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サタンとなった天使長ルシフェルに続き、御使いたちの堕落がありました。

エノク書(旧約聖書外典)によると義人エノク(創世記5章21〜26節参照)は、いなくなったあと、天へ昇っていて、それらの堕落した御使いたちを神様の御命により裁きました。

創世記6章(1〜6節)に出てくる神の子らとは、堕落した天使たちのこと、彼らは人の子の娘たちと交わりネフィリム(巨人族「降りてきた者たち」を意味する言葉)を産み、この巨人族たちが高慢となり、甚だしく悪行を行なったために、彼らをも滅ぼすためにノアの洪水を招くことになったと言われています。

旧約続編 知恵の書 14章6節、その昔、高慢な巨人たちが滅びたとき、/世の希望であったあの人は木の舟で難を逃れ、/御手に導かれ、後に続く世代の種を世に残した。

旧約続編 シラ書 16章7節 主は、いにしえの巨人たちを容赦されなかった。彼らは、その力を誇って、反逆したからである。
ユダの手紙1章6〜7節には、堕落した御使い達のこと、、エノク書からの言葉が引用されています。

ユダの手紙
1:6 一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。
1:7 ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。

時期的に義人エノクは天から下ってきた天の御使いたちが人の子の娘たちと交わってネフィリムたちを生ませた頃の人物です。
エノク書によると、エノクは生きたまま天にあげられ、神の書記官としての役目を与えられていました。

エノク書12章3節

「義の書記官なるエノクよ、行ってあの天のグリゴリ(見張りの天使)らに言え。
彼らは高い天を離れ、聖なる永遠の住まいを捨てて、女と交わって身を汚し、地上の子らのすることにならって妻をめとったのだ。さあ、彼らに告げよ。
お前たちは地上に恐ろしい災いをもたらした。お前たちには平安も罪の許しも与えられない。いつまで嘆願しても、憐れみと平安を得ることはできないであろうと。

グリゴリとは200人からなる御使いの一個団体の事、。
エノクはグリゴリの長アザゼルにこのように告げます。

エノク書13章1節

「アザゼルよ、お前は平安を得ることが出来ない。
お前を縛ってしまえという厳しい判決が下されたのだ。お前には赦免も休息も与えられない。お前が不義を教え、人々に不信と不義と罪の仕業を示したからだ」

エノク13章3節

グリゴリたちは恐怖におののき、エノクに赦免を嘆願し神様に取り次いでもらおうとします。
「その時以来彼らは主に向かって直接語る事はもとより、彼らが訴追された罪を恥じるあまり眼を天にあげる事すら出来なくなっていたから」です。

エノクは嘆願書を書いて読みますが神様の答えは否、エノクの嘆願は受け入れられないでした。エノクは集まって泣いているグリゴリらに神からの罪の通告をします。

エノク書14章3〜7節

「主が人を造り、知恵の言葉を悟る力を与えられたように、私も天の子ら、見張りの天使を訓戒する力をお与えになった。私はお前たちの嘆願を書きとめたが、私がまぼろしを見たところによると、お前たちの嘆願は永久に聞き届けられないと思われる。それどころかお前たちに対する判決はすでに下された。確かにお前たちの嘆願は聞き届けられない。今から後永遠にお前たちは天に昇る事を禁じられ、この世の続く限りお前たちを地上の鎖につなぐことが命じられた。お前たちは愛する子供たちの滅亡を見、もはや子らを楽しみにする事はできなくなる。彼らはお前たちの眼の前で剣にかかって倒れるだろう。彼らの為の嘆願も、お前たち自身の為の嘆願も、聞き届けられない。いくら泣いて祈っても、私が書いた嘆願書の全ての言葉を語っても、聞かれないであろう。」

エノク書15章1〜7節

「私は主のみ声を聞いた。『義人エノクよ、義の書記官よ。恐れなくてもよい。近くによって私の声を聞け。行って、あのお前を遣わし、とりなしをしてもらおうとした天上の見張りの者らにこう告げるがよい。「お前たちこそ人のためにとりなしをすべきであって、人にとりなしをして貰おうなどとはもっての他である。お前たちが高く聖い永遠の天を離れ、女と交わり、人の娘らによって身を汚し、地上の子らと同じように振る舞い、巨人を生んだのは、いったい何のためか。お前たちは聖なる霊的な存在であって永遠の命を持っているにも関わらず、女の血で自分の身を汚し、肉なる者の血によって子供を生んだ。しかしお前たちはもともと霊であり、永遠の命を持つもので、この世の続く限り死ぬ事のないものだった。だからお前たちには妻は定めていない。もともと天上の霊については天こそが、その住むべき場所なのだから』」

見張りの天使と言う言葉は、
ダニエル書4章20節にも 書かれています。
4:20a また、王様は聖なる見張りの天使が天から降って来るのを御覧になりました。

エノク書 7章1〜6節
彼らも共にいるすべての者たちも、自分たちの選んだ女たちから一人づつ妻をめとった。彼らは彼女たちに入り込み、彼女たちと交わりはじめた。また女たちに魔術と呪(まじな)いを教え、草の根や灌木の断ち方を教えこんだ。
すると彼女らは彼らによってはらみ、とてつもない巨人を生んだ。巨人たちはネフィリムを生み、ネフィリムにはエリウドが生まれた。すると彼らは、その大きな背丈に応じて成長した。
彼らは全ての人間の労苦の実を食いつくしてしまい、人間はもはや彼らを養うことが出来なくなった。
そこで巨人たちは、人間をむさぼり食おうと彼らを殺し始めた。
彼ら巨人たちは鳥や獣、地を這う生き物や魚に対して罪を犯し、互いの肉を食らいあい始めた。彼らはまた、血をすすった。
そのとき、地はこの無法者たちに対して非をならし訴えをおこした。

地を這う生き物や魚に対して罪を犯し、互いの肉を食らいあい始めた。彼らはまた、血をすすった。という部分が、、彼らの犯した悪行。地を這う生き物を食べる事、殺し合うこと、血をすする、血を口にすること、、総て、神様からしてはならないと命じられたことを破っています

天の霊的な存在が人間の肉と交わったのか?
私の憶測では、旧約続編のトビト記のラファエルのように肉のようなものを身に纏って肉的に交わったか、霊的に娘たちの霊と交わって、聖霊のように女性単性で子を生ませたか、、その両方同時であったか、、。

天の御使いたちが人間の娘たちに対し欲情して、地上に降り、人の娘たちを娶ることは神の子である人の子を被造物である御使いが人の子の上位に立ち支配する事であり、それは全ての被造物を治めよと最初の人アダムに命じられた神様の御意向、御心に背く事となる事を承知の上で、彼らグリゴリの全てが人の子の娘たちと交わり、神様に背き、その背きの罪により堕ちた見張りの天使となった。

エノク書には、御使いが人の女から妻を娶った事が書かれている為に外典とされましたが、エノク書は当時の福音書を書いた人などにも影響を与えていた筈です。
ユダの手紙の他にも、、
ヘブライ11章5節、信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。

創世記 5章24節では エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。としか書かれていません。

第二ペトロ 2章4節、神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。

エノク書の内容は創世記自体には書かれていませんので、ユダやペテロがエノク書を読んだ事は間違いないです。

現在では外典、偽典とされていますが当時は正統な書物だったのでしょう。現在、外典、偽典だから読まない。また認めないとするのは間違いです。

聖書はもとより啓示により書かれた事柄が大部分なのですから、もともと聖書の一部として読まれていた可能性のある外典、偽典は言葉の繋がりを知る為に知る必要性があるでしょう。

(天上にある)御使いたちには永遠に生きる者ゆえに妻が定められていないというエノク書の一文は、、イエス様の仰った、
マタイ
22:30 復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
マルコ
12:25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。

これらの言葉の元となったもの、、である可能性が高いです。

それは、ユダやペテロが読んでいて、、肉においては祭司ザカリアの息子であったイエス様が読んでおられない、、、という事はあり得ないからです。
天上から堕天した天使が人の娘から妻を娶っていたこと、、、
すなわち堕天していない天使が堕天した天使のようにめとることも嫁ぐこともなく、
復活の時は人も、堕天していない天使と同じように、改めてめとることも嫁ぐ事もないと言われていたという事を。
改めてめとることも嫁ぐこともない、この言葉は人としての生は、誰であれ一度きりであるという事を意味しています。

それは人間として生きている間の一度きりしか娶る事も嫁ぐ事もなく、男と女が一つと見なされて夫婦になる事は出来ないという事。
結婚とは、、夫婦とは、、死んでからは二度と出来ない、生きてある間だけのとても貴重な体験、。

神様に与えられた相手と幸せな夫婦生活を送り、神様の御許へ戻っていくことは、とても恵まれた生き方です。そうあろうと努力をしましょう。


Yhoshuah
ha-Mashiah
 主イエス(アラム語でヨシュア、、モーセの後継者、約束の恵みの地カナンへと人を導き連れ行く者を示す名)こそ人のメシア、。
罪人の為に、咎を負い、人を赦して、無原罪の御自身に罪ある人を繋ぎ、サタンからの繋ぎ目を解き放って下さった、、主イエスよ、罪からの救い主。
御名。永遠に讃えられますように、。

マグダラのマリア 


加筆
 ウィキペディアより抜粋
旧約聖書レビ記16章にある贖罪日(ヨム・キプル)の儀式の方法が示されるが、その中にアザゼルの名前が出る。
この箇所で神はモーセに祭司アロンが至聖所に入る儀式について伝える。

それは、7番目の月の10日を贖罪の日として祝う時、イスラエルの人々から贖罪のささげものとして2匹の雄山羊を受け取り、これを引いてきてくじを引き、1匹を主のものにし、もう1匹をアザゼルのものにするというものである。

ここではアザゼルのものとされた山羊を屠らずに生かしおき、贖いの儀式を行う。
こうして民の罪を負わせた山羊を荒れ野のアザゼルのもとへ放逐する。

これは善と悪とに分ける儀式で、、聖別を意味する。
悪はサタン側の堕天使アザゼルが受け取り、善は主なる神様が受け取る。
捧げものは、神様に捧げられると同時にサタンにも捧げられていたことを意味する。

それは、、人が神様の子であると同時に罪の子、サタンの子としての因子がある為。
清く良いものは主に、、悪しきものはサタンにと、、それぞれ分けていた。

この「アザゼルの山羊」はティンダル訳聖書(16世紀)において scapegoat と英訳された。スケープゴート(贖罪の山羊)という言葉が一般に「身代わりに罪をかぶる者」の意味で用いられるのはこの故事に由来する。

イエス様は、無原罪のお方でありながら、身代わりに罪をかぶる者となって下さいました。

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