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マグダラのマリアの部屋(Mary Magdalene)
各書庫より入ると音楽が流れます。音量に御留意下さい。私はプロテスタントですが私からキリスト教へ無理に入信を強いたりしません。

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仏陀と牛飼いダニヤとの問答

ダニヤとブッダがともに語り、牛飼いのダニヤが先に言った、

「私はもうご飯を炊き。牛の乳も搾ってしまった。マヒー河の岸辺に私は妻子と共に住み、私の家は、しっかりした屋根で葺かれ、家の中には火が燃えています。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、どうぞ雨を降らせて下さい…。」

続いてブッダが受けて詠じた。「私はもう怒りを絶って。心の拘りを離れてしまった。マヒー河の岸辺に私は独り仮の宿りをして、私には家は無く、家の中の火は消えています。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、どうぞ雨を降らせて下さい。」(スッタ二バータ、ダ二ヤ経より)

自信満々にダニヤが言っていた生き方は実は依存型。

ブッダの言う生き方は自由独立型。

人間としての生きる道とは何ものにも依存しない事だと説いているのです。
ダニヤは、その日の糧をすでに得て、するベき仕事もして神様を奉る信仰の火も絶やさず私はキチンとしている。
愛する妻と子も側にいて、私は安心しきっている。だから神が試練の雨を降らせるというなら、どうぞ私は平気だから降らせて下さい。と言っているのです。

だからダ二ヤが依存していたものがなくなってしまったら、慌てて神様に、どうして私だけが、ー!と今度は噛みつくという訳です。

俗世間一般の求める喜びとブッダの言う喜びは対極的に違うものです。ダニヤの幸福感とは財産…信仰…家族…所有物の多さ…などが満たされているという事でした。

ダニヤは、いくらすベき事はしたと言っても、その日ー日の事だけです。次の日になればすべき事は何かと不安になるわけです。それに対しブッタは、私は、ダ二ヤさん。貴方のように家族も財産も何も持ってはいないけれど、貴方のように不安になる事などないですよ。ご飯を炊き。牛の乳も搾る事に追われる日常の煩わしい不安さえなく、家族も財産も何も持ってはいないけれど不安になる事などないですよ。物質的な満たしなどなくても私は平安で自由に生きてますよ…。とプッタはダ二ヤに説いたのです。

もし…こういった依存型の喜びではあっても…ダ二ヤのように喜びと自信をもって生きている貴方が今の貴方であったとしても…もしも…これらの全て満たされてたものを神が取り去られたら…どうなるでしょうか…?

それは…間違いなく神を呪う者となるでしょうね。

神様が物質的な満たしを与えておられる間は試しを受けているのだと貴方は知るべきです。


依存などしていないですって?仏教の教えだから知るもんか!ですって?(苦笑)

何を戯言を…仰る事やら…。人は…昔から同じ事をしてきてるのですよ。ダ二ヤさんは聖書中の人物ではパリサイ人の事…ある金持ちの事…そして…また現クリスチャンの姿でもあります(苦笑)。

与えられた様々な物質的な満たしを頑張ってるのだから受けて当然と思っても、もうこれだけあれば大丈夫と生きる事からリタイヤしても、これじゃあ足らない…とガツガツしても…神は貴方の依存していたものを取り去られる。

貴方が依存していた事を知らしめるために…。



真に依存していないというならぱ分け与える事が出来る。
自分の!と言わずに分け与える事も出来るはずでしょう?


自己にプラスに見える事を正とし自己にマイナスに見える事を負とすると?単純な数字です。

[プラスを求める(十の数)]×[取り去ろうとする神様記号(ー)]は[ー(プラスを求めた数)]

正数がいくつでもマイナスをかけた答えはマイナスです。神様に取り去られてしまいます。

でも逆に

[マイナスを頑張る(ーの数)]×[取り去ろうとする神様記号(ー)]は[十(マイナスを求めた数)]

負数がいくつでもマイナスをかけた答えはプラスで、神様に願わなくても与えられてしまいます(笑)。

人に与える事…自分にマイナスにみえる事が、実は与えられる事…自分にプラスになる事なんですよ。

神様はマイナスにみえる事をする事がお好きな御方…だから辛くても大変でも自分にマイナスにみえる事を頑張っている人の生き方を応援下さいます。

逆に、自分プラスにみえる事ばかり求めて、〇〇くれ!と威張る者、貰って当たり前に思っている者、自分のためにだけ使おうとケチケチする者には…心相応の事が与えられます。

自分自身のためにのみ求めれば何事をも失い。自分以外のために求めれば何事をも満たし得ます。
これは神様の正負の法則です。

物質的なものに依存して安心を求めるより、むしろ物質的なものは無理しない形で手放し、人にも与える事によって得られる神よりの安心を求めなさい。

くれぐれも無理しない形で…物事には段階がございます。
無理をしても続きません。維持していくためにも無理は禁物です。

マリア・マグダレネ

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    5/10(土) 午後 8:54の内緒さん。コメント有難うございます。レス遅くなってごめんなさい。どんな教えも神様の言葉です。人が寄り分ける事をし裁けば己が裁かれます。多くのクリスチャンはこの事に触れてしまって知らずにいます。自らのみが正しいなどと思っていると、神様は自らの民だとしても自らの魂によって厳しく裁かれる、そう…裁き人イスラエルのダン族のように。

    Mary Magdalene

    2008/5/17(土) 午前 7:36

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    hen4nさん。ご無沙汰しております。
    お元気そうで何よりです。
    隣り人は全ての人です。
    どんなに酷い扱いを受けても、必ずその苦しみから学ぶべき事が人にはあるからです。本来、敵など居ないのですよ。だから貴方の仰るように『自分を憎む者を愛し、呪う者を祝福し、誹る者の為に祈れ』になるのですよ。敵ではない事に気づくためです。

    Mary Magdalene

    2008/5/17(土) 午前 7:46

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    なかなか立ち寄れなかったが貴女の心を感じたので答えることにする。
    貴女の考え方は好いが、隣り人と教えとは別である。

    イエスの教えを無視し、そしり、十字架にかけた人々に対して主イエスは「彼らを
    お許しください、自分たちが何をしているのか解っていないのです」。と言って
    許されたが、彼らはイエスの隣り人だったと貴女は言われるのか?

    道端に倒れている人を見たがつばを吐いて通り過ぎていった。次に来た人は足で蹴って去って行った。その後で来た人は助け起こし病院へ連れて行った。
    隣り人となったのは全員だと貴女は言われるのですか?

    聖書の中では、親切に接した人ではなかったか?
    貴女の信仰が深いことは、解っているが正しく捉えなくてはいけないのではないですか。 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/21(水) 午前 8:20

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    hen4nさん。御訪問とコメント有難うございます。
    返事が少々長くなりますので、ログインして記事としてレス致します。マリア 削除

    [ マリア ]

    2008/5/21(水) 午後 6:00

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    私には人を責める心はありません。また、人が人を裁くべきではないと考えています。
    人が出会う人は全て縁のある隣人であることは確かであります。しかし、主が言われている隣り人とは親身になった人を指していると思います。私は責めるつもりで言った訳ではありません。人間は常に手を差し伸べるようでなくてはいけないと思っているのです。
    しかし、私は相手が望まないならば無理には介入しません。だが、今の時代互いに手を取り合わなければならない時代であります。
    主イエスは言われました。「私が平和をもたらすために来たと思うな。剣を落とすために来たのだ」と、「また、親は子に、子は親に逆らって立ち、互いに対立するであろう」と……。そのような時代に入った今、我々は一つにならなければいけないと思うのです。対立ではなく、手を取り合わなければいけないと!
    でなければ、ノアのときの二の舞となるでしょう。 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/22(木) 午前 0:43

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    ミャンマーのサイクロンの被害、中国の大地震、アメリカの一度に出現した30もの竜巻によって多くの人が世を去った。
    そして、これからも益々このような事が起きて来るでしょう。
    釈尊の語られた「地上大変革」が近づいている。このイエスの語られた「第二の艱難」は起こらなければならない。
    以前あなたに語られたことが必ず起きて来るでしょう。
    ノアの時代、一からの出直しの為に人類の一掃が行われたが、それ以上のことが起きようとしている。人類存続の道がたった一つだけ残されている。
    ソドムとゴモラの地を神が滅ぼすとき、アブラハムと交わした約束であります。
    その約束は今も生きている筈です。
    終わりの日には、ソドムとゴモラの方が耐え易いであろう。と言われている事が気にはなりますが……。 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/22(木) 午前 0:44

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    hen4nさん。人を責める心、悪心がないと仰るのですか…ならば貴方は神人合ーされたのでしょうか?そうでないなら人の子は善と悪の心を持っているのです。悪心が無いわけがない。人は善悪の心を両方を持ち自己意志で制御出来る者だから神様の子であるのに。悪心がないと人に向かって言う者は神と悪魔両共にです。
    そして、いかに人が滅びに向かっていようが、警告のみで希望を与えぬ言葉を発する神は私は悪神、ルシフェル側の人の恐怖を煽る神です。希望を与えぬ神は如何に予言を当てようが悪神です。

    Mary Magdalene

    2008/5/22(木) 午前 11:27

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    ノアの時の二の舞には絶対にならない。虹の契約によって
    神は肉なる者を滅ぼし尽くした事を悔やまれた水によっては滅びる事はない。火によってのー時的な浄化があったとしても神は人を滅ぼし尽くされる事は二度となさらない。

    Mary Magdalene

    2008/5/22(木) 午前 11:39

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    私が言っている訳ではありません。聖書の中で主イエスが仰っているのです。
    人間は自分を基準に判断するがそれは正しいでしょうか?
    悪心が無いとは言っていないと思いますが。
    地上における人間が正しい心と正しい信仰を持たなければ主イエスは再臨されない。自己と他人という差別の心があるかぎり、主は再臨されないでしょう。
    物事には二面性があります、悪く取ろうとすれば悪く取ることができます。善意に解釈しようとすれば、善として見ることができます。
    それは、その人の捉え方によります。善い人は物事を善意に捉えるものです。悪い人は悪く解釈します。その人の心の状態が外に現れてくるのです。
    やさしい人は相手の中にやさしさを見る事が出来るでしょう。
    つまり、相手の中に見る物は自分自身であります。 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/23(金) 午前 2:53

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    正しい人は右に回転しているのを感じる筈であります。また、個々の波動を持っているが霊的肉体を持たないかぎり感じ取ることは出来ないでしょう。
    自己とこの世への愛から離れなければ、霊的肉体を持つことは出来ない。
    人々が正しい方向へ共に手を取り合って進まなければ、これからも多くの災害が人々を襲うことになるでしょう。そして、正しい人も、そうでない人も巻き込まれることになるでしょう。
    彼は、再び肉の中にやってくる必要がないにも拘らず、人類存続の為に苦しみを受けなければならないことを知りながら彼は来る。それだから、誰よりも彼は愛された。釈尊も言っている、「遠く彼を認めたならばその場に伏せよ、華々しき天界を捨てて彼は来られるからである」 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/23(金) 午前 2:54

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    横から口挟んで申し訳ありません。hen4n様、わたしのブログの方にもお越し願えませんでしょうか。
    ローマのペテロ
    http://blogs.yahoo.co.jp/petero_rom/8724938.html
    もし差し支えなければ、考えをお聞かせ願えれば幸いです。

    [ 万軍の主ヤハウェ ]

    2008/5/24(土) 午後 2:13

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    hen4nさん。神様ご自身は人をほろぼしません。滅ぼすのは神様に背を向けて生きる人の心が招き寄せる力。滅ぶと人が信じたら滅びますし、かといって信じなければ神をないがしろにし堕落します。でも神は憐れみ深く悔い改めの時を与え、人が間違いに気づくように導かれておられます。人が全て滅び去る事はありません。
    何故なら神様がそう願っておられないからです。

    Mary Magdalene

    2008/5/24(土) 午後 11:05

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    ペテロさん、御訪問有り難うございます。

    Mary Magdalene

    2008/5/24(土) 午後 11:08

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    5/24(土) 午後 10:21の内緒さん。私も「(絶対に)起こらなければならない」のと「(原因と理由があって)起こらなければならない」のは違うと思います。「(原因と理由があって)起こらなければならない」の方は努力次第で回避可能です。

    Mary Magdalene

    2008/5/24(土) 午後 11:22

    返信する
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    「何故なら神様がそう願っておられないからです。」
    マリアさん、貴女の言うとおりです。それは、私もそう思っています。 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/26(月) 午前 0:54

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    5月22日アメリカで直径1キロにわたる巨大竜巻が発生しました。かつてないものであります。
    主は「空を飛ぶ鳥も神の許しがなければ地に落ちない」「あなた方の髪の毛一筋さえも数えられている」と言われているのに、自然災害によって多くの人が亡くなるのは何故なのでしょうか?
    自分は正しく生きているから関係ないと人々は思っているのでしょうか。だとしたら、災いはその人自身に及ばないでしょうか? 削除

    [ hen4n ]

    2008/5/26(月) 午前 1:00

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    hen4nさん。貴方の仰っておられるのは、「神よ。貴方がおられるなら、なぜ人が不幸なのか?」と神様に呪って文句を言うのと同じです。神の言葉を預かる者の言葉とは思われませんが、それとも私への試しでしょうか?神様はヨブ記のように理不尽な事もなさる。でもちゃんと全てに意味があっての事ですよ。
    苦しみも、喜びも神様から御覧になったら同じものなのです。魂を清めるための下地にしか過ぎないものです。

    Mary Magdalene

    2008/5/26(月) 午前 7:03

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    巨大竜巻ですか。話始めて聞きました。
    わたし休めるかな?、再臨されたイエスと言う方が、世の滅亡は一切ないと言われているようなので、その方に止めてもらうと良いと思います。自然災害、わたしでも止めることはできます。でも主ほどの力ないので全部は押えません。言い訳がましいですれど、人が気づくまでは災害襲うのが当然ではないでしょうか。あ・そうだ。アメリカ西海岸に『わたしは神』といわれる方も現われたようです。アメリカの方は、わかりませんが、
    日本の方・・・わたし本物かどうか試し入れてますけど・・・こちらから行けますので情報まで。
    http://blogs.yahoo.co.jp/wrxdx806/33268180.html

    [ 万軍の主ヤハウェ ]

    2008/5/26(月) 午前 8:15

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    5/26(月) 午前 8:19の内緒さん。そうですね。私個人的にはなかなかおやりになりますね。と申し上げておきましょう。ー応これでも賛辞のつもりですので念のため。

    Mary Magdalene

    2008/5/28(水) 午前 2:13

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    ペテロさん、逆順になり申し訳ありません。
    その方なら、とある万の使者としてお伺いした事がありまして存じ上げております。御情報有り難うございます。結果を内緒で教えて頂けますか?私の方もお教えしますので。

    Mary Magdalene

    2008/5/28(水) 午前 2:22

    返信する

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