ここから本文です

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イエス様の教えで、


イメージ 1

私は、ここで10年以上、
色々なことを言い続けています。

それにもかかわらず、訪問者様が増え続けていること、、とても、とてもありがたいと思っています。

それだけ大らかな固定概念がないクリスチャンが増えたと言うことですね。

固定概念って怖いですよ。
こうでなければならない。そうでなければ救われない。
牧師から聞いたことだけを、鵜呑みにして、他の思考を受け入れれない。何一つ容認出来ない。と言うことになりやすい。

全否定する事、排除する事しか出来ない。
イエス様の時、ファリサイ人たち、律法学者たち、
サドカイ人たちも、、、

何らかの自分の派の教えを持っていた人たちは、新しいことを教えられたイエス様の御言葉に聞く耳を持つ人は誰一人おらず、、

最後はイエス様を多くの奇跡を目にし、耳にしながら見ない聞かない、認めない、、という状態でした。
せっかく神様であるイエス様から直に色々な教えを受けれたと言うのに、、はぁ、、。羨ましい、。

何でイエス様に感謝したり、色々思考したり、しなかったのだろう??頭っから、イエス様のことは、胡散臭い、、と思って居たのかもね。

イエス様の教えで、大切なこと、話す内容だけではなく実らせてる実を見ること。

神様に背いた生き方や、思考してたら、
人生というものは不思議と良い方向には行かない。

自分の願いも叶わないし、良いこともあまりない。

一度決まって教えられた教義を、、彼らは頑なに信じていた。 
思考に柔軟性が無い。
神殿でしか祭儀ができない、神様は喜ばない。と考えていたのがサドカイ人たち。

彼らは祭司職ゆえにエルサレム神殿に依存しほぼ 滅びた、。
残ったのがファリサイ派。 

大きな立派な教会や、きらびやかな祭服、神様からの権威が無いとキリスト教は無意味なものと考えていると、、サドカイ人やファリサイ人たちと、現代のキリスト教も同じことになる。

イエス様が始められた教会、エクレシアの集まりは、
本来、りっぱな建物が無いでも良いし、きらびやかな祭服も権威の象徴の王勺のようなものがなくても、、

神様を愛し敬う想い、信仰心さえあれば、
そこは神様の御座所となり、自分自身が神様の宮となる。
神様は、人の手による宮ではなく、神様御自身の手による宮を御自身の宮と成す。

信仰心があれば、聖霊は降って、神様御自身が、お導き下さる。イエス様は、御自身を信じすがる人たちに聖霊を下し与える、と、、私より大きなことをすると、約束された、。

イエス様を愛し求め信じすがることが、信仰の基本。

日曜日に教会行けば、、それで終わり?
みんなで教会で祈ったら、それで終わり?
教会に献金と奉仕したら、それで終わり?

違うでしょ?
毎日の生活の中で、、イエス様に従おうと努力する事が、一番しないと、いけないこと、、。

日曜日だけじゃなくて、、
普段の生活の中で、どう生きるかが、、一番、、ものをいうのよ。

教会の牧師が言うからって正しいとは限らない。
長い信仰生活の中でつまづくこともある。
そう言うとき、信仰を捨てないで済むには、
自分と神様の絆があること、それが一番必要で大事なこと。

そうであれば人につまづいても、
神様御自身に、、イエス様につながり続けていれる。

教会の建物や、牧者、教会の人たちに
つながるだけの信仰だとね、、。
信徒の人や牧師につまづいたときに棄教してしまうおそれがあるの。

あと棄教するよりたちが悪いのは、
自分が自分の教会に馴染めないからって
自分好みの教理や何かを、、押し付けて、
自分が教祖状態になることね。

他の信徒を巻き込んで、
他の人の自発的意思を尊重出来ずに
押し付けるのは、、2000年前のサドカイ人やファリサイ人たちと同じ自分オンリーの思考。

神様は、押し付けることは良しとなさらない。
だから、、私も、他のサイトまで遠征しにいって
批判して議論したり押し付けるようなことはしない。

基本的に、信仰は個人的なものだから
間違いも、、自分自身で気づくしか古い思考を改めるのは難しい。


おすすめ記事
夢で、視たことを書こうかと想います、。内容はよく覚えてないけど、新生輪廻の仕組み、流れを書いてたか夢をみたから、。そう言えば、そこまで詳しく書いたこと無いな、と思って、。
死んだら、どうなるか、。

多くの臨床、蘇生した人の語ったデーターから、基本的な流れがあることは知っている、、。
地獄にいく場合も、自分で選んで地獄に行くのと、足元に大穴が開いて引きずりこまれるのと、二通りがあること、。
天国といえども、多くの階層に別れてて、、みんながみんな同じ天国に行くわけではないけど、。
地獄に堕ちた場合以外では、合いたいと思えば、逢える、。
私は、地獄にしか行ったと思える夢を主にしか視てないし、地面歩く感じで、あちらに居た、。

天国みたいなところで、誰かと話してたときも、地面歩いてたし、空飛んだ状態のは、視たことが無い、。実際の霊界での移動手段は、、空中を飛んでるのと、空間の瞬間的移動の両方らしい、。
私の母は三途の川のようなものを視ましたが、、私は霊界に行ったと思うときでも、三途の川を見たことはないです、。

不思議なのですが三途の川は日本でだけの話で、海外では川は出てこなくて、ほぼお花畑とか、自然の中での移動なんですよ。
三途の川は、、一種の洗礼の代わりのようなものなのかもです、執着を捨てないと、渡れない川です、。

一跨ぎするような幅であったり、大きい幅であったり、、人それぞれのようです。最初は、暗いトンネルの中を歩いてる感じで、、通り抜けたら、、淡い光が差す所に居て、、そこに川があったり花畑や山や自然があって、。
蘇生した人が、戻れと、言われるのは、ここで、、、そこは、霊界の入り口、、です、。川や花畑を越えて、、向こう側に行ってしまうと、現世、こちらには戻れません、。
あちらへの誕生をし、霊の人となります、。
神様と心がつながっている人は、心地よい光に包まれて、暖かく感じ、安らぎも感じて大きな平安を得ます、。神様って、、計り知れない、、と、、まるで、霊界の空気の中に溶け込んでるように、、神様を、身体中、、心で、、もう全身で在る、、と感じます、。

勝手がわからず、オロオロしてても、、大丈夫、。お迎えがきて、どうしたらよいか教えてくれます、。よほど不道徳で、酷い変な生き方してなければ、、、ですが、、。
大体は、自分の生きていた時の血筋につながる誰か、がきます、。親や、祖父母、おじ、おば、先祖などの、自分の親族だった人たち。
極稀に、すごく仲の良かった友達とか、ペットとかも、、出迎えに来てくれる場合があります、。
初めて会う人でも、、その人がどこの誰なのか、聞かないでも、疑問に想った瞬間、すぐに答えがわかります、。

霊界では、嘘もごまかしも通じない世界です。すぐに何を考えてるか、ツーカーで、通じます、。
テレパシーのような感じで、心と心で通じ合う世界です。
だから、現世で、本音と建前ばかりで、心の中に、人への憎しみやなにかで、イライラギリギリしながら生きてたら、、死んでからも、、同じように、イライラギリギリしながら居るので、、
回りの霊人は、、そんな人に関わらないように、、と、、側には寄ってきません、。側に行くと、速攻で逃げていきます、。
霊界では、そうやって、マイナス思考で、マイナスエネルギーを垂れ流しいる人は敬遠されますし、そういう人は、死んでしばらくは、入り口に居れても、地獄へと自分で行くか、悪魔や悪霊から地獄へと引きずり落とされていきます、。
霊界の入り口以上の、天国の領域には、悪魔、悪霊とその配下は、、神様の光が眩しいので、、居ることが出来ません、。光が、日の鬼焼かれるが如くに苦しいので、、彼らにとっては天国こそが地獄のように感じるのですね、。自分で自分の行き先が、
天国か地獄か、正しく判定できないというのは、。神様の慈悲であり、厳罰でもあります、。地獄に居ることすら気づかないまま、、地獄に居続けないといけない、。厳しい処罰です、。自業自得なんですけど、。
人の話に耳を傾けれ無い頑固者は、、大体地獄に行くことになります、。霊界は天国地獄を総称しての死後の世界のことです、。
天国は神様の御座所です。地獄は、神様の被造物ではなく、人と悪魔とが犯した罪、原罪の副産物です、。
地獄は、神様の被造物ではないので、いつの日か、、すべての人の霊と肉から原罪の徴が取り去られたら、消える場所です、。
その時、悪魔も、消え天使の状態に戻ります、。
人が、罪を犯す事をやめて、神様に従い続けるならば、、、悪魔は、人の世に居場所がなくなるので、、、神様に帰順するしかなくなるのです、。

人は、霊界の入り口から、ごく普通の霊界、、上層霊界、仏界、神界、聖天界、いくつかの階層に別れています、。
この階層も、そこの世界の中では、またいくつかに別れています、。
自分の持つ愛、慈悲レベルによって、行先が変わります、。
仮の名称なので、、霊界では、どう認識され、
どう呼ばれているかは、私は知らないです、。

疑い深い人というのはいるもので、。
ジョシュ・マクドウェルはイエス様の復活の証拠を探すのに、、
700時間以上かけたと言います。
マクドウェルはイエス復活について、こう述べています
『私の達した結論では、イエス・キリストの復活は、人間の心に挿入された不道徳かつ悪質で冷酷極まりないでっち上げであるか、もしくは、史上最高の素晴らしい事実であるか、真逆の2つのうちどちらかでしかありえない。』と、。
真実でなく、人を欺くため、、もしくは弟子の作り事であるなら、、
イエス様が、、
「自分は十字架にかかって死んだ後3日目によみがえるであろう」と
前もって弟子に言う必要はないです、。
死んだとしても蘇るという確信がないと、言えないですし、、ユダヤでは、口に出して言っちゃったなら、その通りに蘇らないと、契約の民であるから、弟子たちからだとてペテン師扱いされます、。
イエス様の死後は従おうとはしないで、離散、自然消滅です、。
でも、、実際に蘇られたから、彼らは、臆すことなく、強くなったのでしょう。
蘇ったことが事実だから、あとは、何が起ころうとも、迫害されてもイエス様を、信じ続け従い続けたのです、。
イエス様の死については、、ピラトは十字架上の遺体を埋葬する許可を与える前に、イエス様が確かに死んだと確認したかったので、ローマ兵にイエス様の体を脇から突き刺させました。イエス様の身体から流出した血と水の混ざった液体、、と書かれたことが、イエス様は亡くなられて居た事実を物語っています、。
亡くなったことが事実で、蘇ったことも、事実なのです、。
そしてイエス様は、御自身が黄泉、、霊が死んでいる者の世界地獄に降って、霊的に死んでいる状態から蘇ることによって、霊的に死んでいる人でも、イエス様が救う御力が在るとを信じすがれば、、地獄の底からでも救い出して下さるのです、。

これは、生きている人だけではなく、すでに死者となった人にも適応され、イエス様に地獄からでも、自己反省して救われた人は、一旦神様の元へ戻ってから、、新生輪廻をする許可を頂いて、、、。
新しく生まれてくる赤ちゃんの霊に自分の霊を合わせて、、この世に赤ちゃんと戻ってきて、赤ちゃんの経験したことを自分の体験として追体験し、生きてた時の自分の間違いを悟ったり、反省したり、新しい発見をしたりしながら、自分がこれで良いと思うまで新生輪廻を繰り返し、追体験し、色々学んで、神様の御元へ帰ります、、。

これを、通常成仏する、とか言います、。ここまで来たら、やっと、通常の天国の住人レベル、。
その後、神様のために働く神霊となったり、霊界で、家族と再会し、一緒に暮らすとか、自分の子孫や親族を救いたいと願って、自分が今度は人を導き助ける立場になって、自分の血筋に、恩返しをするとか、、いろいろ自己啓発するための選択肢はあります、。
いろいろ経験を積めば積むほど、愛も慈悲も大きく深くなって、神様に近くなり、誰かのために働く時の喜びも大きくなります、。その頃になると、神様と心がかなりリンクした状態なので、、神様からくる知恵や気付きで、、こうしたらこうなる、、と言うこともわかるようになって、生きてる人間がやるような失敗はしなくなります、。要は高級神霊は余計なお節介はしない、ということです、。
どうしても、必要な時だけしか、動いたりしないです、。霊格が高くなればなるほど、簡単に助けたりはしません、。神様が、何か助けを与える場合でも、神様御自身でないと出来ないこと以外は、、生きている人に合わさって、その人を守っている神様側の神霊を介して、、生きている人を動かし、生きている人を介して助けを与えます、。経験を積むために合わさっている霊は、仮にも神様側の霊ですから、身体を乗っ取ったりはしません、。

そういうことをするのは、地獄にいくような霊です、。執着が強くて、頑固で、人の話も聞かないで自分勝手で、横柄で、怒りんぼで人からも嫌われてるような人、。
そういう人は、死んだとわからず、こちらでフラフラしてて悪霊やサタンに騙されて、手先になってしまった霊とかに支配されてたり、誘導されて、回りを見ないし、愛ある行動をしないから、死んでもお迎えが見えないとか、、話を聞かないで追い返したりとかで、霊界にいけないままとなって、こちらに留まって、悪霊化したりします、。
ま、ある一定の期間が過ぎたら、自分から地獄に行くんですけどね、。
地獄が良いところ、、、だと思って、。
あとは、地獄がほぼ、永遠の住まいになります、。生きてるうちに人への愛を持つことが、、大事です、。
生きてる間、、自分勝手に生きてたら、、悪霊と仲良くなって、地獄に行くようなものだし、天国の入り口へ入ることさえ不可能です、。
天国の入り口、は天国でも、下の方の天国です、。地獄ではないということと、
ごく普通の生き方をした多くの人が、此処の霊界に行きます、。
それでも、天国と、、人が十分に思う至福の世界です、。
人らしく生きてなかった人の場合は、、この霊界すら入れず、地獄へ行くだけです、。

全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事