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2015年12月01日(火)
THEME:デボーションシェアリング
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる(星の数:砂の数)と言われた通りに、彼があらゆる国民の父となるためでした。
(ローマ4:18)


2015年11月29日の礼拝説教は出所してきて12年と4日目であった。
これまでの私は受刑者の時に描いたビジョンに支えられてここまで来た。
受刑者が立ち直り、前科者が柱となっていく教会づくり。
そのビジョンは私を成長させた。

①受刑者の時に思い描いたビジョンはその通りになった。
②神学生の時に天井に貼ったみ言葉とビジョンそのままになった。

著書「立ち上がる力」にも書いたが、ゴールから自分を見てきたからやり遂げることができた。小さな証は大きな証となる。

1、開拓伝道の時たった一人でも説教をし続けた。
2、結婚に夢破れたハートブレイクでも説教し続けた。
3、インターフェロン治療の入院中も外出許可をとって説教し続けた(ともこ姉証人)

ビジョンは人を集め、人を動かし、人を育成する。

「変わろうとすることは神への愛の応答」と題して、救われた者たちがキリストの似姿になること、つまりキリストように生きることは御心であり成長であると語らせてもらった。

望み得ない受刑者の時に、望みを得たことで神と共に描いたビジョンに支えられみなさまに支えられてきたことを心から感謝します。


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2015年12月11日(金)
THEME:デボーションシェアリング
第一テモテ5:17 よく指導の任にあたっている長老 今で言う牧師は二重の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。

このパウロの言葉ってすごいよね!
自分は一切牧師給は要らないといいながら自分の弟子には牧師給を出してやりなさいって言っている。
私も開拓で無給でしばらくきた。
今は手取りで両手に満たない。
でも多くをサポートしてもらってる。感謝。
開拓で給料出ない代わりに携帯とか色々出してもらって、外に行かせてもらって生活してる。
このスタイルは神が私を導いてくれたもの。
二重の尊敬って、ちゃんと尊敬してるなら生活の面倒をみんなで支えてやりなさいって事なんですと教わりました。
なんかそんな事を言ってくれる師匠がいるって泣けてくるね!
中野師匠は私が食えない時に沢山おごってくれた。
献金もくれた。そして今はみんなにも支えられてる。俺は幸せもんだ!


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2015年12月14日(月)
THEME:デボーションシェアリング
使徒としてのしるしは、忍耐の限りを尽くして、あなた方の間で行われてきた、しるしと不思議と力あるわざです。
2コリント12:12


しるし、奇跡、力があるわざ、強調される神の奇跡。
牧会者として伝道者として人々の間をとりもちながら、忍耐の限りを尽くしてきたことがうかがえる。
逆を言えば、忍耐していたものだがらこそ神の奇跡を行えたともいえる。

弱い時にこそ私は強いのです。

しるし  = 見えない神を目の当たりにするような奇跡(癒し、よみがえりなど)
不思議 = 点と点であったものが結ばれるような神の計画を知るようなこと
力あるわざ = デュミナス 神の国の力

このような神のわざを起こすのはもちろん信仰である。
主イエスは人間として神と一体になる信仰の生き方によって奇跡をなした。
我々も同じだ。
また、不完全な我々がどのような時に奇跡を見るか考察したい。

1、愛し合っている時
ことばは人となって私たちの間に住まわれた。(ヨハネ1:14)

2、赦して悔い改めて行く時
もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださいます。 (マタイ6:14)
実は赦しと悔い改めはセットです。赦す方も苦々しく思った気持ちを悔い改めなければなりません。

3、一致する時
あなた方に新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)
愛し合って一致して行く時に奇跡が起こります。
いっちが教会の力と言えます。

祈り:主よ。愛し合う、愛しあえる兄弟姉妹を与えてくださり感謝します。一致して奇跡をなして新会堂購入に向けてますます全していきます。聖霊の風をお願いします。


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2015年12月25日(金)
THEME:デボーションシェアリング
イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
ヨハネ21章 22節


18節からペテロは主イエスに殉教の預言を与えられるが復活の主とお会いした今、屁とも思っていない。
理解していると思われる。
なぜならヨハネはどうですか?と、聞いているから。

死を恐れない。いあや、恐ろしいだろう。
しかし、それを超える恵み。愛があるのだ。

愛の反対は無関心だとマザーテレサは言ったが
愛の反対は恐れである。

「愛は恐れを締め出します」

愛することを止めようとするのは恐れである。
じぶんが愛の側に立つということは神の側に立つ!ということなのだ。
なぜなら、

「神は愛だから」

この愛に立つ時に実は恐れは消えてゆく。
どんな時も。
どんな時も愛することを私たちが決断しますように。
アーメン


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2015年12月31日(木)
THEME:デボーションシェアリング
ヘブル書10:23−25
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。


あけましておめでとうございます。
今年の指標聖句ヘブル10:23−25
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
真実を辞書で引くと嘘偽りのないこととあります。
聖書は嘘偽りのない書物です。神の霊感によって書かれた神のことばで誤りがありません。
聖書のことばを覚えるということは、聖書に書かれたことを実現させるものですから人生の力なのです。
その真実の神に希望を告白する。みことばをもって、ここにこう書いてあるから実現するのですと。

また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
互いに愛し合いなさい。これがキリスト時代の新しい戒めです。
おせっかいでもなく、愛と善行を互いに勧め合っていく行為は愛し合っていなければ成り立ちません。
愛しあうということは耳の痛いことも聴ける、信頼関係のできた間柄です。
そのような関係だと思っていても「怒っている時」は馬の耳に念仏です。
聖書には「怒りは神のみ旨を現すことではありません」とはっきり書かれています。

かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
お互いに励まし合う。
礼拝者として生きること。当然です。
命の恩人に会いに行きたいと思いませんか!?
人は一度死ぬことと神のみ前に立つことが平等だと同じヘブル書に書かれてあります。
神のみ前に立った時、クリスチャンはみな救われます。
しかし、救われたものとして礼拝者として生きてきたかどうかが問われるのです。
後悔する生き方だけはしたくはありません。

礼拝に行くのも行かないのも自由なのです。
なぜなら愛には強制があっては愛ではなく義務になってしまうからです。
私は礼拝をしたい。礼拝にこそ一番主は御臨在されるからです。


牧師 進藤 龍也

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    ここには真の愛があるから安らげることができます
    信仰はわかりませんが愛は実感できます
    いつもマリアさんのブログで癒されています
    ありがとうございますm(_ _)m amen

    [ アダ ]

    2016/1/30(土) 午後 9:05

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    > アダさま、こんばんは、。
    こちらこそ、
    いつもご訪問とコメントを頂いて、感謝です、。
    有難うございます、。m(__)m

    Mary Magdalene

    2016/1/30(土) 午後 9:58

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