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神道と古代イスラエル 3の記事で書いたことですが、、
神道では、原罪の概念はないのです、。

でも、何か悪いことを、
自分の行いとか言葉とか思いとかで、しでかして、
神様に対して、罪を犯すと魂が穢(けが)れる、、という考えがあって、
その穢れを祓い清めるために、、禊(みそぎ)とか祓いのための儀式があります、。

その罪を祓い清める、最も大きな儀式は大祓の儀式といって、
天津罪と国津罪を祓い清めるもの、。

天津罪は、天照大神の弟神である素盞嗚命(すさのおのみこと)が、
高天原で犯した罪のことで、。

畔放(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、樋放(ひはなち)、頻播(しきまき)、
串刺(くしさし)、生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、糞戸(くそへ)、
これらは、天照大神の所有する高天原の田畑や神殿などで、
素盞嗚命が行った悪行で、この悪行に心を傷めた天照大神は、
天の岩屋に隠れてしまった。

世界は太陽が消えてしまい、
てんやわんやとなり、神々が協力して、
岩戸から天照大神に出て貰えることが出来たものの、、。

神々は、みんなで相談して、素盞嗚命に、
酷い乱暴をなさった報い、罰として、御身代(財産)をすべて差し出させ、
ひげも切りとり、手足の爪もはぎとって、下界へ追い払ったというもの。

サムエル記 下
10:4 それでハヌンはダビデの家臣を捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返した。
10:5 この人たちが甚だしい辱めを受けたという知らせがダビデに届くと、ダビデは人を遣わして彼らを迎えさせ、王の伝言として、「ひげが生えそろうまでエリコにとどまり、それから帰るように」と言わせた。

イザヤ
50:6 打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。

イスラエルでは、ひげを切り取られるのは侮辱、恥、。

古事記では、素盞嗚命が手足の爪をはぎとられた、って
さらっと書いてあるけれど、。
これは、呪詛するために必要な行為なのでした、。

呪う人の爪や髪の毛を手に入れて、人型などに封じて、
その人形を呪詛の儀式の乗っ取って呪うと、
呪われた人は死んでしまったり、病気になるのです、。

つまり、手足の爪をはがされた素盞嗚命は、
神々から呪われるべき人になったということです、。

申命記
21:23ab 死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。

イエス様も、、木にかけられて、手足を釘で打たれて、
神様から呪われた者となっています、。

私の理解では、太陽神、天照大神は、天地創造の神様と1つであった、
人となる以前の御子なる神様であるイエス様でもあり、、、
素盞嗚命は、、人の罪を負って、呪われた者となって下さった、
人としてのイエス様のことで、、。

素盞嗚命が高天原で天照大神に対して犯した罪は、、
最初の人アダムとエバがエデン(天の国)で神様に対して犯した原罪
のことであるという見解で居ます、。

天地創造の神様であられるイエス様が、
人としてこの世においでになり、人に原罪を負わせ裁くのではなく、
イエス様ご自身が負って下さったのですから、。

現教義では父、子、聖霊の、みいつの神様が定説ですけれど、。
景教のネストリウス派のクリスチャンは、、
当時は、御子なる神さまであるイエス様の位格は1つではなく、
神格と人格との2つの位格に分離されると考えていたので、。

神性な神格の部分を天照大神、人格の部分を素盞嗚命とし、
それプラス、聖霊として聖別不明の月読尊(つくよみのみこと)
の三者で、、1つの太陽神天照大神、、、、
天地創造の神様と同じお方、として祀ったのだと考えています、。

天照大神、素盞嗚命、月読尊の三貴神で、
みいつの神様をも含め、複合的な意味があったと考えています、。

話を戻して、
国津罪は、人が犯す罪のことです、。

1.生膚断(いきはだたち)。生きている人の肌を傷つけること。
2.死膚断(しにはだたち)。死者の肌を傷つけること。
3.白人(しらひと)。肌が白くなる病気。
4.胡久美(こくみ)。背中に大きな瘤(こぶ)ができること。検索 こぶ 全書巻

5.己(おの)が母犯せる罪 実母との近親相姦。
己が子犯せる罪 実子との近親相姦。

6.母と子と犯せる罪  ある女と性交し、その後その娘とも相姦すること。
子と母と犯せる罪  ある娘と性交し、その後その母と相姦すること。
この4つの相姦罪は『古事記』
仲哀天皇段に「上通下通婚罪(おやこたわけ)」という名称の
1つの罪として総括されている、。

7.畜犯せる罪   獣姦のこと。
『古事記』仲哀天皇段には「馬婚(うまたわけ)」
「牛婚(うしたわけ)」、「鶏婚(とりたわけ)」、
「犬婚(いぬたわけ)」となっている、。

8.昆虫(はうむし)の災。 地面を這う昆虫(毒蛇やムカデ、サソリなど)による災難。
9.高つ鳥の災。大殿祭(おおとのほがい)の祝詞には「飛ぶ鳥の災」とあり、
猛禽類による家屋損傷などの災難とされる。

10.畜仆し(けものたおし)、蠱物(まじもの)する罪。 
家畜などを殺し、その屍体で他人を呪う蠱道(こどう、蠱毒とも言います。)

内容を読むと分かるように、
イスラエルで、罪、穢れるとされたことが国津罪とされています、。

1.は、人を殺してはいけない、。
出エジプト記 
20:13 殺してはならない。

2.は、簡単にいえば、死体、死骸に触れてはいけない。
民数記
19:11 どのような人の死体であれ、それに触れた者は七日の間汚れる。

3.は、肌が白くなる重い皮膚病のこと、。
レビ記
13:3 祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。

4.は、背中にこぶが出来た人、。
レビ記
21:20 背中にこぶのある者、目が弱く欠陥のある者、できものや疥癬のある者、睾丸のつぶれた者など、


5.は、
レビ記
20:11 父の妻と寝る者は、父を辱める者であるから、両者共に必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。
20:12 嫁と寝る者は両者共に必ず死刑に処せられる。この秩序を乱す行為は死罪に当たる。


6.は、
レビ記
20:14 一人の女とその母とを共にめとる者は、恥ずべきことをしたのであり、三者共に焼き殺される。あなたたちの中に恥ずべきことがあってはならない。

7.は、
レビ記
20:15 動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。
20:16 いかなる動物とであれ、これに近づいて交わる女と動物を殺さねばならない。彼らは必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。

8.は、
民数記
21:5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」
21:6 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。


出エジプト記
10:15 いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。

16:20 彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。

9.は、鳥による災難があった覚えがないので、
多分、空から降るもののことではないか、、と思うのですが、。
それならば、

出エジプト記
9:19 それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう』と。」


10.は、当時は、シャーマン同士で呪詛してどちらが勝つか、、という
呪詛合戦的なことが多くあったので、それの禁止であると思います、。

出エジプト記
22:27 神をののしってはならない。あなたの民の中の代表者を呪ってはならない。

レビ記
20:9 自分の父母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。父母を呪うことは死罪に当たる。
24:16 主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。

歴代誌 下 
33:6 彼はベン・ヒノムの谷で自分の子らに火の中を通らせ、占いやまじないを行い、魔術や口寄せ、霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。

これらの、
日本国民全部の、、罪穢れを祓うための儀式が大祓の儀式、。
日本中の神社でも大祓の行事は行われるのですが、、
形代(かたしろ)と呼ばれる人形に、罪と穢れを移して、川に流す、というもの。
3月3日に行われる流し雛(びな)も、その厄払い、と同じ概念からくるものです、。

全国の神社でおこなわれる大祓式、。
6月30日と12月31日、年に2回おこなうのが恒例となったのは、、、
およそ1300年ほど昔、第40代の天武天皇の時代と言われている。
ここでも、、出てくる天武天皇、、、。

恒例化されるまでは、
重要な祭儀の前や、天災による災害などの折、
臨時に、、大祓が行われていたのかもしれないですね、、。

恒例化したのは、、
人は日常生活を送る中で、知らず知らずのうちに罪を犯し、
穢(けがれ)に触れてしまうから、というもの、。

『大祓詞』全文
 
高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐神漏美命以知氐
八百萬神等乎神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比氐
我賀皇御孫命波 豐葦原乃水穗國乎安國登平介久
知食世登事依奉里伎
此久依奉里志國中爾荒振留神等乎婆 神問波志爾
問賜比 神掃比爾掃賜比氐 語問比志磐根樹根立
草乃片葉乎母語止米氐 天乃磐座放知天乃八重雲乎
伊頭乃千別伎爾千別伎氐天降志依奉里伎
此久依奉里志四方乃國中登 大倭日高見國乎安國登
定奉里氐 下都磐根爾宮柱太敷立氐
高天原爾千木高知里氐 皇御孫命乃瑞乃御殿仕奉里氐
天乃御蔭日乃御蔭登隱坐志氐 安國登平介久知食左牟
國中爾成出伝牟天乃益人等賀 過犯志介牟種種乃罪事波
天都罪國都罪許許太久乃罪出伝牟
此久出伝婆天都宮事以知氐 天都金木乎本打切里
末打斷知氐 千座乃置座爾置足波志氐 天都菅麻乎
本刈斷末刈切里氐 八針爾取辟伎氐
天都祝詞乃太祝詞事乎宣礼
 
此久宣良婆 天都神波天乃磐門乎押披伎氐
天乃八重雲乎伊頭乃千別伎爾千別伎氐聞食左牟
國都神波高山乃末短山乃末爾上坐志氐
高山乃伊褒理短山乃伊褒理乎搔別介氐聞食左牟
此久聞食志氐婆 罪登云布罪波在良自登
科戸乃風乃天乃八重雲乎吹放都事乃如久
朝乃御霧夕乃御霧乎 朝風夕風乃吹拂布事乃如久
大津邊爾居留大船乎 舳解放知艫解放知氐 大海原爾
押放都事乃如久 彼方乃繁木賀本乎 燒鎌乃敏鎌以知氐
打掃布事乃如久 遺留罪波在良自登 祓給比羌詆杙乎
高山乃末短山乃末与里佐久那太理爾落多岐都
速川乃鷦ず楚
鷽ツ堵肚療弍症杰 大海原爾持出伝奈牟 此久持出往奈婆
荒潮乃潮乃八百道乃八潮道乃潮乃八百會爾坐須
速開都比賣登云布神 持加加呑美氐牟
此久加加呑美氐婆 氣吹戸爾坐須
氣吹戸主登云布神 根國底國爾氣吹放知氐牟
此久氣吹伎放知氐婆 根國底國爾坐須
速佐須良比賣登云布神 持佐須良比失比氐牟
此久佐須良比失比氐婆 罪登云布罪波在良自登
祓給比羌詆杙乎 天都神國都神
八百萬神等共爾 聞食世登白須
 

大祓、、自分で厄払いを申し込むと、、
「形代<人形>」(撫物ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、
名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかけます。
そうすることにより、自分の罪穢を移し、
それを海や川などに流し、自分の身代わりにして罪を清めて貰えます、。
 
大祓いの儀式は、、応仁の乱により400年間、途絶えていた、。
明治4年、明治天皇の思し召しで賢所の前庭にて大祓が行われ、
翌5年には全国の神社で行うように布告が出て、
大祓が再興されるようになった。

6月の大祓は、蘇民将来が神から授けられた茅の輪で、
悪疫除去をしたという伝承による祭儀、
「夏越(なごし)の祓(はらえ)」とも言う、。

関連記事蘇民将来

天皇が麻の衣を着て、紫宸殿(ししんでん)に来られます。
麻の衣は一番卑しい姿の服だから、と一般的には言われていますが、。
麻の中の一つの種類がリネン(亜麻)です。
イスラエルでは祭司は祭儀の時に亜麻で作られた祭服を着ました。

出エジプト記
28:39 また、亜麻の長い服を格子縞に織り、亜麻のターバンを作り、またつづれ織をした飾り帯を作りなさい。

亜麻の代わりに、安価な麻の服で代用したものと思われます、。

天皇は、国民全ての罪の罪業の消滅を、神様に乞い願い、、
自分自身に罪の穢れを移すがごとくに、、大祓いの儀式をする。

神に贖いの祝詞(大祓の祝詞)を捧げる。
それが終わってから、その衣は小さな舟に乗せて、
当時は、都の傍にあった賀茂川に流された。

国民の一切の罪、穢れを麻の衣に負わせて、
川に流し捨てる神事、。
天皇が大祭司となって、日本の全国民の罪の贖いの儀式をしている、。

この罪を背負わせる概念は、、イスラエルにもありました。
イスラエルでは、雄山羊でしたが、
日本では人形及び、祭司の証である、
亜麻の服の代用品である麻の服に背負わせる、。

レビ記
16:8 アロンは二匹の雄山羊についてくじを引き、一匹を主のもの、他の一匹をアザゼルのものと決める。
16:9 アロンはくじで主のものに決まった雄山羊を贖罪の献げ物に用いる。
16:10 くじでアザゼルのものに決まった雄山羊は、生きたまま主の御前に留めておき、贖いの儀式を行い、荒れ野のアザゼルのもとへ追いやるためのものとする。

人形であるのは、、イエス様の身代わりでもあるのです、。
イエス様を模した人形に、自分の罪穢れを負わせて、
川や海の水に流して清めるのですね、。

水は、イスラエルで言うところの清めの水でもあり、、
洗礼時の羊水の代わり、、また、新生させる聖霊の意味合いもふくめての、
罪からの新生の儀式、。
神道の祓いの儀式にはこれだけの意味合いが込められている、。

イエス様の名前はでてこなくて、太陽の神、天照大神となっているけども、
罪陰れの考え方とか、
原罪を、人としてのイエス様(
素盞嗚命)に、
罪を負わせて贖い清めて頂いた、という考え、も、、
祭司の証である亜麻の服の代わりの麻の服や、
イエス様を模した人形に、罪穢れを負わす考え方も、
神道には、すこぶる、原始キリスト教的要素があると思います、。

北イスラエルの頃の風習である、雄山羊
ではなく、
麻の服や人形に負わせたのだからね、、。
どう考えても、イエス様を暗示し象徴している、。

マグダラのマリア

神道と古代イスラエル 1は
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神道と古代イスラエル 2は
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神道と古代イスラエル 3は
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神道と古代イスラエル 4は
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神道と古代イスラエル 6はこちら
 

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