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あるクリスチャンの方が牧師から、

マタイ 
5:32
しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
 誰でも離別された女と結婚すれば姦淫を犯すのです。

この聖句を根拠として、再婚は認めないと言われたようです、、。
それを聞いて、、、
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僕は、神さまはきっと二人を祝福します。
と、きっぱり言ったのだが
では、この聖句をどう思うか?

訊かれたので
イエス様はもっと深い意味でおっしゃたのだと言いました。
でも、それはどんな意味かは私はわかりませんが直感ですと堪えました。
牧師様はとんでもないことを言い出したものだと思っていますが、
真面目すぎるほど真面目な牧師様です。
この聖句をどう解釈すればいいのでしょう。
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と、御質問を受けました、。
今、別件で調べ物をしておりまして、
取り急ぎの記事内容となりますが、お許し下さい、。


現代において、猫や犬のように、結婚しては離婚し、
再婚を繰り返す人は、、少なくはないですね、。

でも、神様の御前で誓ったものは神聖な誓いであるので、
それをなかったコトにするのは、、
重罪であることは間違いはないです。

ですが、、、
今、原罪のくびきから解放されている人類に対して、
神様は、慈悲深くあられます、。

イエス様が、この聖句をおっしゃったのは、
当時、女性の地位が低く、離縁状さえ渡せば、
いつでも離縁しても良いという考えが多かったからです、。
だから、弱い立場の女性を守るため、、
男性側の都合で離婚を正当化しないように、、
そうおっしゃったんです。

離婚(死別でないから)しての再婚が絶対的に駄目、と
おっしゃる牧師の言い分もわかります、。
聖句通り受け取るならば、そう考えても仕方がないです、。

前に記事で書いたとおり、ダビデの父エッサイの妻は、
アンモン人、ナハシュ王の元妻を妻として娶っています、。
ナハシュ王が離婚や死別していなかったらエッサイは彼女と結婚できないのです、。

サムエル記 下 10:2で、
ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、、と
ダビデが言っているので、離婚でしょう、。

神様はエッサイの行いを責めるようなことをなさっていませんので、
本来なら、離婚も離婚後の再婚も許されないことであるのですが、、
その人が真実の愛を持つ方と出会って、幸せであるならば、
父さまは祝福(婚姻を認め子を与える)をして下さるという事です。

ナハシュ王の元妻により、エッサイは6人もの息子を得ました、。
子供が産まれた、ということは、
神様がその結婚を祝福されて認めたということです、。

また、私自身のことでも、それがわかります、。
私は離婚しております。
そして別れましたけど、婚約者もいました、。

その時その時、、真剣に考えて、
一生一緒に居たいと願っていました、。

でも、愛されていない、と思えるような事が色々起きて、
それでも、我慢したり愛そうと努力しても、、
色々なことが起きたり考えたりの繰り返しで、
私には、誓いを守り切ることが出来なかったんです、。

結婚することも、別れることも、再婚することも、
軽く考えてはいけないこと、、だと、、
ある方からも厳しく叱責されました、。
実際、その通りなので、言い返すことなど出来ません、。

祝福を取り除けられても、、
父さまが私の元を去っても、退けられても
仕方が無いだけの重罪を犯していました、。
何を言われても致し方ありません、。と
神様の御前に、気持ち的には土下座状態でした、。

でも、今でも、父さまも、イエス様も、
私から離れ去らないで下さっていますし、。
智慧を与え、記事を書かせてくださっています、。

その時々が、、私なりに真剣に、、
相手を愛することを思い考えて居たからであると思っています、。
遊び半分に考えて自堕落な思考から取っ替え引っ替えしていたなら、
きっと、今、父さまは、私から離れ去ってたでしょう、。
智慧も気づきも与えられないでしょう、。

この記事だとて、書きながら気づいたことがあります、。

父さまの願い、、イエス様の願いは人の幸せです、。

創世記
2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

この聖句は、
男性は女性と一つになり結婚していることが最も望ましいこと。と、
神様が、最初の時に人を祝福して言われたことです、。

この聖句によるならば、
離婚後とはいえ、再婚を望む方が、
結婚を心から願っている状態であるのに、
牧者が、それを認めないのならば、

人は、男性と女性とで夫婦となり、
一体となるようにとおっしゃった神様の御言葉に、
背くことになると思われます、。


イエス様の時代の、、離縁状書けば離婚してもいいでしょ、と
いう考えの人に当てた御言葉と、、

人類創世の時からの父なる神様の願いと、
どちらを優先すべきなのか、牧者ならば理解すべきです、。

説明に理解し難いところがありましたら、
お手数ですが、コメント欄でもしくはメッセージで、
お知らせ下さい、。


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ここから下は、神様の摂理について書いています、。
興味がある方だけお読み下さい、。

しかしながら、エッサイの妻は初婚ではなかったので、
摂理を、彼女の子らで進めるわけには行きませんでした、。

サウルの妻アヒノアムは、もともとエッサイの婚約者であったので、
エッサイの最初の妻となる女性だったので、
彼女から産まれた子ダビデを神様は祝福し選びました、。

サウル王の子ヨナタンと同じアヒノアムの血を引くダビデを、。
アヒノアムが産んだ長子はヨナタン、次男はダビデなので、
ダビデは長子ヨナタンから王位継承権を受けとらないといけなかったのです、。

神様は、アヒノアムを二人の同母とすることで、
兄弟愛による霊的王位継承をなさいました、。

これの似た型は、
弟ヤコブが兄エサウから長子権を得た故事に由来しますが、
エサウは弟ヤコブを赦し、兄弟愛により愛し、
兄弟愛は神様のものとして取り戻されたので、、。

ダビデはヨナタンから、
神様から祝福される権利長子権(ダビデの時は王位継承権)を
奪い取るのではなくヨナタンから兄弟愛によって、
霊的に譲渡されました、。

マグダラのマリア

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