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神道と古代イスラエル  7

織田信長、、
天正3年5月21日(1575年6月29日)、、
火縄銃三段構えの戦略で、、織田・徳川連合軍が圧勝したことで
有名な長篠の戦いの時のことを描いた屏風絵、。

「長篠合戦図屏風」の拡大図、。
イメージ 1

そこに、、背中に六芒星(籠目紋)の描かれた白装束をまとって、
馬に乗っている大将、、信長の真横にいるのは、、、
忌部(いんべ、いべ)氏(うじ)と呼ばれる人たち、。

忌部とは、穢れを忌むという意味で、、、、
彼らは、元伊勢の神宮の神官だった、。

天皇家の大嘗祭の時、天皇は麻で出来た衣を着るのだけど、、
それをつくるのは忌部の家系の人による、。
彼らは、、ユダヤで言うと、、レビ族だということ、、。

伊勢である丹波の籠神社の裏社紋は、、
ユダヤの民族を意味するダビデの星と同じ籠目紋、。
神社の建物のことを、やしろというけど、、
ヨシュア記
18:1 イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。この地方は彼らに征服されていたが、

古代イスラエルでは、
幕屋(イスラエル神殿が建てられる前の至聖所)は
シロという場所にあったわけで、、。

YA、、は万軍の主ヤハウェ、、天の父さまを指す言葉だから、、
ヤーシロ、が縮まって、ヤシロ、、で、
日本式、臨在の幕屋(神様を祀る場所)を指す言葉が、
ヤシロだったのかなーーと、。

城も、シロから来てたりしてねー。

伊勢の神宮、、昔の幕屋の至聖所にあたる
正殿にあがるための階段は、、12段あって、
イスラエルの民族の数と同じだし、。

伊勢の宮は、今のところに落ち着き鎮座するまでは、
イスラエルの幕屋と同じように、、
近畿地方の20数カ所?を移動して建物の解体、移設をしてて、、
ほんとうに イスラエルの幕屋状態だったわけで、、。

鎮座した今でさえ、、
式年遷宮をして、
20年毎にヤシロの建て替えを守っている。
前も書いたけど、、20年経って21年めに建て替えている。

民数記
4:3 それは臨在の幕屋で作業に従事することのできる三十歳以上五十歳以下の者である。

祭司は大祭司以外の人は、最長で、20年間、。
21年めには最長の祭司が代替わりをする。
そして、後継者を育てることに、専念するのだろうけど、。
現代では、どうなのかな、。

一般の職種とは違うので、、
奉仕できる年齡の規定は厳守されたままかもしれない、。

キリスト教会だと、、神父は、基本的に終身、。
牧師は、単立であれば終身も可だけど、
子供に譲ってとか、他の牧者に譲って、、で、、
引退する牧師も多いね、。

今、ネットで書いてあったけど、、
最近、淡路島で古代ヘブライ語が記された指輪と
丸石が発見されたようだから、、うふふ♪やっぱり
古代イスラエルと日本人の祖先は深い繋がりがあったのではないか、、
と、思ってしまいます、、。

信長は、お寺を焼き討ちしたりしてたけど、、
それは当時の坊主が堕落してたからじゃないかな、。

彼は伊勢の式年遷宮を、莫大な費用を援助して
120年ぶりに復活させたのだとか、。
自らの先祖が、、伊勢の神官の血筋だったから、、
それを侍の身分になってからも忘れて無かった?ってことなのかな、。

信長の直ぐ横にいるわけだから、
彼らが側近であることは間違いないわけで、。

火縄銃とか火薬を持ってきた人足という解説もあるようだけど、、
いくら信長が、身分隔てなく付き合った人物だからといっても、、、

戦争の時に、武士でもない人足までわざわざ連れて行かないでしょ、。
戦争時に必要なのは兵法に長けた戦略家なんだから、。
自分と親戚関係があったか戦略に長けていたか、どちらかでないと、
自分とは関わりない平民を戦争には連れて行かないでしょう。

信長は、安土城を造った時に、天守閣とは言わず、
天主閣と呼んだそうな、。

当時のカトリック、キリスト教の布教も許可したし。
聖書の意味を宣教師や誰かから教えられていたか、少しは読んでた??

織田信長は家紋を7つ、持っていたらしい、。
①「五つ木瓜(織田木瓜)」
②「揚羽蝶」
③「永楽通宝銭」
④「五三桐」
⑤「丸に二引両」
⑥「十六葉菊」
⑦「無文字」
なんで7つも家紋あるの???多くねーー??
聖書の完全数の7にこだわりあったとか??

ダニエル書
9:25 これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての/御言葉が出されてから/油注がれた君の到来まで/七週あり、また、六十二週(69週)あって/危機のうちに広場と堀は再建される。
9:26 その六十二週のあと油注がれた者は/不当に断たれ/都と聖所は/次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり/終わりまで戦いが続き/荒廃は避けられない。
9:27 彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」


1948年5月14日 これは、、イスラエル建国日時、。
「指導者であるメシア」までの期間は、7足す62「週」、つまり69「週」
1週を1年として見たなら、、69年、
69年後は、、2017年5月14日、、もう過ぎてるね、、。

ユダヤ暦は一ヶ月あたり、30日、。
ユダヤでは、夕方から夕方までが1日。
半分半分の日付になる、。
週7表示の7週のカレンダー。

ユダヤでの       月  火  水  木  金  土(休) 
       日月  月火   火水 水木 木金 金土 土日  
現代で言うと           火  水  木  金    土    日(休)
 
ユダヤの休みの土曜日は、金曜日の夕方から、土曜日の夕方まで、
土曜日の夕方から日曜日で、他の国で言う月曜日になってユダヤ人は仕事、。

だから、ユダヤでは、金曜の夕方から土曜日の夕方まで、
全部〜〜〜仕事という仕事は休むから、
自分は外国人だと言ってもどこも通らない、。
どこにも出かけれない。動けない、。ってことで、結構、物騒、、。

第一日目:ヨム・リション(日曜日)
第二日目:ヨム・シェニ(月曜日)
第三日目:ヨム・シルシィ(火曜日)
第四日目:ヨム・レヴィイ(水曜日)
第五日目:ヨム・ハミシィ(木曜日)
第六日目:ヨム・シシィ(金曜日)
第七日目:ヨム・シャバット(土曜日)-安息日

ここは黙示録に出てくる7年の患難時代を指す聖句でもあり、、
ダニエル書の「70週の預言」と呼ばれる聖句箇所、。
70週は、本来は7年の70倍として読むそうな、。

ネヘミア書2:1〜8に書かれている再建命令が、、
歴史的に見るとBC445年3月、、69週は483年になりますが、。

ユダヤ暦が一ヶ月30日、1年360日であったことをかんがみて、、
再建命令が出たBC445年3月から、1年360日として
483年後を計算してみると、AD32年の4月前後になり、、
イエスさまが33歳で十字架につけられた時期に当たります、。

昔は数えでだから、現代の満年齢では32歳ということになるので、。
半週は、3日のことなので、、
イエス様の三日目の蘇りを示唆してるし、、

二度、、62週のことが書かれているので、、二度目が、、
イエス様以後の再臨主のことを示唆しているならば、、

一週7日、62週では434年だけど、、、、
43日と読むなら、、30日計算で、
5月14日から43日目は6月27日、、、。

1週半分で10日足すと、、7月7日、、となって
復活日は7月7日だったのかな?過ぎてるけど。

色々な読み方が出来るから、聖句は実に面白い、。
謎めいてるし、、。

ちょっと今、時間無いので、、、
あとから何か見つけたら、、追記、加筆します、。

マグダラのマリア

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