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2015年08月20日(木)
THEME:デボーションシェアリング
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
(1ヨハネ1:7)


観察:神は光である。全く暗いところがない。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ1:5)
神の光の中を歩んんでいる者なら互いに交わりを保つ。
その交わりが主イエスの血によって清められる。

適応:互いの交わりの中で清められるということは「礼拝」のこである。
礼拝者として礼拝の中で群れの仲間と主イエスと交わる礼拝の交わりのことである。

実例:10年前一度だけ礼拝を休んだことがある。病気ではなく、自分が礼拝する資格がないと思ったからだ。しかし、それはサタンの欺きであることに気がついた。資格がないと思うような自分だからこそ神が必要であり礼拝が必要なのだ!その日以来、一度も礼拝を休むことなく健康が守られていることに感謝。

祈り:罪友の群れ、裏罪友(支援者)の人たちが、まことの礼拝として成長しますよう。

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2015年08月26日(水)
THEME:デボーションシェアリング
しかし、侍従長ネブザルアダンは、国の貧民の一部を残し、ぶどう作りの農夫とにした。
(エレミヤ52:16)

とうとうエレミヤの最後の章52章です。
この52章はエレミヤが書いたものではなく、エレミヤの預言が成就した後にエズラが帰還後にかいたものと言われています。

エレミヤが届ける神の言葉に耳を傾けようともしないで不品行と偶像礼拝をやめなかった王と民衆。この偶像礼拝の中で不品行とともに「貪り」や「無慈悲」が蔓延りました。
現代の偶像礼拝のなかでは清貧、布施、慈悲と良いように思えてもキリストを認めなければ「反キリストの霊」なのです。サタンはあの手のこ手で神から私たちを離そうとします。

さて、きょうの一節は「残りの者」です。
選民の大罪によって壊滅的滅びを身に招いてしまったイスラエル(ユダ王国)でありましたがエレミヤの預言どおりに「一部」を残されました。それも貧民をです。ここに私は大きな力を得ました。

力ある有力者や貴族はバビロンへ捕囚として連れて行かれました。
貧民が「約束の地」に残され耕したのです。
これはこういうことです。
神から与えられた約束の地を大罪によって台無しにしてしまったユダ王国。
そこを立て直し、耕し、復興させたのは「貧民」であった。
ここに希望がある。罪ともの群れよ。恐れるな。土台は主とともに我らにある。

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2015年09月11日(金)
THEME:デボーションシェアリング
とうとうユダ王国はその偶像礼拝とそれに伴う不品行な生活によって滅亡となる。
貧民の一部を残し、貴族はバビロンへ奴隷として引いて行かれた。
奴隷として連れていかれた少年たちの信仰と奇跡の物語と終末の預言書である。

ダニエル、ナハヌヤ、ミシャエル、アザルヤ この4人は
1、身に何の欠陥もなく(主への捧げものとして) 
2、容姿は美しく
3、知恵に秀で      
4、知識に富み    
5、思慮深く 
6、宮廷につかえるにふさわしい(品位)があった。

ユダヤ上流階級のこの少年たちはこのような素晴らしい資質を兼ね備えていた。
そればかりでなく、信仰がこの資質をもたらせていたといってよい。
そしてさらにこの信仰を立てあげる決断と実行をする。

1:8 ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。

そしてこのことが実行され、野菜と水で生活し誰よりも健康であることが証明されていく。そればかりでなく、

1:17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。

王宮を現代の教会に置き換えてみよう。私たちは選ばれたダニエル(クリスチャン)である。さらに信仰による決断と実行によって霊的成長を遂げるものである。

ダニエル書
1:16 そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどうはn酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。
1:17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。
1:18 彼らを召し入れるために王が命じておいた日数の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前に連れて来た。
1:19 王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。
1:20 王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。
1:21 ダニエルはクロス王の元年までそこにいた。

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2015年09月30日(水)
THEME:デボーションシェアリング

他の福音書では30倍、60倍、100倍とある。
100倍とは額面通りというよりも、それ以上の尽きることないめぐみと祝福ということだ。
また良い地とは、良い心のことである。
素直な良い心で、みことばを聞く。説教を聞く。すると成長する。
成長の3原則を発見

⒈良い心で聞く

⒉しっかり守る

⒊よく耐える


並行して読んでいるエズラ記は捕囚から帰還したユダヤ人たちが悔い改めて神殿を築く物語だ。
心の中心に神殿を築くということだ。その民は「自ら進んで捧げ物をした」
それは尽きることのない祝福の始まりでもあった。

70年の捕囚は490年間のヨベルの年の、安息日の回復であった。
私たちの安息は十字架と復活の主イエス・キリストご自身である。

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2015年10月03日(土)
THEME:デボーションシェアリング
エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて毎日、怠りなく彼らに与えよ。
こうして彼らが天の神になだめのかおりをささげ王と王子のために長寿を祈るようにせよ。
(エズラ6:9〜10)


神の定めた70年という奴隷期間、そいてエルサレムの安息日の回復が時が満ち終わった。そしてエルサレムに帰還する。

70年の間に民をふるいにかけ、建て上げ、増やした。
罪友も同じかもしれない。

まず帰還した民がしたことは神殿建築。
これは我々にまず優先すべきは神と神の礼拝であることを教えてくれる。

この工事を妨害しようとする川向こうの総督「タテナイ」タテナイが建てないようにするという。
しかし、この妨害は徒労に終わる。ダリヨス王が前々王である「クロス王」の勅令を発見してこの工事が正式なことであることを知ったからだ。
それだけではなく、我々のために祈らせよ!という命令までもまし加わった。天の神の存在を信仰とは言わないまでも認めたのである。


キーは5:5
しかし、ユダヤの長老たちの上には神の目が注がれていたので、、、


祈り:われわれ罪友教会にも神の目が注がれて映画になったりTVで紹介されたりしています。感謝します。必ずあなたの与えたもう教会をゲットします。


私の留守でもしっかり礼拝できる教会です。

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2015年11月03日(火)
THEME:デボーションシェアリング
今回のタイトルはザアカイの家の協力(強力)メッセンジャー青森から自費で来て支えてくださる佐々木ひでいち師の説教を私が聞いてメモした言葉です。「原則を飛ばした成功はない」

マルコ12:17
12 17 するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。

カイザルのものはカイザルに返すとは税金のことである。
この地上で生きる責任と言って良い。
また、この世に生きる信仰者としての「証」となる。
社会人として生きてこそ信仰者なのだ。

還付金をもらって喜んだが、喜んではいけない。
それだけ収入が少ないということなのだから。
それに税金を支払うということは社会貢献しているということだ。
献金が楽しいように楽しんで税金を納める人に私はなりたい。
この世の富も神のものだからだ!

神のものは神に返すとは十分の一返金(献金)のことである。
マラキ書
3 10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。


マタイの福音書
23 23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。


この返金ほど信仰が試されることはないというが、ヤクザ経験のある人には苦ではない。それが習慣になっているからだ。なので私はこのあたりはヤクザでよかった!?と思っている。この返金は欠かしたことがない。ど貧乏の時にも。だからこそ祝福されてきて食べること、支払いに困ることがなくなった。出会いも仕事も全て末広がり。この祝福を教会全体に流したいといつも願っている。

「原則を飛ばした成功はない」 アーメンです。
この返金ができなくても首にもならなければ責められもしない。
これは証である。できるようなもにならせてくださいと祈り始めて、第一歩を早く踏み出して欲しいと思う。
タバコをやめて、それでも苦しい。もしそうだったら、教会にきてご飯食べよう!


牧師 進藤 龍也
[罪人の友]ザアカイの家 http://zkaihouse.jimdo.com
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進藤龍也牧師のヤクザな日記(ブログ)http://ameblo.jp/1st-geocities-churchl/
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    献金に関しては、本人が喜んで捧げれているなら、金額の大小は、、あまり信仰の高い低いにも、救いにも関係がないと思うのですけどね、。

    Mary Magdalene

    2015/11/18(水) 午後 5:33

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    2015/11/18(水) 午後 5:58の内緒さま、
    おはようございます、。
    ご訪問とコメント有難うございます、。
    私も、機会があれば、この牧師先生とお会いしてみたいです、。

    Mary Magdalene

    2015/11/19(木) 午前 6:40

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