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どんな悪人でも、、

どんな悪人でも、、
心から悔いて、行いを改める努力をするなら、、
イエス様も、、父さまも、寛大な御心で罪を許して下さいます、。

そうでなかったら、、
失敗ばかりの私など絶対に救われていません、、。

人が、聖人君子のように立派でなくても、、
行いで完全無欠でなくても、、
自分の心が、神様に従おうとしているか、そうでないか、、で
正しさを判定して下さる、。

なんと、ありがたいことか、。
行いそのものではなく、
心をご覧になられる父さまだからこその恵み、。

父さまは、お怒りになると恐ろしく怖いし、時にはとても厳しい、。
けれど、、悔い改めたなら、、
罪人でも愛される父さまの慈悲深さ、果てしない寛大さがある、。

私は何度、誤ちを赦されてきたことでしょう、。

裁くだけの、、厳しく恐ろしい神様なら、、
私、父なる神様のお側に怖くて寄れません、。

救われるのに、、信仰や行いの完全さを求められていたら、
私は絶対にアウトです、。

父さまは、こんなに足らない私でも、
神様に従いたいと言う心ゆえに選んでくださっています、。

私が良いものであるなら、、選ばれて当然です、。
でも、事実はまるで足らないのですから、、
選ばれて当然とは到底思えません、。

父さまは、、足らないものでも用いられる、。
そうよね、、父さまに出来ないことなどないのだもの、。

私が足らなくても、欠けてても、、
豊かに働かれて物事を動かされるのは、父さまご自身なのだから、。
父さま、、あなたの御業に関わることがわずかであろうと、
赦されていますこと感謝です、。


人類すべて、、一人一人が、、
あなたの御業を成すための唯一無二の存在、、、。
祝福されているもの、。

マリア
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2015年12月01日(火)
THEME:デボーションシェアリング
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる(星の数:砂の数)と言われた通りに、彼があらゆる国民の父となるためでした。
(ローマ4:18)


2015年11月29日の礼拝説教は出所してきて12年と4日目であった。
これまでの私は受刑者の時に描いたビジョンに支えられてここまで来た。
受刑者が立ち直り、前科者が柱となっていく教会づくり。
そのビジョンは私を成長させた。

①受刑者の時に思い描いたビジョンはその通りになった。
②神学生の時に天井に貼ったみ言葉とビジョンそのままになった。

著書「立ち上がる力」にも書いたが、ゴールから自分を見てきたからやり遂げることができた。小さな証は大きな証となる。

1、開拓伝道の時たった一人でも説教をし続けた。
2、結婚に夢破れたハートブレイクでも説教し続けた。
3、インターフェロン治療の入院中も外出許可をとって説教し続けた(ともこ姉証人)

ビジョンは人を集め、人を動かし、人を育成する。

「変わろうとすることは神への愛の応答」と題して、救われた者たちがキリストの似姿になること、つまりキリストように生きることは御心であり成長であると語らせてもらった。

望み得ない受刑者の時に、望みを得たことで神と共に描いたビジョンに支えられみなさまに支えられてきたことを心から感謝します。


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2015年12月11日(金)
THEME:デボーションシェアリング
第一テモテ5:17 よく指導の任にあたっている長老 今で言う牧師は二重の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。

このパウロの言葉ってすごいよね!
自分は一切牧師給は要らないといいながら自分の弟子には牧師給を出してやりなさいって言っている。
私も開拓で無給でしばらくきた。
今は手取りで両手に満たない。
でも多くをサポートしてもらってる。感謝。
開拓で給料出ない代わりに携帯とか色々出してもらって、外に行かせてもらって生活してる。
このスタイルは神が私を導いてくれたもの。
二重の尊敬って、ちゃんと尊敬してるなら生活の面倒をみんなで支えてやりなさいって事なんですと教わりました。
なんかそんな事を言ってくれる師匠がいるって泣けてくるね!
中野師匠は私が食えない時に沢山おごってくれた。
献金もくれた。そして今はみんなにも支えられてる。俺は幸せもんだ!


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2015年12月14日(月)
THEME:デボーションシェアリング
使徒としてのしるしは、忍耐の限りを尽くして、あなた方の間で行われてきた、しるしと不思議と力あるわざです。
2コリント12:12


しるし、奇跡、力があるわざ、強調される神の奇跡。
牧会者として伝道者として人々の間をとりもちながら、忍耐の限りを尽くしてきたことがうかがえる。
逆を言えば、忍耐していたものだがらこそ神の奇跡を行えたともいえる。

弱い時にこそ私は強いのです。

しるし  = 見えない神を目の当たりにするような奇跡(癒し、よみがえりなど)
不思議 = 点と点であったものが結ばれるような神の計画を知るようなこと
力あるわざ = デュミナス 神の国の力

このような神のわざを起こすのはもちろん信仰である。
主イエスは人間として神と一体になる信仰の生き方によって奇跡をなした。
我々も同じだ。
また、不完全な我々がどのような時に奇跡を見るか考察したい。

1、愛し合っている時
ことばは人となって私たちの間に住まわれた。(ヨハネ1:14)

2、赦して悔い改めて行く時
もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださいます。 (マタイ6:14)
実は赦しと悔い改めはセットです。赦す方も苦々しく思った気持ちを悔い改めなければなりません。

3、一致する時
あなた方に新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)
愛し合って一致して行く時に奇跡が起こります。
いっちが教会の力と言えます。

祈り:主よ。愛し合う、愛しあえる兄弟姉妹を与えてくださり感謝します。一致して奇跡をなして新会堂購入に向けてますます全していきます。聖霊の風をお願いします。


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2015年12月25日(金)
THEME:デボーションシェアリング
イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
ヨハネ21章 22節


18節からペテロは主イエスに殉教の預言を与えられるが復活の主とお会いした今、屁とも思っていない。
理解していると思われる。
なぜならヨハネはどうですか?と、聞いているから。

死を恐れない。いあや、恐ろしいだろう。
しかし、それを超える恵み。愛があるのだ。

愛の反対は無関心だとマザーテレサは言ったが
愛の反対は恐れである。

「愛は恐れを締め出します」

愛することを止めようとするのは恐れである。
じぶんが愛の側に立つということは神の側に立つ!ということなのだ。
なぜなら、

「神は愛だから」

この愛に立つ時に実は恐れは消えてゆく。
どんな時も。
どんな時も愛することを私たちが決断しますように。
アーメン


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2015年12月31日(木)
THEME:デボーションシェアリング
ヘブル書10:23−25
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。


あけましておめでとうございます。
今年の指標聖句ヘブル10:23−25
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
真実を辞書で引くと嘘偽りのないこととあります。
聖書は嘘偽りのない書物です。神の霊感によって書かれた神のことばで誤りがありません。
聖書のことばを覚えるということは、聖書に書かれたことを実現させるものですから人生の力なのです。
その真実の神に希望を告白する。みことばをもって、ここにこう書いてあるから実現するのですと。

また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
互いに愛し合いなさい。これがキリスト時代の新しい戒めです。
おせっかいでもなく、愛と善行を互いに勧め合っていく行為は愛し合っていなければ成り立ちません。
愛しあうということは耳の痛いことも聴ける、信頼関係のできた間柄です。
そのような関係だと思っていても「怒っている時」は馬の耳に念仏です。
聖書には「怒りは神のみ旨を現すことではありません」とはっきり書かれています。

かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
お互いに励まし合う。
礼拝者として生きること。当然です。
命の恩人に会いに行きたいと思いませんか!?
人は一度死ぬことと神のみ前に立つことが平等だと同じヘブル書に書かれてあります。
神のみ前に立った時、クリスチャンはみな救われます。
しかし、救われたものとして礼拝者として生きてきたかどうかが問われるのです。
後悔する生き方だけはしたくはありません。

礼拝に行くのも行かないのも自由なのです。
なぜなら愛には強制があっては愛ではなく義務になってしまうからです。
私は礼拝をしたい。礼拝にこそ一番主は御臨在されるからです。


牧師 進藤 龍也

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ルカによる福音書
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。


イエス様を最初に天使に言われて探して見つけたのは
貧しい羊飼いたち、。
人から人の様に扱われなかった、底辺にいた人たち、。
彼らが、イエス様のこと、天使たちのことを、
見たこと聞いたことを話しても、人々は不思議に思いつつも、、
羊飼いたちの話したことを信じなかった、。

信じていたのなら、彼らも急いで探しに行ったはずです、。
不思議に思っただけで、、探しには行かなかったんです、。
イエス様がお生まれになられた時点で、
イスラエルの民は心頑なな人が、すでに多かったのかもです、、。


イエス様は仰っていらした、。

マタイによる福音書
7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
13:46 高価な真珠を一つ(探し当てて)見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。



探して、、見つけて、手に入れたら、、
持ち続けるようにする、のですよね、。
落っことして無くさないように、、見失わないように、、
大事に持っていませんと、、。

救いを、、、探す者は見い出し、
求める者には与えられ、叩く者には開かれる、、、。

マグダラのマリア

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高校時代のクリスチャンのお友達から電話が来て、。
いつもの旦那さまとお子さんの愚痴、。

旅行に行くのが気が重い、。縛られるのが嫌、、、、。

はい、。そこまで、。
同じこと何度も言わせて、。
自分は旦那を顎で使って、あれしておいてこれして頂戴と、
散々言ってるでしょ。
たかが年に二回くらいの家族旅行のために、
会社の方に頭下げるのが嫌だからって
旦那にその不満ぶつけて、どーするよ、。

家族旅行の後に会社行くの憂鬱?
普通は、リフレッシュして元気になって、
会社行くじゃん、。
結局、。あなたは自分を働かなくても
食べさせてくれる旦那じゃないから、
こんなの甲斐性がない。
自分の夫としては役立たず、という思考なんじゃないの?

毎日、ブスッたれて暗い顔してたら、
一緒にいる人は気が滅入るから、
いつまでもそうだと離婚したいと思うかもよ、。
それに、あなたのこと、私に電話することで
精神の均衡が取れるなら、と、
あなたの携帯だけ、通話料定額つけて7000円払ってくれているんでしょう、。

で、ほっとくと二時間でもあれが嫌これが嫌と悪愚痴話するじゃん、。

あなたのために、7000円も使ってくれてるんだし、
浮気もしないで直行で家に帰って来て、
子供大事にしているんだし、。
楽しみといえば家族旅行、
文句がないくらい良い旦那様だと思うけど、。

と言ったら、

私、どうしてこうなんだろう、。
わかってるのに、。悪い方を選んでしまう、。
どうしていいか分かんない、。と言うので、、

悪く考える自分が出てきたら、
お願い引っ込んでて、神様!イエスさま助けて下さい、。と、
お願いすれば良いのよ、。
と言ったら、、

私、神様信じてるか分かんない〜、。
イエス様も、信じて洗礼受けた覚えがないし、。
と言うので、。

分かんなくても良いから、
神様!イエスさま!助けて下さい!!って、。お願いをしなさい!
(自分で自分が言った言葉に驚いた、何で命令形!?)

そしたら、、
神様いるの?そうお願いしたら、
悪い自分に引きずられるの助けてくれる??
と言うので

助けて下さるわよ、。絶対にね、。それは、私が保証する、。
私も、悪い自分勝手な自分が出てきたら、
また来たの?引っ込んでてね、。
私は神様に従いたい、。お下がり、。って、。
自分の中の自分勝手な自分に言うよ、。
で、ちゃんと引っ込むからね、。大丈夫!

あなたの心なんだから、あなた自身が善悪を見極め、
心を正しく支配しなければならない、。
と答えたら、。

ほんとに、。ほんとに神様は助けてくれる??と聞かれ

神様とイエスさまを信じて、必死に助けを願いなさい。
そしたら、助けて頂ける。絶対にね、。と答えました。


必要な時に、必要な言葉は与えられています。
ブログでは、時折あった経験ですが、
心に、思い浮かぶ言葉を書いているときなどは特に、。

通常の会話上で、いきなり命令形が出て来たのには面食らいました。
でも、彼女には必要な言葉だったのかもです、。

誰にでも自分勝手な自分自身がいます、。
自分中心に思考する自分、。
それが正しいと思ううちは苦しんだりはしない、。
神様からの光に照らされて、育てられて行くうちに、
自分勝手な自分自身に、疑問を感じるようになり、
そういう自分自身であることに苦痛を覚えてくる、。

自分中心の思考は、自分さえ良ければ、、で、
自分が人に寄り添う努力、支える努力はしない、。
何かして貰っても不平や不満を持ち、口先だけの感謝となる。
自分がして貰うことは多く望んで、自分が仕えることは渋る、。
これでは、いつまでも、良くはならない、。

神様とイエスさまにより頼んで、
自分中心思考や自分勝手な自分自身からは離れましょう。

マグダラのマリア





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