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書庫マグダラのマリア聖書論



この書庫は聖書の深(裏?)読み系の記事です。

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アブラハム契約、、。

創世記12:3
あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

これは、アブラハム契約と呼ばれています。
アブラハムとアブラハムの子孫(ユダヤ人)を、祝福する人を祝福し、呪う者を呪う、というものです。

よく考えたら、イエス様はユダヤ人ですよね。

だから、ユダヤ人であるイエス様に従う人(クリスチャン)も、ユダヤ人であるイエス様を受け入れているわけだから、このアブラハム契約の祝福も含まれていて、、。

クリスチャンはアブラハム契約の祝福の中にも生かされているんですね。

旧約時代の古い契約だから、無効と言うのではなく、神様の一度なさった祝福の約束、契約は、神様が永遠のお方であるように、永遠の約束なのですね。今の現代人にも続いている。

古いアブラハム契約が無効とならずに、現代のイエス様に従う人には、それが祝福の下地にあるんですね、。

クリスチャンはアブラハム契約の祝福を、ユダヤ人であるイエス様に聞き従い繋がることで、相続しているのです。

個人的祝福は個人的に、民族的祝福は民族的に、国家的祝福は国家的に祝福が返される。

ユダヤ人一人を、助けたら、その助けた人一人と家族が祝福され、一民族分のユダヤ人を助けたら、その民族が祝福されて、。

国が、国をあげてユダヤ人を助けたら、その国が繁栄するってことですね。

自分がしたことの等価での祝福が返されるわけです。

イエス様は、幼い子らや苦しみ悩む人に対して施すことは、私にしたことです、。という規定も追加されてますね。

これは、助ける相手がユダヤ人ではない場合もありますが、、、。

イエス様は全人類を前もって御自身の命で購って、神様のものとしてますから、。

祭司であるイエス様の買い取った奴隷と同じ意味となり、すべての人は、イエス様のもの、、イエス様の所有ということなので、。

幼い子らや苦しみ悩む人に対して施すことは、その人達の主人であるイエス様を受け入れ助けることになりますね。

まぁ、依存性で怠けてて、困ってる場合は、困ってても、ある程度助けても、変わらずにいるなら、ほったらかしてよいと思いますが、。

イエス様の御命令に従う生き方を選びましょう。

それは必ずしもクリスチャンになることを強制するのではなく、イエス様の御命令、自分を愛するように人を愛しなさい。に、したがって、、

他者を愛することを努力することです。

洗礼の有無よりも、神様であるイエス様の御命令に聴き従うことが一番大事なことなのですから、、。

マグダラのマリア

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原罪がないと見なされて、
清いと見なされたから神様は愛してるわけじゃないのよね。

御自身の御霊を分け与えた我が子だから、無条件で愛してる。

おいたをしてばかりの、分からず屋だと、お仕置きされるけど、それだって人みたいに憎んで、嫌って、怒って 、じゃないんだよね。

そのままだと堕落していくから、間違えているから
それに気づかせ教えるためのものだから、、。

人は人を憎んで嫌うこともある、。
でも、神様は、たとえどんなにろくでなしでも、救われて欲しい。幸せになって欲しいと願うから、軌道修正させようと、間違いに気づかせようとなさる。

父なる神様は、愛なる神様、。

罰や報いがあったりして厳しいのは、間違えた選択をしたからで、そうでなかったら、
なにも大きな影響があるようなことはおきない。

間違えた選択をしたら、それの償いの期間は、色々大変。
それは反省と生き方の改善を促されてるのだから、。

罪がないと見なされて、、
それで終わりにしてしまって、
自分の生き方を反省し改善しようとしないなら、
父さまは、ガッカリ😵⤵だと思うけど、。

放蕩息子が、(罪がないと見なされるという)財産を当たり前の顔して、自分は身分が違うんだ的な思考で、印籠のように、赦しを振りかざして、それを自分のの特権のように浪費しまくってるようなものだもの。

でも、悔い改めないままでは罪の赦しは与えられないのだから、、放蕩息子が、最後に一文無しになってしまって、借金しないといけない状態(罪がないと見なされてないのと同じような状態)まで落ちて、、

そこまで落ちていかないと、
自分の身勝手さがわからず、
それを認めれない、。

清いと見なされて罪が赦されていることに、心から感謝が出来るようになるには、一度は、自分の中の腹黒さと対峙して、自分の罪の重さを痛感できないと、、

イエス様の十字架は、赦すのが当然の、軽いものとして貶められてしまう。

罪の赦しは当然ではないものだもの。
イエス様が、苦しまれたから、原罪がないと見なされて、原罪だけではなく、悔いた罪も赦して頂けてる。

本当なら、自分が十字架につけられて苦しみ死んで購わないといけないのに、、、。

イエスが身代わりになって、
代わりに赦されたバラバのように釈放されたから、と、

やった。ラッキー😃✌無罪放免された。キリスト教徒になって良かった、儲けた。これで天国行ける。たまには神様に感謝しといた方がいいかな。感謝します、アーメンです。

で、何度も何度も、赦されてラッキー、で終わりにしてる。

人の罪をないと見なすために、イエス様が御自分の人としての残りの人生を捨てて、人としての生命だけではなく、神様としての生命も、、すべて捨てて、
それと引き換えに与えてくださってるものなのに、。

自分が、、自分の人生と命を、誰かにあげれるの?

嫌だと思う人生ではなくて、、結婚するつもりの愛した伴侶との幸せも、自分の子を持つことも、愛する家族も弟子達、友も捨てて与えてくださってるものなの、。

私も、赦していただかねばならない罪多きものだけど、イエス様に、赦されてラッキー、ハレルヤという気持ちにはなれないなぁ、、、。

今は、ひたすら、ごめんなさいとしか言えない。
時を経て赦されて感謝です。の一言としてでは流せなくなった。

イエス様の壮絶な苦しみを知ってしまったら、、赦して下さって有難う、の一言では、気持ち的には済まなくて、、申し訳なくて、涙がこぼれてしまう、。

私には、イエス様の赦しは、赦されれば、赦されるほどに、その救いが重く感じるの、、。

でも、赦されれば赦されるほどに、イエス様が必要だと感じて、こんなにも大きな犠牲を払ってでも人を愛して人に赦しと救いを与え続けてくださってる父なる神様に感謝だし、従い続けたいと切実に願う、、、。

清いとされたから、神様は人を愛してるわけじゃないのよね。
清いと見なされる前から、人を愛しておられた、。

だって救おうとした人間は清い人ではなく強盗のような罪人、。

地獄が相応しいと自覚して、自分の罪の重さにもだえ苦しんでる罪人、。

その耐え難い苦しみを取り去り、苦しみを癒し、救われた喜びに変えて頂いた人は、、イエス様から離れない、。
それこそ永遠に離れたいとは思わんでしょ。

そうしても惜しくないのよ。
まさに地獄の苦しみから救いだして頂いたのだから。

イエス様以外には誰も、その地獄の苦しみからは救えないんだもの。

人には、どんなに高貴な産まれでも、原罪や、罪を赦す権威はない。許すことは出来る場合はあるかもだけど。

人の、ではなく自分自身の腹黒さを知ってしまったら、本当に、どうにもならないくらい辛い。

逃げ場もなく、自分が最も醜く思うような醜悪なものが、よりによって自分自身なんだもの、悲鳴さえあげれない。

嘆いて後悔して、死にたいと自分を呪うのが関の山、とても苦しいものです。

その苦しみから救われたら、救いだして下さった御方を、永遠に自分の主(あるじ)と、仰いでもおかしくないでしょ?

そういう自分自身の腹黒さ、罪に、気づかないうちは、赦され続けても、それが不自然なのでは?と疑問には思わないかもね。

罪の赦しはタダじゃない。
自分の罪の重さの分の対価が、イエス様によって支払われてる。

2000年前に、じゃないのよ。
今、自分が罪を犯した瞬間に、イエス様の苦しみが支払われてる、。

赦されてハレルヤと言うのは良いけどね、。

赦しは軽くない。
イエス様の苦しみの対価が払われてる。そこだけは知るべき。

罪を犯した自分が、バラバのように赦されて、イエス様を自分の身代わりに十字架に送りつけてた、、。

私、こんな酷いこと何度も何度も平気でしてた、。

だから、私は、永遠に、父さまとイエス様についてく、。
少しでも恩返ししたい、。

マリア

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イエス様が天地創造の神様の御子で、
神様ご自身であると本当に信じてるなら、、
イエス様の御母が、、乙女かどうか気にすることなの?
下賤な生まれだからだめなの?処女でないと、なんでだめなの?

人はそうやって、血筋の良い悪い、生まれを気にする、。

神様が、長子という形で血筋にこだわったのは、、
神様に従う人の、、
つまりは信仰者の血筋を守り祝福し導くため、、
だから、子孫と言えど背けば祝福は移動した、。

信仰を保つことを良しとされてたのであって、
血筋だけあればいいということではなかった、。

アブラハムだけは、、我が子をも惜しまない信仰を立てたから、
あなたの子孫を祝福する人を、祝福すると神様は仰った、。

信仰が第一義で、、二番目が血筋、、。
人のそういう貧富の差などによる血筋の優劣の既成概念を、取っ払うために、
イエス様は、あえて、貧しいヨセフとマリアのところに生まれた、。

本来なら、どの氏族の血筋でも良かったのだろうけど、
ダビデとの約束があるし、、
また、メシアの3つの職、王の王、大預言者、大祭司のうち、
2つ、、王と大祭司は、、なれる血筋が神様により限定されている、。

ユダのダビデ家から王笏は離れない、。
つまり、王はダビデの子孫限定、。
大祭司は、アロン家限定だから、アロンの子孫確定、。

え?イエス様は、ダビデの血筋じゃないって?
御母マリアがアロン家のエリザベトの親戚だから、
アロンでレビの子孫だって?
イエス様がヨセフの養子になったから、ダビデの子孫じゃないって?

どちらも残念ながらハズレ、。

レビ記
21:1 主はモーセに言われた。アロンの子である祭司たちに告げてこう言いなさい。
21:13 祭司は処女をめとらねばならない。

乙女を娶る、。
これは、アロンの血筋を持つ祭司への規定です、。

イザヤ書
7:13 イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に/もどかしい思いをさせるだけでは足りず/わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
7:14 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。

この聖句はダビデの血筋だけではなく、
大祭司アロンの血筋をも持って、救い主は産まれるという意味なのです、。

乙女、、の語源は、処女と言う意味もあるけれど、
若い未婚女性を意味しているため、
処女ではなく
ても、未婚であれば、
乙女と書かれても間違いではない。

NET Bible(New English Translation) 
For this reason the sovereign master himself will give you a confirming sign. Look, this young woman is about to conceive and will give birth to a son. You, young woman, will name him Immanuel.

底本に忠実な、訳では、Virginではなく、 young woman になってます。

ダビデの家と、乙女がみごもって、の御言葉で、
ダビデとアロンの血筋を持つ者としてメシアは生まれてくる、。と、
神様ご自身が預言者を通して約束されていた、、。
約束通りに、、イエス様は、、
ダビデの子孫とアロンの子孫としてお生まれになられた、。

イエス様が神様の御子だから、血筋は、どうでも良い、ということは、、
ありえませんので、。


イエス様の御母マリアの母のアンナは、
祭司マタンの娘で、父ヨアキムは、ダビデの子孫のユダ族、。

父ヨアキムはアンナがなかなか懐妊せずに、年を重ねていることに
苦痛を感じました、。

祭司の一人に、夫婦に子がないことを、、
罪があるからだと、なじられて、更には
エルサレム神殿で捧げものすることを禁じられたからです、。

それで、ヨアキムは、40日荒れ野で断食し祈りに祈ったのでした、。
男でも女でも子供を与えて下さったなら、その子を神様に捧げます、、と
それで、神様があわれんで、アンナは老齢であったにも関わらず懐妊し、
女の子が生まれました。
その時の女の赤ちゃんが御母マリアです、。

御母マリアが3歳になった時、ヨアキムとアンナは自ら誓いを立てた通り、主イエス様の御母になられるマリアを神殿へ入らせ、神様に仕えさせました。

御母マリアは、ヨアキムの一人娘で跡取り娘だから、

民数記
27:8 あなたはイスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、
男の子がないならば、その嗣業の土地を娘に渡しなさい。
36:6 ツェロフハドの娘たちについて、主がお命じになったことはこうである。娘たちは自分を気に入ってくれた男と結婚してよい。ただ、父方の部族の一族の者とだけ結婚できる。

ダビデの嗣業を持つヨアキムの一人娘である御母マリアがユダ族で
ダビデの子孫であるヨセフと結婚したのは、、
民数記36:6 による一人娘の嗣業の規定、そして同族婚の掟によります。

御母マリアは、聖書に書かれているようにレビの血筋であると共に、
父方はユダ族(ダビデの)嗣業を持つ後継ぎ娘でした。

跡継ぎ娘ということは、御母マリアは長子と同じ扱いを受け、
彼女から生まれた子はダビデの嗣業を持つ子、、
つまりはダビデの子孫とされるのです。

だから、イエス様は、ヨセフの養子にならなくたって
正真正銘ダビデの子孫なのです、。
それとともに、御母マリアは祭司マタンの娘アンナの娘なのですから、
イエス様にレビの血筋もあるというのは、分かるでしょう?

ダビデの血統は、大祭司アロンの血統と親しい、。
ユダの中でも特別な血統なのです、。
必然的に、イエス様の親族には、ダビデの血統だけではなく、
大祭司アロンの血筋を持つ親族が多くいたわけです、。

血統の交差実例については、、↓関連記事をお読みくださいね。

血統の交差についての関連記事
血統の交差について、御母マリアは何族??

結論だけ言うと、イエス様は、肉体的に見るならば、
祭司ザカリアの子です、。
でも、肉の器の父がそうでも、
その器に宿った御霊は、天地創造の神様ご自身の御霊です、。

天地創造の神様ご自身ならば、たとえ
宿る肉体に原罪があってもなくても、、それに
穢されるということは断じてありえません。

なぜなら、その程度で穢れるようであれば、人の持つ
原罪を赦すことも清めることも出来ないということになります、。
それと同じ理屈で、神様が選んで宿る母に
原罪があろうがなかろうが穢されることもないのです、。

御母マリアが、処女でも、そうでなくても、
祭司ザカリアが、肉の父でも、、
イエス様の完全性、神性は穢されることがない絶対的なものです。

私はこれをイエス様の絶対聖性、絶対神性と、、
自分造語で言っていますけど、。

関連記事

ある人は言います、。
今の時代に、昔のように明確な神よりの導きがあれば従うのに、と、。
信じたいのに出来ない、。従いたいのに従えてない、。
そんなジレンマ、、ありますね、。
いわゆる自己矛盾、、。

これも、、それに、当てはまる、。

イエス様を信じます、。
ただし、処女から生まれた神様ならば、、、。
つまりは、イエス様が処女マリアから生まれて無くて、
祭司ザカリアが父親なら、もうイエス様が神様だと信じれない。
ということ、、

それだと、、
あなたはイエス様から完全には救われていません、。
きっぱし、。

あなたが見ているイエス様は、自分の理想像のイエス様であって、
本物のイエス様御自身と魂での出会い、、ふれあいは、まだこれからです、。

イエス様が、自分の理想から、少しでも外れたら、
軽蔑すると言うなら、それ本物のイエス様なの?

私は、イエス様の行く先が、たとえ地獄でも、喜んで付いていくし、
天国に入れていただけ無くてもイエス様と、イエス様の父さまが好き、。
ご利益が欲しくて信じたわけじゃないもの、。

家族(お父さん)になって下さる神様は本物だと思ったから信じてる。
イエス様が、もし処女マリアから生まれていなくても(普通の男女の営みで)、
祭司ザカリアを肉の父として生まれて来てても、、

そんなもの、肉体という入れ物のレベルの話のことで、
入れ物の中身は、、天地創造の神様なんだもの、。
御霊が神様なら、神様でしょ?

王子とこじき、、見た目が同じ二人が入れ替わって、
王子は、身なりがどうであれ、王子の威厳と風格を持ち、。
乞食は、良い服をきても、大切に扱われても落ち着かずに
オロオロドキドキしてた、と言う話。

入れ物、、見た目、、で判断するのはよくない、。
肉から生まれたものは肉で、
霊から生まれたものは霊なんでしょ?

器の外側だけ神様然として見た目がきれいで白ければいいの?
何も知らない子供が、どろんこの汚い手で、
イエス様をベタベタ触ったら、もうイエス様は神様じゃなくなるの?
父さまが、その子に、イエス様を連れてきて、、と
頼んだとしても汚いの?

私にとっては、たとえ、
どろんこだらけでも、イエス様はイエス様です、。
神様だから神様です、。
永遠に忠誠を誓っても命捧げても惜しくない、。

罪の重さで心が潰れて、死にそうに苦しかった、。
あの例えようのない苦しみから救い出して頂いた方から、
離れることなんて、、、考えられないもの、。

父さまと、、イエス様が、、世界一、宇宙一大好き
離れるくらいなら、父さまに打たれて殺されたほうが何倍もマシ。

絶対に離れたくない、。
なにが起きても、死んでも、、身体がどうなっても、、
心だけは、父さまと、イエス様に想いをはせて生きる、、。

死んだら、一旦は、父さまの元に帰らなきゃ、、。

帰ったあとは、、戻ってくる、。
生きている人と、あわさって生きるのは、しんどい、。
この世になんの未練も執着もないし、、。
霊のままで真剣に救いを願う人のために働けたらいいな、。

父さまがお決めになることだから、、それに従うけれども、。

マグダラのマリア


思いがけず、のんびりしています、。
今日は(もう昨日ですけど)、、
一人、御飯いらないけど、俺を入れて4人分要る、と
息子に言われて、。

残ってたおにぎりと、からあげ温め直して、
スープ作ってお雑煮風にして、、餃子焼いて、、。
家到着後、数分で寝た子が居て、、
その分以外は無駄にならずに済みました、。
相当疲れてた模様、10時半まで池袋にいたっていうので、、。

で、息子たちが帰ってくるまでの間、
のんびりと、タブレットでネットサーフィンしてたら、

統○系列の話かな、。
ア○ジが、私には原罪がないと言っていたとか、
書いてあって、、。
ん、、ちょっと勘違いしてる、。

産まれながら原罪がないとみなされるのは、
無垢なイエス様につながったクリスチャンと、その子供たちだけです、。
イエス様と神様だけが、原罪を無いとみなすことが出来るし、
聖霊によって、、清くすることができる、。

そんなこと考えてるけど、、
教祖の文氏は、自分が赦す権能があるがごとくに、
自分に従えば清くなると罪の赦しを与えて、、
自分は不義、不倫のやり放題してた、。
妻の自分も、文氏と同等と、思っているみたいだけども。

よしんば、文氏が、再臨主だったと仮定しても、(ありえないけど)
妻以外と密通して不倫とかして、罪を犯せば、、
その時点で、どう考えても無垢とは言えず、、、、
聖書の十誡の規定の姦淫してはならないに触れてて、、
堕落したことになるのに、どこが無垢と言えるのか?

再臨主だというならば、行い、言葉、想い、全てにおいて、
無垢なるものであるべきで、、、
不倫、不品行など微塵もするはずがない、。

そんなこと平気でしてたようでは、とうてい無垢とは言えず、、
再臨主と名乗る資格など、はなから無かった。

彼らは、、原罪を何だと思っているのか??
原罪とは、、アダムの時に、
直接、神様が人に、触っても食べてもいけない、と
言い渡した戒めを破って、
サタンの誘いにのって、知恵の木の実を食べたこと、。

本当に木の実を食べる、。それくらいで罪だと言われて、
素直に納得する人はいないでしょ、。

キリシタン大名となったある武将が、
たかが柿を一つ食したからと、怒るような神など本物であろうか?
そのような短気な神は神とは言えぬ、。と棄教したといいます、。

それが、普通の感覚、。
サタンとは、知恵の天使でした、。
そのサタンを知恵の木と比喩していたのです、。
サタンを食べる、、つまり、サタンと一つになる。

当時は、天使は人の肉体のようなものをまとって、
地上に降りていたのです、。

創世記
6:1 さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
6:4 当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。
6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」

結論からいうと、
人の肉体のようなものをまとったサタンとエバは、
交わったのでした、。あとからアダムもですけど、。

サタンは元々天使であり霊的存在です、。

神様が、知恵の木を指すサタンに触れてはいけない。
死ぬからと仰ったのは、
サタンは、すでに、心において人を妬んで陥れてやると思って堕天してて、
天使ではなくなっていたのでした、。

無垢な天使だった彼は、霊的に穢れてサタンとなり、
神様に背いて、死んでいる者になり果てていたのでした、。

霊的に死んでいるサタンに触れただけで、
穢れて死ぬのならば、サタンの擬似的な肉体を介して、
彼の死んだ霊と無垢なエバとアダムの霊を交わせたのなら、
それは、、どれだけ無垢な霊が穢れることなのでしょうか、。

人(アダム)の助け手として神様は人の骨から形作って、
最初の女性エバをアダムに与えました。

人の助け手、伴侶は同じ人であるべきで、
いくら能力があっても、知恵があっても、美しくても、、
天使では、御心に背くことなのでした、。

神様は、エバに、産みの苦しみを増す、。
とおっしゃいました、。
原罪がサタンとの性的な罪だったからです、。
原罪が性的な罪であったから、アダムとエバは腰を覆って、
神様の前から隠れたのです、。

神様に、すべて見られていたことが、わかったから、。
恥ずかしくて、背いたことが恐ろしくて、
神様の前にいけなくなった、。

アダムは、神様よりもエバの言うことに聞き従い、。
エバは、蛇の言葉に聞き従い、。
アダムは神様が与えたエバのせいに、、
エバは、蛇のせいにして、言い逃れようとした、。

そう言えば、赦して貰えるのではないかと甘く考えて、。
素直に罪を認めないから、、
エデンを追われ、、産みの苦しみも増えた、、。

陣痛、、凄く辛いみたいですね、。
私は陣痛なかった、。
陣痛促進剤使っても、、我慢できる程度の痛みしかなかった、。
陣痛って腰が取れる、とか、腰を取りたい、、。
と思うくらい痛いらしい、。

子供を産んだ後に、胎盤取り出して、、
お腹を上からギューっと押して子宮縮めるんだけど、産むことより、
そっちの方が涙が出るくらい痛かったなぁ、。
子供、二人とも陣痛無しで産んだ、。

陣痛促進剤飲んでも、ほとんど陣痛なくて、今の時代で良かった、。
昔なら、出血がずっと止まらなくて死んでたかもね、。苦笑、。
産んだ後、子宮収縮剤飲まないといけなかったけども、。

二人とも、陣痛なかったのは、不思議、、。
生理も不順なんてなくて、28日周期で決まってくるし、
今でもあるのに、子宮収縮だけ、なぜか起きなかった、、。

子供、、他のお母さんたちに比べたら、
わりと楽に、、産ませて戴いてました、。
泣き叫んでるお母さんもいたしね、。
相当に痛かったんでしょうね。

話を戻して、。
原罪が、サタンと人との性的不品行だったからといって、
現代の不品行と原罪は違うのよね、。
似て異なるもの、、でも統○では、そこ混同しているみたい、。

アダムとエバ以降の人間が人と人同士で不品行しても、
それが原罪と同じにはならない、。
もし、本当に血分けとかの何かの儀式で、無垢になったからといっても
不品行をしていいことにはならない。

原罪と、人間の姦淫の罪は別物です、。
原罪は、サタンと人が神様に背いて触れて交わって、
神様を捨て去った罪のこと。

原罪と姦淫、不品行の罪を同じものとして考えて、
原罪がないとして、悪用・利用しているのが統○教会、、。

原罪の赦しは、人の中で唯一の無垢なる御方イエス様に、
つながらないといけない、。
他の人間は、、本当の再臨主と、
その御方の御子として産まれる人以外は、無原罪の者はいない、。

クリスチャンの子として産まれ無原罪とみなされている子らにだとて、
原罪の根っこまで根絶やしにできなかったから、
原罪の影響は、少しは残っている、。

強い意志で退ければ、罪を退けれるけれど、。
間違ったり、罪を犯すことはある、。

カトリックでもプロテスタントでも不品行から離れない聖職者がいます、。
そういう人たちは、、原罪が霊的な性的愚行だと知らないから、
平気なのかな、。

原罪と姦淫、不品行の罪は似ていても、同じものではない、。
だから人同士の不品行は、、原罪とはならないし、
悔いて改める努力をするなら、罪は赦されます、、。

でも、不品行が、原罪と同じ罪の内容の要素を含むということを、
知らないがために、、。

このくらい良いだろう、みんなしてる。
ちょっと話したかっただけ、デートしたかっただけ、
それ以上は望んでないし、しないから良いでしょ。
とか軽く考えています。

そうやって油断してると、サタンに足下すくわれて、すっ転ぶのよね。

自分が不品行をしそうな状況を、
わざわざ作るのは、誘惑に勝てる自信があっても、危険。

食べても触れてもいけない知恵の木を、
いつでも取れる場所に、知恵の木の傍に立っているってことなんだもん。
よく考えると、不品行、姦淫をやめないことって、、
とても怖いことなのです、、。
サタンに付け入るスキを、はい、どうぞ、、とサタンに、
プレゼントしているようなものなんですから、。


マリア

イメージ 1

聖霊は母なる神様。

聖霊は母なる神様。
罪に穢れた生命をも新生させ得る、、
すべての命の母。

すべての命という命を生み出す母としての神様が御聖霊。
もちろん、みいつの神様の位格の一つであるので、
神様とも、イエス様とも対となって、
命を生み出し清めるために働かれる神様、

命を清め生み出す聖霊に言い逆らう者は、、、
イエス様でも、、赦すことは出来ない。

聖霊に言い逆らう者は、
この世でも後の世でも赦されることがない。、と
イエス様が仰ってますから。

罪の清めには、イエス様に繋がることと、、
罪を悔い改めることが必要です、。
悔い改めもしない者は、、イエス様に繋がってはいませんし、
また、霊を新生させる聖霊にも繋がってはいない、。

罪を示されて、心も痛まず、反省すらせずにいるようでは、
イエス様に妻がるどころか、、恐ろしいことですけど、、
悪魔そのものともいえる原罪の根と霊は繋がったままです、。

聖霊によって原罪の根、、罪の元凶、サタンから切り離されて、
イエス様に霊が、つなぎ直される、、という霊的新生が行われていないと、
形だけ、肉体だけ、洗礼を受けただけとなり、
恵みによって原罪はないと、、みなされて、天国に入る資格は得ていても、
霊的新生が完全に出来ていないので、霊はサタンに繋がれたままなのです、。

霊的新生もあってはじめて、、イエス様に完全に繋がることが出来て、
イエス様に似たものとなりたい。神様に従いたい。罪から離れたい、、。
と願うようになるのです、。

霊的新生とは、霊的に生まれ直すことなので、
自分だけを愛する肉の自分の我望は、捨てて、、、
他者を愛そうとする他者愛を持つよう努力しようと
自分の意思で、そう強く決意しないといけないです、。

自分を喜ばせ自分を愛することだけで、手一杯で、
自分以外は蚊帳の外、、では、新生はできていません、。

他人を愛するなんて、、ハードル高いよ、。ですか?
そうですね、。ほんとに難しいです、。

自分の伴侶や家族でさえときに愛することに
困難を覚えることだってあるでしょうから、。
でもね、、愛しやすいのは、、他人よりも家族、兄弟姉妹、、
血の繋がり、、心の繋がりのある家族です、。
心が繋がった家族のためなら、、
出来る限りの努力は惜しまないはずです、。

美味しいものを作ろう、、とか、。
笑顔で話そうとか、。
声掛けをまめにしようとか、。
過ごしやすく使いやすく、
部屋や洋服を整理しておこうとか、。

子供さんによっては、触るなタコ!と怒鳴られたり、
ものがなくなった!と怒られる場合がありますけどね、。

同じ種類のものは同じところに箱や入れ物に入れて集める。
ファイリングする。ひと目でわかるように数を減らす。
床やテーブルの上に沢山、物を置かない。

定位置を決める。前から見て、パッと、わかるように、
長いもの、背があるものは後ろに、
背がないもの、短いものは前に、、置くとか、
収納の仕方や置き方を考えれば良いかもです、。

私は、今回の大掃除で、前から見て、ここらへんにこれがある、と
分かるように分類してしまいました、。
息子の場合、たたんでおいても、
下から引っ張り出して、すぐグチャゴチャにされるので、

まめにチエックしないと、すぐ、洋服の山が出来上がってしまうので、
ズボンはズボン、肌着は肌着、
パンツはパンツ、TシャツはTシャツに分けてたたんで、
着れないもの、着ないものは、
全部より分けて衣装ケースにしまいました、。

押し入れのお布団類洗い終わって片付けたら、、
押入れに放り込もうと思っています。
棚の上の方に、衣装ケースがあると、大きな地震でも来たら、、
上から衣装ケースが落っこちてきそうで怖かったから、、。

だって、うちは、トラック通っただけで
ガタガタと家が揺れるボロ家なんで、、。
ほんと、、よく揺れます、。
基本は、、割れ物、、重たいものは下に、、軽いものは上に、、ですね、。

まだ、手付かずのところも、若干あるけれど、。
床や足元に置きっぱのものを収納したりして片付けると、
それだけで、家が広々して良いです、。

話を戻して、
身の回りの整理整頓は、、心の整理整頓にも繋がるので、
それなりに、片付けていかないと、、、。

気づいたら、成仏してない幽霊と仲良くしてて、、
心の中も、身の回りも、ゴミやら、悩みだらけで、運が悪い、、
なんてことに、、、なったりします、。

なので、私は、面倒だな、、と思っても、
少なくとも年に数回は、いきなりゴミ出し掃除をやるんですが、
ここ最近、一年くらい、まともにやる気が起きなくて、
おさぼりしてたのですけど、。

大掃除だし、、と、気持ちに踏ん切りつけて、
頑張ったんですが、、一気にやったので、、見事に筋肉痛になりまして、
一昨日と昨日は、足と左肩と上腕が、めっちゃイテテ、でした、。
温めて寝てたら治りましたけど、。

一週間に一度くらいの頻度で、、
片付けてゴミを出したり整理するほうがいいかも、。

筋肉痛には、、ちと、笑えました、。
腕が痛くてフライパンが持てなくなった、。苦笑、。
今は、筋肉痛、治ってますから大丈夫ですが、。

罪の自覚と悔い改めは、、心と霊の大掃除、。
サボってると、筋肉痛どころじゃすまないような気がします、。

悔い改めなくても、反省しなくても、赦されてるから、
それでいいって考えは、ある意味、心が、、
赦されて当然、、だと、ふんぞり返ってる。

そういうのって、。
罪を認め自覚した上での信頼とは、ちょっと違うような気がする、。
父なる神様と、、イエス様と聖霊への冒涜、のような気がする、。

罪の自覚を、促されたとき、、赦されて当然とは思えなかった、。
こんなどす黒いものがあるままであることに愕然としたし、。
洗礼受けてても、そいつが消えてない、という事実に、
正直、がっかりした、。

洗礼受けて清くされたなら、そういう【あくどい部分】は、
消えるものだと勘違いしてたから、。

新生のときは、、まるで逆でしたよ、。

自分の悪どさとか、醜さが目について、、ともかく辛い、。
逃げ場もなく、心も罪の重さを感じて潰れていって、。
こんな自分が救われるなんて、、ありえない、。
救われるわけがない、。
地獄に落ちて当然、。救われなくて当然、。

お父さん、。離れちゃってて、、ごめんなさい、。
もう、お父さんて呼べないよね、、。
そんな資格なんてないよね、。と、、言いながら、、
ボロボロ涙を流して泣いていた、。

後悔しても、嘆いても、何をしようと救われない自分がそこにいて、。
絶望感と孤独感しかなかった、。

救ってください、、なんて、、おこがましくて言えなかった、。
心が潰れて、凄く息苦しいから、、肉体を滅ぼして、
地獄に落としてください、。裁いてください。
生きているより、そのほうがマシです、。と、祈り願っていた、。

助けて、とか、救ってほしいと神様にいえるうちは、、
余裕がある、。

気持ちがイッパイイッパイになると、自殺はだめだから、、
お願いだから、もう苦しいから滅ぼしてください、、。
そんなの、神様だから、、簡単でしょう、。と
泣いて滅びることを願い訴えてた、。

だって、心が罪の重さでじわじわと潰れていくことで、
息も、まともにできなくなるほどに苦しくて、。

気持ち的には、遠く離れた神様に向かって、
ひたすら土下座したままだった、。
頭挙げれないくらいに、申し訳ないし、恥ずかしいし、情けないし、
顔向けできない、、という日本語が、ぴったんこだった、。

心の大掃除、悔い改めること、、まめにして、、
へりくだって罪の赦しを願い乞うことと、、
与えられている赦しに感謝することは、
ほんと、、必要です、。

みいつの神様と、、聖霊を冒涜しないためにも、。
赦されるべき罪なんか何もない、。と、、ばかりに、
心の大掃除、、サボると痛い目みるので、。

神様に、違うと言い返すのも、、冒涜になるのよね、。
お父さんだから、 辛いときに八つ当たりして、何言ったって、
聞いてくださるし、わかってくださるけど、。
それはそれ、、これはこれ、、で、、
敬う想いを持たなかったことは反省しないといけないもの、。

聖霊や、神様にいい逆らって、冒涜するのは、サタンなのだから、。
神様の御言葉に逆らう生き方をしてたら、サタンと繋がってる、。
神様の御命令に背く生き方をしてたら、サタンと繋がってる、。

このくらい、厳しい見方で自分の心を見ないと、
どんどん罪に鈍感になって、しらずしらず、
神様に背いてた、なんてことになるので、
心の自己管理を気をつけないと、、です、。

新生するとき、、って、
罪の自覚が与えられて、心が潰れて辛くても、それを乗り越えて、
事実として受け入れて、素直に謝罪です、。
それしかないです、。

神様に対して、こうだから、ああだから、と理由付して
言い逃れても、それはサタンと同じで、
神様に言い返しているだけなので、。

だめ、と言われて、はい、。と口だけ言ってて、、
後ろであかんべーしているような状態で救われはしないのです、。
約束も、神様に対してしたと思って、
努力して守るようにしないといけないです。
どうしても守れなかったら、
神様に約束守れなくてごめんなさい、。をする、。

あの人が嫌になったから、守れない、。
守るの面倒だから守れない、。
疲れて起きれなかったから守れない、。
そうゆうふうに自分勝手な理由で、、
神様に、言い訳はしないほうがいいです、。

はいか、いいえで、、
もし、いいえというのなら、その正当な理由を明示することですね、。

私は、神様にいいえとは言いたくないし、、
はい、。と従順で居たいです、。

さんざん、、ヤダヤダいい逆らって痛い目みたので、、
その言い返す怖さは、、よーくわかってるので、。
生きている、自分の親に言い返すようであると、。
神様にも、、言い返してたりしますよ、。
一事が万事、に繋がるので、、。

神様には、、従順に、、そしてへりくだって反省し悔い改めること。
忘れないように、、努力しましょうね、。お互いに、。

霊的新生は、自分の我を殺すこと、。
あくどい自分、自分勝手な考えの自分を、
自分自身で滅ぼしたいと神様に乞い願うことなのですから、。

アダムとエバが、、死んでもいいと木の実を食べて堕落したのと逆、。
こんな自分は滅ぼされて当然と思い願うとき、、
母なる聖霊は下り来て、、哀れんでくださって、。
イエス様に結びつく真の霊からの救いと、霊の新生がなされる、、、

罪があるのに、、穢れているのに、。
罪がないとみなされて、穢れた自分ごと、ありのままで救われる、。
それは、罪を悔いて、、嘆いて罪の重さに苦しんで
心において、、自分に死ぬことを望んだから与えられる賜物です、。

洗礼受けたから、、全自動で与えて頂けるものではなく、、
父さまが定められた時、、そこまでの準備期間が相当の年数必要です、。

そういう、あくどい自分の自覚後、に救われると、
救われていることが、当たり前とは思えないのですね、。

申し訳ないと、。ありがたい、、と思う、。
救われるべきでないものが救われているのだから、
そう思うのは当然で、。

裏切りたいと思うか?離れたいと思うか?と言われたら、
迷わないでしょ?

私は、、父さま、イエス様、死んでも離れたくないです、、。
永遠に従います、。と、迷わず答えます、。

こんなろくでなしを哀れんで愛して罪を赦してくださって、、
おまけに天地創造の神様にお父さんになってもらえる、。
こんな最高の幸せを、永遠に棒にふるのは、、もったいない、。
死んでも離さないくらいの勢いで、しっかりにぎって生きていく、。

父さまーーー大好き♪
世界中のどんな宝物よりも、最高の宝物、。
あなたは、、幼いときから欲しかった、、見つけたかった、、、
家族になってくださる最高の神様、。


マグダラのマリア

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