ここから本文です

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

昨日の記事「劣等感は優越感では埋まらない」に、ボクはエグゼル氏の内緒コメントを掲載した。
> エグゼルは視野も広いし、知識も豊富だし、なにより偏差値、IQが高いのだ。
> 神童と呼ばれた者が更に勉強したからだ。   [2013/7/17(水) 午前 8:48 エグゼル ]
エグゼル氏からコメントが入って、やり取りした。
で、結局、偏差値いくつなの?
IQ は?                    [2013/7/17(水) 午後 10:42 omori ]
 
個人情報だ。明かすわけにはゆかないのだ。     [2013/7/17(水) 午後 10:43 エグゼル ]
 
じゃぁせめて、
偏差値については、母集団を、
IQ については、対象年齢を教えてよ。
それだったら個人情報じゃないから、いいでしょ。
 [2013/7/17(水) 午後 10:46 omori ]
 
バカか。
そんなことネットで書くことじゃねえ。
      [2013/7/17(水) 午後 10:47 エグゼル ]
 
あれっ?
もしかして、偏差値とIQ の意味、分かってる?
  [2013/7/17(水) 午後 10:50 omori ]
ここまで進んだ時点で、エグゼル氏は彼自身が書いたコメントをすべて消した。
こうして、エグゼル氏の偏差値と IQ について結局なにもわからずじまい。ザンネン。。。
 
 
《 関連記事 》
◇ 劣等感は優越感では埋まらない  (→ http://blogs.yahoo.co.jp/ccomori/64549821.html
◇ エグゼル氏の論の立て方と行動パターン  (→ http://blogs.・・・/ccomori/64035972.html
◇ エグゼル流、議論術       (→ http://blogs.yahoo.co.jp/ccomori/64046782.html

転載元転載元: 情報科が新しい授業のモデルになる

エグゼル流、議論術

「Aである」という論に対して、
その根拠 を批判して「Aでない」(Aであるとは限らない)と言うなら 反論
別の根拠 を持ち出して「Aでない」と言うのは 異論
批判もせず、根拠も示さず に「Aでない」と言うのは 言いがかり
 
批判や反論であれば 議論 になるが、異論であれば 平行線 。言いがかりは 消耗 です。
 

 
エグゼル氏はまず相手の論をただ否定する。これは 反論 ではなく、言いがかり である。たとえば、彼の
◇ デカルトは自己中心主義ではない。 よって、お前の記事は間違いだ。
という主張がそれにあたる。ボクは記事に「デカルトの立場を自己中心主義と呼ぶことができる」と書いていて、それがボクの結論なのだから、彼の論は結局ボクの記事の結論をただ否定しているにすぎない。あるいは、
◇ 円安によって国際競争力が増す。 よって、お前の記事は間違いだ。
も同じだ。ボクは「円安によって国際競争力が増すための条件」について考察して、「それが増す場合と増さない場合」を分けて論じたのだから、彼はボクの論をまるごと否定しているに等しい。
そして、ボクが挙げた根拠に一切触れず、彼がそう考える根拠も一切示さないのだから、言いがかり なのだ。
 
次にエグゼル氏は、記事に書いてないことを持ち出して、相手の論を否定する。たとえば、
◇ デカルトは人間理性を論じた。 よって、お前の記事は間違いだ。
その主張は記事には無関係であって、これを組み立てて出来上がるのはせいぜい 異論 である。
ボクの視点とは全く異なる、彼の論が出来上がるだけの話だ。もちろん、これも 反論 ではない。
ところで、彼はたくさんの罵言雑言に交えてそれを中途半端に言うだけで、実際には異論にもなっていない。
異論に組み立てて展開するならそれはそれで結構なのだが、彼にはそれをするだけの能力も無い。
 
他には、
◇ お前はデカルトを読んでない。 よって、お前の記事は間違いだ。
◇ お前は経済学を学んでいない。 よって、お前の記事は間違いだ。
のような主張もあるが、これを 異論 に組み立てることは出来そうにないから、言いがかり にしかならないだろう。
もちろんこれも記事に無関係なことなので、「Yes」や「No」を答える必然性も無い。
 
エグゼル氏の主張はこんなものばかりだ。だから、ボクは彼に次のように伝えた。まず全般的に言えることは、
□ 反論 になってない。
言いがかり に対しては、
□ それがあなたの考えなのね。
精一杯前向きに応えて、ここまでだ。中途半端な 異論 に対しては、
□ あなたのブログでやれ。
それ以上言うことは何も無い。 ボクはそのように応えた。
 

 
さて、世の中にはエグゼル氏のコメントが議論になっていると思っている人が相当数いるようだ。
ボクは、これから世に出る若者たちにはきちんと議論できる人になってもらいと願っている。
そして、そのために少しでも力になろうとあれこれ考え、形にしようとしているところである。

転載元転載元: 情報科が新しい授業のモデルになる


マタイ福音書
10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

12:30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
ーーーーー
剣をもたらす、。
うちに、、剣、、刺さってました。

亡き母は、私が教会ばかりに行くようになって、
すごく怒っていました、。
もともと、家にいるのはご飯と寝るためぐらいで

家のことはろくに顧みませんでしたので、
母は、寂しく想ったのでしょうね。

若い時は、そういう母の寂しさや辛さを
理解できませんでした。

もともと、母から愛されてないと思いこんでいたし、
憎まれ嫌われているという先入観があったから
家を出て行きはしなかったし、家にお金は入れていたけど
家に居たくないという気持ちが強かった。

私には居心地悪かったお家だったんですね、。

そりゃあね、。
母と顔を突き合わすたびに、天下分け目の戦いをして、
憎悪むき出しにして、罵りあってたんだから、。

たぶんね、、家の中じゅう、
マイナスエネルギーが充満してたと想いますわ、。
苦笑。

私自身が、神様に背いていることを棚に上げて
親を親のくせに、と批判してたら、世話がない、。

まず、自分が変わらないとね、。

自分が変わって、神様に従って、正しい生き方をした上で、、
敵対してくる家族だったなら、、。

間違いなく、
その家族は残念ながらサタンの手先になってます、。

普通は、、自分が、神様の御命令に従い
生きるように変われば、、回りは、変わって、
奇跡が起きた如くに、好転していきます、。

私、死んでも、亡き母とは和解することなんて無いだろうと
想ってたくらいに母が嫌いでしたけど、、
和解できちゃいましたからね、。あはっ、。

神様のお決めになられたことに背かないことが、幸福への近道です。

私の力ではなかったです。
私自身は嫌でしょうがなかったんだから、。

泣きながら、無理だし嫌です、と言いながら、
でも父母を愛せ、の御命令に従わせて下さい、
と願いました、。
矛盾してますね、。でも、当時はそう祈るしか無く

本音で、母が嫌で嫌でたまらないのと
神様に背いている、
御言葉に従ってない自分がいて

従ってないくせに、従いますって嘘ついて
イエスさま踏みつけてなにやってんのだろうと
思う自分もいて、、相反する想いに板挟みになりながら
だったから、こんな状態だったわけです、。

相反する想いと行動してて、心も安定せず
落ち着いていない状態ですね、。
当時は、神様に背く=バチが当たるみたいな、、
思考してましたから、。

御言葉や御命令に従うのは義務に近かった、。
でも嫌なものは嫌なわけで、格闘するわけです、。

まずは、自分自身の我と格闘して、ボキッと折れて、砕かれて、
従わない自分という馬鹿な自分を自覚して、
不従順極まりない自分を自覚して、、泣きながら、従えてないことに
赦しを乞いながら、従わせて下さい、って祈ってました、。

従いたくないのが本音でしたけど、
御言葉や神様に従わないままで、状況が良くなるとは思えなかったし、

何十年もクリスチャンしてても、
最も根本的なこと、家族を愛することを
努力のどの字もしてなくて、、、。

父母を愛するよう、御言葉が示された以上、、
逃げたいのは山々だけれど逃げれないのですね、。
御言葉のやりが刺さってて、、なぜ従わないのか、、と、
問われているわけだから、。

この課題だけは、無理だから、勘弁してください、と
何度お願いしたかしら、、。
でも、退けられて、、
幾度も同じ御言葉が心に刺さった、。

母を愛して、敬え、、、従いなさい、、と、。
神様が、鬼教官みたいに思えました、。苦笑、。
本気で無理!って思ってましたからね、。

でも、ほんの少しずつだけど、
愛そうと大切にしようと、私なりに努力を積み重ねて、
最後は和解できて、本当の親子になれて、。

大嫌いな母が、大好きな母になってて、
私たちに何が起きた?と思うくらいに、、、
親子関係が180度変わってしまいました、。

自分が、変わったなら、回りも変わります、。

自分が我を通して思考や自分勝手な生き方ばかりしてたら、
変わらないし、悪くしかならない、。

辛くてもね、神様の御命令には従わないといけないです、。

自分が、神様の御命令に背かないように、
人を愛して大切にして、努力もして生きているのに
敵対して来るような家族であれば、
変わらないでしょう、。

サタンの手に堕ちていますから、。
お金や物に心奪われて、簡単に損得勘定で
家族を裏切るような人間なら、変わりはしません、。

でも、普通はそこまでなることはなく、
自分が変われば、周りも改善します、。

神様の御心に沿わない自分勝手思考で生きて、、
人を裏切り捨てるような家族、兄弟姉妹、なら、、
足の塵を払って、、さようなら、、ですね、。

一緒にいたら、自分も巻き添えくいますから、。

極稀にいますね、、毒親というフレーズそのままに
子供にとって毒にしかならない親、、。
私は、子供に毒になるような親にはなりたくないなぁ、。

今のところ、私のお家、来る人来る人、居心地悪いとは言わないで、
くつろぎまくって、ぐっすり寝る人が多いので、、、

物理的には、エアコンつけてないし、毛布しか無い環境でも
居心地よくて、また今度泊めて、、、と息子に言ってくるらしいし、。

お家にマイナスエネルギーは溜まってないと思ってますけど、。

ゲラゲラ笑ってるし、、経済的に苦労はあっても
生きてることが楽しいし、、幸せだと思えるし、、、

前より、まめに、いらないものは捨てて、片付けてるし、
大きい子しかいないので、一度片付けたら、
あまりひどくは散らからないので、そこは助かります、。

とりあえず、人が住める程度には、家を維持してます、。

ゴミ屋敷にしないように、、、。

ゴミ屋敷にすると、、
空気の入れ替え、風を流すことすらもしてないわけだから、
気が淀んで、悪霊さんも幽霊さんも遠慮なく居座ろうと、
やって来ますし、、、

空気の入れ替えと、ほどほどの片付けはしたほうが良いです、。
窓を開けて風を入れて、空気の入れ替えだけでも
部屋の浄化が出来て、違ってきますよ、。

ゴミ屋敷化して、幽霊を呼び込んで幽霊屋敷にした、
お知り合いの話をしたら、それを聞いた
共通のお友達が、、ヤバイ、、うち掃除するわ、、と、
大掃除したって、。くす、。

うちは、お正月過ぎてから
大掃除状態になってしまいましたけど、
早め早めにお掃除するのが、良いかもです、。

神様の御命令に背かないことも、、早め早めが良いです、。
私はクリスチャンになって、20年以上も経ってから、
母が逝くギリギリになって、和解したので、、
後悔先に立たず、です、。

もっと、早く御命令に従っていたら、、
もっと早く母と和解できて、母を喜ばせてあげれたのに、、って
今、そう想います、。

剣は、、神様に従わないところに、刺さるのですね、。
神様に従っていたら、剣は刺さることはないでしょう、。



全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事