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雅楽

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笙の教本

笙の教則本というのを作ってみました。
まだ試作段階で上下巻の上の部分だけですが。

イメージ 6


普段、笙を教えたり、教わったりしているけど

元来は雅楽は口伝で
楽譜を用いず
最初は唱歌という楽器を演奏するための歌を
何年も習い
そしてそれが出来るようになったら
初めて楽器をえんそうし・・・

そういう代々受け継がれてきたことは
いまでもとても大切なことだと思うのです。

ただし
いつでも教えてくれる先生が側にいる場合は。


そうでない場合は

貴重なお稽古の時間を
指の順番とか
どの指がどうとか
そういう自分で覚えられることは
自分で予習してきて
もっと大事な部分を
先生から習う時間に
充てれればいいのに

月に1回とか
年に1回とか

そういうお稽古を
紙に書いてあれば理解できる事に
時間を割くのはもったいないのではないか

と常々思っていた。

しかし、雅楽には
西洋楽器にあるような
教本やメソードがない。

しかし、
普段教えていることを
言葉に書き表し
効率よくまた解りやすくまとめると
いうのはとても難しい作業である。

雅楽には西洋音楽のような
練習曲、音階を練習したり
音型を練習したり、ある音域の練習をしたり
そういうものはなく
ただ、曲を練習するだけである。

それを破ることもなく
いろいろな曲を演奏していきながら
全ての合竹、手移(てうつり;和音の連結)を
網羅できるように曲目を構成した。

イメージ 1イメージ 2


























































































笙は
十七本の竹管があり、
(そのうち二本は使われない)
六本の指を使って
十一種類の和音(合竹ーあいたけ)
を演奏します。

そんなに沢山の竹を押さえて
と考えるのですが覚え方によっては
それほど難しいものでもないのです。

それを効率よくどう覚えていくか
図などを駆使しつつ解説しています。   


イメージ 3



























実際演奏する時には
六本の指で押さえていますが
そのうち二本はいつも同じ場所で
残りの左右二本ずつの指のいずれかが移動する事により
和音を連結しています。
これらの指の動きも解りやすい表を考案しました。

イメージ 4





























複雑なところは
合竹の図と
手移の表を組み合わせて

イメージ 5




























この上巻を練習すると
平調の代表的な曲
「越殿楽」「五常楽急」「鶏徳」「皇じょう急」「陪臚」「三臺塩急」
の演奏方法が分かるようになります。


全58ページ

なかなかの大作なんだけど

いくらで売ろうかなぁ

2,500円位が妥当なところかと思うけど。
印刷コストがけっこう高いのです。

皆さん買ってくれるようでしたら
たくさん印刷してコスト削減になるのですが

観察眼

個人でもグループでも
教えていてしょっちゅう言わなければいけない言葉は
「こっちみて」
なんです。

せっかく手で見本を見せたり
吹いて見せたりしても
自分のことと楽譜を見ることに
一所懸命になっていて
何も見ていない人がとても多い。

その度に
「楽譜とか楽器見ないで良いから
こっちを見て下さい」
って言うんです。

言ったときは見るけど
またすぐ見ない

だからまた言う

「お願いだから僕のことだけを見ていて」

もう何度いろんな場所で
いろんな人にこの台詞を言ったことか。



そもそも
音楽に限らず
先生というのは
生徒に何も教えられないもの
だと思っている。

生徒がどれだけ吸収して
自分のものにして
能力を拡げていくか

しかし、なかなかそうでなくて
手取り足取りという事が多い。
そういう人は
せっかく今示したのに
と思っても
それを言葉に翻訳して
言葉で理解して
そこから演奏をはじめる


私も多くの素晴らしい師に出会い
多くのことを学んできたと思う
その時は師がどんな言葉を発したか
などはどうでも良いことであって
どのようなニュアンスなのか
自分とどう違うのか
何を意図しているのか
必死に観察して読み取ろうとする。
その観察は師とまったく同じになるためのものではなくて
自分と師の間の違いを観察しているのだと思う。
何が自分と違くて、師のどこが良いのか
それは師からも指摘してもらえるが
それだけではあまりにも情報量が少なすぎる。
自分で気づかない限りあまり上達しないと思う。

この師との違いを観察するという行為は
自分の理想とするものと
現在の自分のギャップを埋めるもの
だと思っている。

しかし
この観察しない生徒達は
おそらく
自分の現在に何かを足していっているだけで
目的地がないのかなぁとも思う。
いくら理想的な指の動きを示しても
舞って見せても
自分のことしか見ていないから。


どんな良い先生に習うとか
良い指導を受けたとか
そんな事よりも
良い音楽を聴いて
こういう風に演奏したい
と思ったら
その人がどういう風にしているのか
必死に観察して
ああいう風になりたいなと
思うんだろうな。

始めた頃は
先生の指を凝視してたし
舞の練習の時でも
必死に観察して
自分ができるようになるには
時間が掛かるが
違いに気づくことは
そんなに難しい事ではない

気づいたって事は
できるようになるんだ
と思って
精進しよう



ちなみに
私は教えているときに
何も喋らずに音が鳴っているときにいろんな指示を出してそれですませたい。
時々ことばで補足することもあるけれど。
でもそれが出来ないときには
言葉で言うしかないんだよな。
一から十まで説明しだしたら
もうそれは親切ではないですから。



前田くんのこと

忘れないうちに書いておこう。

その時は
ただ淡々と
受け入れていたのだけれど

なんだか
みんなの前で
言葉に出した瞬間
いろんな事を思い出して
しまった。

前田治貴
彼が私の前に現れたのは
おそらく
1996年ころだろうか?

彼は私より6歳下だったと思う。

と言うことは
私がふたつ目の大学である
芸大3年の頃
彼は国学院大学に入学し
小野雅楽会へ通い始めたことになる。

ヤツは
笛を習っていた
そして
左舞も習っていた。

1997年10月
彼は寒川神社で
行われた
舞楽の演奏会で
萬歳楽を舞った。

私はそこで
還城楽を舞った。

雅楽を初めて
一年そこそこでの
抜擢でもあった。


ヤツは
くそ真面目の
ばかまじめで
私が間違ったことを言っても
絶対に逆らわなかった。
でも、私が間違った時に
顔を真っ赤にして
それは違うと
訴えていた
あの顔は忘れられない。

こんな
ばかみたいな
融通の利かない
くそ真面目なヤツが
音楽なんかやったって
決められたことをやるだけで
言われたことやってるだけじゃないかと
ただの兵隊のようにしか
最初は思っていなかったかも知れない。

いや、
でもそんな事はない

雅楽の世界に入って
カルチャーショックだった私にとって
小野雅楽会の中で
彼のような存在は大きかった。
「一緒に頑張ろう」
って言ったのは覚えている。
でも
彼が本気でやったら
私なんかかなわないな
って
本気で思った
最初の音楽家かも知れない。

雅楽を初めて
1年や2年で
何にもできないし
下手な笛吹いていたんだけど

でも

そう思った。


だから
彼に私の演奏会に
出演してもらった

ろくに吹けないのに
神楽笛持ってないのに

「其駒」
彼は吹いた

先生から笛
借りてきた

胡飲酒の序とか

彼は
ちゃんと吹いた

ちゃんとした
演奏会


1999年10月16日

私の地元で開催した
能舞台と
その回りの庭園で
開催した演奏会

手前が前田くん
イメージ 1イメージ 2
大学4年の時だったのですね。

この頃から
私は
彼に対する
不穏な噂を聞いていた

国学院大学にある
神道系のサークルを
辞め
いろいろな人から
非難を浴びている

さらに自分で
雅楽のサークルを作った。


私はある先達に
「彼はすごいですよね?」
と言った時に
その人は
「でも彼はそのサークル辞めたからね、
(うちの会長もそこにいたし)
(神社関係ではそんな事したら終わりだね)」
と言っていた。

さらに大学内では
もといたサークルから
目の敵にされているという
噂も聞いた
「あんなヤツと関わるな」
あんなにまじめで
人に逆らうなんて
考えられないヤツが

でも、
それに対して
何か愚痴をこぼしたり
文句を言ったり
そんなものを聞いたことがない。

でも
ちょっと照れくさそうに
「雅楽のサークルつっくったんです」
って
それ以上は
教えてくれなかった。
何があったか聞いても。

彼が何も言わなくても
彼の強い意志だけは
私にも理解できた。

私は仕事上
そのサークル関係とも
良く関わることもあり
そんな噂も知っていたが
どちらの見方にもならず
敵にもならず

彼にも時々演奏の仕事を
頼み一緒に旅に出たりもした。

ある地方での仕事の時
彼は般若心経を全部覚えていると言い
一緒にいた僧侶の篳篥奏者を
驚かせたりしていた。

おそらく1999年
彼が大学4年の頃
良く一緒に仕事をしたのではないだろうか?

ヤツは
雅楽を続けるために
小野雅楽会で雅楽を続けるために
都内での就職先の神社を探していた。

彼が入ろうとして試験を受けた神社には
小野雅楽会の同僚も先輩も関係しており
紹介してもらえれば、
とも普通には思うのだが
くそ真面目な彼は
誰にも何も言わず
試験を受け落ちた

幸いにも決まった
就職先は
京都だった。

彼は東京の生まれで
家族も東京に居るので
じきに戻ってくることを祈った


早く帰って来なよと
当時は年賀状と
演奏会の案内くらいで
細々と連絡を取り合っていたのだが

数年経った頃
国学院大学の青葉雅楽会の
会長という方から
教えに来てほしいという依頼があった。

あっ
彼が作ったサークルだ!
でも、彼から依頼されたわけではなく
たまたま私を知ってお願いしたいと思った
当時の会長から連絡をもらった。

サークルを作ったと言っても
最初は2〜3人
私が教えに行った当時も
10人もいなく
笙は2〜3人

一方、前田くんが辞めたサークルは
歴史も長くOBからの支援も得て
私も教えに行ったことがある。

そんな小さな会が
先生を呼んでも
学生が普通に月謝を払えるわけがない。
でも、前田くんが作った会だから
僕は何とかしたい、
と思い
引き受けた。

当初は
行っても笙は1人か2人
土曜の忙しい他に仕事があるのに

2001年頃にはすでに青葉雅楽会に教えに行っているらしい。

笙しか先生がいないから
わかりもしない
篳篥や笛にも
アドヴァイスしたりして

あの頃は
結構きつかったな

そんなすぐ上手くなる人も
いないし
人数も少ないし

でも、良い勉強だった

そんなこんなしているうちに
演奏会で京都に行く機会ができた。

彼は伏見稲荷に奉職していたので
彼に会いに行くことにした。

打楽器とかを持っていったので
ちょっと彼にも手伝ってもらおうと
(言う理由をつけて)
でも
彼は二日も休暇を取ってくれた。

2003年6月14日


イメージ 3イメージ 4イメージ 5

なんでこいつ
みんな目つぶってんだろう?

この時も
くそ真面目は
変わっておらず
笑わすのに苦労した。

どんなこと話したのか
よく覚えていないけど


この数年後くらいからか
各管3〜4人
全体で10人ほどだった
青葉雅楽会は
当然変異を果たした

あれはいつ頃だろう?

全部で30人以上になったのだ
今では5〜60人はいるのだろうか
笙だけでも10人位いる

あのつらく
しいたげられて
隅っこでやっていた
マイナーな会が
突如として
国学院大学の
一大サークルとなったのだ。

前田くんが辞めて
いじめられていた
サークルとも
肩を並べるどころか
それを越えるかも知れない

というか
雅楽なら青葉
と言われるような。
なんだか仕事も
いろいろやっているようだし


でもね
教えに行ってる
私からすると
(ってあんまり行ってないけど)
別にたいしたことないのよ

学校でちょっと
良い立場もらったからって
なんだよ
とも
思わなくはないけど。


教えに行って何年になるんだろう?
立派な会になって学園祭でも
演奏会をひらいて


一昨年から
学校行事として
観月祭をすると言う話を聞きました。
雅楽系のサークルや神道系で
雅楽をやっているサークル
神楽舞をやっているサークルなどなど
サークル関係なく。

その為に
舞を教えてほしいと
頼まれ
学校行事なのに
学校からはお金は出ずに
青葉雅楽会として
私を呼んで教わっていました。

その第1回も
私はよく知らないまま
終わったようです。

そして
去年の第2回は
私はドイツにいたため
全く関われなかったのですが
小野雅楽会が全面的に協力して
指導したようです。


そして
3回目が今年
10月20日
昨日行われました。

イメージ 6イメージ 7イメージ 8イメージ 9イメージ 10イメージ 11

何でここにこんなに沢山人がいるんだろう
ってくらいたくさんの人が
聞きに来てくれていました。

私は7月頃から
右舞の納蘇利を教え
笙を教え
合奏も見て
かなりの回数通いました

ふざけんな〜


何回キレかけたかわかりませんが
(というかキレていた)

本番をむかえました。


なんで裏方の指導とか
姿勢とか
専門外なんですけど

こんな事やってらんねぇ
と思いながら
結局最後まで
付き合いました。

何百回おんなじ事言わすんだよ
って
怒鳴っていたのに

こんなんで
本番できんかよ
って
思ってたけど

彼らは
ちゃんと
怒鳴る人がいなくっても
自分の道を見つけて
演奏していました

立派なものです


終わった後の
彼らの顔は
すがすがしいものでした


演奏後に大学が用意してくれた
懇親会では
何故か
私が
講評を述べる羽目になったので
ここで彼らの健闘を絶賛しても良かったのですが

私はどうしても前田治貴
の事を話したくなりました。

青葉雅楽会ができて
13年

どうにも小さかったサークルが
少しずつ努力を重ね大きくなり、
雅楽を一生懸命練習し、
そこから分裂した会も
いや
そんな事関係なく
国学院大学として
その他のサークルも一体となって
みんなで数ヶ月練習を重ね
学校がバックアップしてくれて
こんなにも多くの人が見てくれて


そうだ
来月
11月

京都行くんだ

前田くんに
久しぶりに会えるな

ヤツに報告しないと

青葉はこんなに立派になったし
青葉も他のサークルも関係なく
みんなで学校を挙げて雅楽の演奏会を
やったんだ

って


でも
彼は
2011年8月に
世を去っていました

そのことを
私はこの8月に知りました

何故か山に行って
道に迷って
滑落して


その時は
ショックではあったけど
その事実を受け止めただけで
とりわけ何の感情もありませんでした。


でも、
ただこの事実を
学校関係者や学生たちに
知らせないといけないという
思いだけでごく事務的に話していたはずが
何故か
みんなの前で
感極まってしまい
話し続けることができなくなってしまいました。
こんな醜態さらすなんて。

初めて
ヤツはしんじゃったんだって
実感した瞬間でした。

その時
初めて悲しくなりました

下手くそだけど
良い演奏会だったな

国学院大学は
皇學館とならんで
神道科のある大学です。

そこのお偉い先生方を前に
「みんな
神職になんかなら無くって良いから
雅楽の演奏家になろう」
って
ギャグを用意していたのに
それも言えぬまま
終わってしまいました。

しかも
美味しい料理と
お酒を前に
乾杯だけで
帰らないといけない
運命にありました。


今は
こんな
文章を書いている場合ではない

早く仕事をしよう


どっかの
別の
まーえだ が
毎日曲を書かないのは
作曲家じゃないと
吠え出すから

不覚

なんだか
今日は

不覚にも
公衆の面前で
恥ずかしい
事をしてしまった。

そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ

事実を
ただ話すだけのつもりだったのに

ちと
疲れてるかな?

合宿

8月1日〜3日まで
毎年恒例の
十二音会の合宿でした。

御嶽山で。

涼しかった。

食っちゃ寝
飲んじゃ寝

その合間に
練習。

今年は短い曲ばかり
だったのですが
それでも
結構な量吹きます。

何年か前は
30〜40分以上の曲を
立て続けに吹いていたので
くらくらしましたけど。

午前中3時間弱
午後3時間弱

かなりしっかり
息を入れて
ガンガンに吹くので
良いトレーニングです。

これだけまとめて
しっかり吹くことも
普通はないので。

ここでしっかり体力つけて。

新しい曲は
こういう体力は使わないので
ここでしっかり
基本の体力つけて
一年を乗り切ります?!

いつもここで
吹き方思い出すような気がするなぁ。
去年は参加しなかったけど。
身体全体から
呼吸をして
楽器がなるような感覚

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