
そうだ!
アマチュアオケに入ろう!

って事で
当時毎月欠かさず買っていた
「音楽の友」に団員募集の記事を見つける。
高校二年生の頃だろうか?

そんな訳で
私は無謀にも
都内のアマチュアオーケストラへ
入団する事になる。
部活は毎日だけど
オーケストラは週一回。
これならできるだろうと・・・。


それにしても
今思えば
アマチュアなのに
いっぱしにプロ気取りで!?
オーケストラ風いじめをする人も居た。
そんなところまねなくてもいいのに。
楽しくやりつつ
お互い高め合えるようにすればいいのになぁ。
まぁ確かに私も独学で上手くはなかったので
しょうがないですが・・・。
でもどちらかというと
高校生という事で結構かわいがってもらった
方が多かったかなぁ。
私にとっては
憧れのオーケストラの中で
音が出せて
楽しい時間でしたね
周りの人は不快だったようですが・・・。。。

私にはいまだにこの
下手な人がいるから不快だとか
足を引っ張られるとか
そういう感覚が理解できない。

私も一応プロの演奏家として
雅楽を演奏しているが
一緒に演奏する仲間は
初心者から上級者まで
いろいろいる。
そんな中で
出来ない人は出来るように
導いてあげればいいのであり
うまくいこうがいくまいが
一緒に演奏する以上
仲間として信頼関係を
築く事さえできれば
それはとても有意義な時間を
過ごせているのである。
だから、私の周りには
いろんなレヴェルの人がいるけれど
それぞれの存在価値があり
とても仲が良く同じ時間を
共有する事が嬉しくてしょうがない。

集団になると
変なプロ意識や
ライバル心が生まれるのか
良くいがみ合っている光景を目にする。
合奏というのは相手を信頼して
その上でお互い助け合い
チームワークが生まれるものだと思う。

まぁ、そんなこんなで
話がそれたようなので・・・
この辺で。。。

それではご要望に応えまして・・・

つづき・・・


そして
できの悪い私と
このできの悪い生徒をどうしたものかと
悩む先生との二人三脚は始まる。


まずはソルフェージュ。

前後にいた人は
楽譜を見てすらすら歌い(新曲視唱)
先生の弾くピアノをすぐに楽譜に書き上げていった(聴音)

一方私はドレミファソ〜
さえも歌えない状況だった。

おそらくここまでできない人種は
先生からしても初めてであろう。

それでももう諦めろと言うような事は
一度も言った事はなかった。

常にどうしたらできるようになるかを
考えていてくれたように思う。

子供でも歌えそうな簡単な
ソルフェージュの課題を
音程のないまま最初から最後まで・・・
それでも止まらず歌えと言われた。

全くの音痴もいいところである。

しかし、先生は言った
音痴というのは音の高低を認識できない
病的症状を言うのであってあなたは
音の階段を作れていないのと
声を出す事になれていないのだ
と。

まったくもって音階とは
音の階段である。
下から上に上がる
なだらかな山に
明確な階段を作らなければならない。

決して放棄しないものの
できない自分に対するもどかしさと
あまりにできなすぎてあきれている
先生の呆然とした様子を見るのは
私には苦痛でしかなかった。
私にはとても厳しい先生でありレッスンであった。
言い訳する事は一切許されなく、
できるまでほんの2〜3小節を
1時間かけてやる事もあった。

私はレッスン場から駅までの7〜8分の道のりを
重い足取りで
「辞めよう」
「辞めよう」
「辞めよう」
「もう辞めよう」
「終わりにしよう」
「辞めよう」
「次行くの辞めよう」
「帰ったら、辞めますって電話しよう」
「辞める」
「もう終わりだ」
「辞めよう」
「もう終わりにしよう」


ひたすら心の中でつぶやきながら帰った。

しかし、
次のレッスンは終わったあとにもう決めているのである。
電話しようしようと思っているうちに
次のレッスン日が訪れる。
レッスンに行って辞めますって言おうと思った。
しかし言い出せないまま
「次は・・・何日は大丈夫?」

そしてまた帰り道
「辞めよう」
「辞めよう」
「辞めよう」
「もう辞めよう」
「終わりにしよう」

こんな事の堂々巡りであった。
いくらやってもできるようになる気はしなかったし
とにかく自分が音程のない音を出して歌っている事自体
恥ずかしく、自分で自分に「おまえはダメだ」と
歌い聞かせているような苦痛でしかなかった。

とにかく私には希望は何もなかった。
メロディーが分かれば歌えたが
知らないものを楽譜見て歌うなんて
信じられなかった。

高校へ行けば行ったで
私が歌い出せばみなが笑い出す始末だし
歌う前からそんな雰囲気が漂っているし
例え正しく歌っても笑われるし・・・。
男は私ともう一人やはりできの悪い人が居るだけで・・・
あとは40数人女子。
私には地獄以外のなにものでもなかった。
いい訳をしたくてしょうがなかった、
何故自分ができないのか
そういう教育も環境もなかった事を
自分が女だったらこんなに目立たないはずなのに

その時から私は決めた。
これから一切喋らず
誰とも近づかず
笑う事もなく
貝のように口も心も閉ざして生きていこう。

・・・ってなんでこうなるのか・・・!???
劣等感から心がすさんでいった行き着く果ての
捻くれた若者の必死の抵抗だったのでしょう。

その頃、必死に私は外界との接触を断ち切ろうとしていた。
誰とも目を合わせることなく
通学のときは0.01の裸眼で
めがねを外し
周りを誰かが通り過ぎても
全く気づかないように
髪は目を覆うように長く伸ばし
誰も私に近寄る事すらできなかった・・・。



何ヶ月かした頃
上手く歌えない理由のひとつに
発声がうまくいかないから
と言う事で声楽の先生を紹介してくれた。
そこで発声練習をしなさいと。

当時芸大の大学院の学生でもあったその先生は
音程とか何とじゃなくとにかく声を出す事を教えてくれた。
その中で少しずつ音の階段ができていくように。
そしてオペラ好きだった私は
この声楽の先生とオペラ談義に花を咲かせる事になる。


辞めよう辞めようと心の中で叫びながら
何故辞めなかったのか。
それは不思議でならない。
ただ覚えているのは
「辞めよう」は決して
「辞めたい」にはならなかったのである。

音楽以外に何も残らないくらい
私は毎日朝起きる時から眠って次の曲をかけれなくなるまで
音楽を聴き続け、また演奏会に通っていた。

私にはソルフェージュの耳は無いけれども
いい演奏を聞き分ける力は誰よりあると信じて疑っていなかった。


ソルフェージュに比べ和声は順調であった。

和声というのは
ある旋律に対して和音を
一定の法則に従ってつけていくものである。

例えば一番下のパート:バスが
「ドーファーソード」
とあると
その上のテノール・アルト・ソプラノに
ミソド
ファラド
レソシ
ミソド
と言った具合に当てはめていくのである。
レソシをソシレにしてしまうと
バスがファ→ソに対し
テノールもファ→ソとなり(平行八度)
ソプラノもド→レで平行五度で禁則となるので
ここはレソシにしないといけない・・・。

と言うような事をやるもんで
私は大いにこれが得意で
グイグイと進んでいった。

しかし、もの凄い勢いで進む私に対し
先生は待ったをかけた。

「これピアノで弾きなさい」

・・・そ・そ・そんな・・・。

「弾ける以上の課題を進むのは禁止です。
音符だけ書いても机上の空論になってしまいます。
音が鳴っている上で書いているのならいいけれど
そうでないのならちゃんとピアノで弾いて楽譜と音を
一致させるように。」

そんな訳で・・・
和声のレッスンは毎回課題を自分で弾く事になる。
と・・・
当然のごとくそれを何度も弾いて練習しなければいけないのである。
普通にピアノ習ってる人ならこんなの練習しなくっても弾けるのに。
なんと効率の悪い事か。
やっと水を得た魚なのに・・・。

ドミソド
ファファラド
ソレソシ
ドミソド
なんて
無機質なもん・・・
無機質に弾けるか!
って事で
私はこの無機質な曲ではない
ただのパズルのような和声の課題を
音楽的にドラマティックに弾いていく事になる。

これ以外と何とでも弾けるんですよ。

今、私がピアノもフォルテもテンポも発想記号も書いていない楽譜でも
音からだけいろんな情報を読み込んでいけるようになったのは
こんな事をやっていたからではないかと思う。


相変わらずではあったが
私は一向に上達しなかった。
しかし、少しずつではあったが
「この子は絶対無理。きっと一年くらいやったら諦めるだろう」
と口には出さないけど思っていただろうが
「もしかしたら・・・」
と言う風に変わってきたような気がする。

そんな高校2年になった頃、
ピアノもその先生に習うようになった。
7月に発表会があるので出たくないだろうけど
出ておきなさいと言われ渋々了解した。

曲はベートーヴェンのピアノソナタ第14番嬰ハ短調
から第一楽章と第二楽章。
「ピアノ」のところにも書いたが。

私はとにかく自分の弾きたいように弾いた。
しかしそれはおかしいと何度も直すよう言われた。
それでも私は従わず自分の意図を説明し続けた。
そのうちに少しずつ
そうしたいのならばこういう手段を取った方がいい
と私の考えを認めてくれるようになってきた。
そして、発表会で他の先生から
「なんだあれは?」「何であんな弾き方をするのだ?」
と言われても
「彼の考えはよく分かっている」
と言ってくれた。
ベートーヴェンはこう弾くものだとか
テンポはこれが普通だとか
根本的な基礎的な技術もないのに
何なんだ
と言うような「常識」が植え付いている人には
奇妙にしか映らなかったのだろうが・・・。


これが、私を一人の音楽家として認めてくれた
出来事であり最初の人なのである。
「技術」ではなく
「音楽」を教えてくれた。


その出来事以来
先生は私の事を一音楽家として
話をしてくれていたように思う。

どんなにできが悪くとも
当たり前の事ができなくても。





どんな人にでも
良いとこもあり
悪いところもあり

その一番良い部分を
認め
尊重し
尊敬できる気持ちを
持っていれば
決して上から目線になったり
偉そうになったり
相手を小馬鹿にするような
事にはならないと思うのですが。


だから私は
上手くない人と演奏しても
「なにやってんだ」という気にはならないし

(偉そうな事言ってる人が言ってる事とやってる事が
かけ離れてると「なにやってんだ」と怒りますが)

大っ嫌いなヤツと一緒に演奏しても
それなりに何かしらの!?敬意を払っているつもりですし

子供だからとか
学生だからとか
後輩だからとか
年下だから
オレの方が偉いから従え
なんてことはあり得ないつもりです。
(ある場合を除いて!??)




そんな訳で
意志と誠意のあるものは
立派な大人としての人間の
尊厳であり
どんなものでも
敬意を払って生きていきたいなぁと
思っています。

高校のとき・その2

人との関係というものは
相手を認め尊敬する気持ちがあって
初めて成立するものだと思う。

大人と子供であろうと
上司と部下であろうと
先輩と後輩であろうと
年上と年下であろうと
先生と生徒であろうと

どんなに未熟であろうと
経験が無かろうが
実力が無かろうが

その人は
その人なりの
考えを持っているのである。

それを認めない上での
否定は
存在自体を否定している事に等しい。

上から目線で物を言ったり
見下したり
権力を振りかざしたり

「あなたはダメなんだ」
というレッテルを貼り付けたい人を
時々見かける。

「これもできないのに
何を偉そうな事を言っている」

と言うのは違うと思う。


私の周りにも
私のすべてを否定しているのではないか
と思えるような人が居る。
いや、
これはある意味私の被害妄想である。

正確に言えば否定しているのではなく
肯定している部分を全く感じられない
と言うのが当てはまるだろうか?

音楽というものは
演奏していると
そんなものが如実に出てしまう。

合奏している時に
「相手の音を聞く」
と言う行為を理解していない人がいる。

聞こえていればいいってもんでもないんです。

相手が何をしたくてどうやりたいのか
それに対して自分がどう思いどうしたいか。
そしてそれをどう解決しどの方向に持って行くか。

その積み重ねが合奏というものだと思っている。

ただ縦の線が合っていればいいというような
単純なものではない。

誰かに合わせるとかじゃなく
みんなで合わせるのだ。

これはたとえ指揮者でもそうだ。
多少、指揮をしたり
指揮者の元で合奏したりすると思う。

指揮者も勝手にリズム取っているだけだと
絶対にアンサンブルにならない。

相手の意見を聞いて
自分の意見を言って
話合う

自分の意見だけ言って
他人の話を聞かない人って居ますね。
まぁ自分の意見が通らない腹いせに
他人の話を聞かない!と
言っているだけの場合がありますが。

この辺りは明確に分析しなければいけません・・・!?

さてさて
私にはこの手の
「相手の音を聞いていない」
ってのに時々遭遇してしまう。

私自身そんな事を普通に思っている訳なので
どんなに初心者であろうと
経験が無かろうが
あまり上手くなかろうが
やはり一緒にやる以上
相手がどうなのか
しっかり認識しようとしているつもりである。
年上ならばそれなりの敬意も払うし。
絶対上から物を言う事はないし
対等かむしろ下手に出ているつもりである。

それなのに
ある日突然、手のひら返した感じで
オレは偉いんだ
ってなふうに豹変する人が結構居るんですねぇ。

その度に
私ってそんなに信用無いんだなぁと
悲しい気持ちになりますが。
自分の正しい事を主張して
あなた間違ってます
みたいな。

まぁ
私の尊敬する人たちは
ちゃんと私の事を認めてくれているから
そんな事はどうでもいいんですが。

やっぱり下手に出りゃぁつけ上がるってのは
腹立ちます。



・・と
ながながと
くだらない
愚痴を書きましたが

ここからが本題です
(前置き長すぎ・・・)


神奈川県立弥栄東高校音楽コースに入学した私は
(前述 ー高校のとき・その1ー のごとく)
落ちこぼれのどん底にいた。。。

昭和62年頃・・・

私は作曲の勉強がしたかった。

他の人はみんな先生について
習っていたが
「先生につく」
と言う事すら私にはよく分かっていなかった。

よくプロフィールとかに
○○氏に師事
とかあるが・・・
音楽大学に入るには
誰かについて勉強して(レッスンを受けて)
入るのが一般的のようだ。

これは
普通の大学とはちょっと違うとこですよねぇ〜。

で私は高校の音楽コースの先生が説明会か
何かで話してた
「皆さん先生について勉強してると思いますが
もしそうでないなら紹介する事もできます」
みたいな事を言っていたのを思い出し
作曲を教えてもらえる先生を紹介してもらった。
自分が何をしたいのかを話し
その為にどうしたらいいのかを相談したのだと思うが。
でも、普通の人から見たら
何にもできないのに何言ってんだか
と思われたのかも知れない。
大学の同級生を紹介してもらったのですが
おそらく
「こんなできの悪いのが作曲やりたいって
言ってんだけど面倒みれる・・・」
みたいな感じだったんじゃないかなぁ・・・?

私はおそるおそる電話をかけました。
全くどう言っていいのか分からない
高校1年生だったので・・・
「あの〜○○先生から紹介で電話してます
作曲を教えていただけるようで
よろしくお願いいたします・・・」
「・・・」
・・恐怖・・
「紹介は受けましたがまだ教えるとは決めてません
教える事ができるかどうか会ってみてから決めます」
・・・・・・
「とりあえず親御さんの話を聞きたいので
替わってもらえますか」
・・・

と言う訳で
なんと芸大の女性作曲家は怖いのだと
恐れおののいたのでありました。

そして数日後
母とともに先生の元へ出向きました。
恐れおののきながら
母は菓子折を持ち
私は自分の書いた楽譜を持ち

思えばその時もすでに曲は書いていたのだ。
もの凄い幼稚なものだが。
島崎藤村の詩に曲をつけた物や
ピアノとオーケストラの譜面やら。
合唱に独唱にオーケストラの譜面やら。
途中まで書いてどうにもならなくなった物ばかりだが。
島崎藤村の「初恋」の詩につけた
歌か合唱かは完成していた。

ピアノも何もできない事を知っていた
先生だったが敢えて私に
この曲を演奏してみろ
と言った・・・。
「作曲家たるもの楽譜を書いたら終わりではない。
書いて渡して終われるのはよっぽど偉い人だけです。
ピアノを上手く弾けないのは分かったから
弾けないなら弾けないなりに何かやってみろ」
・・・と

先生にピアノパートを弾いてもらって
私が歌の部分を弾いたような気がする。
とにかく恐ろしかった。
初めて会った怖いおねぇさんの横で
ピアノを弾いているあの光景を思い出す。

なんで
私が練習しても弾けないものを
この人は
初めて見てさらさら弾いているんだろう??
しかも
「大正ロマン」
とかなんとか
ぶつぶつ言いながら・・・

その後の話はどうなったのか
よく覚えていない。

とにかく
入門は許され
俗に芸大和声と言われた
赤・黄色・青の3巻セットの
赤本から始めようという事と
ソルフェージュも一緒にならいに行く事が
決まった。

そして
ここからが
私の音楽人生の中で
本当の苦悩一年間が始まる。

いや、
むしろ
私を音楽家として認めてくれた
最初の人との
二人の戦いが始まったのである。

つづく・・・

前置きに続くのはこの先で・・・。。。

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