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書庫質疑応答の為の書庫

ここは、疑問や、質問を受けたり、答えたりする書庫です。


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フラフラと、ネットサーフィンをして
色々クリスチャンサイトなどを見に行くのだけれど、
イエス様を呼び捨てにしてる、、不思議です、。

主人であり、救い主である御方であるのに、、。
イエス様御自身は、様をつけられたいとは
思われていないと思います。

でも、、救い主である御方に、、
深く感謝する思いがあれば、、自然とイエス様、、と、
呼びかけたくなります。

呼び捨て出来ない。
ただの親しい友達関係だけなら、
呼び捨てもありだとは思うけど、、
イエス様は、神様であって人類の救い主、。

神様には様付けてて、苦しまれたイエス様には、
救い主で主人であるのに、、呼び捨て??
私的に、そこ、、違和感が消えない。

信徒だけじゃなく、、
牧師も呼び捨ててる、。
聖書のコピペ部分はイエスのままでも、、

まだ、しょうがないかもしれないけど、、
でもね、、丁寧な方はイエスと書かれた聖句に
イエス様と、、様をつけて訂正している方もおいでです。

小さなことですけど、、それがイエス様への
気持ちの現れ、、ですよね。

違いますか?
自分がイエス様の立場で、
人から“さん"さえつけてもらえず
名字や名前で呼び捨てにされて、、、
嬉しいことですかね、。

日常で、人の名前に、
さん をつけて人に呼びかけるのは
当たり前です。

神様でもあるイエス様に様をつけ、、
尊称でお呼びするのは普通のことではないでしょうか?

イエス様をイエスと呼び捨てにしてることが
サタンとサタンを呼び捨ててるのと
同じようなことだと思われませんか?

日本で、イエス様は、、いつから
人に呼び捨てにされるような者に、
成り下がったのでしょう?
聖書で、、イエスと呼び捨て表記だからですか?

海外ではイエス様を名前ではなくLordと表記して
イエス様の御名ジーザスを尊いもの、としています。

イエス様に、塗炭の苦しみから救い出された私は、
私の救い主イエス様を呼び捨てには出来ません。

感謝を込めて、イエス様をお呼びします。
それに神様でもあるので、、
様付けも、当然だと思うし、、。

そういう小さな意識改革からしていかないと
サタンの手に、、落ちてもしょうがない。

呼び捨てにすれば、するほど、
イエス様は自分より下であるかのように、
脳は錯覚して認識していく。

一昔前なら、自分の親に対してでさえ
父上様、母上様と敬って言っていた、。
神様で救い主である御方は、、、
人の子の親より劣る存在でしか無いのだろうか、。

公ではないけれどね。
天照大神が、イエス様のこと、、ですけどね。

日本神道では、世を照らす天照大神を、
大神、とただの神様ではなく、、
大きなすごい力がある神様だとして
尊称大神をつけて呼ばれています。

日本のクリスチャンは、世を照らす真理の光、
救い主である御方を目下のごとくに呼び捨て??
不思議です。

マグダラのマリア



何も良いことないのに、、
なんで神様に感謝しないと行けないの?

素直と言えば、素直、、傲慢と言えば傲慢、。
苦笑、。
良いことがある時だけ、感謝して、
そうじゃない時は感謝しないというのは、、

神様に、祝福してくれなきゃ、お前なんか要らないよ、。
と言ってるのと同じこと、。
そんな威張り腐ってる人に、大きな祝福あると思います?
小さな祝福に、小さな幸せに感謝すら出来ない人は、

どんなに大きな祝福があっても、感謝しないでしょう、。
一事が万事。。。
些細なことにでも、感謝をしていれば、
大きなことでも小さなことでも、良いことを見つけては
ありがたいと喜びに充ちて幸せに人生を送れます、。

感謝して生きるというのは、
結局、自分の心の豊かさを育むことなので、
自分の幸福につながるのですね、。
いつも喜んでニコニコしてたら、自分の運も良くなりますし、
運が良い人も寄ってきます、。

神様の御使いも、、ニコニコ喜んでいる人が好きですし、
笑顔と良い想念に呼び寄せられて、、助けてくれます、。







ご質問
『イスラエル』は「神に勝つ!」という意味らしいですが、神様は、わざと負けたんですかね。

日本には「神に勝つ」という発想はないように思われますが、そのあたりの違いについて、マリアさんの見解をお聞かせいただけますか。
というご質問を受けました、

私の個人的見解ですが、、
まず、、イスラエルの意味は、仰る通り
神様と戦う者とか神様に勝つ者という意味ですね。
御使いが、ヤコブに預言と
祝福を贈ったわけですが、、、、。

御使いが世があけるから、と
立ち去ろうとしても
ヤコブはしがみついて、祝福して下さいと手を離さずにいたので、

御使いはあらかじめ、なぜか、
ヤコブの腰のところを打って、
しばらくしたらヤコブが
動けなくなるようにしておいて、

ヤコブが動けなくなってから、
新しい名で、イスラエルと呼ばれるようになると祝福しました。

腰、聖書では隠された意味で、
男性自身を意味してることが
多いのですが、、

それは人の原罪が性的な罪だったからで、不品行を避けることが求められた訳ですが、ここではヤコブが戦い続けたり追ってきたり出来なくするためのようです。

ヤコブは2人の妻と2人の側女、
11人の子らを連れてヤボクの橋を渡って
独りになった時に、、、
その謎の人物と出会ってます。

神の力を持つ者と人と戦って
という意味だから、
この人物は御使いだと思うのですが
朝になるから離すように言ってるし御使いにしては、、?

夜、独りで橋のところに残ったヤコブの行動も意味不明だし。
この御使い、どこのだあれ?って思ってしまう。
コブを夜中にお呼び出しでもしたの?って、、。
正体不明の謎の人、、なんですが、。

ここで謎の人物である御使いが
ヤコブと相撲で負けたわけですが、。
本物の御使いとただの人間とで
純粋に戦ったら勝てるわけが無い、、。

なので本物であれば、、公平に、
ヤコブが持つのと同じ
肉体的な能力値で戦ったはずです。

そうであれば
ヤコブが勝てる部分は執念というか
強い意志力の部分でだけです。

絶対に神様から祝福を得たいと
必死に願い求めた心の強さが
御使いに勝てた最も大きな要素ではないかと私は思っています。

神様は必死に求められたら
わざと負けというよりは根負けして
負けたことにして祝福して下さるような
お茶目もして下さるのでしょうね。

勝ち負けにこだわるのではなくて、
神様から祝福して欲しい。
神様と繋がりたいと願い、真剣に、
求め続けることの大切さ、ですね。

謎の人物は神様ご自身ではなく
御使いなので祝福は出来ても、
ヤコブをイスラエルと名付けてはいないのですね。

あとで神様がご自身でヤコブにイスラエルと名付けておいでです。

創世記
35:10 神は彼に言われた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。

御使いだから、祝福と、いずれ
イスラエルと呼ばれるようになる
という預言だけだった。

神様に勝ってという発想が
日本にはない理由に関しては、私的に
イエス様が、それの原因だと思うのです。

イエス様の時代に、
自分たちは神様から選ばれた民イスラエルだという、
いわば選民思考でおごったために
初代イスラエルの国は滅びたわけです。

だからイエス様に例え話を通して、神様に
従わないままならイスラエルは
国ごと滅びると預言されていたわけで、

ネストリウス派クリスチャンは、、
神様と戦って勝ったイスラエルだとして
おごった過去のイスラエル人と
同じ轍は踏むまいとして

神様と戦うとか勝ったという
イスラエル的選民思考は捨てて、

すべてを神様のご意志として受け
愛し受け入れる豊かな心を育む、。

この、イエス様の教えた教え、
ゆるしと愛すること、
神様を常に心に留め置くこと。

これらの教えだけを重要視して、
イスラエルが持っていた選民的思考は、
務めて捨てるようにしてきたのではないかと思います。

日本神道は他宗教を排斥せず、
共存共栄、、和を基本にしています。

イエス様が実際になさっていた通りのことを
実践してきた日本神道を作り出した、
原初ユダヤ教徒(国津神系)と、
ネストリウス派景教徒(天津神系)が融合して
出来たものが現代の日本神道、、。

輪と和 ヤマトの教えを信じてきた私たちの祖先の日本人。

イエス様の愛の精神が、ちゃんと
受け継がれた信仰が日本神道の教えと在り方だから、

御利益主義と選民思考による排他的思考に走ってる
クリスチャンは、日本神道の精神を学びませんとね。

排他的思考は、イエス様の教えと
まったく真逆方向に行ってますから。

神社は神様と人が交われる
現代でも古代イスラエルのように生きている霊域。

出エジプトの時、死者がよみがえったイエス様の時と同じ
奇跡を起こされた活ける神様が鎮座しておられる場所。

夕方から夜、朝方までは、
お正月以外は参拝禁止です。
生け贄の半分はサタンの取り分なのです。

半分は神様のものとして分けることで聖別するわけです。
だから、サタンの取り分の時間である夜は
魑魅魍魎が人の欲心の想い願いに引かれて集い集まる時間。

神様への感謝だけが捧げられてる神社でも、
夜は魑魅魍魎が居る場合がある。

夜は、堕ちた者らの逢魔が時、。
下手に関わるとろくな目に遭わないので
夜、神社に肝試しとかで、
行かないほうが賢い。

お正月に、そういうのは一気に浄化される。
どれだけ人の世に人の悪念により
悪しき輩が生み出されているか、、。
神様が清めて浄化して下さってるから
よいものの、、。

人の欲心、悪念で地球が汚されて
今の状況になってる。
普段の人々の思考のあり方が、
この世に多大な影響を与えてる。

自分さえよければ思考で生きるのは
良くないです。

自分以外は自分の分身、自分の中の一部、
腹を立てても仕方ない。
自分だけ我慢して生きてるわけじゃない。
みんな苦労してる。

あれこれと思い煩うのは止めて、、
身近な人との和を大切にしよう。と
思えば、少しは気が楽ですよね。

日本は霊的な第2のイスラエル、、。
選民思考は捨てて、、2000年前の
イエス様の愛の精神が、ちゃんと、、
受け継がれた、、神様がとても愛されてる国。


マグダラのマリア

姉妹ブログ
『神聖(真正)イエス・キリスト教              
22日に記事アップしてあります、。  
良かったら読んで下さいね、。
30日に加筆しました。
イエス様が好きな聖書箇所は、。
どこかな、、聞かれて、。

はい??
え?聖書のどこかな???と、
ちょっと考えてみました、。
当時は旧約聖書しか無いですから、
旧約聖書であることはたしかです、。

イエス様がご自分から、
どうして律法学者たちは、と、、
ほら、言い返してご覧と言わんばかりに、
議論を問いかけてるし、。

詩篇の110:1かなぁ、。
神様からの、ご自分への約束の御言葉でもあるわけだし、。
と考えたり、。

イエス様は、、マリアの子と言われて、、
養父ヨセフの子でないことは周知の事実、だから、、周りからは、、
子供時代は、見下げられて居たこともあったはず、。

ユダヤ社会は、、不倫は、赦されざる大罪、。
でも、御母マリアとヨセフは、裁かれてない、。

外典の聖書を読むと、、
関連記事
ネットで、御母マリアの雛形で検索しても、出てこなくて、
            イエス様が無原罪のお方である理由
           
御母マリアの妊娠が発覚して、、
マリアが婚約者のヨセフを裏切って不倫したか、、
ヨセフが律法破りをして、婚約中の期間に床入りをしたか、
のどちらか、、だと、、

律法学者のアンナスに訴えられた、マリアとヨセフの二人、。

マリアは、、身に覚えがない、、といい、。
ヨセフも同様に答えた、。
それで、祭司は、、聖書の規定(民数記5:11-31)にあるように、
呪いの水を2人に飲ませた、。
どちらかが、嘘をついていると考えたから、。

ところが、2人とも、何ら害がなかったため、。
無罪と、祭司に言い渡されて、家に戻った、。
というもの、。

御母マリアの胎内の子は、、
必然的に、普通は、ヨセフの子であるはずなのに、。
ヨセフの子ではない、、ということが
公に立証されてしまってた、。

なので、、イエス様はマリアの子、、と呼ばれ蔑まれていた、。
大人になって、仕事をしててもそうであれば、
子供時代は、どれほど、差別的な態度を取られていたか、。

イエス様が神様の御子だから、、
みんなから愛されて、大事にされた、と想いたいのは、
イエス様を信じたから、、そうであって欲しいと願うのは当然、。

でも、実態は、、マリアの子と、
現代で言うと、、私生児のくせに、、と言うニュアンスで
蔑まれてて、、イエス様の親族の中にも、
イエス様を疎んじてた人も居たでしょう。

イエス様を疎んじてなければ、、
イエス様は、ユダヤの適齢期16歳の頃には、
結婚してたはずだから。

13才のバルミツワ(イスラエルの成人式)以降に婚約して、
大概の男性は
16歳ころには、、結婚してた。

当時は今より栄養事情がよくないので、、
子が出来ても、出産まで至らないこともあっただろうし、
産まれても、早逝する場合もあったから、、
確実に子孫を残すために早婚だったわけです、。

ぶどう酒の奇跡、。
あれは、イエス様自身の結婚の予定であった、。

でも、親族の反対があって、
花婿は、イエス様ではなく別の男性、
ヘロデ王の側近のクサ(クザ)が花婿に選ばれた。
ヨハナが、、イエス様の最初の花嫁候補だった、。

イエス様が花婿側の予定でなかったら、、、
御母マリアが、ぶどう酒の心配をしたりしない、。
イスラエルでは、結婚式の時、
ぶどう酒を用意するのは花婿側の役目。
関連記事カナの結婚式

クサはヘロデ王の執事にまでなってる人、、、
それなりに身分が高い、。
そういう人が、イエス様の親族に居たことがわかる。

もし、、イエス様が、人として産まれてくる時に、
予言通りに、王の王として、
地位も名誉もあることを望んだのならば、、
このクサの父のところへ生まれたら、それで良かった、。

王家とも関わりがある、
このイエス様の親族のところへ生まれていたら、
それは可能だった、。

イエス様が、クサのように、ヘロデの側近となり、信頼を得たら?
エジプトの宰相となって、事実上の王と同じ立場となった
ヨセフのように、イエス様はなれていた、。

王のダビデの子孫、としての血筋だけではなくてね、。
預言のとおりに王のような立場になれる道はあった、。
でも、イエス様は、貧しい人の中に生まれて、、
最も底辺にいる人の人生の苦しみを知り、
哀れみ共に苦しむことを選ばれた、。

ふんぞりかえった身分の高い王族の言葉など、、誰が聞く?
その人の前では、、褒め讃えていても、
あまりに貧しい生活をしている人は、、
そういう人たちをひがんだりして憎み嫌うのが、、普通でしょ?

そのくらい、当時の貧富の差は甚だしくて、、
末端の人は、その日生きていくことで、、精一杯、。
泥棒や悪行をしてでも、、それが悪とわかっていても
そうしてでも生きようとした人も多かった、。

イエス様は、、そういう極貧の中で、
罪を犯さざるを得ない人たちこそ、、
苦しみが多く、すぐにでも救いが必要であると、
思われたから、、、彼らと同じ、、
最も底辺の民の中にお生まれになった、。

差別され、、蔑まれて、、
子供時代は、いじめにもあっていたと思います、。

だから、イエス様は、、ご自分と似た境遇のダビデのことを、
書かれた聖句を、、何度も何度も、読まれたと想うのです、。

ダビデの孤独で辛い子供時代の事、、を、、
ご自身のようにシンクロして想ったし、、ダビデの父母のことも、、
ダビデの事は、、どんな些細な事でも、聖句から読み取り、、
なんでも知ろうとしたと思うのです。

そして、、、ダビデのことを知るにつれ、ダビデが、、
イエス様のためにと語り残された、いくつかの御言葉、、を、
心に刻んで、、十字架の道行きにも、、十字架上でも、

詩篇
22:2 わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
22:3 わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。
22:4 だがあなたは、聖所にいまし/イスラエルの賛美を受ける方。
22:5 わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。
22:6 助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。


この詩篇のダビデの言葉をつぶやき、、
自分自身を奮い立たせていた、。
大好きなダビデに関する御言葉を口ずさんで、。

ということで、、イエス様の特にお好きな聖書箇所は、、
ダビデのことが書かれてある聖句全部、、という結論に達しました、。

マグダラのマリア


こんなコメントが入りました、。


敬虔なキリスト教徒の皆様へ

「イエス・キリストを信じれば死ねば天国に入れることを喜びなさい!」と、信徒達に指導しているキリスト教は、現実の苦悩を何一つ解決する事が出来ない無力な宗教であるばかりか、十分の一献金と称してまるで税金を徴収するかのように信徒達から金銭を巻き上げる低級な邪教です。

愛、赦しなどの万人受けするような甘言を説き、魔の通力によるインチキ異言、病気治しを行い純粋な人々を誑かしていますが騙されてはいけません!

精神に異常をきたし発狂したイエス・キリストをはじめ予言者達の妄想、妄言を信じて幸福になれないことは神の名による大量殺人、宗教戦争の歴史、個々の信徒の二重人格、鬱病、頭破七分により頭が悩乱し不幸を不幸と感じなくなるなどの仏罰現証を見れば一目瞭然です。

敬虔なキリスト教徒の皆様、どうか、先に無間地獄で罪障消滅中のイエス・キリスト、マリア、予言者達と決別し、末法一切衆生を幸福にする唯一の正しい宗教・日蓮正宗に帰伏しましょう!

2016/11/24(木) 午後 6:51

-------------
敬虔なクリスチャン??笑

どこが敬虔なクリスチャンと思っている言葉なのでしょう、。

低級な教え、無能な教えだと、言っておいて、、
神仏に謹んで仕える人を、敬虔というんですけどね、、。

んで、、イエス様や御母マリア、予言者達は、、
無間地獄で罪障消滅中??
笑、、それって、イエス様は神様じゃないから、
信じるだけアホって言ってるのと同じですね、。

信仰というものは、、心で感じ信じるものであって、
各自の自由意志によるものです、。

信じてる対象が地獄に落ちてるような連中であり、
金儲け宗教なんだから、信じるなと、言われようとも、、
ゆるぎませんので、あしからず、。

あなたのしておられることは、勧請ではなく、、
堕地獄謗法というものですね、。
地獄に落ちたくなきゃ、こっちの水をおとなしく飲めと
脅してるように聞こえてしまいます。

それと、
イエス様という御方は、無間地獄に、
【落とされるのではなく自らお行きになる御方です。】
人を罪の苦しみから救うためにです、。
神様なのですから、地獄に落とされること自体がありえませんし、。

貴方は霊能者なんですかね?
断言して、無限地獄に落ちてると仰って居ますが、
自分の目で見ていないでしょ、。
人づてとか、あなたの御想像でしょ?

これは何も知らないゆえの盲信ではありません、。
私は、お父さんになって下さる、生きてるという感じのする
温かみのある神様がいいのです、。


題目をあげて、仏像や、掛け軸の本尊をおがんで、、
信心行動などをしたって、お父さんにはなって貰えない、。

宗教自体は、どんな宗教とて、
人が運営する以上は堕落した部分があり、
金もうけに直結した行動や、思考をし、
腐敗して居る部分があります、。

そういう腐敗した部分がゼロの、、
本当の意味での正しい宗教は地上に一つも存在していません、。

金ピカの仏像や伽藍が無いお寺、
盛装用ので豪華な袈裟を作ってない住職、は、一人もいないでしょうよ、。
どこがお金儲けしてるという教えと違うの?

なぜ、他宗を排斥しようとするのでしょう?
それが本当に仏の意思なのですかね?

宗祖の日蓮は、比叡山で修行してますよね、。
天台宗の本尊は阿弥陀仏ですね、。
阿弥陀仏は、弥勒菩薩のことで、
観世音菩薩の化身と言われています、。

阿弥陀仏は大乗仏教の仏ですね、。
大乗仏教は釈迦自身の教えではないと言われてもいます、。

仏教の大元締めは釈迦仏。
釈迦自体は、当初、信仰対象じゃ無かったし、
信仰が中心でも無かった、。
釈迦が書き残した経典すら無いのに、後世の経典を読んだ者が、
新たな解釈を付けて、教典を読んで念仏を唱えている、。

他に神仏習合のとき、日蓮正宗は、宗派存続と引き換えに、
神嘗祭遥拝等の容認や神宮大麻の受け取りなど、
国家神道への妥協をしてますよね、。

それは便宜上でしょうけど、他宗である神道を受け入れているのに、
キリスト教は邪教として排斥するのでしょうか?

頭破七分は、日蓮宗もですよね、。
こっちが本家だ宗家だ、と言い合いしてるでしょ??
どこが正しい教えだから日蓮宗だけは、
分裂分派していないといえるのでしょうか?

ちなみに、、我が家は、信仰心があれば良し、の
ミックス宗教主義なので、他宗排斥はしないんです、。
メインで、一番は、、天地創造の神様とイエス様、
後の他の教えは、
すべて信仰心がある、という意味で同列、。

仏壇も神棚も家には、あります、。
で、、お墓は日蓮宗のお寺で、そこの檀家になってるし、
初詣や、神社参りもしますけど?

メインの一番信じてるものに何を信じて、
サブに便宜上とか、そこの神社が、気分が良くて好きだからという理由で、
自分の家に何を置いてこうが、私の自由でしょう?

大量殺人、宗教戦争などは、人が宗教団体の運営作業に関わるからであって、
信仰、という教え自体に問題があるわけではないです、。

人が宗教を腐敗させ堕落させて居るんですから、。
神様が悪いのではなく、それをすることを、、
サタンにそそのかされて選んだ人が悪いのです。

したがって、
イエス様は私の救い主であり、神様はお父さんで、、
大好きな御方なので、捨てるなんて、永遠にありえません、。


>末法一切衆生を幸福にする、、ですか、。
末法思想は、救い主が将来この世に現れて、
人々を救うという思考ですよね、。

信心する対象物と名前がちがうというだけで、
キリスト教の再臨主を待ち望む信仰と、、
まったく同じことをしているのではありませんか?
同じような信仰の仕方でしょ??

私は、すでに幸福ですし、他の教えも
必要数分は十分間に合っております、。

私は、ご利益欲しいとか、
天国行きたいから信じているわけじゃないもの、。

他の宗教信じたら、10億円が手に入って、一生困らないで暮らせて、
多くの災害から守られるとしても、、、私はイエス様と神様から離れません、。
お金や物に換算できないだけの大きな永遠の宝物を、、
どうして捨てるでしょう、。

この世の富や、幸せを得れても、
永遠の生命の与え主である神様から離れて死ぬのなら、
この世の富も幸せも要らないのです、。
それらには、魅力を感じない、。

多くは望まない、。ただ贅沢せずに、
ごく普通に食べれて行ければ、それで十分、。

あなたのいう幸せは、成仏できると言ってはいても、
この世での満足だけでしょ、。
私は永遠の幸せの方がいい、。

他宗排斥行為は、おかしいです、。

私は、キリスト教と他宗教は、信仰という部分に於いては、
登山で、どの道を通るか程度の違いであると認識しています。
人が正しい、良い生き方をすることだけなら、
人を大切にしようとする心と、大いなる存在への畏れや信仰心があれば、
事足りるからです、。

原罪からの救いに関してのみ、イエス様でないといけません、。

マグダラのマリア


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