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赦しが先に、、あって
摂理では赦しが先に用意されているけど、、
赦しは、、無条件ではなく、、悔い改めることで罪が赦される。

神様側の心情的想いからすれば、、
神様は赦したい御方で、人が悔いる前から赦しを与えんとして、
御子イエス様をお送り下さり、イエス様は、、
人が悔いる前から赦しの御業である十字架を先んじて担って下さって、、

悔いたものに憐れみを与え罪を赦して下さいます。

裁きも必要だけれど、それは罪を指摘しても悔いない者にたいしてだし、わからずに過失で、罪を犯したものにまで、神様は厳しく裁かない。 

聖書に照らせば、、人を憎み、死ねばよいのにと
思った私は、、死罪だ、、と気づいたとき、
自分の罪の重さで心が潰れました。

苦しくて、、このまま死んで行くんだろうな、、って思いました。
それが当然だと思ったし、愛を持つのではなく、
憎しみに心囚われて、、神様の御心に背いたのだから、、
肉体の死があっても、、しょうがないって思いました。

厳格に、神様が天の法にてらして、、
人を裁くだけの御方であるならば、、、、
この地上の人間は誰一人生きることが出来やしないでしょう、。
ノアの方舟のときのように、、ほぼ人類が絶滅するしか無いです、。

今、私が生きていれるのは神様に赦され愛されてるから、、。
だから、私は、神様の愛を感じ幸せのままでいれてる。

自分の罪の自覚をさせられたとき、、私は肉体の死を覚悟しました、。
罪の重さは、、、軽くはなかったです、。

イエス様の生きておられた時代は、、律法破りは死で、、
生きるために、どうしても守れなかった者は、
人に見つからないように、細心の注意を払っていたし、
バレたときは、潔く死を覚悟した、。

姦淫の女性が、、そう、。
十字架上のイエス様にパラダイスに居ると言われた強盗も、そう、。

彼らは、、死を覚悟した時点で、己の罪を認めて、、
死の裁きを、当然とし、受け入れました、。
それは、心においては、すでに罰を受けて死んだと同じ、、
だから、、赦しが与えられた、。


現代は、罪の自覚が、昔ほど出来難い、。
私のように、実際に死ぬという、、
シチュエーションに出会う人はあまり居ないでしょうから、。

現代でも、、イエス様に多くを赦されているとは言え、、
実際的には、天の法では人を殺めたら死罪です。
この世でも、死罪になる場合がありますし
心の中で、殺したとしても天法では、、死罪です、。

心に悪意を持って人を憎み罵れば、
イエス様の仰った最高法院に引き渡されるとは、、
裁きの座に連れて行かれるよ。。という意味ですから、、
神様が、、、お裁きになられる、、と言うことです、。

人の過ちを赦さないならば、、
神様は、、赦さない人の罪を同じように赦さないでしょう、。
人への悪意ある裁き、憎む想いなどは、自分自身に因果応報で戻ります、。

なぜなら、、人を裁ける権威ある御方は、、
造り主なる神様だけだからです、。

嫌なんだよね、、と教えたり、気をつけたほうが良いよ、、と
注意は出来ても、お前は間違いだから、消えろとかね、、
お前の信仰は間違ってるから、、異端だとか、カルトだとか、
悪意を込めて罵って、それを、いつまでも続けるのは、、
お門違い、、というレベル、。

神様御自身が、気付きや、間違いを正されることをなさるのだから、、
罪ある人は、ただそれを受け入れるだけでいい、。
人が、、まるで神様の立場で、、
権威あるもののように語るのは、大間違い、。

語る権威を、父から受けたと言うのなら、、その証拠を提示するべきです、。

父は、聖書中で、、使命を与える人に名付けて、、改名させた。
神様が、その人の名付け親となられたこと、。

名付け親は、、実の親と同じくらいに重要な存在です。
古代、名前は、その人の本質を、そうあれ、、と
親が願ってつける一種の呪なのですね、。

だから、侍は、人から本名で、呪詛されないように、
本名をあざな、、といって家族以外には隠し、、
通り名で、名を呼び合っていた、。

神様が名を与えるということは、、その人の本質、魂の本質を
神様御自身が授けて、肉の親が与えたのとは違う、
新しい名を、、人に与えたのです、。

父が、名を与えてもおらず、
何の権威や徴を与えても居ないのに、、
自分が神様の代理者のように、
聖書はこう読むべき、と語るのは、、、すこぶる傲慢でしょう。

仮に名を受けれたとしても、その責任の重さを知るなら、、
普通は嫌だけどね、。
私はもともと、神様のために命差し出しますと言ってた口だから、、
何を言われても、聞いても、、平気だったけど、。

私は、間違っていることを語り、それを指摘されても、
訂正したりして聞き従わないのなら、滅ぼす、と言われた、、。

ほろぼされて、殺されても構いません。
神様、あなたになら殺されても文句ないです。
背いたなら、、聞き従わないのなら、滅ぼして下さい、。
と即答で答えた、。

自分の語ることが、間違ってたら、、
父から名を受けた者は、、、死を覚悟すべき、、、。
名を受けてない者は、肉体の死後、、、
間違いを人に教えた罪を問われ、贖わされることを覚悟すべき、。

とある金儲け団体の教祖、、神様のように祀られてるけど、、
ま、地獄で、、待ち構えてた信者に八つ裂きにされてるでしょうね、。
嘘を教えて、お金巻き上げてもいたし、、
絶え間ない苦痛を受けているでしょう、。

地獄では、火が消えることもなく、、うじが尽きることがない、、
火で焼かれ、、虫に生きながら喰われて、、死ぬことも、眠ることも出来ない、。

自分の裁き主は、、自分自身の魂だから、、ごまかしが効かない、。
神様に赦されたと、、いう体験をするまで、、永遠に近い時間、、
火で焼かれ、、虫に喰われ続ける、。

安息の時間なんて、、1秒すらもないし、、。
どんなに苦痛でも、、避け場もなく、
熱くてのどが渇いても水の一滴すらもない、。
自分の中に活ける水がないから、、、。


生きている間に、、罪の重さを知り、
神様からの赦しの体感を受けた人は、、、
人を憎しみから裁いたりしなくなる、、、。

自分に、人を裁くだけの資格が無いことを深く知るからです。

私の赦しの実感は、、
地獄のような精神状態と世界の中で、、
自分の罪の重さに気づいて、悔いて自己裁きしたときに、
イエス様がおいでになって、与えて下さったのでした。
重荷を下ろしなさいと仰って、、。

そのときに、、それまで簡単にというか、軽い気持ちで、
罪のゆるしを、イエス様に乞うていた自分を恥じました、。

イエス様に、、なんてひどいことしてたのかと、、、
イエス様を、何度、踏んづけていたのだろう、、と自覚して、
自分って最低の悪党だなって、そのときに思いました。

罪を、、赦されてしまいまして、ただただ有り難く泣きました。
それでもお前を愛していると言われても、、
私は、赦されて良いのですか、としか、、思えませんでした。

神様は、、裁く権威を持つ御方ですけれど、、
悔いたものには惜しみなく赦しを与える御方です、。

イエス様に、多く赦された者は、、多くを愛するようになる、。
それは、イエス様を、、というだけでなく、、
自分以外の人を、、ゆるすとか、憎まない、とか
受け入れる、、ということを含むのだと想います、。

神様だけを愛しても、隣人を憎み続け赦さず愛さないのなら、、
父は、同じように愛さないでしょう、。

生理的に嫌いなものは、、好きになれと言うのは無理な相談、。
人に上下はなくても、性格、品格、という人格に於いては、
上下はあり、嫌な人はいます、。

イエス様に、どーしても生理的に嫌いです、。
ごめんなさい、。と、、つぶやいた事があります、。
どうしても、、、の場合は、、
世の中 不完全だから 半分はきらいな人がいても、、、。

ようは、、無理に愛しているふりはしなくても良いよ、、ということね。
だからといって、批判という名の攻撃しても、良いわけじゃない、。

神様に自分の奥深い罪を赦された経験がない者は、、
神様の愛と赦しを理解できない者、、
そういう人間は、神様の代わりに、
自分自身が裁きの座に座るのでしょう、。

かつてのファリサイ人らのように、。

そして気づかないままに、、
イエス様にも神様にも牙をむき、御言葉にも楯突いて背く、。
本当に、人間には何もわからない、へりくだれ、というのなら、、
黙っておればよいのだ、。

わからないと言いながらわかった如くに語るのは、
自己矛盾してることにも気づかない愚か者のやること、。

何の権威もなく、間違っていることを語り、肉体の死後、
負いきれないほどの罪を負わねばならぬよりは、
黙って、余計な罪を犯さないほうが、、はるかにマシ、。

言っておくが、、私は自称で、、、
自分からマリアと名乗っているのではない、。
自称と想いたければ思っていれば良い、。

神様に与えられた名がマグダラのマリアであるから、
マグダラのマリアと名乗っている、。
私は、マリアの名を受ける前に、
自分で開いた個人的ブログがあった、。
今は、ほぼ休止中だけどね、。

神様にマリアと名乗りなさいと言われたので、、此処を開いた、。
マリアと名乗りなさいと言われなかったら、
もともとのブログを10年間、書き続けてたでしょうね、。

ブログをいくつも持ってもね、。
そんなに聖書の記事、、書けないから、。
摂理や聖書の記事は、、難しいのだもの、。

思い込みや、、乏しい知識で聖書の記事を書くのは、無理、。

私は、色々な聖書の翻訳サイトを読んでいる、。
原典のヘブル語やギリシャ語とか、を見て、
原語の意味を調べたりしてる。

聖書の聖句を何度も読み返したり、、
削除されすに残された言葉の欠片を見つけたくて、、、
何度も何度も、、読む、。

疑問が解けてないこと、まだまだ沢山あるし、、、。
1アダム、2 セト、3 エノシュ、4 ケナン、 5マハラルエル 、6 イエレド  、7エノク、8 メトシェラ、 9 レメク 、10ノア 、 11セム、12 アルパクシャド、 13 カイナム、14 シェラ、。

たとえば、↑12代目アルパクシャドの子、はシェラなのに、
居ないはずのカイナム(アダムから4代目のケナンと同じ意味の名前)が13代目として系図に挿入されたことの意味とか、。

まだ、、、なんで、、と考えてる、。
前に、人の名前に込められた意味から、思考したけど、
わからなかった、、。

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    思い込みや乏しい知識で聖書の記事を書くのは無理

    憩 ヨハネ

    2019/2/25(月) 午後 10:15

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    > 憩 ヨハネさん
    こんばんは、、。
    突っ込み、、そこですかぁ、。

    ほんと、、本気で何度も聖書を読んで
    勉強しないと、わからないことが多いです。

    勉強し続けても、聖書を読み続けても、、
    全然追いつきません、。

    謎が、、どんどん増えていくし、、、、
    これ、、どういうこと?と、、
    ずっと、頭捻ってます、。

    ヘブライ語の対訳のミルトスは、
    値段がちょっと高いので、、
    最低限必要な、創世記だけしか買えませんでした、。

    中古本も無いしねぇ、。

    聖書の原典語の日本語訳が、
    安価なデジタル本が出てくれたら良いのですけどね、。
    紙本は、、文字が小さいので、読みにくいとこあって、。


    ヘブライ語の対訳、、右から、左なのが、、
    読みづらいけど、文法がそれだから、しょうがないなぁ、。

    Mary Magdalene

    2019/2/25(月) 午後 10:33

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