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幼少期

そもそも私は
音楽が苦手であった。
嫌いなのではなく苦手。

歌・ピアニカ・ハーモニカ・・・

ひとり出来なくておいて行かれている
つらい思い出。
思い出すだけであの惨めなさまがよみがえってくる。

さらには人前で何かをするのが
大の苦手であった。

幼稚園の学芸会か何かで
体育館の舞台の一番前で
歌いながら遊技をしている
あの時の辛さは
今思い出しても背筋が寒くなる。


そんな当時の私を知っている人が
今、多くの人の前に出ている事を
知ったら、きっと何かの間違いだと
思う事であろう。


それにしても
ハーモニカは笙から出来た楽器であるし
吹くだけでなく吸って音も出すし
ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)も
発音原理は同じだし・・・
歌は雅楽で良く歌うし
しかも・・・声楽専攻したし・・・

思えば一番苦手とした事を
今やっているんだなぁと。





では、幼稚園から小学生までの
思い出を振り返ってみよう

ーーーーーーー

年少の頃。
「小さい秋見つけた」
を必死に覚えていた。
「・・・くもりのがらす・・・」
「・・・かざみどり・・・」
が妙に印象に残っている。
幼稚園の横に長いような部屋で先生が前に立ち
みんな整列して何度も練習していた光景が焼き付いている。
私は覚えられないでいるのに
みんな覚えていて
取り残されていたような気がする。
でも、この曲、大好きな曲で
聞くと目頭が熱くなります。




年長の頃。
園庭でピアニカを吹いている。
さっぱり理解できずにいた。
このころから自分にはぜったい
鍵盤楽器はできないと植え付けられたような気がする。
何がなんだか解らずに終わった。
吹きながら鍵盤押すなんて・・・
ピアノも右手と左手で
違う事をやるなんてのが信じられなかった。。。
鉄琴を縦にいたヤツ、、がキンキンなっているのと
女の子が首から紐みたいなのをさげた衣装を良く覚えている。


たぶん小学校の2年生の時。
試験か何かだったのだろうか?
教室か音楽室の廊下でハーモニカを
最後まで吹けずに並んでいた。
あれは一階か何かくらい廊下。
左側に教室がありその奥に階段、
右側の部屋へ入る順番を待っていたような気がする。
楽譜を見て何か吹かなければいけなかったような気がするが
楽譜自体理解できないしそれとハーモニカもつながらないのだ・・・。
たぶん一番ビリか後ろから何番目か。。

こんな楽器やだと思った。
ドは吹いてレは吸うなんて・・・
気が狂いそうであった・・・。。。


小学生の頃
風邪をひいたときなど母が子守歌を歌ってくれた。
「眠れよい子よ〜♪」
ずっと「眠れよ、いー子よ」だと思っていた。
モーツアルトの子守歌。8分の6拍子。3拍子に聞こえていた。
その打つ手と歌のアンバランスとその後の変拍子感・・・。


小学4年生の頃。
何かの歌を前からひとりずつワンフレーズずつ歌っていった。
私は前から4番目くらい。
私が歌い出した瞬間みんながドッと笑い出した。


この音感はきっと
子守歌で培われたに違いない・・・


それと同じ頃
リコーダーを始めた頃
自分でいろんな曲を吹くようになっていた。
教科書に載っている楽譜は
片っ端から吹いた。
それが面白くてたまらなかった。
たぶん最初に覚えたのは「茶摘み」
何百回も繰り返して吹いた。


その頃音楽の成績には「笛はクラス一番」と書いてあった。
でも成績はB(ABCの三段階評価)


ピアノに合わせて
スネアドラムを即興で叩く授業があった。
私が叩くとまた皆がドッと笑い出した・・・。



大体、私は不器用なのだ。
いや不器用というより
何かが出来るまで他の人より
時間がかかってしまうのだ。
出来るようになれば
どんどん出来るのだが
そうなる前において行かれてしまう。

小学校4年の頃
最後まで逆上がりが出来ずに
昼休みまで残された。
コツをつかんだら簡単に出来るようになった。



そんな風にリコーダーが好きになった私は
今度は家にあった3枚のレコードに興味を持ち始める。



出会い

いや!
出会えなかった

とにかく

必死になって
探し求めた

どこに行けば
会えるのか

恋い焦がれていた


何とかして
少しでも近付きたい


そんな時に目に飛び込んできたのが
季刊「邦楽」という雑誌(たしか)に
載っていた武蔵野楽器の広告。。。


藁にもすがる思いであった。




そもそも私が「日本」に目覚めたのは
中学生の頃であろうか?

何故かお城やらお寺やら五重塔やら・・・
美術の時間にはそんな絵やら彫刻ばかり。
日本の古くからの建築物に興味を持っていた。

音楽を始めたときに
興味を持ち聴きたいと思ったのは
「日本」である雅楽であった。

音楽であれ歴史的建築物であれ
似たような時代のものに興味を持つのは
不思議だ


20年ほど前、売っているCDといえば
「越殿楽三調」という宮内庁の演奏する
ものくらいであった。


そして、雅楽に対する資料や解説書なども
極めて少なかった。
学校の図書館やらヤマハへ通い雅楽について
調べようにも
東洋音楽選書なる極めて専門的な論文のような
本に雅楽があるのがせいぜいでそれも入手困難。
やっとの事で手に入れたり・・・
また「音楽事典」に雅楽のことや
笙のことがごく僅か触れられていたり
楽譜が載っていたりするところから
想像したり・・・。


とにかく私は日本人として
演奏したり作曲するものとして
雅楽を聴きたかった
知りたかった
演奏してみたかった。


私はCD「越殿楽三調」や
雅楽の数少ない解説本を頼りに
どんな音楽かを想像することしかできなかった。


そのCDも何度聴いたことか?
納蘇利がかなり印象的だった。
大太鼓使っていて・・・。


今日武蔵野楽器に行って
改めてこのことを思い出した


そこにこのCDも置いてあった。
当時は3千円以上したと思ったが
いまは2300円


武蔵野楽器の広告を見た
当時大学三年生だった私は
人見知りで電話を掛けるのが大の苦手
だった事など全く嘘のように
電話番号をメモして公衆電話へと走った。


笙という楽器を売っているのか?
いくら位するのか?
独学で勉強できるものなのか?
教則本みたいなものはあるのか?


それから親を拝み倒して
楽器を買ってもらい
独習用ビデオという
1万数千もするビデオも同時に買い
練習を始めるまでにさして時間はかからなかった。


そして風の便りに
小野雅楽会で習える事を知り
音楽年鑑だかなんかにたまたま
載っていた小野雅楽会の連絡先を
発見し、電話を掛け
わざわざ(学生にとっての)大金の
交通費を払って行っても対応してもらえず・・・
やっと入会できたのが大学4年の5月か6月。

内気で社交性のない私がとった行動として
今思えば信じられないほどの行動力であった。


今の時代、インターネットですぐに調べる事ができる。
なんと便利な事か?

そして、以前は鹿浜橋の先にあって
工場の二階で店舗とはとうてい言えないような
町工場の一室のような武蔵野楽器も
今や王子駅近くに立派に店を構える。


店は立派になって大きくなっても
当時の精神は変わっていないようである。

二十歳そこそこの社交性のない私が
初めて掛けた訳のわからない電話にも
親切に答えて教えてくれた。
西洋音楽では教本は当たり前のようにあるが
教本がないという事を聞いて
どうしたらいいか分からない私に
独習用ビデオがあり1万円位するけど
楽器1割引にするのでその分で買えますとか・・・。

始めてからも
調律の仕方教えても良いですよ〜とか・・・。
(そんなん教えたら商売になんないんじゃないか?
とか思いましたが・・・。)


そんな事が
いろいろ思い出される一日でした。


その後もお世話になりっぱなしですが。。。


もし武蔵野楽器がなかったら
私は雅楽を始める事が出来なかった
と思うと、、、

私にできる数少ない事は
一生懸命上手くなる事と
雅楽のために何かする事くらいでしょうか

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