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マグダラのマリアの部屋(Mary Magdalene)
各書庫より入ると音楽が流れます。音量に御留意下さい。私はプロテスタントですが私からキリスト教へ無理に入信を強いたりしません。

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神道と古代イスラエル、。

イスラエルの軍人であり、神道の神官でもあった
ヨセフ・アイデルバーグ氏は、
10氏族の行方を追い求めた一人、。

日本の文化を知るために、
1974年、研究のために京都の護王神社の見習い神官になり、。
京都の神社に住み込みで働いたこともあった。
氏によれば「日本人はイスラエル10支族の子孫」なのだという、。

日本を訪れるために、
1963年に日本語の勉強を開始したときに、
ヘブライ語と日本語に発音と意味の同じ言葉が、
数多くあることに気がつき、
日本人と失われた10支族の関係性を本格的に研究を開始した。

「日本書紀」「古事記」「十七条憲法」「大化の改新の詔」など
数多くの日本の文献を研究し、
古代ヘブライ人と日本人の関係について彼独自の見解を発表した。

「日本書紀」「古事記」「十七条憲法」「大化の改新の詔」の内容と
聖書に書かれている物語やトーラの教えとの共通点を詳細に研究し、
文化や道徳観の共通点なども著書の中で明らかにしている。

関連著書
「日本人と失われた十部族」
The Japanese and The Lost Tribes of Israel
(邦題:「大和民族はユダヤ人だった」たま出版)
1984年 ISBN 488481-822-9

「鰻と蛇-大和民族はユダヤ人だったか」
(改訂版:「大和民族ユダヤ人説の謎を追う!」たま出版)
1985年 ISBN 978-4884812720

「日本書紀と日本語のユダヤ起源」
(遺稿)徳間書店 2005年
ISBN 978-4-19-862110-0

私が読んだ物はこれです、。
→「日本書紀と日本語のユダヤ起源」

神武天皇は、大陸から朝鮮半島を通り、日本に上陸した。
大和政権における天皇の系譜は、
初代神武から9代、あるいは、13代までは架空であり、
初めから秦氏一族の協力を得てスタートしている。

北王国イスラエルの失われた10氏族のうち
ヨセフ族であるエフライム族などが最初に日本に到達し、
天皇制と神道のもとを作ったと考えています。

歴史的にも、イスラエル王国の滅亡が紀元前722年、
神武天皇即位が紀元前660年であり時間の流れ的に矛盾しないです。

そして4〜5世紀ころ応神天皇の時に、秦氏が渡来。
秦氏は、朝鮮東部の新羅経由で日本に来たとされています。
新羅は中国大陸からの漢民族以外の逃亡民
(秦人、新羅は、元、秦韓と言った。)、
五胡十六国時代の前秦滅亡は394年、後秦滅亡は417年。

秦氏は、チベット系(前秦・(てい)、後秦・羌(きょう))の
流れを汲む民であり、 現在の中国四川省のチベット系少数民族の羌岷(チャンミン)族と同じで、
彼らは失われたイスラエル10氏族の1つである
マナセ族の末裔であると自称し、
アミシャブ(イスラエルの失われた10支族に関する調査機関)
からも認められている。

秦氏は、、、日本文化を作った氏族。
養蚕、機織り、灌漑、治水、冶金などの技術、
そして雅楽などの芸能、他に、和紙、日本酒、祇園祭を
始めたのも秦氏。

そして彼らは驚異的な地理感と卓越した土木技術を駆使して
皇室(レビでユダでもあるエフライム族)に仕え、
彼らが作った組織である神道を支持し、
さらに発展させ、各地の要所に神社を配置しました。

彼らがなぜ皇室に協力したか、同じ慣習を持つことから、
元は同じ同族イスラエル12氏族であると見抜いたからです、。

彼らは伊勢神宮などの大きな主要な社の創建にも尽力しました。
日本における本格的な、、
イスラエル、キリスト教的文化が始まったのは、、
21代雄略天皇から、。

中国で景教と呼ばれたのが、
ネストリウス派キリスト教(東方キリスト教も含む)では、
イエス・キリストのことを、
【JNRI】、あるいは、【INRI】と表記することがある、。
これをローマ字読みすると、イナリとなる、。

稲荷神社はイエス・キリスト神社、となる。
最初に建てられた稲荷神社は、和歌山県有田市の糸賀稲荷。
(狐が稲荷神として祀られるようになったのは、
後の8世紀になってからで、空海による。)

八幡は「ヤハタ」と読み、
ユダヤを意味するヘブル・アラム語の 「ヤェフダー」
あるいは秦氏の神という意味の「ヤハ・ハタ」から来ているという。
八幡神社や八坂神社は、ヤハウェ神社となる、。

日本民族を指すヤマト民族という言葉、。
ヘブル、アラム語で、ヤ・マトゥは、
ヤハウェの「ヤ」と民という意味の「マトゥー」とでヤマトゥ、、
ヤハウェの民の意味、。

泰氏が作った神社には、ユダ族のシンボルである獅子が、、
狛犬と呼ばれて、、置いてあります。

天皇家を大いに助けた秦氏一族は、
今で言うと、
イエス様をメシアと認め奉じていたメシアニック・クリスチャン、。
(ユダヤ教的な原始キリスト教徒(一部、景教徒、ネストリウス派も含む)。)

秦氏が設立にかかわった神社などの建物や、そこで執り行う習慣に、
ヘブライ語や旧約聖書の儀式、ユダヤ的慣習、
新約聖書からの教理や教えが、
秦氏が渡来した初めの時から含まれている。

ユダヤ的慣習というのは、。
--------------------
★清めに水や塩を用いること。
水での禊、神社の盛塩や相撲の撒き塩のこと。 

レビ記
14:9 彼は七日目に体の毛を全部、すなわち、頭髪、ひげ、まゆ毛、その他の毛もすべてそる。そして、衣服を水洗いし、身を洗う。こうして、彼は清くなる。

出エジプト記
29:4 次に、アロンとその子らを臨在の幕屋の入り口に進ませ、彼らを水で清める。

40:32 彼らが臨在の幕屋に入るとき、あるいは、祭壇に献げ物をささげるときは、水で清めるのを常とした。主がモーセに命じられたとおりであった。

レビ記
2:13 穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。

列王記 下
2:21彼は水の源に出かけて行って塩を投げ込み、「主はこう言われる。『わたしはこの水を清めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」と言った。


★死者の穢れの概念

死者が出た家は穢れているので喪があけるまでは宮詣で出来ない。

民数記
19:13 すべて、死者の体に触れて身を清めない者は、主の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断たれる。清めの水が彼の上に振りかけられないので、彼は汚れており、汚れがなお、その身のうちにとどまっているからである。

レビ記
11:11 これらは汚らわしいものであり、その肉を食べてはならない。死骸は汚らわしいものとして扱え。

★女性の月のものや出産に関する概念
こういう時の女性は宮詣で出来ない。

レビ記
12:4 産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間、家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。


★嫌な事があったり、嫌な人には塩をまく、。
ユダヤでも塩をまいた。

士師記 
9:45  アビメレクは、その日一日中、その町と戦い、これを制圧し、町にいた民を殺し、町を破壊し、塩をまいた。

★石の柱
日本で神様を数える単位は柱を用い、ひとはしら、、という、。
秋田県鹿角市十和田大湯にある、
↓大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)
イメージ 1   イメージ 2






イスラエルの石の柱の建て方と酷似。
 
創世記
35:14 ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。

出エジプト記
24:4 モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。



★土の祭壇。
日本書紀に神武天皇は天の香具山(富士山)から、土を取り、
沢山のレンガを作って祭壇とした、とある。

出エジプト記
20:24 あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。



★青銅の蛇。
日本で多い龍神、蛇への信仰、。
大分県豊後高田市臼野と同県豊後高田市城前の境にある、、
猪群(いのむれ)山の山頂では、、、50年ほど前まで、
木の枝を組んで小高い塔を作り、蛇の抜け殻を巻き付けた竹竿を、
ダビデの星に組んだ土台に立て、雨乞いの儀式、
千把焚き(せんばだき)をしていたようです。

山頂には 巨石による↓「ストーンサークル」と陰陽石が、ある、。
イメージ 3
イメージ 4

蛇神と呼ばれるものには、
福を与えるものと災を招くものと二通りいる、。
悪蛇(ヤマタノオロチなど)はサタンのことで、
神蛇、龍神などはモーセの掲げた青銅の蛇のことでしょう。

民数記
21:9 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

列王記 下 
18:4 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。
↑民数記21:9から列王記下18:4の、
青銅の蛇を打ち壊す前までの期間は、命を与えた青銅の蛇を崇拝するのは、イスラエルでは当たり前に行われてきていたことで、
そのネフシュタン信仰の慣習が龍神、蛇神の信仰として日本に伝わリ残ったと考えられる。
本来は、天地創造の神様を礼拝するべきだが、若干ずれてしまった。


★山伏とイスラエル。
イメージ 5イメージ 6 
  ↑             ↑
←イスラエル          山伏


山伏が吹く「ほら貝」の音は、、
ユダヤ人の祭りに使われる「ショーファー」という羊の角で作った
楽器とそっくり、。

今でも、ユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた
「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるが、
これは山伏が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似、。


★日本のお七夜、。

ユダヤ人にとって、8日目は名前を付ける日であり、
また同時に男の子は割礼を受ける日でした。
8日目が命名の日であるというのは、日本と同じ。

日本ではお七夜。ユダヤの「8日目」という数え方は、、、
日本の数え方では7日目の夕方、夜になるからです。

創世記
17:12 いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。

ルカ
2:21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。


★正月の餅と七草粥。

日本の元旦は旧暦では1月15日にあたり、、
昔は餅の日と呼ばれ、前日の14日を14日年越しと呼び公休日とされていた。

イスラエルの過ぎ越しの祭りの日と同じ、
種入れぬパン、マツァをイスラエルでは7日間、食べる、。
7日めに苦菜を食べる。

日本では元旦からモチを食べ、7日めには七草粥を食べる、。
種入れぬパンは、酵母を入れずに焼くパンのことで、
小麦粉ではなく材料を、餅米にして同じように作れば、、日本のモチになる、。

出エジプト記
12:8 そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。

12:15 七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。

12:18 正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。



★お盆、盆踊り。

ユダヤでは7月15日に収穫祭が行われる、。
失われた10氏族がいた北イスラエルでは月遅れの、、
8月15日に行われることが多かった。日本ではお盆が行われる。

盆踊りは、古代の歌垣(うたがき)と言われる踊りが元で、
男女が、歌い踊って見合いをし結婚の約束をする場であった、。
踊り方は男女交互になって、円形の輪を作り、参加人数が増えると、
二重三重に輪を作る、。

古代イスラエルでは、未婚の男女は、
この合同お見合いの場をとても楽しみにしていたという。

列王記 上 
12:32 ヤロブアムはユダにある祭りに倣って第八の月の十五日に祭りを執り行い、自ら祭壇に上った。ベテルでこのように行って、彼は自分の造った子牛にいけにえをささげ、自分の造った聖なる高台のための祭司をベテルに立てた。

士師記
21:19 彼らは更に言った。「そうだ。年ごとにシロで主の祭りが行われる。」――シロの町はベテルの北側、ベテルからシケムに通じる大路の東側、レボナの南側にあった。
21:20 そこで彼らはベニヤミンの人々にこう言い渡した。「ぶどう畑に行って、待ち伏せし、
21:21 シロの娘がそろって踊りに出て来るのが見えたら、ぶどう畑から出て行って、シロの娘の中からそれぞれ妻にしようとする者を捕まえ、ベニヤミンの地に帰りなさい。


★仮庵の祭りと中秋の名月。
日本では旧暦の8月15日、ユダヤで仮庵の祭りが行われるころ、
新暦の9月15日前後に、十五夜を行う、。
昔は仮庵を建て、家族とともに、すすきを花瓶に挿して、
団子や季節の果物などを供えて、お月見をした、。


★収穫を供えることと、仮庵の祭り。
毎年10月、旧暦では9月に伊勢神社を中心に
神嘗祭(かんなめさい)といって、収穫の初穂を神様に捧げる、。
収穫の初穂を神様に捧げることは、イスラエルもしていた、。

出エジプト記
34:26 a あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。



★神道の結婚式、。
ユダヤの結婚式ではぶどう酒を用いるが、
日本の三三九度と同じように同じ酒を盃を用いて飲む。
三三九度(さんさんくど)は神前の結婚式で行われる
固めの儀式のひとつ。
三献の儀
、初めに女性が三度、次に男性が三度、
最後に女性が三度の合計九度飲む。

ユダヤ教では、ぶどう酒を酌み交わしたあと、
新郎がワイングラスを割る。
このグラスを割る慣習は、エルサレムの神殿崩壊後に始まった事で、
それまでは行われていなかった。

結婚式の被り物の角隠しは、
元々は顔全体を覆うもの(かずえ、被衣)で、
宮詣での時に婦人がかぶったもの、。

聖書で、ラケルがベールで顔を覆ったこと、、
現代でもユダヤ人の女性は、結婚式の時にベールをかぶるし、
シナゴーグにいく時も頭に被り物をして居ないと行けないそうです。

神道には神仏に仕える他のキリスト教や仏教の教職や僧侶と違い、
独身制がないこと、また世襲制であること、、
それも、結婚して、自分の子に跡目を譲っていた、
古代イスラエルの祭司やラビと同じ。


★太陽に捧げる馬。
太陽神アマテラスに捧げられた馬を神馬(しんめ)と呼ぶ、
古代イスラエルでも、馬が捧げられていた。

歴代の南ユダの王がしていた異教的な風習であるが、
日本でも残っているということは、、
当時は捕囚の身となっていた北イスラエルでも、
それが行われていてたことになる、。

日本の神社には、絵馬がある、。
あれは元は生きた馬を神に捧げていたもの。
生き物だと管理が大変なので土で作った埴輪の馬、
木や石、絵に描いた馬を用いて簡略化されたものと思われる。

列王記 下 
23:11 彼はユダの王たちが太陽にささげて、主の神殿の入り口、前庭の宦官ネタン・メレクの部屋の傍らに置いた馬を除き去り、太陽の戦車を火で焼いた。



★元服式。
ユダヤでは、13歳になると男子、
バル・ミツバと呼ばれる元服式、成人式をする、。

日本では奈良時代から平安時代にかけては、
13歳から16歳の間に元服し初冠、加冠、烏帽子を着た。
十三参りと言って、数え年で13歳になった男女が、
福徳と知恵を授かる行事のために神社などに、、
詣でることをしていたそうだし、、

賀茂物語の4巻に、
十三歳の十月の半ばに元服して一人前の男になり 
という一文があるようです、。
織田信長は天文15年13歳の時に元服したみたいですね。

↓満年齢で12歳でも、数え年では13歳、。
ルカ
2:42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。

---------------

秦氏よりも物部氏は古いと言われています。
古い元伊勢の地として有名な籠神社(元伊勢籠神社)の
宮司の家系自体が、
天孫族の子孫(簡単にいえば皇族の始祖と同じということ)
であるといわれ、そこで祭っている主祭神に、、
饒速日(ニギハヤヒ)という名前があり、
ニギハヤヒは、天の磐(いわ)船で天から降り白庭山に降臨した。

河内や大和のあたりを支配していたらしい。
九州から東征してきた後の神武天皇が、
大和平定の最後に戦ったのがこのニギハヤヒ。

ニギハヤヒはどうやら大和朝廷の成立以前に、
日本を支配していた王で、神武天皇が日本に来た時には、
既にニギハヤヒが、大和民族として存在していました。

ニギハヤヒの家来の長髄彦(ながすねひこ)が
神武天皇の戦の相手になります。
戦いは長引いて、なかなか決着がつかなかったようです。
終盤になり、戦いの最中に急に空が暗くなって、
雹(ひょう)が降り始め、金色の鳶(とび)があらわれます。
この鳶が神武の弓の先に止まると、
その光のために長髄彦の軍は幻惑されます。

長髄彦はここで神武に使者を送って、、
「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、
いったい天神の御子は二人おられるのですか?
どうして天神の子と名のって、人の土地を奪おうとするのですか?」

それにたいして、神武はこのように答えます。
「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、
必ず天のしるしのものがあるから、それを示しなさい。」

そこで、長髄彦が、
ニギハヤヒの天の羽羽矢(ははや)などを見せると、
神武はそれが偽りでないのを認め、自分も同じものを示します。
神武とニギハヤヒは同じ天孫族の一員だったというわけです。

このあと、長髄彦は恐れ畏まったが、
自分の権力を失うことを恐れて改心することはなかった。
そのため、間を取り持つことが無理だと知った
ニギハヤヒ、、その人があらわれ、
「性質のねじれたところのある」長髄彦を、みずから斬り殺し、
あっさりと神武に帰順し、支配権を譲ったというもの。

ニギハヤヒの正体は物部氏ではないか、、と、。

『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)の中の
「天孫本紀」には尾張氏および物部氏の系譜を詳細に記し、
またほかにも物部氏関係の事績が多く書かれているようです、。
従って、この本の編纂を手がけ初めた聖徳太子と、、
物部氏が関わっていた可能性が高い、。
皇室と、深い関わりがあったことがいえます。

他に、天津神と国津神との国譲りの神話、があります、。
天照(あまてらす)大神の弟である、
須佐之男(すさのお)の尊の娘を娶った大国主など、
天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる、
土着の神(地祇)を「国津神」、
天照大神などがいる高天原の神を「天津神」といいますが、、

この大国主、、色々あったのですが、
立派な社を建て祀る事を条件に、
天津神に、国を譲ることを承知しました。

この条件、、として建てられたのが、出雲大社。
出雲大社は伊勢神宮に並ぶ古社であり、
大國さまとして親しまれる大国主命を奉る。

これも、イスラエルの同族同士であると気づいて、
勢力の強い方に、支配権を譲ったと考えれば、
登場する人物の名は違えど、同じ内容の神話であるといえます、。

神武天皇を擁する秦氏、ユダ族を擁していたことから、
初めに日本国を支配していたヨセフ族であるエフライム族は、、
立派な社を建て祀るということは、皇室と同等に扱うなら、、
ということで、遠回しに、
天皇家との融合を条件にしていたのではないか、、と
私には思われました、。

天照が、女性神であるなら、
古代イスラエルでは男子による一子相伝なので、
須佐之男が弟とは言え姉の天照の子孫だから、、と
支配権を譲ることはありえない、。

古い記録では、天照は男神で、本名は
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてらすくにてらすひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)彦と尊は、男性につける尊称です。

古代の年表から考えると、
三輪王朝の前は、、邪馬台国が存在していたはずで、、
卑弥呼や台与の女王国があったはず、
でも邪馬台国や卑弥呼の名前は神武の東征物語には出てきません。

もしかして、、ニギハヤヒ(物部氏)とは、、
シャーマン巫、、巫女による、神降ろしを行う事によって、
人民を統括していたのかもしれない、。

となれば、表舞台から、物部氏が殆ど衰退し消えているようでも、
天皇家と、密接な関わりがある彼らは、別の名で、生き延びて、
その巫の能力があるものが、影で、
今、この現代でも天皇を支え続けているのではないか、、と
思えてなりません、。

俗にいう、八咫烏とか、、土蜘蛛の御門と、呼ばれてるのが、
そうなのかなぁ、、と 

長いな、。
続きは、神道と古代イスラエル2として書きます、。

調べながら、家の中の本を引っ張り出して確認しながらなので、
すぐには無理かも、。
聖句探すのだけで、脳みそパンクしそ〜〜、笑。
でも、楽しい♪
日本の古代は、、不思議がいっぱいなのです、。

神道と古代イスラエル2はこちら
神道と古代イスラエル3はこちら
神道と古代イスラエル4はこちら
神道と古代イスラエル5はこちら
神道と古代イスラエル6はこちら

マグダラのマリア





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    すごくいいですわ。good!!!

    [ 河辺竜児 ]

    2016/5/1(日) 午後 7:25

    返信する
  • ゴールデンウィークに、この様な長くて素晴らしい記事を気長に読めて良かった!です。^^

    [ ひろしまん ]

    2016/5/1(日) 午後 9:33

    返信する
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    憩 ヨハネ

    2016/5/1(日) 午後 11:52

    返信する
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    > Hristositanさま、
    こんばんは、。
    ご訪問とコメントありがとうございます、。
    褒めて頂いてありがとう御座います、。
    ユダヤのラビの方が書いた本からの引用が多いです。
    数人の方のを、寄せ集め、なので、、
    メインは、日本ユダヤ封印の古代史という邦訳本からです、。

    他にも色々資料本はありますが、ユダヤ人の書いた著書が多いです、。

    ユダヤ人の視点から、概念から見て、故郷と同じだと思うのですから、、似たものがある以上、血の繋がりもあるんですよね、。

    Mary Magdalene

    2016/5/2(月) 午前 0:07

    返信する
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    > ひろしまんさま、
    ご訪問とコメントありがとうございます、。

    本からの引用だと、字が小さめだし、、読みやすい大きく出来ないのは、ちょっと不便なんですけども、、
    見出しから、本文読んで確認して、書かれてある聖句なども自分でも確認して、時間かかりました、。

    でも、わかりやすくまとめれたかな、、と
    自分では満足してます、。

    Mary Magdalene

    2016/5/2(月) 午前 0:12

    返信する
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    > 憩 ヨハネさま、
    ご訪問とコメントありがとう御座います、。
    門松も、、みいつの神様、三位一体を表す、、
    お正月飾りなんですよね、。

    色々と、父、子、聖霊の、みいつの神様を表す、
    三柱、一体の祭儀の仕方、の決まりごとといい、。
    父なる神だけの一神教であった古代、北イスラエルと、
    景教、ネストリウス派、などの三位一体の神様、イエス様を知った、後からきたイスラエルとが、融合して1つの国家を創りだし日本のもと、になったんです。

    一神教だったイスラエルは、同じ氏族だとわかると、
    支配者の立場から身を引いて迎合し、
    争い合うのではなく共生しあうことを選びました、。
    それは、今の日本人の和を尊ぶ心と同じものです、。

    Mary Magdalene

    2016/5/2(月) 午前 0:22

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    2 を楽しみにしていますねっ

    憩 ヨハネ

    2016/5/2(月) 午後 9:49

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    > 憩 ヨハネさま、
    重ねてのご訪問とコメントありがとうございます、。
    ユダヤの方の本からの引用が多くなると思いますが、
    がんばりま〜す、。

    Mary Magdalene

    2016/5/3(火) 午前 1:44

    返信する

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