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神様の元から生まれこの世に来るとき
私という存在が身体という器に吹き入れられて、
身体という魂の器は生きるものとなった。

人は魂だけで存在出来るけれど、肉体のみでは存在出来ない。
肉体という器から魂が離れたら肉体は、死んで塵に還る。
肉体だけでは、命は存続しない。
魂だけでは存続出来る。

人はもともと神様から与えられた霊、魂によって、
生かされ活きて、、老いていつかは死んでいく。
肉体という器を捨てて魂だけの本来の自分自身に戻る。

魂の中に生きていた間に得た想いや自分の心も内在し、
肉体の死後も、存続し継続していく。

幾度も新生輪廻をしても
一番最初の人として生きていた間の
血の繋がりの記憶と血の絆、、
愛し合う家族の絆は心の絆でもあり、
それは永遠の絆となる。

新生輪廻によって得る霊的家族は、霊的な絆。
心の絆が霊的絆だと思えば良い。

血の繋がりは、生きていた間、
同じ血肉を受け継いで生きた者同士の肉的な絆。
自己の先祖、血筋、血族としての、、
生きていた人としての想いの絆。

生きていた時の自己の血族、先祖と子孫であると、、
そう、、人としての想いで想って護り、
また導く者となって、、、

自己の先祖が生きている人、自己の子孫を護り導く。

それは生まれ変わりや前世ではなく、
新生輪廻によって合わさってきて
自己の先祖たちなどが経験を積みにきたり、
指導し助けることで自らを磨いている、。。

誰かを道b気助けるならば、どうせなら
自分が人として生きていたときと同じ血筋を持つ子孫を、、
護り導き共に学ぶ方が、良いからと、。

たまに徳の高い先祖が守り導き手となる場合もあるけれど、
ところが、、生きている人が、怠けていると、
この子孫からは何も学べない、、導いても無駄、、、と
自分よりランク下の先祖と交代する事が多い。

いくら子孫と先祖という血の絆があっても、
怠け者で、人らしい生き方をしてないと、
見限られて守っても助けても貰えない。

神様も、子孫だから、と助けてあげるように、とも仰ることはない。

カトリックだと煉獄という教理があって、
肉体の死後でも、必ずどこかで救われる、と説いている。
その救いの摂理は、詳しくは説明されてなかった。

天国と地獄と悪霊は聖書中にいても、
人の霊は死後どうなるか、は人にはわかりにくかったから。
ましてや人の霊は肉体の死後、娶ったり嫁いだりしないとの
イエス様の御言葉から、肉体を伴っての輪廻転生を信じて居ない、。

自分自身の肉体は持つことはないけれど、
悪霊同士が多く合わさって、独りの人の内に合わさって存在していたことを
聖書は証していて、彼らは、イエス様にレギオンだと答えた。

マルコ
5:9 そこで、イエス様が、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。

新生輪廻も、これと理屈は同じで、
新しく生まれてくる赤ちゃんの肉体と霊に、
死んでる人の霊が、自分の霊を赤ちゃんの霊にあわせて、、
あたかも、生きていた時のように、復活したがごとくに、
赤ちゃんの体験を自己の体験として共有できること、。

それは生きていた時に出来なかった、、したかったことを、
追体験できる、、。

生きていた時に結婚できなかった人は、
赤ちゃんが大きくなり人を愛して結婚する時に、、
相手の人に合わさっている同じような未婚のまま亡くなった霊がいたら、
その霊と自分の霊を合わせて、一対になることもできる、。

想いを一つにし人を愛する、という思いと、結婚を体感し、
そこで満足したら、神様の元へ帰ることもできるし、
育児も追体験したければ、自分の望むだけ、体験できて、、。

死んだら、そこで、体験できることが終わりではない、ということは、
永遠に生きる魂にとって安らぎと救いとなる、。

歩きたかった人は歩き、走り、、喜び、、
思う存分、間接的にとはいえ、体を動かす感覚を楽しみ、
満足できる、。

いろんな望みを、いろんな人に合わさって追体験することで、
思う存分享受できる、。
一度だけの人生では、満足出来なかったことを、、
追体験することで満足し足らない経験を補填できる、。

自分自身の肉体ではなく、主体者は新しく生まれる赤ちゃんであるので、
イエス様は、娶ったり嫁いだりしない、と、、
天使のようなものになるとおっしゃった、。

新生輪廻は、死ぬまで共に居るのではなく、
霊自身が赤ちゃんから離れることも居続けることも自由です、。

赤ちゃんが、性格や思考や言動が悪くなれば、居心地が悪いので、
先祖霊同様、合わさっている霊も神様のもとに逃げ帰って行きます、。

自分にプラスになる体験が出来ないなら、
無理に一緒に居る必要性はないからです、。

それと、神様のお許しがないと新生輪廻は出来ません、。
だから、地獄に居るような霊は、新生輪廻は出来ません、。

悪霊は、死んだのにも関わらず、神様のもとに帰らずに、
こちらに居座り続けてる者をいいます、。

地獄に行った者たちは、そこが地獄であると、
気づかないまま、地獄に行くのです、。

一部の霊を除いてですが、。
ほとんどの地獄霊は、そこが地獄とは思わず、
自分に取って快適だから、そこに行きます、。

だから、極論すると、地獄は在るけど、ない、、のです、。
堕ちた本人が地獄だと思ってはいないのだから、。

もし、私みたいに、霊界の仕組みも、少しは知ってて、
神様に従いますという誓いも破って、悪を行って、地獄に行ったら、
それは、それは、甚だしく苦しい場所としての地獄になるでしょうね、。

私の魂が、神樣への離反と罪を許しはしないだろうから、
天国に感じる、なんて温情を私に与えてはくれないでしょう、。

もちろん、今の私自身が、そういうことしたら、
そのように厳しく処されることを望みます。
今度こそ、二度と、神様に離反する気なんて永久に起こさなように、
徹底的に罰して下さい、とお願いをしたいくらいですから、。

地獄じゃどんな残酷な目にあっても、どうせ死なないのだから、、
重罪を犯しましたから罰を受けて、当たり前です、、とへりくだるまで、
凝りて魂の底から平服するまで、、痛い目を見たほうが
早く地獄から上がれるから良い、。

地獄に居る、と気づかないままだと、、本当に、
人の時で、永遠に近い時間、地獄にいないといけない、。
それだけは勘弁なので、、痛い目見て、、
神樣から離れたことを気づく方を私は選びたい、。

死んでも、神様から離れたくない、。永遠に離れたくない、。
離れるくらいなら、霊も、魂ごと滅びて存在自体を消え去りたい、。

  • おはようございますお疲れ様です今日金曜公休感謝いつも習慣先ほど起きましたこれから二度寝します、記事、頭下がります 話し変わりますが昨日が今年一番寒さとかやはり寒い冷えますね ((+_+) ⛪

    [ aya***** ]

    2019/1/11(金) 午前 4:39

  • 顔アイコン

    > aya*****さん
    ごめんなさいね、、
    今、コメントに気づきました、。
    いつも、ご訪問とコメント、ありがとうございます、。

    足の痛みは、もう痛まないでいれていますか?

    Mary Magdalene

    2019/1/15(火) 午前 1:01

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