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書庫マグダラのマリア聖書論



この書庫は聖書の深(裏?)読み系の記事です。

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イエス様の系図、4人の女性について、一考察。
イエス様の系図に、、4人の女性が載ってます、。
タマルとラハブとルツ、そしてウリヤの妻、バト・シェバ、。

タマルは、、ユダの長男の嫁、。
ラハブとルツは、、カナン人、モアブ人、、
イスラエル的に言えば、異邦人と思われていた、。
ルツも、、、エリメレクの子、長男マフロンの妻。
ウリヤの妻、バト・シェバ、、、

それぞれ、みな、いわくつきの女性と言われてるけども、。
ラハブは、娼婦と訳されているけれど、

彼女らが、、本当に異邦人、異教徒であれば、、
それこそ家系の恥になるので、逆に載せたくないと思う。

4人の女性全員に共通して言えること、。
アブラハムの後継ぎ、イサクを産んだ妻サラと同じでように、、
当時のユダの族長の後継ぎの子を産んでる女性であること、。
自分のそれまでの生活を捨てていることも共通してる。

ウリヤの妻バト・シェバ、、、
夫ウリヤのやもめとして生きることも可能だったけど、
ダビデを選んでついていき、ソロモンを生んでる。

彼女はウリヤの妻であっても婚約期間中で、夫が戦争に行き
実際は処女であったと、私は思っている、。
なぜなら、ダビデが、大慌てで、ウリヤを呼び戻しているから、。

ウリヤが戦争にいく前までに、
彼との夫婦生活があったのならば、、
懐妊しても、夫ウリヤにあなたの子が出来ましたと、
言えばいいだけ、。

ダビデに、わざわざ懐妊したと言ったのは、、
婚約期間中で、実際は処女であったため、
処女の印があって、ダビデが子の父親であることが確実だったから、。

で、ダビデも、、ウリヤが戦争に行ってて、床入を一度もしていないのに、
自分の子が出来るのはおかしいから、なんとかして誤魔化すべく、
ウリヤを呼び寄せた、。

でも、彼は、、、自分だけ、妻の元に戻れないと、
新婚なのに、家に戻らなかった、。
それで、ダビデは、ウリヤに、自分がしたことがバト・シェバからバレて、
公になる前に、ウリヤを戦死させた、。

バト・シェバが処女でなければ、、そこまでする必要はなかった筈、。
処女だったから、、ウリヤが懐妊を知ったらバト・シェバは
追求される、、そうしたらダビデのことを白状するしかないので、、。


タマルも、命の危険にさらされながらも命がけでユダの子を生んでる、。
ラハブも、ルツも、自分の民とか家族とかを神様のために捨ててる、、。
神様のために、それまでの自分の立場も、
生活の全てを投げ捨てて犠牲にしてる。

それでなくてもイスラエルは、、、父子継承の国で、
女性の名前が系図に書かれ載るというのは、、ありえない出来事。
一人でもびっくりなのに、4人もいる。
で、、御母マリアも入れたら、、5人もいる。

ほんと不思議な話、、。
彼女らが信仰深くなければ、わざわざ男性らを差し置いて
名前が記録される訳がない、。

とびぬけて、信仰が高かったからとしか思えない、。
彼女たちは、、人にもだけれど、神様に対しても
従順であったのだとおもう、。

こうあれ、、という流れが来た時に、
文句も、自分の考えを言うことなく、神様の導きであると信じて
はい、。と、従ったのだから

バト・シェバは、ダビデの誘いを断ることもできたのよね、。
夫が居るんだから、、。
でも、ダビデから声をかけられたことを、
神様の声であったか、、のように受け止めて、
従ったわけで、。多分、彼女は処女のままであっただろうから、、。


ダビデとつながれば、ダビデは彼女の処女を奪ったことに対して、
娶る、という形で償わないといけない、。
ダビデはバト・シェバが乙女であることに
気が付かなかったのでしょうけど、。

バト・シェバは誓いの娘という意味で、本名ではないような、。
アロンの妻の名は、エリ・シェバ、神の娘、。

シェバは、、男性名、、あとは、誓いの井戸(ベエル・シェバ)とか、
それの名の由来となった七匹(シェバ)の雌の小羊とかに使われている、、、、。
女性では、、シェバ(シバ)の女王、。

この方、、異国の民のはずで、、
なんで、イスラエル人のような 誓いの 女王 という名前なんだか??
これも、本名ではないような、。

誓いは、普通、結婚か契約に関すること、、。

彼女は多くの香料を持ってきた、。
当時は香料は高価で金と等価かそれ以上のものである場合もあった、。
祭儀に香木や香料は欠かせない、。イスラエルでもしかり、。

旧約だとシェバ(シバ)の女王と書かれているけど、
新約だと、、めっちゃ遠方、という意味でしょうけど、、
地の果てからやって来た南の女王(Queen of the South)と書かれている、。
なんで名を書かなかったのか??本名じゃなかった?通り名?

イエス様の後言葉、も不思議よねぇ、。
また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。

ソロモンにまさる??
文脈からして、よこしまで神に背いた時代の者たちとして
裁かれずに済んだニネベの人たちやシェバの女王に裁かれるのは、
律法学者とファリサイ派の人々のことで、
彼らよりも異邦人であるニネベの人たちや、、
シェバの女王のほうが悔い改めたり、知恵を持った行動をしたから
上であるという意味、なんだろうけど、。

シェバの女王は、、わざわざ噂の真偽を確かめにきただけじゃなくて
敵状視察に来てたわけで、あわよくばイスラエルを滅ぼそうとしていた。
多くの贈り物を携えて来たのは、
フェイクで敵意がないと見せかけるためのもの、。

極めて大勢の随員を伴い、わざわざやってきた女王、。
知恵があり、武術も強くなければ女の身で、、
女王で居るのは難しい、。
知恵がある。と認めるしかなかったから、
無駄な争いを起こさずに贈り物をして帰った。

武力にも長けた強いシェバの女王が、何もせずに、、
ソロモンの知恵に感嘆して自分の国に帰ったから、、。

その後は。世界のすべての王が、無駄な争いをしないで
神様がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、
ソロモンに拝謁を求めるようになった、、というなら、
辻褄が合うものね、。

当時は王、女王は祭儀の大神官も兼任していたから
シェバの女王、彼女は神託も受けれる立場であったと思われる、。

列王記 上
10:9 あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです。

ここで、、神様に、あなたの神、主は、、と呼びかけ、
栄光を帰し、讃えているから、。

伝承ではネブカドネザル2世が、ソロモンと彼女との間に出来た子だとか。
イスラエルの国をバビロンの属国にしたのも彼、。
ソロモンも、彼女の真意は見抜いていたと思われる、。
自分を試しにきたと、、失敗すれば牙を向くだろうと、。

女王の願うものは何でも望みのままに与えた。
すでに彼女は女王で、、色々なものは手に入ってて、、
無いものは無い、はずなのに、、何を彼女は望んだ??

普通で考えたら、知恵があり富んだ国を味方につけたいと思う。
ソロモンの子を得ることで、不可侵の同盟を、結ぶと思うけど、。

昔は、、婚姻もしくは親しい身内、自分の子などを、
その同盟の保証として与えたり得ていた、。
なんでも、、だから、、自分の子も、、あり、だよなぁ、。
って思った、。

バト・シェバ、、本当なら、ウリヤに嫁がずに、
ダビデに未婚のまま嫁ぐべきだった、。

ウリヤは、、可哀想だけど、本来のバト・シェバの結婚相手ではなかった、。
神様が娶せた結婚、神様によって結び合わされた結婚が、、
運命の相手との結婚であり、、

神様が用意された、自分だけのアダムやエバを得れる結婚。
夫婦となり、1つ、とみなされる結婚、。
結婚できたら、、誰でもかれでも、
死後も一対になれるわけじゃないんだって、。

神様が娶せた、、という条件がつかない場合は、運命の出会いではない。
次の機会、、新生輪廻や再婚の機会を待つしか無い。
イエス様の系図、、の女性たち、、
形式上はラハブ以外は初婚ではない人が多い、。

でも、、イエス様の系図に繋がる男性らが、、
彼女らの夫となるべく神様が定められた運命の夫だった、。
神様の介入があって、、、彼女らは娶せられ子を持てた、。

当時、、子を産めるということは、、神様の祝福の印、。
ミカルは、ダビデの妻でありながら、ダビデを蔑んで心変わりもし、、
テラフィムも持ってて偶像礼拝もしていたから、、
ダビデの子を産めなかった。

赤い紐で吊り下ろしたラハブが彼女の予型、。
彼女が、正しい信仰を持っていて、、
ダビデを愛し続けていたのなら、
バト・シェバの産んだ子ソロモンではなく、
彼女の産んだであろう子が、ダビデの後をついで
王位についていたかもしれない、。

彼女は、、夫ダビデを蔑んだから、、
ダビデの運命の相手、、彼のエバとなる資格を失った、。

運命の相手、、神様が娶せた相手というのは、、
本来なら、、1人に1人、、の筈なんだけども、、人が不信仰したり、、
心変わりしたりするから、、結婚するのが1度で済まなかったり、
結婚できなかったり子が産めかったりするのね、。

イエス様の系図、
ユダはタマルによって、と書かれているから、タマルが運命の相手、。
サルモンはラハブによって、と書かれているから、ラハブが運命の相手、。
ボアズはルツによって、と書かれているから、ルツが運命の相手、。

ラハブは、、遊女と書かれてるけど、、未婚の可能性は高い。
ラハブの職業 πόρνη というギリシャ語では売春婦だけれど、
もう一つ意味があってidolatorの女性形、で、
偶像崇拝者、(盲目的な)崇拝者、心酔者という意味があるから、。

タマルは、ユダの長男のエルの妻だったし、
ルツも、、エリメレクの長男マフロンの妻だったのに、
名前だけが書かれている、、。

バト・シェバだけ、、ウリヤの妻による、と
書かれているので、ダビデの運命の相手はバト・シェバじゃなかった、。

再度書くけど、、ミカル、、もし、彼女が、正しい信仰を持ち、
自分の夫ダビデに誠実でいれたなら、ラハブのように子供に恵まれ、。

ソロモン王の母であったパト・シェバのように、
彼女が、、なれたのに、。

ダビデは、ミカルが命を助けた恩を忘れず、サウルによって無理矢理に、
ライシュの子パルティエルに嫁がされたと思ったから、

サウルの子イシュ・ボシェトに使者を遣わし、
ペリシテ人の陽皮百枚を納めてめとった
自分の妻のミカルをいただきたい、と申し入れて
ミカルを取り返していた、。

ダビデは妻としてミカルを愛し続けていたのに、
ミカルは、、、。

運命の相手の予定だったのに、二人は、、
この世では心が結ばれないまま終わった、。
こういう場合、どうなるのかな、。

本来の運命の相手が、、心変わりしちゃったら??
何処かで、新生輪廻で、人に合わさり、、また巡りあって
自分が合わさっている人同士が結婚するまで1つになれない??

イエス様の系図では、
バト・シュアは、ウリヤの妻と表記されてる、。
彼女は、、この世ではダビデの妻にもなったけど、、、
死後は?ウリヤの妻なの?ダビデの妻なの??

御母マリアは、、ヨセフの妻、、と書かれたから、、
ヨセフが運命の相手で、神様が娶せた相手、。
ヨセフは、再婚だけど、、
マリアが運命の相手になるってことで、。

ん、、考えると、頭プッツンしそう、、。

追記
ダビデは産まれついて、霊の目が開けていて
霊を視たり語る能力があった。
ソロモンも、親子だから多少は持っていたはず、。

ソロモンが、知恵を神様に願った時、、
神様は、知恵と英知の霊、神の霊、聖霊を彼にくだして
知恵を授けられた、。

その時から、彼は、、知恵多きものとなった。
そ、、うちに内在する神様からの霊に聞けば、
なんでもわかる、。

彼は鈍感体質ではなかったのと、
神様がソロモンの霊の目を開いたのかもね、。

それで、ソロモンは、それまで
分からなかったことも何でもわかるようになった。
日本の暗記する家柄、、あれも、、
暗記一本で国中の私史を完璧に覚えきれるわけがないので、、
霊を呼び、霊に語らせ、何でも知ることが出来る、、
そういうことに秀でた霊能力を備えた家系ではなかったか、、と思う、。

いまでいう右脳開発みたいなこと当時はないし、。
持って産まれた素養が大切だから、。

私の母も、多少はあったんだけどね、。
私は鈍感のままだわ〜〜。
ダイエットしても、未だに鈍ちゃん、。

予知夢見るのは、、人より多いかも、。
夢でフルカラーで色付きの、、と逆に、暗くて
声だけの夢だったら、現実化する可能性が大、、。

あとは、夢見たとしても、起きた瞬間に忘れてる、、、。
頭使わないと、、ボケボケ星人になりそう、。


マグダラのマリア


イエス様は、、人としては、、
マグダラのマリアを最も愛してる、。
神様としては、、全人類を愛しているけれども、。

イエス様は100%神様であるけれども、100%人でもあるので
その人としての、、夫としての愛は、、
イエス様の妻であるマグダラのマリアのもの、、です、。
永遠に、、。

1人のアダムには、1人のエバ、。

教会は組織であって、イエス様の花嫁にはなれない、。
信徒はイエス様に繋がる枝葉であってイエス様の花嫁にはなれない、。

教義的に教会や信徒をイエス様の花嫁としたかったのは、、

イエス様に固定の花嫁が居たのでは不都合だから、。
イエス様が特定の女性を愛していたら、、
全人類を愛せないとでも、思ったんでしょうね、。

そんな信仰じゃ、、
イエス様が天地創造の神様でもあるってことを忘れているわよ、。

神様としての御愛と、、
人としてのイエス様の個人的な御愛は別です、。

どっちも100%愛せるに決まってるじゃない、。
神様としての想いと、、人としての想いと、、
イエス様は、受肉されて人となられた神様なのだから、、
その両方を、お持ちなんだから、。

神様としての愛で、、全人類を愛して、、
人としての1人の男性としての愛は
妻と選んだマグダラのマリアに注いでどこが悪いの??

1人のアダムに1人のエバだもん、、。

私だって、本音言えばぁ、
マリアが、ちょっとだけ、うらやましいけど〜〜〜〜〜っ。

でもね、神様が、
1人の男性に1人の女性を、とお決めになったのだから、、
その規定を、、イエス様ご自身が破るわけないし、、、、

もし破ったら、、サタンに重婚の罪あり、と讒訴されるじゃない、。
くすっ、。

それに、、夫婦愛や家族愛による絆が、永遠性をもつのは、、
とても素晴らしいこと、。

愛が、、この世だけの絆、死んだら終ってしまうようなものなら、
人の家族愛、夫婦愛は、うすっぺらいものになってしまう、。

永遠の愛を誓って、それを永遠に守るから、、
その愛には大きな価値がある、。
一時の感情だけでの愛ではない普遍的な愛をね、、。

神様は、、永遠に不変の愛を持つ御方、、
だから、神様の似姿に作られた人も、、永遠性の愛を持ち、
それを顕現すべきだから、、永遠に1人の夫に1人の妻、、、。

教会と信徒をイエス様の花嫁とする解釈は、、
間違いだから、、、いずれは訂正されると私は思う、。

イエス様の伴侶、、妻、、花嫁は、マグダラのマリア、、彼女のみ、。
イエス様と彼女は、、婚約式までしか、、完了出来なかった、。

ユダヤでは婚約だけでも、妻とみなされる、。
だからマリアは、、婚約者が亡くなったことで、
子を産まないまま、やもめとなった、。

マリア、、子供、、産みたかったと思う、。
ごく普通に結婚して、、子供を産んで、、
イエス様と共に、ごく普通の家庭を築きたかったと思う、。

その想いは、、強く残っているだろうから、、、。
マリアは、、再臨主、、イエス様の御霊を持つ方と、この世で、、
出逢っただけでは、、イエス様と1つになれない、、。

イエス様の御霊を宿す御方と結婚する女性と、、
霊を合わせて、、、、彼女と彼と共に、、、
イエス様の御霊と結婚するしか、、1つになれない、。

だから、、再臨主は、、幾度か再再臨するかもしれない、。
イエス様ご自身とマリアとの、御結婚の成就のために、。

マリアは、、生きてる間も、死んでからも、
イエス様と再び逢える時が来るのを信じて待っていたでしょう、。

一回、、時が過ぎたから、、また、、次、、。
でもいつかは、、おふたりは必ず男女一対、夫婦となり1つとなる。
そうして、イエス様は、2000年前の永遠の愛の誓いを果たす、。
イエス様は、、そのためにも、再臨を約束されたのだと想うから、。

きっと大丈夫、もう、すでにサタンは永遠の愛を持つ御方
イエス様に2000年前に敗北してるんだから、。

教会や信徒がイエス様の花嫁でありたいと願うのは、、、、
それって、イエス様と同等の権利と権威を持つことでもあるからかも、。

でもね、。
それはありえないの、。
イエス様は、人としてマグダラのマリアを妻として選んだ、。
神様としてマリアを選んで結婚したわけじゃないのよ、。

そんなこというなら、、神の母となった御母マリアのほうが、
イエス様よりも偉くないといけないじゃない、。
そうじゃないでしょ?

無垢なイエス様が、御母マリアに宿ったから、
マリアは無原罪な存在となり、イエス様を産んだのだもの、。
御母マリアが処女でイエス様を産んだから、
イエス様が無垢なわけじゃない、。

イエス様は、、御母マリアの処女性があったかないで揺らぐような、
ちゃちい神性や聖性なんかじゃないから、。
もし御母マリアが、乙女ではなくて娼婦のような女性だったとしたって、、
イエス様ご自身は無垢なまま産まれて来れた、。

イエス様は、最初から自存されていた神様で、、
完全無垢な御方なんだから、
なんであろうと穢されるというようなことはないのよ、。
人であって、、絶対神性と絶対聖性の持ち主がイエス様です、。

聖霊が下ったのは、、、イエス様の身体の入れ物を与えるのに、
祭司ザカリア、、彼は生まれながら聖霊に満たされていなかったので、、
肉的には原罪の印が残ったままだった、。

彼がイエス様の受胎に関わったから入れ物である
胎内に宿る肉体を清める必要性が出来たというだけで、、
イエス様を清めるためとか御母マリアを清めるために降ったわけじゃない、。

御母マリアは聖霊を宿した母アンナから聖霊を譲り受け身に宿して
無原罪の胎を持つものとして産まれてきていた、。
無原罪のイエス様を彼女だけで宿したのだったなら、
聖霊による清めは必要がない。

父様、イエス様や、聖霊の三者のみが、、人を治め清める権威を持つ、。
イエス様の神様としての権威は、イエス様と父様のものであって、。
被造物でしかない人が、それらを得たいと望むなど、、不敬の極み、。

人は神様の子として創造されたけれど、、
上で書いたように、、父様より、上にはなれないし、同等にもなれない、。
あくまで、、人は、父様に従うべき、。

父様の権威を得たいなどとおもえば、、人は堕ちるのみ。

サタンを見なさい、、。
見栄えは美しく、清らかであっても、、
彼の本姓である霊の思いや姿は、醜く歪んでいる、。
それでも、見栄えが良いので、
多くの人は騙されて、、彼の虜になり下がる、。

父さま、、、、あなたから、、離れたくはないです、。
お傍に居させて頂けるだけで良いです、。
本来なら、、縛られて、あなたの傍から遠ざけられて
外にほっぽり出されても、文句言えないです、。
不従順なことしか出来てないと想うから、。

あなたが、憐れんで下さらなければ、、
私など、今、生きてる価値もないくらいです、。

なんで、、私は、、イエス様〜〜〜きゃ〜〜〜好き!というよか、、
父さま、、きゃ〜〜〜好き!!!!なんだろうか、。
どうしても、、そうなるのよねぇ、。

なにかといえば、父さま〜〜〜〜!!好き好き、、
わーーわーーわーー!!って感じだもん、。
もう、病気www。

イエす様もめっちゃ好きなのよ、、。
でも、父さま〜〜好き〜〜!!が多いのよね、。

こればかりは、、感覚的なものだし、感情そのままだから、
どうにもしがたいのだけど、、。
出るに任せています、。
父さまが、好きなものは好きで、、宇宙一好き、で宇宙一怖い、。

あはは、。笑ってるけど、、冗談じゃなくて、、
マジメに怖い、凄く怖い、。
なんか失敗したと思ったり感じたりしたときだけね、。
震え上がって泣くほど怖い、。

怖くてしどろもどろになって、、、
半べそかきながら、ごめんなさい、、って
泣きながら謝るしかできません、。

え?なんで怖いかって???
父様が生きて存在することを知っているし、
それを強く感じているから、。

そうでないときは、、宇宙一大好き!!

神様の御存在を信じることって、理屈で信じようとするのだと躓くのよ、。
この広大な世界の統一感、、を視てごらんなさい、。
左右対称、。基本構造がすべて同じ、。
人の細胞を小さくすると原子がぐるぐる回る真ん中に
陽子とか中性子という原子核が、ありますよね、。
それって、宇宙の星の構造に似てるでしょ、。

全ての物質が、同様の構造で出来てて、
人間の身体の中には、宇宙の構造と似たものがあって、。
人間が、そのミクロの世界の原子核の場所に行けば、、
身体は、、広大な宇宙と同じような構造に見えるはず、。

自分の中に、、そして世界の物質の中に、宇宙と似た構造物がある、。

それ1つだけでも、、この世界を統べる
大いなる意志が無かったらありえないこと、。

大きな意思があって、、その意志にそって、
世界が創造されたのでなければ、
こんな大きすぎる共通点なんぞ、ありえない、。

原子レベルで見たら、、全部同じ構造?同じ設計者がいなきゃ、、
そうは絶対にならないもの、。

この前、、夢の中で、この記事のと同じ内容のこと書いてたなぁ、。
同じこと書いた覚えがある、。

最近、、左目の方が靄がかかって見えにくいな、、
と思ってたら、、

そうじゃなくて、、
今までは、左目が、もやしか見えなかったから、自然と右目だけ使ってて、
少し、左目が澄んできたようで、見える部分がでてきたから、
目は、左目を使おうとして、左目も使うようになってきたらしく

その時は、一瞬左側が若干もやっとして見えなくなるわけで、、
少しずつ左目が見えるようになってきてるせいみたい、。

色と形がぼやっとで、白いも屋が殆どの状態から、

今は、明るいところで見たら、、
手の指が何本かくらいは、、
薄ぼんやりとだけど見えるの、。
わーい。嬉しい、。

お父さん、。見えるようになりたい、、って、、神社で、、
無理なお願いを言ってごめんなさい、。

白いモヤで、ろくに色と形が見えない状態だったんだもの、。
それでも、昔は完全に白いモヤで、
色と形さえも分からなかったから、十分ありがたかったのに

なんか、それに文句言ったみたいで、、申し訳なくて、。

気のせいじゃなかった、、。
ほんの少しずつだけど、、見えるようになってる、。
お父さん、。ありがとーーー。
あなたって、ほんとに、すごいねぇ、お父さん、。

もっと見えるようになるって思ってます、。
だって、あなたに出来ないことは何もないもの、。

字が見えるようにまでに、、なれたら、
目を使うような仕事でも選べば見つけることが出来る、。

片目しか使えないのは、凄くハンデで、、
直ぐ目が疲れて涙目になるから、、両目が使えるほうがいい、。

にこにこ、。
信じるものにはなんでも出来る♪

疑わないこと、、信じ切ること、。
先に感謝すること、、。

あと、野菜(キャベツ、青菜類)食べて、果物(りんご、バナナ)食べて、
肉は減らして、お魚の方が良いかも、
私は魚も食べてないけど、。
あとは、麦茶2リットルくらいは飲んでる、。

最近はガゼリ菌のタブレットサプリ飲むのと、ガゼリ菌入りの
ヨーグルトドリンクを1週間に1本か2本飲んでます、。

まずい、、って思うけど、お腹の掃除になると思って、、。
息子もガゼリ菌飲みだしてから痩せたから、乳酸菌ダイエット
私の体質にはあってて良いとおもう、。

神頼みして、、自分が何も努力しなきゃ、願いなんて叶わない、。

自分が努力が何も出来ない内容だったら、、
死ぬ気で祈って、、信じてみましょ、。
本気で叶うと信じてて、自分に必要なことなら叶う、。

マリア


呪いの水について、、。

聖書で、苦い水、、といえば、呪いの水のことです、。
この水は、妻が不貞を犯したか調べるための判定の水でした、。

民数記
5:18 祭司はそれから、女を主の御前に立たせ、その髪をほどき、罪の判定のための献げ物、すなわち嫉妬した場合の献げ物を女の手に置く。祭司は自分の手に呪いをくだす苦い水を持つ。
5:19 祭司は女に誓わせてこう言う。もし、お前が別の男と関係を持ったこともなく、また夫ある身でありながら、心迷い、身を汚したこともなかったなら、この苦い水の呪いを免れるであろう。
5:24 その呪いをくだす苦い水を女に飲ませ、呪いをくだす水が彼女の体内に入れば、それは苦くなるであろう。

不貞を疑われた人は、祭司の前に連れていかれる、。
で、、実際に罪を犯した者は祭司の面前に立った時点で、
ほぼ全員が飲む前に白状したと思っています、。

イエス様のところに姦淫の疑いで
連れてこられた女性の話があったけど、、
彼女は、姦淫の現場で捕まった、、と書かれているので、
イエス様のもとにつれてこられる前には、すでに、、
自分の罪を律法学者たちに、、認めて白状してたのですね、。

だから、律法学者らは、彼女が多くの人の前で白状したことで、
律法的には、すでに罪が確定しているから、、
イエス様が、赦したら、、律法違反になるわけで、、

赦さなかったら、、
イエスは、、人を愛しゆるせと言ってるが、、
とんだ大嘘つきだと、、、民衆に言える、、と
喜々として、、イエス様に問答を挑んだのでした、。

何度も言うけど、。
彼らは、、彼女が数人の前で自白して、証人が2人以上いるので、、
彼女の罪が確定後だったから、、
もう赦せない状態であることを知った上だったから、、

これでどっちの答えをしても、、
イエス様を、貶めれると、、自信満々で
イエス様に言いがかりをつけることが出来たのでした。

でもイエス様は彼らの何枚も上の応答をしたのよね、。
罪なき者が最初に、この女に石を投げよ、と、、。

皆、、罪有りなのは明白なので、、
誰も姦淫の女性を断罪できなかった、。


マリアとヨセフは祭司の前に引き出されても
不貞の罪がなかったから、堂々と呪いの水を飲んだ、、。

マリアは、ヨセフではなく祭司ザカリアによる懐妊だったけど、
神様の関与が有って、、神様のご意思により、
そうなったことだから、無罪なので、、お腹は膨れなかった。

普通は姦淫の女性のように、、飲む前に、
祭司に罪を白状するから呪いの水を飲むまでにはいたらない。

レビ記
13:2 もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンのところか彼の家系の祭司の一人のところに連れて行く。

民数記
3:10 あなたはアロンとその子らを監督して、その祭司職を厳守させなさい。ほかの者がその務めをしようとするならば死刑に処せられる。

モーセの律法を破った人である罪人は当時、、
祭司のところに連れて行き、裁きを受けさせるし、
他に病気が快復した時など 快癒の判定とか確認のために
アロンの血筋の祭司のところに行く、、。

なれば、律法学者らファリサイ人らを含む、反キリスト者たちが、、

上に書いた不貞、姦淫の罪を犯したの女性を、、
イエス様のところに、
つれて行ったという事実は、、、

イエス様がアロンの血筋で祭司の立場にある事を、、
彼らは暗に認めていたことを示す。
そうじゃなければ、イエス様のところではなく、
別の祭司のところに連れて行くのが、当時の定めだから。
 
更に言うなら、聖書記録は原則を曲げないことを書いている。
だから聖書にある
その記述自体で、
イエス様がアロンの血筋、、祭司の血筋でもある、、
と証言していることです。

そ、、罪のある無しの判定は、、
アロンの血筋を持つ者、祭司である者だけがしていたのだから、。
イエス様には、ユダとレビ(アロン)の血筋があったということ、。

それで、、祭司ザカリアが、
イエス様の肉の父であるということが、わかる、。
イエス様に、肉的な父母がいたら、都合が悪いの?

なんで?イエス様は、天地創造の神様です、。
なので、仮に原罪のある人間から生まれたって、、
無原罪なのは当たり前でしょ、。
原罪でイエス様が汚れると考えるのが、そもそも不敬な思考なのです、。

神様を神様が清める?
そんなアホなことがあったら、そのほうが変、。
神様は絶対的に清いので、清める必要は皆無。

なので、、イエス様に肉的な父母がいて、、処女降誕でなくても、
イエス様の神性聖性は、けがれるようなちゃちいものではないので、
ぜんぜん問題なし、。きっぱり、。

乙女、から生まれ、、の聖句は、、
若い女性が、(処女をめとらなければならないアロンの血筋の子を)
初子(長男)として産む、。ということで、、

乙女、、の語源は、処女と言う意味もあるけれど、
若い未婚女性を意味しているため、
処女ではなく
ても、未婚であれば、乙女と書かれても
間違いではない。

NET Bible(New English Translation) 
For this reason the sovereign master himself will give you a confirming sign. Look, this young woman is about to conceive and will give birth to a son. You, young woman, will name him Immanuel.

底本に忠実な、訳では、Virginではなく、 young woman になってます。

ダビデの家と、乙女がみごもって、の御言葉で、
ダビデとアロンの血筋を持つ者としてメシアは生まれてくる、。と、
神様ご自身が預言者を通して約束されていた、、。

約束通りに、、イエス様は、、
ダビデの子孫とアロンの子孫としてお生まれになられた、。

イエス様が神様の御子だから、
血筋は、どうでも良い、ということは、、
原則を曲げないのが聖書なので、、ありえません。

ユダ族のみの血筋では、、祭儀も裁きも出来ないのです、。
いくらイエス様が神様の御子であってもです、。
アロンの血筋であること、、が祭司の絶対条件。

どうしても、祭司の血筋、
アロンの血筋からイエス様は、出生する必要性があったのです。
なので、、御母マリアは、姦淫の罪には問われないのです、。
天使から告げられた通りに、、神様の指示に従って、
ザカリアのもとへ行き、イエス様を宿したから、。

祭司ザカリアは、、新約聖書中で
聖霊を宿したと書かれた唯一のアロンの血筋の祭司、。
イエス様の代理父として選ばれても、、おかしくはない、。
もともと、、バプテスマのヨハネ、、
再来のエリヤの実父として選ばれた祭司であるから、、。

カインとアベルが兄弟であったように、。
モーセとアロンが兄弟であったように、、
ヤコブとエサウが兄弟であったように、、、
イエス様も、、兄弟で生まれる必要があった、。

カインとアベルの失敗を、、ヤコブとエサウ、、とで、、
モーセとアロンとで、、兄弟愛を示して贖えて成功したから、
その摂理が、イエス様のときも継承されて兄弟で、、、と
なったわけです、。

でも、バプテスマのヨハネは、エリヤではない、、と言って、、
イエス様の証人になることを拒んで失敗したけど、。
イエス様ご自身が、彼の分の使命を全うし、
ヨハネがするはずの分、預言者としての分も、、
二人分の重荷を負われた、。

次はない、、、絶対に、今、救わないといけないと、、
イエス様は思われたからです、。
人生に、また、、、は、ないのです、。
一度切り、、なのです、。

あるのは、、死者が、復活したかのように感じることが出来る、、
生きている人の霊と自分の霊を合わせての、新生輪廻、。
仏教で説いているような、肉体を持っての輪廻はないのです、。
仏教の輪廻観は、元はイスラエルの死者の復活の思考から来ている、。

だから、、律法学者らが、、
イエス様に、7人の兄弟が長男の嫁を妻にして、
子がないまま、みんな亡くなりました、。
復活の時、この嫁は誰の妻なのですか?と質問したように、、、
間違った輪廻観で、認識されてしまった、。

自分自身の肉体が伴なわなければ、、
娶ることも嫁ぐことも出来ない、。

もし、じゃ、、肉体を伴う生まれ変わりをするのは誰なの?
と聞かれたら、イエス様だけ、、、、と答えます、。
イエス様の肉体は、、神様に祝福されて、
天使により天にあげられた、。

その理由は、、、イエス様が、その肉体をまとって、暫くの間、
こちらに肉体を持った状態で滞在するためと、、
その肉体を、、次の再臨主の器とするために、です。

霊は1つであっても、、分かたれていて、、人格的には別、。
再臨主は、、イエス様の御霊と1つなる御方、。
物理的には、再臨主にも肉の父母が存在はするでしょう、。
魂の器の肉体を生み出すために、。

でも、器はイエス様の時の清められた肉体を、、、
父さまは再臨主をこの世に送り出す時に、、用いると思います、。

だから、イエス様ご自身とは人として見た場合、別人格でも、
霊肉ともに1つであるので、再臨主は、霊肉ともに生まれながら無原罪、。

頭吹っ飛ぶよね??
私も、考えた時、頭吹っ飛んだから〜〜大丈夫です。
あははっ。
変わったこと書くクリが、一人くらいいても、、いいでしょ、。

一応、大噴火さえしなければ、、人畜無害ですので、、
子供にハイハイ、、言ってる呑気なおばちゃんです。
くすくす。

この前、、二重投稿したので、、その記事使って、アップ、。
これから、、データー集めて、、照合しながら、
学校のプリント作らないといけなくて、、

すごくストレス貯まると思ったので、先に好きなことやって、、
ボルテージあげとこうと思って、記事アップ。
ほんと、、ストレスたまるのよ、、、。
日程とかの細かい日付と曜日の確認作業というのは、、、、。


マリア





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お稲荷さん=狐、、というのは、、
人が持つイメージであって、
必ずしも、狐ではない場合がありまして、。

あちらは、もともと姿形がない光的存在なので、
人間に認知されやすい姿で出て来ますから、
本性が、、どんな姿か、、は、、
人間には分かり難いというのが本音で、。

動物霊ではなく自然霊であったり、
元人霊であったり、、色々です、。

多くの動物霊は、原罪がないので地獄へはいかないし、、
執着心もないので、、飼い主などへ、、
人への強い想いがない限りは、こちらで亡くなると
すぐに神様の御元へ帰るので、

動物の霊というのは、肉体の死後、不法滞在したりして、、
こちらに居るというのは、、ないはずなんですけども、。

元人霊というのは、、肉体の死後、神様を信じてなかったばかりに、
自分が、どこ行けばよいのかもわからず、迷っていた浮遊霊、、、
いわば不成仏霊などが、動物の身体の中に入って、
自分が人で居た時の事を忘れてしまい、。
自分は動物だと思い込んで、そのまま死んだ場合など、
動物霊のように振る舞い、。
自分が好む神社のなどの眷族のようになって、
地上に居座る、、という変な場合があって、。

そういうのに当たると、元人だけに執着、欲などがあり、、
願いを叶えてやる代わりに、
何らかの賠償を求められることなどがあって、。

酷いのになると、結婚させてやるから、
最初の子をよこせ、というのもあるみたいで、。

狐の、、獣は、、自我欲を象徴する姿、でもあり、。
瓜、は、食べられる実のこと、
すいか、メロン、きゅうり、白瓜、、とか、、
聖書的に言えば食べられる実は、いちじく、と葡萄になるのかな、、。
あと他に、16才くらいの乙女を意味する言葉が、、瓜なのですけど、、

お稲荷さん、。なんで狐、なんだろう、、と考えてたら、、
けものへんを取り払った残りの、、瓜、、が、
狐という漢字の意図する本体なのではないか??と、、、
狐はイヌ科で肉食なんだから、瓜がつくのはおかしいの、。

私は瓜と聞いて、、卵、、のイメージが湧いた、。
命を生み出す卵、。イースターでも使われるね、。

瓜の意味を調べたら、、食べられる実とか
16歳くらいの女の子のことを意味したのが、わかって、。
瓜を縦割りにすると、八と八だから、16なんだとか、。

女性が処女を失うことを破瓜(はか)というのですが、
今で言う16歳は、、数え年での14から15歳、。
御母マリアが、イエス様を産んだ年齢くらい、。

ちょうど、イスラエルでの適齢期、、。
二十歳を越えて未婚、、というのは、
イスラエルでは、あまりなかった、。
結婚したら、子供、、胎の実ができるのは、、普通のこと、。
食べられる実をつける者、、は信仰あるものの意味。

だから、、お稲荷さんの狐は、、本来、動物霊のことではなく、
けものへんを取り払った瓜、が主体で、、
信仰の実を結ぶ者、、ということだったのかな、と
でも、人々が、、狐、、を思い浮かべるようになって、
元人霊の動物霊もどきになった者たちも、
引き寄せられてくるようになったのかな、。と

八と八で、思いつくのが、、夏も近づく八十八夜♪〜〜で、、
お茶、、立春の日から、、八十八日目、、
この八十八の由来は米、、。

一説には、、お米を作るまでには88の作業があることから、
「米」という漢字が生まれたと、、言われている、。

米という字は、八十八回お百姓さんが手を加えたから
「八」「十」「八」の3つの字を組み合わせて、、
「米」という字になっている、、と。

八や夜は、、YA、ヤ、、とも読む、。
イスラエルでは、、このYA、は、唯一神ヤハウェを意味する言葉、。
2つのヤ、もしくは3つのヤ、、ぷらす十、、十字架のイエス様のこと、、で
八十八夜、。

受肉されたイエス様を、含めた三位一体の神様を意味している、。
父、子、聖霊なるみいつの神様と、、人として産まれられたイエス様、。
みいつの神様と、イエス様を意味する隠し言葉、、。
なんで、みいつの神様とイエス様が別々に、、なのか、
イエス様が、100%神様であると共に、100%人でもあったからです。

あと、、米のこと、、主食というでしょ、。
主なる神様から与えられる天からの食べ物、マナを意味しているのね、。
いわば米は、、イスラエルでの天の糧、、マナや、
神様に供えた、供えのパンを指すもので、、パンの代わり、。

神様への供物にはお神酒がつきもの、、
米から作ったお酒は、、イエス様の流された血を意味する
葡萄酒の代わり、。
血を流すのは、、一度で良いので、、
ワインのように赤い色のついていないお酒、。

日本では、お米一粒の中には7人の神様がいる、、と言われてて、
その7の数、、は聖書の完全数から取った7。
日本神話には、やたらめったら、
3と7と8の数と、八百万(やおよろず)という言葉が出て来る、。

やおよろず、、YA(ヤハウェ)プラス 万(まん)で、、聖書で言う
万軍の主という意味なのよね、。
八百万の神とは、、天地創造の神、ヤハウェ御自身を指す言葉で、
偶像礼拝とか一般に言われているような多神教の意味合いではないの。

唯一神なんだから単数形じゃないから、、違うって?
じゃ父が、、我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。と、
ご自身を指して複数形で仰ったのはなぜ?
みいつの神様で複数形だから?

でも、まだこの時、聖霊は、地上に降ってもおらず、
イエス様も受肉されておらず、、
天地創造の神様という、お一人のご存在としておられて、
言葉を発しているけど?神は、、言われた。と書いてある。

当時、存在していたのは、天使たちと、
父さまとお一人状態となっておられたイエス様とご聖霊。

天使も、、神様に属する、神様側の霊的存在だからです、。
それと同じ、。

父さまは、、天地創造の父なる神様に従う、、
八百万柱にも及ぶ、霊的存在を存在させ、、、、
名を与え、、、彼らは、天地創造の父なる神様のご意思に従って、
人を助け導く役目の一端を担っている神霊たちなのよね、。

真の信仰心あるものへの天の恩寵、を得れる身近な窓口、、が、
神社なのです、。
だから、、日本には大量のイエス様のためのお宮があるから、
キリスト教の教会は、、、出来ないのよね、。

というか、、イエス様の神社である伊勢大神宮と稲荷神社という形で、
信仰心の下地があったんだから、、
本来なら、、日本はキリスト教国になっててもおかしくなかったのよね、。

でも、最初の伝来時に、悪徳なことをしたり、
見てみないふりをした宣教師たちがいて、、。

日本人の、、特に多くの日本人の娘たちと、、
その家族の深い恨みをかったから、。
キリスト教に対して強い反発心が植え込まれた、。
それらは魂に刺さった棘となっている、、。

これは、父さまの裁き、、、堕落して金儲けに心奪われた分、
伝道開拓者らは、苦労してからでないと、実りはない、。
楽して、、はない、。

もし楽して得たら、、数代、牧師が重ねて牧会し、
職業的意識を持った時点で、どうなることやら、。
世襲制にして、、牧師の子が、志して、牧師になってたら、、
違うかもしれないけど、。
それでも、、職業的意識を持ったらね、。

せっかく、牧師は婚姻できるのだし、
牧師職は、、世襲制にしたほうが良いのかもね、。

血筋の継承は、、聖書的に、とても大事なこと、。
信仰を持つ代を重ねて、いくと、、
その家系は、アブラハムの子ら、、が、契約を守り神様に従って、
祝福を得たように、大きな祝福を得れる、。

神様の祝福を、、霊的な継承として、、
同じ血筋を持つ子孫は受け取れていくので、、。
でも婚禁止だと、血筋は1代限りなので、、信仰も1代限りになる、。

牧者の婚姻禁止は、サタンが、大喜び、、してる制度です、。
血筋による霊的肉的な継承継続を、断ち切れるから、。

血筋による霊的継承が失われると、
霊的継承は叙階、按手などの儀式によって継承するしかない。

牧者が、次の世代の子を産み、、育てて教会に居続けるなら、、
そうしていくことで、、
長子特権を相続した家長の長子たちのように、
その血筋は神様に祝福されるのにね、。

大体、、定年退職して、他の牧師にバトンタッチ、。
そうすると、後釜の牧師の信仰しだいでは、、
祝福ゼロ、、なんてことも起きる、。

信仰生活の維持は、、厳しいのよ、。
神様へ意識をしっかり向けてなきゃ、、
簡単にサタンに足元かっさらわれて、、
溺れて苦しむことになるんだし、。

身近に、霊的に優れた霊的指導者となれる
天よりの賜物がある信徒などが居ない場合は、、、、
そういう教会や牧師、信徒は、、
信仰の霊的な維持は大変でしょうねぇ、。

怖いのよね、、。
霊的に、、知らずに堕ちる、、ということは、、すごく多い、。
凄く気をつけていないと、、すれすれセーフで済めばいいけど、、
堕ちたら、、泣くに泣けない、。
戻るの大変、。自分でそれに気づくのも大変、。

私の場合は、それとなく言われるので、、
やらないで済んだり、自分で、「これやばいかも、。」、
と、なんとなく感じてたりして避けてやらないで済んでいましたけど、、

人は、、堕落しやすい、。
そういう弱くて惨めな自分を、、嫌というほど知ることで、、、
自分の本心を知り公平にみて、正しく思考できるようになる、。
たいがい、自分さえ良ければ、、に偏るか、、
良い自分でいないと、、努力しないと、、に偏るか、、
どっちかよりに、、がったりと、、偏るから、。

人の評価、、見た目、自尊心、見栄、世間体、、
色々気になって、背伸びをしてまで頑張ったりする、。
昔は、、、、私も、、クリスチャンらしくあろう、、と
自分なりに頑張ってた、。

自分をよく見せたい、と思う気持ちが強かった、。
今は、、、自分を喜ばすより、、
父さまを喜ばせれることは何かを考える、。

身の周りの家族、友達を大切にすること、。
自分が感謝の想いを忘れずに幸せな想いで居ること、、
心に憎しみや怒り、、
神様に捧げるに良くない想いは、持たないように努力すること、。

100%は難しい、。
色々不満も出て来るし、心配事も出てきたりする、。
でもね、、できる限り、自分の心のコントロール、、
努力することは大切、。

経済的に苦しい人は、、悩むことは、ただ1つ、、
経済的なことだけに悩むのが普通、。

だって、他のものも、同様にろくにまともなものは、、
元々ないんだから、、あれ欲しいコレ欲しいと思う前に、
今の生活をどうするか、、それのみに尽きる、。

心に余裕が出来た時に、、
これ壊れたら困るから代わりを買わないと駄目かなぁ、、、
くらいは考えたり思うけど、。
一番は、生活出来るかな、生きていけるかな、、、という不安です。

私だけなら、、今直ぐ死んでもいいくらい、何も未練がないので、
良いのだけど、、。
子供たちがいるので、、子供たちが落ち着くまでは、
頑張って生きなきゃ、生活どうしようか、、、と思うわけで、、。

それに付随して、、欲を言っていいのなら、
子供たちの結婚式も、孫の顔も、、見れたらいいと思うし、、。

それ以外の人は、、理想の自分を求めて、、
あれがほしい、これがあると良い、。と物欲の方へ行くか、、
人からの評価や見栄え、、など、、名声欲など、
精神的な満足感を求める方へ行くか、。
どっちかか、混合か、。

なんか、、お金ない人のほうが、、悩む項目は少ない感じだなぁ、。
仕事があって、ある程度のお金があれば、、
家族や生活直結以外のことに気が向く、。

お金なきゃ、、お歳暮やお中元はおろか、はがき一枚出すのも辛いので、
そうおいそれとは出せない、。メールですませれる関係なら
メールで挨拶程度で、済ませてしまう、。

お友達が、、ノルマだから気にしないで、、と、
お茶とかクッキー、お煎餅などを送ってくる、。
遠距離なので、、傍にもいないから、何も出来ないので、
せめて、通話し放題に加入しておいて、彼女の相談にのることはしている、。

何も物理的に出来なきゃ、、
精神的にフォローが必要な時にそれをする、ことで、トントン、。
ともかく、電話回数やメール回数は、彼女がダントツ、多い。
最近、、分からない、と言ってばかりいたのに、、

ね、A美ちゃん(50過ぎたのに、、未だに名前にちゃんつけで呼ぶ)、

あなたが、言ってたとおりになった、。
聖書わからなくても読んでたら、わかるところが出てくるよって
言ってたでしょ、。聖書、、わかるとこ出来たよ、。

明日は、明日思い煩え、、
明日のことは明日、思い煩えば十分である、、というの、、
私にぴったんこじゃない?あ、、これ、私のためにある言葉だわぁ、。って、
言い出して、、

思わず、自分にピッタリの御言葉を見つけれて良かったね、。と
言いました、。

おまけに、、旦那さんや、お子さんは、、
辛気臭い聖書読んだり、賛美歌聞くより、好きなものの習い事でもして、
気分転換したら??と言ったらしいけど、。
でもね、この言葉、私にぴったりなのよ、。と言い返したらしい、。

くすくす、。
神様の網に、、捕まったわけね、。
家族を大事にすること、、感謝すること、、を、、
耳にタコが出来るくらい言い続けて、。
15年かかって、、やっと、、家族の悪口を言ってた状態から、
のろけるようになったので、、、
ここ、2年くらいの間に、、彼女は大きく変わった、。

私も、、安心出来るようになったけど、、
きついこと言われないと、、努力するのやめるタイプなので、
私は、キツイこと言う役目は継続、。

優しく、穏やかに言ってたときは、、聞くことさえしないし、
悪口はパワーアップしていくし、、で、、

時間のロス、、これ以上、やってられないわ、、、で、
私が逆に、彼女以上にブチ切れて、怒鳴りつけた。
うるさい!そんだけ亭主と家族に文句言うなら、さっさと
離婚して、自分で全部生活費稼いでから言え!
そんな考えで、あぐらかいていると、
亭主がうざがって離婚されるよ!!って、。

自分が、今持っているものを、、失うかもしれない、と
考えたことも無かった彼女、。
一気に夢から覚めるとはいかなかったものの、。

離婚させられるかもしれない、、ということは、、
かなり効いた一言のようで、、
少しずつ家族のことを考えるようになった。

今あるものを失わないというのが、人の前提思考、、。
すべて失うかもしれないとなったら、、どうするか、。
大切だと思う人を優先して、大切にすると思います、。
のこるのは、、家族と仕事場やリアルも含めての親しい友達、
になるのではないかな?

そう考えると、、他の、仕事場の知人、
知り合った程度の人、のことまで、、
あれこれ考えなくて良いと思うわけで、、割り切りやすい、。
私みたいに仕事がない場合、、それ以前だけれども、。
仕事があったときは、、バレンタインなどで、、
義理チョコ、、どこで買えば安い?誰に渡す??とか考えてました、。

お互いに結婚してたのにね、、
今なら、そうねぇ、、チロルチョコ一個あげるかも、、苦笑。

いっぱい色々書いて、、えらく長文になってしまった、。
ごめんなさいね、。

マリア、、記事に書いてストレス解消してるな、、と
思って下さい。苦笑。

学校の方から、、先に気づいてたのは
いかにも新品のズボン、、。
でもそれだけじゃなく、袋につっこんで、、
ポロシャツの古着も数枚渡されてきてて、、、、、
洗って、、と息子から渡されたけど、、

新品ぽいのも、、あったので、、いいのか?これ、、、、
と、またまた、思ってしまった、、。
ありがたい半分、、何もしない親、、と思われてるな、、半分、、
複雑な心境です、。

プリントも、3日の初日の説明なくて、
保護者は10日に実習先に見学にいくことしか書いてなくて、
14日の反省会、はどうするのか、も、わからなかったけど、。
それは10日に聞けばいいと思ってたけど、。

担任の先生のお母さんが、急逝されたので、
今は副担任と学年教諭しかいなくて、
私が服をネットですでに注文してたことも、
うまく伝わらなかったみたい、。

家にあったものを、とりあえず息子に持たせるように
言われたから持たせただけだったのに、。
それがアウト、、となったから、、大急ぎで用意しなくちゃ、、
となって、先生側は買ってきたり、古着をかき集めたらしいけど。

ほっといたら何もしないと思われてなきゃ、、
そうはならないので、気分的には、ちょっとね、、という
感じなのは否めません。ストレス溜まっちゃいました、。あははは、。

最後まで読んで下さって、ありがとうございます、。
ニコニコ。

Rちゃんたちは、、昨日来なかったので、
今日くるみたい、。
明日から、、息子、新橋で実習業務、。

今、息子、熱っぽいっんですけど、、バイトも実習も休めないから、。
大丈夫だろうか、、。
実習、、あまり気がすすまない、。

なんか、、ロボット教育に見える部分、、
上の命令には絶対服従。出来ないとは言わない、考えない、。
みたいなものがあるとわかって、、息子に合わないような気がする、。


追記
瓜に似た漢字で爪がある
硬い爪が指先を保護するから、、、
手足の指に力を入れれる。
髪の毛や爪は切ってもまた、伸びる。
古代の人はその再生力をみて、
神の力が宿って居るものとして、、見ていた、。

髪や爪の切り落とした部分は、自分自身の分身であるから、
人の手に渡らないようにと、苦心して処分をした、。
昔は、、髪や爪を手に入れて、呪詛することで
病気にさせたりする呪詛合戦が多かったから、。

瓜に爪あり爪に爪なし 、、と言われるくらい、、瓜と爪は似てる字。
そう言えば、、ひょうたんも、瓜科だった、。
毒があって食べれないものばかりが多いけど、。

瓢箪は、「三つで三拍(三瓢)子揃って縁起が良い、
六つで無病(六瓢)息災」などといわれ、縁起物として
掛け軸や器、染め物などの意匠にも見られる。
豊臣秀吉の「千成瓢箪」が有名。
もとは、、織田信長が、、面白いといって、、
馬印に使うように言ったらしいけれど、。

織田信長は、、   
1.五つ木瓜(いつつもっこう)織田木瓜とも言われる。
2.揚羽蝶(あげはちょう)
3.永楽通宝(えいらくつうほう)
4.五三桐(ごさんのきり)
5.丸に二引両(まるににひきりょう)
6.十六葉菊(じゅうろくようぎく)
7.無文字(むもじ)
の七紋を家紋にしていた人、。

十六葉菊は、イスラエルに関わりが深い皇室にゆかりのある家紋、。
五つ木瓜紋、、、マクワウリの断面を模した紋、。
八坂神社、祇園祭に用いられる神紋。

スサノオ及び、かつての祀神である牛頭天王を示す紋、。
スサノオは、、十字架にかけられ罪を負ったイエス様のことだし、
牛頭天王は、、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされたもので、
人となる、イエス様が指導していた釈迦に、つながっていく、。
織田信長は、イスラエルに関わる血筋だったのでしょう、。

関連記事くす、。どこに行っても、ズボンと、ポロシャツと格安スマホが追いかけて来る、。


マリア


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イエス様の救いは、何から救うものか?
それは原罪からの解放と救いです、。

原罪とは、、言い換えると、自分勝手な思考をし、
自分さえ良ければ、という思考を根底にして、
思考したり行動することです、。

簡単にいえば、他者愛は薄くて、
殆どが自己愛しか無いわけです、。
原罪を人と作り出し生み出したサタンは、、
神様が自分達天使を一番に愛してくれないと、へそを曲げて、

一番に愛されてるのじゃないなら、、納得行かない!
なんで人間なんて下等で力も無いものを愛し、魂まで与えて
我が子として創造し、天使より愛されている者なんだ??
天使の方が能力もあるし、神様に従い仕えてきたのに、。
裏切った、。と、自分を一番愛してくれない、。とグレたわけで、、
自分さえ良ければ、と自分勝手この上ないこと、の典型的な見本です、。

神様に仕えるべき天使なのに、、
自分は愛されて当然と、、傲慢になっちゃって、、。

まぁ、最初に造られたアダムとエバ、、最初の人も、、、
どこか心が傲慢になってて、、
サタンと相通ずる心の部分があったから、、
コロリとサタンの言葉に騙されたわけですが、、。

天使は神様を崇め助ける存在なので、、
神様の御霊分け与えられた人は、、天使を愛し、
天使は神様の最高の作品、最高傑作でもある彼らにかしずき、
彼らを創造された神様を讃えたことでしょう、。

そうやって、、天使に若干崇められるような扱いを彼らは
エデンの園では受けていて、、奢りの芽が湧いて、、
神様を褒め称え感謝する心を忘れていったのでしょうね、。
まるで、自分たちが王と女王のような気分でいたわけで、、
まだ、精神的にも幼かった、。

神様は、、完全な智慧や判断力も与えることは
簡単におできになったと思います、。

でも、人をロボットの用になさりたくなかったので、、
人をまっさらな状態から、育て上げて、、
自分の意思で、神様に従い信じるように、なって欲しかったから、、
精神的な部分は、、赤ちゃんのようなまっさらな、、
何も無い状態での創造だったのでしょう、。

褒められたい、、認められたい、。
そういう欲望があってもね、、
自分で考えて、心をコントロールできるように、
なって欲しかったわけで、。

サタンになった元天使は、智天使、知恵の天使です。
おそらく、人の教育係のような存在で、、
彼が堕落する前から、、
アダムとエバとは関わりを持っていたはずです、。

蛇と書かれたのは、、彼が、心が蛇のような状態、
人への悪意、害意で充ちていたことを意味します、。

でも、見た目は、清らかな天使のままだった、。
で、、、神様は、、知恵の木(サタンとなった天使)は、
食べても触れてもいけない、。
死んでしまうといけないから、、、と、
知恵の天使と関わることを禁じました、。

でも、、エバは、しゃべりかけてきた蛇と、普通に会話しています、。
蛇は、、しゃべりません、。
なので、喋れる存在の身代りであったということ、。

蛇が実際には、しゃべるわけないのです、。
蛇がしゃべるのが普通だと思って、スルーして読むと、、
知恵の木はなにかがわからないままになります、。

天使は、しゃべれますね?
蛇はサタンとなった元天使の比喩であり、見た目は美しい天使で、
それまでは、自分たちの世話係でもあったから、、、

エバは普通に会話をしているのです、。

天使の姿のサタンと顔見知りでなく、、
普段しゃべりもしない蛇が、いきなり話しかけてきたら、
普通は困惑するでしょ?びびるでしょ?
普通にしゃべりかけてきた蛇と会話する、、
そんなこと、絶対にありえない、。

普通、でかくなくても草むらから、
いきなり蛇がにゅっと出てきたら、、
気味が悪いわ嫌だわ、、で、かっとんで逃げるでしょ、。
しゃべりかけてきたら、、それこそ腰抜かして逃げるでしょ、。
現代と、、アダムとエバの時代と、、
そんなに人の感性は変わってないです、。

同じ血の通った人間なんですから、。
彼らが平気なら、現代でも平気なはずです、。
ということで、、知恵の木も、、元知恵の天使の比喩でした、。

聖書に書かれたことはなんでもその通りなんだけども、
常識的な読み方をすることを忘れると、
大事なキーワードを見過ごす事になったりします、。

知恵の天使と、ストレートに書かず、知恵の木とし、
知恵の実を食べる、、という表現にしたのは、
原罪がなにか、を曖昧にして隠す必要があったからでしょう、。

原罪が、何か、はっきりわかると、、
間違った路線にいきかねないから、。
実際、、カルト系、某韓国系の教えでは、、
道徳観が崩壊しています、。

そ、、原罪からの救い解放を、間違った解釈をすると、、
特に性道徳に関して、大間違いを起こすので、。
伏せられたのでしょう、。
人のために、、。

原罪がなにかを、よく知らないまま、人が
救いを享受したとしても、、
父さまは、それでも良しとされておいでですから、。
原罪が本当はなにであったか、、、は、
知りたい人だけ、、知れば良いです、。

過去記事に、詳しく書いてありますので、、
知りたい御方は、内部検索して過去記事をお読み下さい、。

なので、、原罪とは、、上で書いたとおり、、
自分の心の奥に潜む、自分勝手な心や自分さえ良ければ、、という
利己的な思考から来る思考や行い、、のようなもの、、
つまりサタンに似た思考、心の動きが大本、、と、お考え下さい、。

クリスチャンの場合は、、
イエス様を信じて洗礼を受け、原罪から解放され救われる
わけですが、、、、

初代クリスチャンは、原罪のない御方、
イエス様に繋がることで、原罪の根は、あるままでありながら、
原罪の根はあるけれど、、原罪そのものはないと、
みなされて居るわけです、。
原罪がないイエスさまに繋がったことによる霊的恩恵です、。

肉体的には原罪の根っこがあるままなので、、
原罪の影響はあって、残念ながらゼロではないです、。

その人の子、、2代目は、生まれながら無原罪となってはいても、
原罪の根があるままの親の影響を少なからず受けるので
これもまた、原罪の影響は、、残念ながらゼロではないです、。
でも、、2代目は、初代のクリスチャンよりも、
格段に原罪からの影響は薄くなります、。

3代目、孫の代になると、原罪が無いとみなされてから、
3代目になりますので、かなり原罪の影響が薄れます、。

クリスチャンになって、初代クリスチャンが、、
罪がないとみなされた霊的な救いから、、
肉的な原罪の救いの完了、、事実上の期間は、、、
当初の初代のクリスチャンの親から数えて3代目になるのです。

2代目までは、、どうしても親子ゆえの影響があります、。

イエス様は、その3代かかる物理的な救いの期間を、短くするために、
生まれながら、無原罪の、、神様の御子を人に与えるために、、
再臨を約束されたのです、。

私自身、、2代目クリスチャンです、。
私は知らなかったけど
私の父は、カトリックのクリスチャンでした、。

私の子たち、、は、私の父から数えて3代目になるのですが、、
やっぱり、、他の同世代の子とは、、かなり違う部分、、
私とでさえ、違う部分、を強く感じます、。

どんな人でも、自然と人として見ていること、、や、。
嫌だな、、と、すごく思う人でも、、
何とか、摩擦を起こさないとように、仲よくしようと
気遣うとこもあって、、

知らない人のことでも、すごい困ってるな、、
と思うと自然と、、声かけたり助けたり、
家族を思いやったりしています、。

私は、私の母に、子供たちと同じようには、できませんでした、。
私は私の子供たちに、もろ負けてます、。

私自身の家が、、クリスチャンとなってから、
霊的な原罪からの救いが、肉体的救いに変換され、
肉体的な原罪の救いとなって、、家系的、、血筋的に定着するまで、
3代かかっています、。

その実際のモデル家族です、。
3世代かかるのは、、創世記の時代、。
神様が、木を生えさせ、
天地創造の3日目に、、実をつける木を芽生えさせたことによります、。
何か、、一つのことの結果を生み出すために、、
3のつく期間が必要なのです。

聖書に3のつく期間、、あるでしょ?
3つ、、3日間、、3ヶ月、3年、、、、。

イエス様が与えたのは、イエス様を信じることで得られる、
霊的な原罪からの救い、、でも、それだけでは、、
無原罪のイエス様を心で信じなくなって離れたら、、
救いが失われてしまうので、、。

どうしても、霊的に、、だけではなく、
無原罪の御方イエス様の身体を象徴する代替えの、、
パンと葡萄酒を人が受けて、イエス様の血と肉、、
つまりはサタンの血筋から切り離されて、神様の血筋に繋がる儀式、、
聖餐と、聖霊による新生も必要なものなのでした。

それで、、イエス様は、、
弟子たちと、最後の晩餐をすることを切望されていました。
本来の晩餐は、、マグダラのマリアとの
結婚式の晩餐になる予定でしたが、、
人の不信仰により、それは、、叶わなかった、。

聖餐と、、霊的な産まれ直しの儀式である
羊水に浸かる儀式の洗礼によって、、イエス様の救いは、、
2世代目以降は、肉体的にも無原罪とみなされ、、
霊的な救いでは終わらずに、肉体的な救いも網羅した、
完全な原罪からの救いになりました、。

だから、イエス様の救いは完全無欠なのです、。
時間はかかるけれど、確実に、すべての人は無原罪への道をたどる、。

でも、洗礼と聖餐によって新生したとされ、霊的な救いが、、
肉体的な救いに変換されてから、1代では足らなくて、、
親自身、その子とで、、2代分かかる、。

神様の子としての魂の輝きが、目に見えるくらいに
はっきりと表に出てくるのは、、早くて3世代目、。
多分、、遅いと、、もう少しかかる、。

霊的な救いから肉体的な原罪の救いへの転換と完了は、、
人間の世代で言うなら、最低でも3世代かかり、、、
最初の人がクリスチャンとなり、孫が産まれるまで、、
早くて60年も、、かかるわけで、、
下手したら100年かかるわけで、、、その100年後以降だって、、
もし人が不信仰に陥れば、、
原罪の影響を再度受けることにもなりかねない、。

人の信仰次第で、、救いの完了が遅くなってしまう、。

イエス様の肉体に直に繋がっているのではなく、
儀式によって、霊的に繋がったとみなされているから、、
何世代分も時間がかかるわけで、
これが、イエス様の身体、、直に、、であれば、、
一人の人から、罪が広まったのと逆、、
霊的な救いとは段違いの凄い勢いで、、原罪が消えて無くなるわけです、。

それで、、イエス様は、、私はすぐにくる、、とお約束をされました。
本当なら、イエス様の救いは完全無欠なので、再臨する必要は無いのです。

なぜ、、イエス様が再臨するとおっしゃったか、、その理由は、、
7月になってから、、マグダラのマリア再臨論と題して、
書こうと思っています、。

たぶん、、ここでは無いところで先に書くことになるでしょう、。
この記事は、、それと対をなす記事なので、
両方読むと、、わかることがあります、。

では、、マグダラのマリア再臨論は、、その時まで、、お待ち下さい、。
イエス様が、ここにいる、あそこに居ると言われても、偽物だから、
偽物に気をつけなさい、。と
おっしゃった、その理由もわかります、。

これだけは覚えておいて下さい、。
イエス様の救いは完全無欠で完璧な救いであるということ、。

その理由は、上で書いた通り、
イエス様の救いは聖霊による新生、霊的な救いではあるけれど、
聖餐と洗礼、、物理的な肉体への霊的祭儀、、
儀式も追加して行うことによって、
肉体的な救いも網羅しているからです、。


マグダラのマリア


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