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阪神〜近鉄乗り入れに関連した写真ばかり掲載します。 まずは、4月12日撮影の今里駅での作品です。 この駅は、見通しは良いものの、奈良方面から難波方面へ向かう列車は、どうしても正面撮りになってしまう欠点があるんですよね・・・ まずは 京都市営地下鉄乗り入れ用のシリーズ21車 3220系の奈良、京都観光特別塗装編成です。 左に移っているのは、アーバンライナーPlusの21000系 名古屋行きです。 大阪地区でも、タイミングによっては、京都市営地下鉄乗り入れ編成と阪神の車両が出会うことになるわけです。 この日は、遭遇を撮影できませんでしたが・・・ 次は、阪神乗り入れの1000系による快速急行三宮行きと、5820系LC車による区間準急大和西大寺行きです。 次は、ついに撮影できた! 近鉄の乗り入れ記念列車として運転された9729号編成です。 まさか、運転開始から1ヶ月近くが経った時点で、これが撮影できるとは・・・ 次に、4月13日に撮影した、伝法〜福間の淀川橋梁での写真です。 この撮影では、通常使用しているLUMIX FZ50ではなく、コンパクトカメラのCASIO EXILIM EZ-F75を使用しているため、画質の面で満足できるものではないのですが、ご容赦ください。 撮影しているのは、全て快速急行10両編成です。 まずは 阪神1000系のみによる10両編成です。 奈良寄りの4両は、かつて近鉄へ貸し出しされて長期の試運転が行われた編成です。 阪神9000系6両+阪神1000系4両の10両編成です。 こうしてみると、横方向のラインの9000系と、縦方向のブロックパターンの1000系の違いが際立ちます。 最後に、近鉄シリーズ21による10両編成です。 この写真では非常に判りにくいのですが、三宮側先頭は、上の写真の9729号で、ステッカーがそのままです。 以上、阪神〜近鉄乗り入れ関連写真でした。
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阪神なんば線関連
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阪神なんば線を追いかけてきたレポートページが10ページを越しましたので、新たに分割して書庫を設けました。
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海外からのお客様の来訪で、更新がままならない状態でした。 では、再開させていただきます。 少し時計を戻し、三度、桜川駅。 桜川駅の難波方面行ホームで、気になることがもうひとつ。 現在、阪神電鉄の各駅では、列車到着の際に「線路は続くよ、どこまでも〜♪」の音楽が流れる。 そして、出発の際には、鉄道ファンで有名なカシオペアの向谷実氏作曲による音楽が流れる。 しかし、桜川駅では、それに「雑音」が混じるのだ。 これは、難波方面行ホームの最後部付近では、最も顕著に聞こえる。 それは、阪神の発車メロディーに、近鉄特有のブザーの音が混じるのである。 ちょうど、発車メロディーの最後の2小節に、「プォー」という音がシンクロするのだ。 これは、ここから近鉄の乗務員が乗務することへの配慮と思われるのだが、完全に阪神の駅にも関わらず、ここまで配慮する必要があるのか? なんとなく、萎縮したような印象を受けるのは、私だけだろうか? さて、時計を難波駅に戻そう。 難波に着くと、日曜日とはいえ、ちょっとしたラッシュ並みの人出である。 昔から、ミナミに遊びに来た奈良府民が自宅へ帰るのに利用したり、奈良への行楽帰りの客が乗るので近鉄の快速急行は10両で運転されていることが多かったし、急行は、終日8両編成である。 そういった点でも、阪神と輸送量が違いすぎる。 今までの快速急行利用客にとっては、始発で着席できていたものが、甲子園や大阪ドームでの試合があるときは着席できなくなっているのは、いい迷惑かもしれない。 これを機に、急行の増発をするとか、快速急行を全て10両編成にする必要があるのではないか? 日中でも、今まで8両で走っていたスジが阪神乗り入れのために6両になっている例もあり、改善が必要と思われる。 そうなってくると、平日日中の6両編成快速急行が旧西大阪線部分で各駅に停車しているスジを、野球開催時だけでも快速急行化する必要が出てくるかもしれない。 実際、4月2日に乗った印象では、甲子園輸送などで超満員になっているのを見ると、それぐらいの措置が必要に思える。 甲子園での野球開催時には、西九条の尼崎側の渡り線を利用しての西九条折り返し普通列車(4両でいい)を運転することで旧西大阪線沿線の救済をするとともに、梅田からの尼崎止め急行を甲子園に延長して先発させることで、尼崎で切り離される4両の乗客を救済することができるので、十分に実現可能なはずである。 などと考えながら、難波駅の引き上げ線の様子や、ホームの使用状況を観察した。 見ていると、難波駅の引き上げ線は、主に東花園や高安から回送されてきた特急の折り返しに利用されており、その合間に普通が折り返しに使用しているようだ。 桜川側からのポイントをふさぐことがないようにするために、朝夕の特急は、9割方2番線からの発車だ。 しかし、日中は従来どおり1番線からの発着が多く、この運用の場合は難波駅の引き上げ線を主体として、一部は桜川駅の引き上げ線も活用しているようだ。 4月12日撮影 そのほかにも、回送される特急が、日中の2番線を利用する光景も見られる。 4月12日撮影 1番線を特急が使用している場合、阪神からの直通も含め、桜川寄りの渡り線を使用して、2番線に列車は入線する。 4月12日撮影 では、先に何枚か撮影した桜川駅の特急は、そのうちのどの運用なのか? これらは、難波終着の特急で、東花園や高安に整備回送する前の引き上げを行っているようだ。 名阪特急は、主に東花園に引き上げるようになっており、伊勢特急は高安に引き上げるようになっているようだ。 名阪乙特急の通称「おトイレ」回送(東花園での汚水タンク抜きのため) 高安へ向かう阪伊特急の回送(真ん中の12200系) いずれも4月12日 今里駅にて撮影 今まで難波駅の引き上げ線で整備できていたものが、この度の乗り入れで使用できなくなり、すべて、一旦東花園や高安に引き上げるようになったようだ。 また、上本町発着だった列車も、大部分が難波乗り入れに変更され、上本町は、かつてのように伊勢特急が1時間に1本だけに戻っている。 それらの確認や写真撮影をした後、難波駅改札内コンコースを見ると、行き先案内には・・・ 主要な行き先を案内するところに、「甲子園」の文字が。 今回の相互乗り入れにとって、甲子園輸送というのは、一つの重要なファクターであることが、これからも読み取れる。 それとともに、大阪ドームの輸送も、重要なものになっているのだ。 階段の降り口には、こんな張り紙が 今後は、甲子園の試合でも、こうした張り紙が出されるのであろう。 ドーム前駅まで移動するため、旧降車専用ホームであった3番線に降り立つ。 今まで待つ人のなかった駅に、こうして列車を待つ客がいることに、改めて阪神なんば線開業を実感する。 そして、このホームの阪神なんば線の時刻表は、近鉄スタイルである。 今や、近鉄だけになってしまった伝統的な関西スタイル(時刻が横軸に来る)の時刻表である。 難波駅で列車を待っていると、近鉄線で車両撮影をしてきたらしき人が、私に声を掛けてきた。 彼は、阪神への近鉄車乗り入れ試運転を開始した時に、御影駅などで一緒になり、色々と話した人物だ。 こうして会うのも奇遇だが、お互い、この乗り入れの凄さを認識しているもの同士といえるのであろう。 ドーム前までの車内で色々と情報交換をした後、ホームに降り立つ。 すでに、試合終了の対応するために、多数の駅員が配置されている。 この駅は、今回の開業区間でもっとも深い位置に存在する。 駅の上には、地下鉄長堀鶴見緑地線の導入空間があり、木津川などの河川の下を通る。 さらに、桜川の近鉄用引き上げ線をアンダーパスする関係もあり、地下40m近くまでもぐっている駅なのだ。 このため、地下構造は5層になっており、このうち、コンコースは3層部分に設けられている。 そして、4層部分は駅の吹き抜け空間になっており、この部分は非常に広々としている。 それとともに、この空間の有効活用として、大阪ドームの利用客が一時に集中した場合の対策として、この吹き抜け空間の前後に中間コンコースが設けられ、ここに一時的に客を滞留さして混雑を緩和する方式が取られるのだ。 今日(4月5日)は、プロ野球開幕三連戦の最終日で、時間的にもそろそろ・・・ 携帯電話のネット機能を利用して、試合経過を見ていると、阪神が9回の裏にあわや追いつこうかとの展開に。 しかし、7回まで大差で負けていたこともあり、一部の客は、早くも駅に居た。 思ったとおり、近鉄沿線の客が多数居る。 改めて思うのだが、私自身、かつては日本橋駅周辺に住んでいた。 その頃にこの路線が出来ていれば、甲子園へ観戦に行くにも、非常に便利だったのにと・・・ さらに言えば、近鉄バッファローズが身売りされる前であれば、球界再編騒動もなかったかも・・・いや、近鉄の超お荷物であるスペイン村が存在する限り、結局は一緒か・・・ などと考えているうちに、試合は阪神が惜敗。 阪神が勝てば、観客は六甲おろしの大合唱のあとに駅にやってくるので、動きは遅くなる。 しかし、敗戦となれば、試合終了と同時に一気に駅にやって来る。 甲子園と違い、大量輸送機関が阪神以外にも地下鉄とJRが用意されているので、甲子園ほどではないにしろ、それなりの乗客の流入が予想される。 九条駅や桜川駅よりも、ホームの幅が若干広いのは、そのためもあるのだろう。 そうこうするうちに、やはり、大量の客がやってきた。 これは、早いうちに退散するに越したことはない。 阪神車使用の10両編成快速急行は、尼崎で後ろ4両を切り離すとの放送のため、非常にアンバランスな乗り具合のままで発車していく。 早く、西宮まで10両で乗り入れるようにならないと、このアンバランスが続くことになる。 そして、我々は、次の区間準急(実際は各駅停車)で伝法駅へ移動。 ここで、淀川橋梁を渡る列車の写真を数枚撮影する。 時間的にも、そろそろ撮影は限界である。 三宮方面へ帰る難波で出合った同好の氏とともに、次に普通に乗ろうとすると・・・ 超満員!! 私は福で下りるからよいが、彼は、このラッシュの中、尼崎で乗り換え、三宮へ向かうことになる・・・ 終わり
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再び地下に戻り、桜川駅のホームに降り立つ。 階段を下りていくと、ちょうど12600系が折り返していくところだった。 吹き抜け構造の駅は、こうした角度も楽しめる。 さて、ここでもう一つ、どうしても謎を解きたい、確認したいことがあった。 それは、快速急行の種別方向幕の問題である。 阪神、近鉄双方とも、快速急行という種別は、相互乗り入れ以前から存在していた。 しかし、その種別の位置づけは、阪神と近鉄とでは異なっていた。 近鉄では、特急はすべて有料であり、一般列車の最上位に位置するのが快速急行である。 そのため、時刻表などで最上位の列車に与えられる色である「赤」は、近鉄では快速急行の色なのである。 4/12 今里にて撮影 しかし、阪神にとっての一般車最上位列車は、特急(直通特急も含む)なのだ。 阪神では、営業距離が短いこともあり、特急を名乗っていても有料ではない。 このため最上位の色である「赤」は特急に与えられている。 阪神にとって快速急行は、特急を補完して急行よりも上位の列車であるとの考えであり、独自の色として「青(水色)」が与えられていた。 桜川駅にて撮影 このため、それぞれの路線で、列車の位置づけによる違いが、時刻表や案内、種別方向幕での扱いが異なってくるのである。 そこで、直通する快速急行では、阪神と近鉄で、種別方向幕の色を、桜川〜大阪難波間で切り替えているようなのだ。 では、その切り替えタイミングは? 桜川、大阪難波両駅で確認してみたのだが、駅に入ってくる時点では、すでに切り替えられていた。 同じ列車を桜川と大阪難波にて撮影 上は桜川駅・・・種別幕は青色 下は大阪難波駅・・・種別幕は赤色 そうなると、桜川〜大阪難波間の走行中に切り替えていることになる。 トンネル内での切り替えになるのだが、それをどのあたりで実施しているのか、確認することができるだろうか? それを確認すべく、桜川駅の大阪難波駅寄りで、トンネル内に望遠レンズを構えて、快速急行を待った。 やって来たのは阪神9000系。 阪神の乗り入れ車両は、方向幕がすべてカラーLED採用になっている。 すなわち、スイッチ一つで切り替えられるのだ。 切り替えの瞬間を撮影することは不可能だろうが、切り替えた直後や、切り替えポイントは確認、撮影はできるはずである。 トンネル内の暗い空間に向けたカメラは、手持ちではぶれてしまう。 望遠を使用しているだけに、より深刻である。 それでも、切り替えの瞬間の色の違いだけはわかってもらえる写真にしたい・・・ しかし、なかなか変わらない・・・あ!変わった! 桜川では、扉扱いをする方向が指令器と反対側になる。 このため、操作にタイムラグが生じる。 出発後、その動作をトンネル内で追いかけてみた。 ホームから離れた瞬間、車掌は窓を閉め、マイクで車内放送を入れているようだ。 そして、指令器のある方向へ歩みだし、スイッチを操作すると・・・ そのタイミングが、切り替えポイントらしい。 切り替えられたポイントは、目測ではあるが、桜川出発から、400mぐらいの地点である。 これは、図らずも、かつて近鉄が阪神の免許を借り受けて引き上げ線を設けていた地点付近に相当する。 次に難波駅に移動して、尼崎方向へ出発する快速急行の確認を行った。 やってきた車両は、近鉄の1020系である。 ある意味、今回の確認には好都合車両である。 阪神車の場合は、すべてカラーLEDである。 近鉄の場合でも、シリーズ21の場合、行先表示器はLEDになっており、種別方向幕の切り替えのみで、コマ数からも推察できるものがあって面白みに欠ける。 しかし、昭和末期以降の車両では、種別と行き先が同一の幕に書かれているタイプで、ロール式の行燈型である。 これなら、切り替えのコマも確認できて、好都合といえるだろう。 早速、難波駅のもっとも桜川寄りの場所でカメラを構えた。 そして、出発した列車は・・・ホームと出た瞬間、幕を切り替えていた! これは、車掌が扉扱いを行う方向に、列車方向幕指令器があるからだと思われ、非常に素早い操作だった。 さらに、コマをみてみると、赤い方向幕と青い方向幕は、常に隣接する位置に設定されており、切り替えが早い。 これは、今後、三宮や奈良で、方向幕の切り替えが見られれば、面白いものが見られるかもしれない。 特に、平日の朝などは、従来からの難波止め以外にも、尼崎止めも運転されているようなので、いつかは、平日朝ラッシュ時に、奈良駅で確かめてみたいものである。 (今回は、ブレた写真ばかりですいません・・・) 続く
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桜川駅の周辺を見てみるために、ここで一旦、地上に出てみる。 桜川駅の出口には、難波寄りと汐見橋寄りの二つがある。 難波寄りは、地下鉄千日前線の桜川駅構内を利用している。 千日前線の桜川駅は、幸町1丁目交差点付近から桜川交差点付近の、なにわ筋とあみだ池筋の間に展開されている。 したがって、今回の駅開業で用意された汐見橋側の出口が、阪神独自の出口である。 場所は、まさに汐見橋交差点で、これから推定される駅の位置関係は、あみだ池筋の桜川交差点から、新なにわ筋の汐見橋交差点を過ぎ、さらに西の大正橋方向へ100m弱延びていることになる。 地下鉄と阪神の駅の位置関係は、ちょうど路面電車の停留所のような関係であるといえば、わかってもらいやすいだろうか? 自動改札通路が3つだけで、嘱託の老駅員が居るだけの改札を抜ける。 そして、正面のエスカレーターを上っていくと、そこは、南海汐見橋線の駅の横だった。 そこから180度方向を変えて、汐見橋交差点へ戻ると、近代的な阪神桜川駅の出入口に対し、時代に取り残された、コンクリートの四角い飾り気のない小さな駅舎がそこに・・・ この駅舎が、南海高野線汐見橋支線の起点、汐見橋駅である。 駅舎内全景 今はローカル線の駅なのだが、戸籍上は、紛れもなく高野線の起点である。 かつては、高野鉄道の道頓堀駅として開業し、拠点駅として栄えて来たのだが、多くの列車が岸里から短絡線を経由して難波へ乗り入れを開始すると、衰えはじめた。 その後も貨物輸送の拠点として広いヤードを持つ駅として機能してきたのだが、大阪側の貨物取扱いが終わり、高野線の旅客輸送も、高野山方面の直通がなくなり、堺東乗り入れがなくなり、住吉東駅の改良によって直通がなくなると、乗り換え距離の長い岸里での乗換えだけになってしまった、急速に衰えていった。 それでも、萩之茶屋〜粉浜間の高架工事が行われるまでは、高野線とも線路は繋がっており、運用される車両も高野線のステンレス車両であった。 そして、貨物輸送時代の名残として、複線の南海本線と繋がる連絡線もそのままであった。 それが、高野線とは完全に切り離され、南海本線との間には、単線の連絡線があるのみの状況になってしまい、運転間隔も、今や30分に1本だけになっている。 かつての貨物ヤードは撤去され、物流会社の倉庫などに転用された後、大手自動車部品販売店の店舗になっている。 かつて機関車の付け替えのために設けられていた機回し線の跡には、先ほどの阪神の出入口と自転車置き場が設けられた。 今の駅舎は、まだ貨物ヤードのあった頃に建設されたもので、華やかりし頃の残影ともいえる。 そんな駅舎の中には、一部のファンには有名なものがある。 それは、昭和30年代の南海の営業範囲が描かれた地図である。 キャンバス地に描かれているせいが、一部が破れてしまってはいるが、当時の南海の勢力がよくわかる。 大阪市内の部分には、現在は別会社になっている大阪軌道線が描かれ、廃止になった平野線も見える。 さらに、20年ほど前に廃止になった天王寺支線も。 淡路島には、子会社であった「島の鉄道」淡路交通の線路が描かれ、和歌山付近では、加太線の北島支線(もともとの本線)も描かれている。 さらに下に目を向ければ、今はネコ駅長で有名になった和歌山電鉄に生まれ変わった貴志川線はもちろんのこと、和歌山市内線の路線が描かれ、和歌浦や海南に路線が延びていたことが判る。 当時、全盛を極めていた南紀乗り入れルートが破線で描かれ、その範囲は新宮まで延びている。 今や、和歌山〜徳島間だけになってしまった南海の連絡船も、この地図では、淡路島の各地や白浜へも延びている。 南海電鉄の貴重な記録でもあり、一部の破損を補い、剥がれ落ちた部分を修復して、なんとか後世に伝えて欲しいものである。 撮影をしていると、30分に1本しかやってこない列車がやってきた。 わずかばかりの乗客を降ろすと、また静けさがやって来る。 この駅は、阪神なんば線開業で多少の乗客増はあるかもしれないが、このままの姿で残っていくのだろう。 先ごろ、国土交通省から、なにわ筋地下新線の調査についての指示が出た。 この路線は、既に地下にもぐって、なにわ筋線への接続を前提にした設備が完成しているJR関西線(大和路線)のJR難波駅とともに、この汐見橋駅とも連絡し、JR、南海双方が乗り入れ、関西空港へのアクセスとして機能することが期待されている路線である。 それが実現するまでは、南海は細々と運営していく予定のようだ。 それとともに、地下にもぐって姿を消すまで、昭和30年から時間の止まった駅は残っていくのだろう。 そのときは、あの路線図を、復元して保存して欲しいものである。 続く
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桜川駅は、今回の阪神なんば線の駅の中で、もっとも興味深い駅である。 デザイン的には、他の新設駅と同様に、吹き抜け空間が多用されている。 全体的には阪神なんば線の駅としてのものなのだが、この駅を最も特徴付けているのは、運用面にある。 この駅は、100%阪神の駅で、近鉄には営業設定されていない。 したがって、券売機にも、近鉄用のものは設けられていない。 しかし、運転上は違う。 この桜川駅には、近鉄用の引き上げ線が、大正橋方面へ延びている。 4月12日撮影 この引き上げ線を利用して、難波までの近鉄電車が、ここまでやってきて、折り返していくのである。 このため、大阪難波〜桜川間の信号システムは、すべて近鉄用に設定されており、阪神線では見ることのなかった近鉄用ATS地上子が、線路の間に設置されている。 営業的には大阪難波まで設定されている阪神も、運転上は完全に近鉄にのっとられている形になっている。 停車目標にしても、大阪難波方面は阪神用 尼崎方面用は近鉄用が設置されている。 速度制限表も、近鉄仕様である。 ただし、営業的には阪神のため、乗車目標は阪神仕様である。 しかし、この駅でいると、本当に飽きない。 本来は難波止めの、青とオレンジをデザインした直通運転用ステッカーを取り付けていない列車たちが、どんどん乗り入れてくるのだ。 もちろん、特急車も例外ではない。 12200系スナックカー 21000系アーバンライナーPlus 22000系ACE 23000系伊勢志摩ライナー 近鉄は、この乗り入れ開始を機に、阪神や山陽への近鉄特急乗り入れ構想を抱いている。 しかし、あくまで形式上のものではあるのだが、近鉄特急の阪神乗り入れは実現しているのだ。 では、なぜ、このような変則的な取扱いになっているのか? これには、阪神なんば線構想の起源に遡らねばならない。 元々、阪神野田〜鶴橋間の鉄道を共同で建設する予定であった阪神と近鉄であるが、大阪市の市営モンロー主義で5号線計画に振り替えられて頓挫した(現在の地下鉄千日前線)。 そこで、阪神複々線計画の名残である伝法線(後の西大阪線)千鳥橋から九条を経由して難波までの新線を阪神が建設し、鶴橋付近から地下にもぐり、難波まで乗り入れる新線を近鉄が建設することになった。 この度は、万博を控えて路線網の拡充の必要性から、大阪市独自だけの事業では不可能であると判断した運輸省(当時)から横槍も入り、両者に免許が交付された(阪神は軌道法によっていたために特許)。 (同時期に、京阪の淀屋橋乗り入れの免許されている) 両者は早速工事を開始し、阪神はいち早く西九条までの区間を開業させ、盲腸線だった伝法線を西大阪線に改めた。 しかし、近鉄側の工事は、都市計画に阻まれてなかなか進まなかった。 千日前通りの拡幅が行われ、拡幅部への地下鉄千日前線建設が優先されたために、既存道路部へ建設される近鉄の新線工事は後回しになってしまったのだ。 さらに、上町断層にぶつかったことによる異常出水なども重なり、難波までの開業は、大阪万博開幕直前であった。 阪神側の工事は、近鉄と歩調を合わせるべく、昭和40年に難波へ向けての工事が開始された。 しかし、高架橋によって分断され、難波へ客が流れる可能性のある新線建設への地元商店街からの猛反対が起こり、昭和42年に工事は中断されてしまった。 阪神が中途半端な位置で止まってしまったのに対して、近鉄はミナミの拠点へ乗り入れたことによって順調に発展していった。 元々、阪神との乗り入れを前提とした駅設備のため、1線は降車専用として、一旦引き上げ線に引き上げてから、2線ある乗車ホームに据え付ける構造になっていた。 引き上げ線は、難波駅の桜川寄りに3線設けられ、外側2線は、阪神接続時には、営業線になる前提であった。 しかし、阪神の乗り入れのめどが立たない中、増え続ける乗客に対応するために、近鉄奈良線〜難波線の列車は、どんどん増発されていった。 さらに、近鉄特急の営業方針も転換し、多くの特急が上本町からより集客のある難波乗り入れになった。 したがって、引き上げ線が常に満タンに使用されるようになったのだ。 さらに、奈良線の快速急行が10両編成になり、朝の特急も通勤特急として機能するようになると、こちらも10両編成になった。 その10両編成特急は、難波の引き上げ線で編成分割され、名古屋、伊勢志摩方面へそれぞれ運用されるようになった。 こうなってくると、難波駅の引き上げ線は3線でも足りなくなり、手狭になってきた。 そこで、近鉄は阪神と協議し、阪神が持つ免許(阪神が軌道から鉄道へ転換したことにより特許から免許に変更)を借り受け、桜川側へ300m延長(幸町1丁目付近まで)することになった。 このため、形式上は、阪神なんば線の一部は工事が完了していたことになる。 しかし、阪神なんば線が開業するとなると、計画通りに外側2線を阪神に明け渡すことになったのだが、それまでに設定されていた難波折り返しを、残る1線だけで賄うことは事実上不可能になっていた。 そこで、横を併走する地下鉄千日前線が分かれ、阪神なんば線もカーブして分かれる地点に、近鉄の引き上げ線が設けられることになったのだ。 この工事期間において、幸町まで延びていた線路を、一旦工事のために明け渡すことになった近鉄は、それまで難波に乗り入れていた伊勢志摩方面の特急を上本町に集約し、名古屋方面と奈良方面の特急のみが難波に乗り入れる形に運行系統を変更している。 阪神なんば線の正式着工前のことではあるが、この路線には、そんな隠れた歴史が満載されているのだ。 もっとも、既に多くの列車が行き来している難波駅に、阪神用の設備を改めて作ることのほうが不合理ともいえ、桜川が、実質上の運転拠点になっているのも事実である。 このような桜川駅の取扱いのために、近鉄、阪神双方の乗務員詰所が、駅改札内の汐見橋方向に設けられている。 手前には近鉄用の詰所 奥には阪神用の詰所 そしてホームには、連結されている全ての運転台つき車両のブレーキハンドルを携行するという近鉄のルールに従い、阪神側の運転手が取扱いを間違わないようにするための、ブレーキハンドル運用一覧表が設けられていた。 続く
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