酔っぱらいのたわごと

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ピアノ

そもそも私は
ピアノが好きではなかった。

実際、今まで、
ピアノのリサイタルというものには
一度も行った事がないし

高校生の頃
自分が弾く曲を
研究するために
ホロビッツのCDを
一枚買った以外は
ピアノのソロは
一枚も持っていなかった。

オーケストラが好きな私は
ピアノ協奏曲は聴いても
ソロはなかなか聴かなかったのである。

周りにはピアノの音があふれているし
ピアニストになる訳でもないので
(なれる訳もない)
自分で弾く曲をわざわざ誰かの演奏で
聴いてみて勉強する来もなかった。

だいたい
私がピアノを弾いていても
聞こえてくる音は
オーケストラの音であり
ピアノを使って
オーケストラの音を
表現したかったのだ。


私がピアノを始めたのは
中学3年生の10月末。

神奈川県立弥栄東高校音楽コースを
受験する事を決めた時、
ピアノぐらい弾けた方がいいとの事で
始めた。

中学生の思春期の恥ずかしい時期
バイエルやら子供のための絵の書いた
でっかい五線の楽譜を弾く事は苦痛でしかなかった。

高校に入った私は
作曲の基礎である和声の先生を紹介して貰い
その先生の元で勉強を始める。
あまりに聴音も視唱もできないので
一緒に習う事になる。
そして、・・・
ピアノもあまりに弾けないので
習う事になる。。。

高校に入ると
音楽コースの生徒は
年に二回、校内演奏会で
演奏しなければならない。

一年生の時は
オーボエを吹いたり
自分の曲を演奏したり
していた。

そして、
私にとって
「初舞台」
と意識の中に残っているのは
高校2年生の時の夏:7月の
校内演奏会と
ルーテル市ヶ谷での
発表会である。


管楽器は得意であったが
右手と左手が別の事やる
ピアノなんて絶対無理!
と思っていた私・・・。
人前で絶対ピアノなんか弾くか!!
と心に決めていた!?のだが
先生から
「でた方がいい」
「でるべきだ」
「でなさい」
・・・
と見事に撃沈!?

ソナチネとか
子供の弾くような曲は絶対にヤダと
決めていた私は
自分で探すしかない。

「月光」

ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第14番

1楽章と2楽章
当時の私にとって2楽章は
超絶技巧であった・・・。

もの凄い時間練習した。

その頃からすでに私には
自分の解釈と
自分の表現があった。

「ピアノの常識」

「ベートーヴェンの常識」
と称する
ピアノの先生からすると
とんでもない弾き方
をしていた訳だが、
私は先生の言う事を聞かず
直されても直さず・・・
自分の意見と演奏で
説得を試みた。

幸い私の先生は作曲が専門であったし
ピアノで受験する訳でもないので
この辺りは寛容であった。

その頃からだろうか?
何もできない落ちこぼれな私を
一人の音楽家として信頼して
教えてくれるようになったのは。

私は誰も弾いた事のないような
ゆっくりしたテンポで「月光」を
弾いた。



一人で舞台に上がり
誰も助けてくれない中で
最後まで弾き通さなければいけない。

これが私の初めての
舞台での体験である。



そして、
ピアノの弾けない
私が次に進む曲こそ・・・

ショパン!!


ピアノソナタ第2番


!!!



第3楽章


!!!?



そう!
あの有名な
「葬送行進曲」
である。


これは確かその年の秋頃の
勉強会のようなもので弾いたと思う。


そして、
これに続く曲と言えば・・・

ショパン
「ノクターン」

2番

そして
前奏曲集から
「雨だれ」


2年生の校外演奏会では
初めての本格的作品である
ピアノのための交響的幻想曲「冬の樹」
を自作自演する。

今見るとちょっと恥ずかしい曲でもあるが・・・
普段2段で書かれているピアノの譜面が
場所によっては5段になっていたりする
超絶技巧の作品である。(当時の自分として・・・)


そして、同じ頃には
ドボルザークの「スラヴ舞曲」
を連弾で弾いたり。


そして、そうなると
ピアノでオーケストラを
どうしても鳴らしたくなるのである。

そう!

ムソルグスキー
「展覧会の絵」

高校3年生の7月の校内演奏会
プロムナードをいくつかと
「ブイドロ」「キエフの大きな門」
を弾いた。

このころどれだけの練習を
していたかは覚えていないが
4時間目の授業が終わると
音楽室へ駆け込み
昼を食べず、
家に帰ると音を出していい9時頃まで
ずっと弾き続けていた。

腕が折れるか
ピアノの弦が切れるか


私の腕は無事で
展覧会の絵の
最後のコーダの部分に入った時


ガーン
ドッカーン
バーーン
っと
もの凄い大音響をあげて
低いesの弦は切れた。

それはこの曲の中でも
最も低い音であり
しかも
左手の小指で弾いている音であった。


私はその瞬間
勝利を確信した


・・・


????



そして、何故だか
ピアノが一番うまい
とどっからか
風の便りに乗って
聞こえてくるようになっていた。



この頃にはもう
ピアニスト気取りである!??

下級生の歌の伴奏を引き受け
同級生の伴奏もし
合唱の伴奏まで・・・。


そして、
私の僅か2年の
ピアニスト人生の最後を
飾ったのが
ワーグナー作曲
リスト編曲
「トリスタンとイゾルデ」から
「愛の死」

コチシュの編曲した
前奏曲も弾きましたが。

「愛の死」は
半端でなく難しかったです。

体力もいるし
どんなに頑張って弾いても
オーケストラのように盛り上がらないし

当たり前か・・・。。。


でも私の大好きな
「トリスタンとイゾルデ」

これを弾けるのは
スゴイ嬉しかったですねぇ。

高校3年の
卒業式も終わった
3月の発表会で
弾きました。


 ん
  ば
   ん
    は
     さ
      ん
       ざ
        ん
         だ
        っ
       た
      け
     ど
    。
   。
  。
という訳で
私の華々しくも
短い
ピアノ人生は
幕を閉じたのでした・・・。

オペラ遍歴 その1

さぁて
ちょっと今回は嗜好を変えて・・・。

オペラ

私のオペラの出会いは
たぶん
NHKで放送された
メトロポリタンオペラの
ヴェルディ「運命の力」
ジェームス・レヴァイン指揮。


それまでは
主に交響曲を主体に
オーケストラばかり聴いていたと思います。


このDVDに関しては過去にも書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/magamonabe/2806601.html




たぶん'86年頃。
それから「椿姫」@クライバーを買い
「運命の力」は秋葉原まではるばる出向き
輸入盤のガルデッリ指揮のレコードを買った。
カルロ・ベルゴンツィがとてもすばらしく
その後彼の来日公演は私のこれまで聞いた
演奏会でもベスト10に入るものである。
この頃はオペラを特集した雑誌と
名曲解説全集くらいが
オペラの指南役で・・・。
対訳などかなりの値段で買った記憶がある。

しばらくはイタリアオペラを中心に聴いていたのだが
これまた音楽界をあっと言わせる大事件が起こった!!

そう!
ベルリン・ドイツ・オペラによる
ワーグナー「ニーベルングの指輪」
全曲上演。日本初演!!!

「リング」は
序夜付きも3部作
というかオペラ4つで一つの作品となっている

序夜「ラインの黄金」
第一日「ワルキューレ」
第二日「ジークフリート」
第三日「神々の黄昏」

ラインの黄金が一幕で二時間半くらいな他は
みな三幕で三時間半から四時間半かかる。
休憩など入れると16時に始まっても
終わるのは22時過ぎ
ひとつづつをとっても大作である。


これを一気に
日本で上演するなど
本当に当時大事件であった。
これは確か'87年。
高校一年の秋だ。


私は何が何でも聞きたいと思った。
ワーグナーのオペラなどまともに
全部聞いた事など無かったくせに・・・。

私は勉強をはじめた。
高校生の私に「リング」のレコードを
揃えるお金など無い。

高校の図書館にある
名曲解説全集を借り
そこにある楽譜をピアノで弾きながら
解説やストーリーを合わせて
自分で想像しながら・・・作曲しながら!?
きっとこんな感じだろうと・・・

そして私は神奈川県民ホールに
発売前日の夜に並んだ。
確かその当時の一番安い席が
7,000円
次が9,000円。
神奈川県民ホールの3階の
最後列。
一列前になると2,000円アップ・・・。
ほとんどが9,000円の席だっただろうか?
でも、四回分しっかり買う事ができた。

その当時は
徹夜で並ぶのに
世話人みたいのがいて
ずっと並んでいなくてもよく
夜と朝一と点呼の時間があって
その間は帰っても大丈夫であった。

ゲッツ・フリードリヒの舞台は
トンネルが二つに分かれた
とても斬新でかつ
分かり易い舞台であった。
当時はまだ字幕などは出なかった。

歌手もものすごい顔ぶれであった。

ルネ・コロ
ヒルデガルト・ベーレンス
マッティ・サルミネン
その他もろもろ
特に私はサルミネンが印象的でした。

ともかくあの場に居れた事は
かなり自慢です!!

まぁ
それはともかくとして。

すっかりこれを機に
私はワグネリアンとなった。

年末のバイロイトでの演奏は
必ず欠かさずに聞くようになったし
日本ワーグナー協会にも入り
タンホイザー以降のスコアはほとんど持っている。
「タンホイザー」
「ラインの黄金」
「ワルキューレ」
「ジークフリート」
「神々の黄昏」
「トリスタンとイゾルデ」
「パルジファル」

・・・
「ローエングリン」と
「マイスタージンガー」がないなぁ・・・

中でも特にはまったのは
「神々の黄昏」と「トリスタン」でしょうか。

いや、ずば抜けて「トリスタン」ですねぇ。
リストの編曲した「愛の死」なんて
意地でも弾いてやる!!
ってなもんで高校三年の卒業する時に
弾きましたから・・・。

このワーグナーの作曲技法なんて
私にとって非常に影響を受けたのではないかと
思います。


その後、R.シュトラウスから
ショスタコーヴィチへと進んでいく
私のオペラ遍歴の後半はまた
いずれ書くとして、
私のオペラの基本はこの
ワーグナーにあるのです。

ベートーヴェンの九番「合唱付き」
を聞く時に、
どんなストーリーで何を言っているのか
ってあまり気にしないと思います。
そんな感覚でワーグナーって聞けるんですよねぇ。
私には。。。

いや、確かに
モーツアルトや
他のイタリアオペラの作曲家も
メロディーを聴いていれば別に
歌詞の内容がどうとか・・・
十分楽しめるのだが
イタリアオペラは「歌」
なのに対し
ワーグナーは「交響曲」なのだ。


そんな、ワグネリアンな高校生は
自分でも歌ってみたくなる・・・


どっかに・・・
・・・
つづく・・・

高校生のとき・その1

そもそも
ものすごい音楽的才能を
持ち合わせた人は
この世の中に
数限りなくいると思う。

そんな人たちが
世の中に
姿を現すことが
少ないのは
その感性や
たぐいまれな才能を

人に伝える「技術」を持ち得ない

たったそれだけの理由に思う。

その才能は
「手段」さえ見つけることが出来れば
他人が目にする機会を得るのだ。


音楽家において
その真価は
40過ぎて60歳くらいまでの中の
ほんの短い間に凝縮している事が多い気がする。

若くして才能を見いだされた過ぎた人は
その後、少しずつ忘れられ
時代とともに流されていく人も少なくない。



さて、技術とはいったい何であろうか?

それは単に訓練を積んで
得た技術でしか無く
音楽的才能とは別のものである。


小さい頃から
訓練を積めば
それなりの技術は身につく。

しかし、
ある時期を過ぎてしまうと
いくら訓練を積んでも
技術は身につかないという
一面は確かにある。

いや、身につかないというのは語弊であると信じる。
身につくのに時間が掛かりすぎてしまうために
途中であきらめることが多い
というのが実際のところだろう。

それを証明する統計はここにはないが。




さて、
長い前置きになってしまった。

音楽的技術とは
生まれて
育てられ
その中で
自然と
身についてくるものもある。

周りに流れている音楽や
親の歌う子守歌
テレビから流れる歌に会わせて歌う
歌・・・

そんな日常に存在する音から
意識的に「教育」する
ピアノのレッスンや
ヴァイオリンのレッスン。
音楽教室に通わせ
音感の訓練を小さいときからする
など

そこまで行かなくとも
音楽の授業では
歌を歌い
音譜を読み
技術や理論を
習得しようとする。


最近気づいたことなのだが
小学生の頃
歌を歌うのが大の苦手だったのは
こんな環境のせいであるという事。

クラスにたいてい一人か二人くらいいる
音痴

いや、この「音痴」ということばを使うのは
問題があるかも知れない。
音痴というのは
音程を把握できない真性の音痴と
音は分かるがその同じ音を「声」で
出す技術がない音痴とあるそうな。
私は後者の方である。
いや、それにもまして
耳で培われた・・・!?
悪い音程が入ってしまっているので・・・!!???


そんな私が
音楽コースのある
高校へ何も知らないまま
音楽を愛するが為だけに
入ってしまったのだから
一大事件である。

しかし、
その
音楽を愛する心は
どこでも習得できないものなのだ。

だが、
世の中はそんな「才能」を
認めてくれる余地はまったくない。


私はすばらしい作品や
演奏を聴き
私も同じような曲を作り
私が受けた感動を
そのまま自分が
世の中に与えることだけを
考え
100年後を夢見て
音楽家としての
勉強の第一歩を
神奈川県立弥栄東高校音楽コースで
踏み出すはずだった。


そこでまず直面するのは
何も出来ない自分であった。

入学して間もない5月。
コーリューブンゲンの試験があった。
Cor ??bungen
合唱のための練習という意味のこれは
歌を歌うのの音程を採るための練習曲
といったようなものである。

学校の音楽の授業で
メロディー聴いて歌うことはやっても
楽譜を見てそれでいきなり歌った事なんて無い。

しかしここにいる人は
みんな当然のごとく
そんなの出来て当たり前なのである。

楽譜見てメロディーが頭に思い浮かぶのが前提で
採りにくい音程などを正確に
筋肉が反応し
そこに行くための訓練である。

出来て当たり前の世界で
そんなの出来ないとは言えない。
必死に食らいついていくしかなかった。

そして
私にとって
入学ひと月ちょっとで
死刑宣告にも等しいことばが
下されるのである。

コーリューブンゲンの試験の時
ソーラシドーシドレーミレドー
あの曲は一生忘れられない。
暗譜は一応した。

そして個室に入り
先生が最初の「ソ」をピアノで弾く。
しかし、その
「ソ」の音程を出せない・・・わからない。
先生が声を出して歌ってくれたおかげでやっとわかって
歌い出すことが出来た。
そして何とか最後まで歌い終わった。

そしてしばらくの沈黙の後
「こんなのも歌え無くって音楽コースに何しに来た
まして作曲やりたいなんてとんでもない」


全くその通りなのだから仕方がない。
何も返す言葉はなかった。
私はそのあと
一週間くらい学校を休みました。
その間、たぶん
学校を辞めることも
音楽を辞めることも
考えていたと思います。

あの時のことは
決して忘れることはないだろう。

高校へ・・・その2

ふろはいる
久々だなぁ・・・。

昨日、カルロス・クライバーの
演奏を聴いて当時の記憶がよみがえってきた。

中2最後の春休み
三善晃の響紋を聴いた。

そして中3の5月に来日した
カルロス・クライバーの演奏は
FMでもおそらく聴いており
テレビの放映は8月となっている。


いずれも'86年の演奏。
この短い数ヶ月の間に
私の人生を変えた
演奏と曲に出会うなんて。

この頃はまだ
音楽の道へ進むとは
思っていなかった。

ただその夏に
一人旅した時に
たまたまは行ったヤマハで
和声の本やらなんやら買って
いくつか持って行ったスコアと
合わせ道中勉強したりしてた
事を見るとどこかに
「作曲」というものが
芽生えていたのかも知れない。




私はそもそも
学区外でオーケストラ部があり
そこそこ音楽系大学にも進学している
H高校か、学区内トップのK高校を
目指していた。

塾の模試で
希望校を書いて
合格率が出るようなのがあったので
そこに桐朋やら国立音大やら書いて
どんなもんか見て遊んでいたが。
でも知っていた
そこには絶対入れないことを。
そもそも私は
音楽が好きと言うだけで
リコーダー以外の楽器をやった事がない。
そしてソルフェージュや聴音も全く知らない。

試験には当然実技とソルフェージュ・聴音がある。

いくら成績がよくったって入れないのだ。


そんなこんなしている時
音楽の先生が
そんなに好きなら
こういう学校があると
弥栄東高校の学校案内を持ってきてくれた。
音楽コースがあり
そこは普通科で
試験は普通の試験のみ。

そして、2〜3年には
音楽系の授業が10時間くらいあり
実技の授業はないものの
音楽大学へ行くための
ソルフェージュ・聴音や
楽典その他まで教えてもらえるのだ。

私はすぐに飛びつき
この学校への進学を決めた。
成績的には他の2校よりも
全然楽であった。

そして、
その学校へ行くのなら
ピアノくらい弾けた方がいいとの
先生からの助言で習い始めることにした。

中3の10月終わり頃。
みんなが受験勉強に必死になり
みんなが習い事を辞める頃
私はピアノを習い始める。

近くのカワイ音楽教室。

それにしても
家でピアノを弾くのがいやだった。

中3のいろんなものが恥ずかしい時期に
子供向けのでっかい五線紙に書かれた
曲を練習しないといけないのだ。

ドソミソドソミソって・・・
何で子供向け教材はみんなああなんだろう。

今でこそ大人のための
音楽教室があったりするので
そんなことはないだろうが・・・。
その頃は大人でも子供向けの
かわいい絵の書いている教材を使うしかなかった。

私は自衛策を採った!?
オーボエの名曲
チマローザのオーボエソナタ。
その原曲となった曲が
32のソナタ。
その楽譜を見つけた。
4,600円@@;
中学生にはめちゃくちゃ高い金額。
なけなしの小遣いをはたいて買った。
そして、必死に練習する。
当時超絶技巧に思えたが
今見てみると
なんと簡単なことか。
この曲を独り何時間も
さらったのが
中学から高校にかけての
ピアノを初めてすぐの思い出。


受験までに
学校見に行ってらっしゃいと
音楽の先生に言われていた。
私は冬休みの1月
買ってもらったばかりの自転車をこいで
20数キロ離れた高校へ・・・
見に行った
外から・・・
思えば見に行く意味が違う。。。
めちゃくちゃ遠かった。


そして受験。
音楽コースの受験者は47人
たしか。
志願者は同じ教室で試験なので
どんな人がいるか分かる。

男二人
残りみんな女子。。。

そして全員合格した。

合格祝いに買ってもらったのは
オーボエ。
念願の。
これでリコーダーで
スコア見ながらオーボエパートを
吹くこともなくなる!?


そして
ピアノを初めて数ヶ月。
オーボエも買ったばっかで独学。

いよいよ本格的に音楽が勉強できると
夢と希望に満ちあふれ意気揚々と
高校入学した私の希望は
カルチャーショックとなって
すべて打ち砕かれる。。。

高校へ・・・

今日中にどうしても
ここまで書いておかなくては
いけない!?

初めて行ったオーケストラの
コンサートは

日本フィルの
横浜定期演奏会。
中学一年生の
3月30日

神奈川県民ホールでの
イヴァン・フィッシャー指揮

コダーイ「ガランタ舞曲」
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」
(ピアノ中村紘子)
ベートーヴェン「交響曲第六番田園」

初めて聴くオーケストラの音は
何とも不思議な感覚だった。

特にコントラバスが
なんと重厚に柔らかく
深く響いていたか


そしてこの頃から
レコードでの名演奏も良いが
生の名演奏を聴きたいと思うようになる。

同時に買い始めたのが「音楽の友」
毎月18日発売。
発売の初日に書店へ行った。

そこには数々の名演奏家の話や
来日公演の情報が溢れていた


そして書店で見つけた
「音楽」
という
武満徹と
小澤征爾の対談


私がこの頃
来日演奏家のコンサートの
チケットを買おうとしたのは
ふたつ
小澤征爾=ボストン交響楽団

カルロス・クライバー=バイエルン放送交響楽団

小澤征爾は電話はつながった
しかし残っているのはS席とA席
多分一万数千円だったと思う。
なけなしの小遣いで買う
チケットにしては高すぎた。

そして
カルロス・クライバーは
電話さえつながらなかった。


私は中学二年生の
九月から
N響の定期演奏会に通うようになる。

Cプログラム
一番最初は
マレク・ヤノフスキ指揮で
タンホイザー序曲に始まり
チャイコフスキーの悲愴



1986年は私にとって
人生の転機である

中学二年から三年になる年。

野球部だった私は
部活のために
午後2時頃から4時頃までやる
FM放送を聴くことができない
のを苦に・・・!?
野球部を辞めた。。。

レコードをそうめったに買えない
中学生には
FM放送こそ
命綱!??であった。


N響の定期の二日目に通っていた私は
必ず前日のFM放送で予習する

いやもっと前から
演奏する曲のレコードを探し
買えるものは買って
何度も頭の中に焼き付けていた。

そして半年経った
三月に聴く初めての現代音楽。

前の日にFMで聴いた
カセットに録音まで録った

しかし、
何度聴いても
把握できなかった

一カ所だけ
「把握」できた場所はあったが

しかし、本番を聴いて
すべてが変わった



そして
五月に来日した
カルロス・クライバー


中学三年になった私は
そろそろ進路を決める時期に
さしかかっていた。

そこそこ勉強の好きだった私は
すんでいる学区のトップのK高校か
学区外のかなり難関校(だけど二番手!?)の
オーケストラ部のあるH高校か
悩んでいた。。。

当時塾に通っていた私は
テストの時に希望校を書き込んで
合格の確率などが出たりする。

私は芸大付属やら桐朋やら国立音大付属やら
書いてどんなもんか試していた。

ただ私は知っていた

成績が良くても
そういうところには入れないことを。



私の心は毎年芸大にも進学する人の多い
・・・という噂の
H高校に気持ちが傾いていた。

オーケストラ部に入って
オーボエを始めたい・吹きたい。


そして、もしかしたら音楽家に・・・


何となくそんなものを描いていた。





それが、ある日突然

すべてが
変わった



中学の音楽の先生が
ある学校案内を持ってきた

それはもう進路指導も終わって
希望校も固まっているような・・・

中三の秋・・・
だったような気もする


そんなに
音楽が
好きだったら
こういう学校があるよ

・・・

その先生は
学校説明会にまで行って
そのパンフレットを貰って
きてくれたようなのだ。


そう!
それこそが
・・・


。。。


???

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