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ユダヤ人には、、白人などが改宗したアシュケナージユダヤ人と、
カナンの地に住んでいたユダヤ人と、2種類のユダヤ人がいます、。
カナンの地に落ち着くまでは寄留の民であり、
カナンの地に住んでからも、
その後、国が、滅び追われたりして、、
安住の地をなかなか得れなかったイスラエルの民です。

聖絶は、、私は、とても疑問に想っていたことでした、。
愛を、イエス様によって語られた神様が、、
そのように命令するのは、納得がいかない、、ことだと、。

前にも書いたけれど、どのようなプロセスで聖絶物語が
聖書に組み入れられたのか、、
また、そのような内容が生み出されたか、、とても謎でした。

まず、、カナンの地に住んでいたユダヤ人が、
識字率5%、、と言ってた人がいたが、、
それは違う、ユダヤに関しては他の民族とは違う、。

ユダヤ人の伝統として、、
夜、母親が幼い子供に聖書の話を読んで聞かせて教えていた。
それは 現代の母親が子供に絵本を読んで聞かせているようなこと。
幼いときから子供は、母によって教育されていた。

だから、、識字率5%というのは、、ユダヤ人には、あり得ない、。

この子供の頃からの今で言う英才教育の継続で、
子供は自分でも聖書を読んで覚え学ぶ、 
12歳までに聖書をほぼ暗記できるためには、、
そうした幼児教育がなかったら難しい。

ユダヤ人は、パルミツバで成人し、大人の仲間入りをする。
その時、今で言う旧約聖書を、すべて覚えていないと、
会衆にも入れない。

旧約の聖絶物語について、、、。
上で書いたように母親が子供に、
今で言うと、あたかも 絵本を読むように、子供に教えるときのお話は、
神様に逆らったり 悪い事をしたら酷い目に会う、。
滅ぼされる、、というような厳しい内容の、、
いわば、聖絶のような、、お話だったかもしれない。

でもその内容には 後世に読む大人のために重要な事も、
ちりばめられていた。
神樣への従順による祝福、、恵み、。
逆に、不信仰、不従順による刑罰なども、、含まれていた、。

子供には 神様は怖いところもあるんだよ、。
だから、、背いたらいけない、、と教えるためのもの。
だから歴史の事実が、、聖絶が行われす、皆殺しをしてなくても良い。

聖絶が、子供を戒めるためのお話で、、架空の寓話であってもいいのです。

実際は、皆殺しで聖絶ではなくても、
わざと、、そのように伝承を伝え、子供に教え戒めることで、
自分たちは神様に選ばれた民だから、、
神様には従順に、逆らわないように、、、と、、
子供たちを長い世代をかけて教育をしたということでも、間違いではない、、。

テレビも絵本も無い時代です、。
夜眠る前に、母親から読んでもらえる聖書のお話に、
子供は ウキウキ 、ワクワク、、ドキドキ。
今日は、、どんなお話だろう、。と、
子供たちは、、毎晩、楽しみにして聴いていたでしょう、。

子供は、チャンバラごっこ、戦争ごっこ、鬼ごっこ、缶けりなど、、
勝ち負け、敵味方がある遊びが好きです、。
現代では、、ゲームで、自分が勇者となり、好みの仲間を引き連れて
モンスターを倒す、ゲームなどで遊んでいますけども、。

私もドラクエ11、、遊んだりしてます、。
ドラクエ124568、、と、DSなどで、遊んでましたので、
好きなんでしょうねぇ、、。
今は、あまりドラクエで遊ぶ時間が無いのですけど、。

自分が勇者になって、戦うのは、面白いので、ワクワクします、。

それと同じ感覚で、聖書の聖絶などのお話は、、、
いつ、戦争が実際に起きてもおかしくない時代でのお話、、
リアル描写の戦争のお話ですから、、
血沸き肉躍るお話に、、子供には聞こえたでしょうし、。

子供は、熱心に聞き入って、、
最後は、神様の勝利を聴いて、安堵して、眠る、。

ユダヤでは 実生活の中に有る聖書だから、そうなる。
母親たちが実際に手にしていた聖書は、、部分部分の
写本のような、口伝的な物語、、、、
粗末な紙か何かに書きうつされたものであったと想います。 

当時は、聖書は、すべて手書き、、身分の高い人でもないと
持ってはいない、。

でも、シナゴーグでいけば、聖書は置かれていて、
毎日のように、ラビなどがいて、聖書の話を教えていたし
実際に聖書を見たり、読むこともできた、。

だから、識字率は、、そんなに低くはない。
ほぼすべての人が、文字が読めたでしょう、。

イエス様が、屈んで、地面に文字を書いた事が聖書に記録されている、。
書いた文字を読ませた相手は、、姦淫の罪を犯した女性に、、です、。
識字率が低かったなら、イエス様は、そんなことはなさらなかったでしょう、。

文字を地面に書いても、読めない人の方が多かったなら、、
読めないかもしれないのですから。
読めるのが当たり前だったから、イエス様は地面に文字を書いたのです、。

母親たちが使ってたであろう、写本のような、口伝的な物語は、、
祖母から、母へ母から娘へ、と幾世代も継承され、、、
大切に保持されてきたものでしょう、。

後年、正式な聖書編纂の時、それらの口伝物語は、、
少し難しい記述形で聖書に入れられた。 
聖絶物語として、。

旧約聖書はユダヤ人を第一義に対象とした御言葉です、
そのユダヤ人には子供もいるし大人もいる。
子供には、、神様に背いたら、絶対に駄目、、滅ぼされるから、くらいに
インパクトの強い話が、教訓話として必要だったのでしょう、。

日本にも、かちかち山とか、いなばの白ウサギ、、ももたろう、。
はなさかじいさん、など悪を戒めるための、
少々残酷なお話があります、。

今は、だいぶ、柔らかくなって、殺したりせず、
謝らせて終わりにしてますけど、
殺される、とか、地獄に堕ちる、くらいで、ちょうど良かった気がします、。  

謝ったんだから、いいじゃないか、、という
風潮が多くなっているようですし、。

子供はつまんない話は聞きません、。
最後は自分が居る側が、勝って、、
めでたしめでたしでないと不安になるし、
敵に勝てないかもという不安を子供のうちから
完全払拭するためにも、

イスラエルは勝利側で、
圧倒的優勢側であるべきでしょう。
いわば刷り込み学習です。
神の民イスラエルは負けないという。

その子供から大人まで網羅する
イスラエルの読み聞かせ絵本みたいなものが
聖絶物語であると思っています。

神様が聖絶という事をなさらない御方であると
私は思っています。

敵であっても女子供は生かすことを、
命じられてる神様です。

矛盾点があるのはおかしいし、
矛盾点があるとするなら、
人側の事情であると思うからです。

神様が、私のような極悪人でも
赦された御方であるのに昔だからといって、
一つの民を絶滅させることは、納得が行かないのです。

飢餓状態でもないのに、
食人行為をしてるとか、であれば、
聖絶は、あるかもしれませんが、、

ただ単に偶像礼拝をしてただけで、
そこまでするのか、、と、、
疑問に思ってしまいます。

桃太郎だって鬼が島に乗り込んで、
多勢に無勢で鬼に負けるのではなく、
正義の味方の桃太郎と3匹のお供の大勝利です。

エデンのりんごは、日本だと桃です。
神様の力が宿る食べ物。
その桃から生まれた桃太郎は、神様の子なんです。
だからひとりと三匹でも勝った。

ユダヤは大昔から 異邦の民、、
隣国の中で寄留して生きていましたから、
生活すること自体が 生易しい事ではなかったのです、。

井戸ひとつでも、自分で掘っても奪われたりもあって、
争いが起こるような環境です。

だから その厳しい生活状況に見合う、生き残るための、
訓話が、聖絶物語であったのだと思います。  
イエス様の御言葉に、その片鱗があります。

マタイ
5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。

敵は憎んで、殺しても良いと、、教えるのは当然だった、。
そうでもしなければ、生き残れない状況下であったということ、、。
そのために敵は憎んで滅ぼせ、という内容の訓話、
伝承された口伝があった、。

そう考えたら、聖絶の話が、、
史実でなかったとしても、当たり前ですね、。
ユダヤ人が生き残るための、訓話、伝承された口伝であり、
聖絶物語は、、神様の直の御命令では無かったのだから、、。

メシア、、イエス様が、、、現れ、
義の太陽が、、昇ったから、、

敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

と、、新しい掟を、、イエス様は、人にお与えになりました、。
人を敵だと想うなかれ、、と、。

聖絶は、イエス様によって、もはや不要のものとされました、。
総ての人は、聖絶の対象とはならず、神様によって
生かされるべきものと、されました。

今は、神様を、聖絶の恐怖感を以て
見る必要はありません、。
聖絶自体、神様は願ってなどはいなかったのだから、。

ただ、ユダヤの民が生き残っていくには、敵は滅ぼせ、、と
そのくらい徹底して教育していないと、
放浪する中で、滅ぼされてしまう危険性の方が高かった、。

イエス様を、この世に送り出すまでは、、、、
イスラエルの民 彼らは、
なんとしても存続し続ける義務があった、。

イエス様が、お生まれになって、、
敵を憎む時代は、、終わったのです、。
憎んでも、人は変われない、。
人は、愛されることで、、変われるから、。

 マグダラのマリア

↓良かったら、、お読み下さい、。

御入会お待ち致しております、。
(現時点で、私含めて、8名の方が同意意思表示、
もしくは、入会の意思表示をされています。
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    私が観たのは天地創造です。名前忘れたけど、キリスト教と分かれた人がいますね。神父と牧師のことを勉強しています。まったく違うのですね。まだ難しいことは書けませんが何となく分かってきています。

    シオンのカケラへようこそ!!

    2018/11/7(水) 午前 7:27

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    > シオンのカケラへようこそ!!さん
    おはようございます、。
    神父、もしくは司祭は、、カトリックで、
    牧師はプロテスタントです、。
    神父は生涯独身で、男性のみ、ですけど、牧師は、女性もいて、妻帯もしています、。結婚出来るのがおおkな違いです、。

    聖書の祭司、大祭司でさえ、結婚して世襲制で継承してますから、
    独身制なのが、、そもそも、間違いなのですけど、。

    Mary Magdalene

    2018/11/7(水) 午前 9:11

  • マリアさん こんにちは。

    ユダヤ人は 昔から自分達の国を持たないため 子孫に残すのは 知恵や知識だけと思い 一生懸命だったと聞いた事があります。 ノーベル賞をもらっている人も とても多いとか?
    民数記6章22節からのみことばは とても意味深いように想います。

    [ saran ]

    2018/11/7(水) 午後 1:38

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    > rut*****さん
    こんにちは、。

    民数記
    祭司による祝福
    6:22 主はモーセに仰せになった。
    6:23 アロンとその子らに言いなさい。あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
    6:24 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
    6:25 主が御顔を向けてあなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。
    6:26 主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。
    6:27 彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

    神様の御名による祝福は、、大祭司イエス様によって、、
    万民に注がれて居ます、。

    Mary Magdalene

    2018/11/7(水) 午後 4:52

  • > Mary Magdaleneさん
    はい。

    ただ イスラエルを祝福しないと 私たちは祝福されないのかな?って思ってしまって… きっと マリアさんなら 明解な お答えをくださると想って 書きました。

    [ saran ]

    2018/11/7(水) 午後 5:42

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    > rut*****さん
    そうでしたか、。
    言葉を汲み取れず、申し訳ございません。

    イスラエルを、祝福、、というより、
    これは、アブラハム契約が下地です、。

    神様が、永遠の契約としてアブラハムにあなたとあなたの子孫をうけいれるものを祝福し、呪うものを呪う、、と、の契約、。

    イエス様は、アブラハムの子孫ですから、、
    アブラハムの子孫である、イエス様を救い主として受け入れているクリスチャンは、自動的に、このアブラハム契約も内包されての祝福を受けることが出来ています、。

    アブラハムやイスラエルを祝福m、ということは、意識的に出来てなくても、イエス様に繋がるという事実によって、以下省略、みたいな、感じで、、
    旧約の祝福も踏まえての大きな祝福をクリスチャンは与えられています、。

    Mary Magdalene

    2018/11/7(水) 午後 7:00

  • > Mary Magdaleneさん
    ありがとうございます😊
    スッキリです。
    教会で 長老の方にお聞きしたのですが 分からないと言われてしまい あっちこっちを 見たり探したりしたのですが なんだかよくわからなくて… 思い切って マリアさんにお聞きして本当に良かったです。感謝します。
    また 分からないところがあったら教えてくださいね。
    今日は 眠れそうです。 ありがとうこざいました。 感謝です

    [ saran ]

    2018/11/7(水) 午後 7:11

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    > rut*****さん
    スッキリ、、でよかったですね、。
    私が解ることなら、、お答えします、。
    分からないことでしたら、少しお時間を頂けたら、
    思考してみて、わかりましたら、お答えします、。

    なんでも、?と思われたら質問して下さいね、。
    私も、疑問に思わないままスルーしてたりすることもあると想うので、自分の勉強にもなります、。

    Mary Magdalene

    2018/11/7(水) 午後 7:23

  • > Mary Magdaleneさん
    ありがとうこざいます😊

    よろしくお願いします。

    [ saran ]

    2018/11/7(水) 午後 7:24

  • 顔アイコン

    > rut*****さん
    はーい、。

    ありがとうございます、。
    こちらこそ、よろしくです、。

    Mary Magdalene

    2018/11/7(水) 午後 7:25

  • 顔アイコン

    聖絶は、イエス様によって、もはや不要のものとされました

    憩 ヨハネ

    2018/11/7(水) 午後 8:57

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    > 憩 ヨハネさん
    こんばんは。

    聖絶は、、要らないです、。永遠に、。
    神様が、女性だけではなく、子供を捕虜とし残されたのは、
    その民族の完全なる殲滅を目的としてなかったからだと思っています、。

    捕虜の異教徒の女性でも気に入れば妻にすることが出来、
    気に入らなくなったら、無条件での解放を指示される神様です、。

    聖絶物語は、、イスラエルの大人から子供まで、
    民族の団結と士気を高め維持する目的の書で、
    史的事実ではなかった、、と、私は、思っています。

    Mary Magdalene

    2018/11/7(水) 午後 9:25

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