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書庫ブログデボーションシェアリング

進藤牧師先生からの御好意で転載させて頂いている記事です。

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2015年12月01日(火)
THEME:デボーションシェアリング
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる(星の数:砂の数)と言われた通りに、彼があらゆる国民の父となるためでした。
(ローマ4:18)


2015年11月29日の礼拝説教は出所してきて12年と4日目であった。
これまでの私は受刑者の時に描いたビジョンに支えられてここまで来た。
受刑者が立ち直り、前科者が柱となっていく教会づくり。
そのビジョンは私を成長させた。

①受刑者の時に思い描いたビジョンはその通りになった。
②神学生の時に天井に貼ったみ言葉とビジョンそのままになった。

著書「立ち上がる力」にも書いたが、ゴールから自分を見てきたからやり遂げることができた。小さな証は大きな証となる。

1、開拓伝道の時たった一人でも説教をし続けた。
2、結婚に夢破れたハートブレイクでも説教し続けた。
3、インターフェロン治療の入院中も外出許可をとって説教し続けた(ともこ姉証人)

ビジョンは人を集め、人を動かし、人を育成する。

「変わろうとすることは神への愛の応答」と題して、救われた者たちがキリストの似姿になること、つまりキリストように生きることは御心であり成長であると語らせてもらった。

望み得ない受刑者の時に、望みを得たことで神と共に描いたビジョンに支えられみなさまに支えられてきたことを心から感謝します。


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2015年12月11日(金)
THEME:デボーションシェアリング
第一テモテ5:17 よく指導の任にあたっている長老 今で言う牧師は二重の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。

このパウロの言葉ってすごいよね!
自分は一切牧師給は要らないといいながら自分の弟子には牧師給を出してやりなさいって言っている。
私も開拓で無給でしばらくきた。
今は手取りで両手に満たない。
でも多くをサポートしてもらってる。感謝。
開拓で給料出ない代わりに携帯とか色々出してもらって、外に行かせてもらって生活してる。
このスタイルは神が私を導いてくれたもの。
二重の尊敬って、ちゃんと尊敬してるなら生活の面倒をみんなで支えてやりなさいって事なんですと教わりました。
なんかそんな事を言ってくれる師匠がいるって泣けてくるね!
中野師匠は私が食えない時に沢山おごってくれた。
献金もくれた。そして今はみんなにも支えられてる。俺は幸せもんだ!


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2015年12月14日(月)
THEME:デボーションシェアリング
使徒としてのしるしは、忍耐の限りを尽くして、あなた方の間で行われてきた、しるしと不思議と力あるわざです。
2コリント12:12


しるし、奇跡、力があるわざ、強調される神の奇跡。
牧会者として伝道者として人々の間をとりもちながら、忍耐の限りを尽くしてきたことがうかがえる。
逆を言えば、忍耐していたものだがらこそ神の奇跡を行えたともいえる。

弱い時にこそ私は強いのです。

しるし  = 見えない神を目の当たりにするような奇跡(癒し、よみがえりなど)
不思議 = 点と点であったものが結ばれるような神の計画を知るようなこと
力あるわざ = デュミナス 神の国の力

このような神のわざを起こすのはもちろん信仰である。
主イエスは人間として神と一体になる信仰の生き方によって奇跡をなした。
我々も同じだ。
また、不完全な我々がどのような時に奇跡を見るか考察したい。

1、愛し合っている時
ことばは人となって私たちの間に住まわれた。(ヨハネ1:14)

2、赦して悔い改めて行く時
もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださいます。 (マタイ6:14)
実は赦しと悔い改めはセットです。赦す方も苦々しく思った気持ちを悔い改めなければなりません。

3、一致する時
あなた方に新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)
愛し合って一致して行く時に奇跡が起こります。
いっちが教会の力と言えます。

祈り:主よ。愛し合う、愛しあえる兄弟姉妹を与えてくださり感謝します。一致して奇跡をなして新会堂購入に向けてますます全していきます。聖霊の風をお願いします。


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2015年12月25日(金)
THEME:デボーションシェアリング
イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
ヨハネ21章 22節


18節からペテロは主イエスに殉教の預言を与えられるが復活の主とお会いした今、屁とも思っていない。
理解していると思われる。
なぜならヨハネはどうですか?と、聞いているから。

死を恐れない。いあや、恐ろしいだろう。
しかし、それを超える恵み。愛があるのだ。

愛の反対は無関心だとマザーテレサは言ったが
愛の反対は恐れである。

「愛は恐れを締め出します」

愛することを止めようとするのは恐れである。
じぶんが愛の側に立つということは神の側に立つ!ということなのだ。
なぜなら、

「神は愛だから」

この愛に立つ時に実は恐れは消えてゆく。
どんな時も。
どんな時も愛することを私たちが決断しますように。
アーメン


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2015年12月31日(木)
THEME:デボーションシェアリング
ヘブル書10:23−25
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。


あけましておめでとうございます。
今年の指標聖句ヘブル10:23−25
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
真実を辞書で引くと嘘偽りのないこととあります。
聖書は嘘偽りのない書物です。神の霊感によって書かれた神のことばで誤りがありません。
聖書のことばを覚えるということは、聖書に書かれたことを実現させるものですから人生の力なのです。
その真実の神に希望を告白する。みことばをもって、ここにこう書いてあるから実現するのですと。

また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
互いに愛し合いなさい。これがキリスト時代の新しい戒めです。
おせっかいでもなく、愛と善行を互いに勧め合っていく行為は愛し合っていなければ成り立ちません。
愛しあうということは耳の痛いことも聴ける、信頼関係のできた間柄です。
そのような関係だと思っていても「怒っている時」は馬の耳に念仏です。
聖書には「怒りは神のみ旨を現すことではありません」とはっきり書かれています。

かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
お互いに励まし合う。
礼拝者として生きること。当然です。
命の恩人に会いに行きたいと思いませんか!?
人は一度死ぬことと神のみ前に立つことが平等だと同じヘブル書に書かれてあります。
神のみ前に立った時、クリスチャンはみな救われます。
しかし、救われたものとして礼拝者として生きてきたかどうかが問われるのです。
後悔する生き方だけはしたくはありません。

礼拝に行くのも行かないのも自由なのです。
なぜなら愛には強制があっては愛ではなく義務になってしまうからです。
私は礼拝をしたい。礼拝にこそ一番主は御臨在されるからです。


牧師 進藤 龍也

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2015年08月20日(木)
THEME:デボーションシェアリング
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
(1ヨハネ1:7)


観察:神は光である。全く暗いところがない。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネ1:5)
神の光の中を歩んんでいる者なら互いに交わりを保つ。
その交わりが主イエスの血によって清められる。

適応:互いの交わりの中で清められるということは「礼拝」のこである。
礼拝者として礼拝の中で群れの仲間と主イエスと交わる礼拝の交わりのことである。

実例:10年前一度だけ礼拝を休んだことがある。病気ではなく、自分が礼拝する資格がないと思ったからだ。しかし、それはサタンの欺きであることに気がついた。資格がないと思うような自分だからこそ神が必要であり礼拝が必要なのだ!その日以来、一度も礼拝を休むことなく健康が守られていることに感謝。

祈り:罪友の群れ、裏罪友(支援者)の人たちが、まことの礼拝として成長しますよう。

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2015年08月26日(水)
THEME:デボーションシェアリング
しかし、侍従長ネブザルアダンは、国の貧民の一部を残し、ぶどう作りの農夫とにした。
(エレミヤ52:16)

とうとうエレミヤの最後の章52章です。
この52章はエレミヤが書いたものではなく、エレミヤの預言が成就した後にエズラが帰還後にかいたものと言われています。

エレミヤが届ける神の言葉に耳を傾けようともしないで不品行と偶像礼拝をやめなかった王と民衆。この偶像礼拝の中で不品行とともに「貪り」や「無慈悲」が蔓延りました。
現代の偶像礼拝のなかでは清貧、布施、慈悲と良いように思えてもキリストを認めなければ「反キリストの霊」なのです。サタンはあの手のこ手で神から私たちを離そうとします。

さて、きょうの一節は「残りの者」です。
選民の大罪によって壊滅的滅びを身に招いてしまったイスラエル(ユダ王国)でありましたがエレミヤの預言どおりに「一部」を残されました。それも貧民をです。ここに私は大きな力を得ました。

力ある有力者や貴族はバビロンへ捕囚として連れて行かれました。
貧民が「約束の地」に残され耕したのです。
これはこういうことです。
神から与えられた約束の地を大罪によって台無しにしてしまったユダ王国。
そこを立て直し、耕し、復興させたのは「貧民」であった。
ここに希望がある。罪ともの群れよ。恐れるな。土台は主とともに我らにある。

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2015年09月11日(金)
THEME:デボーションシェアリング
とうとうユダ王国はその偶像礼拝とそれに伴う不品行な生活によって滅亡となる。
貧民の一部を残し、貴族はバビロンへ奴隷として引いて行かれた。
奴隷として連れていかれた少年たちの信仰と奇跡の物語と終末の預言書である。

ダニエル、ナハヌヤ、ミシャエル、アザルヤ この4人は
1、身に何の欠陥もなく(主への捧げものとして) 
2、容姿は美しく
3、知恵に秀で      
4、知識に富み    
5、思慮深く 
6、宮廷につかえるにふさわしい(品位)があった。

ユダヤ上流階級のこの少年たちはこのような素晴らしい資質を兼ね備えていた。
そればかりでなく、信仰がこの資質をもたらせていたといってよい。
そしてさらにこの信仰を立てあげる決断と実行をする。

1:8 ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。

そしてこのことが実行され、野菜と水で生活し誰よりも健康であることが証明されていく。そればかりでなく、

1:17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。

王宮を現代の教会に置き換えてみよう。私たちは選ばれたダニエル(クリスチャン)である。さらに信仰による決断と実行によって霊的成長を遂げるものである。

ダニエル書
1:16 そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどうはn酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。
1:17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。
1:18 彼らを召し入れるために王が命じておいた日数の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前に連れて来た。
1:19 王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。
1:20 王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。
1:21 ダニエルはクロス王の元年までそこにいた。

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2015年09月30日(水)
THEME:デボーションシェアリング

他の福音書では30倍、60倍、100倍とある。
100倍とは額面通りというよりも、それ以上の尽きることないめぐみと祝福ということだ。
また良い地とは、良い心のことである。
素直な良い心で、みことばを聞く。説教を聞く。すると成長する。
成長の3原則を発見

⒈良い心で聞く

⒉しっかり守る

⒊よく耐える


並行して読んでいるエズラ記は捕囚から帰還したユダヤ人たちが悔い改めて神殿を築く物語だ。
心の中心に神殿を築くということだ。その民は「自ら進んで捧げ物をした」
それは尽きることのない祝福の始まりでもあった。

70年の捕囚は490年間のヨベルの年の、安息日の回復であった。
私たちの安息は十字架と復活の主イエス・キリストご自身である。

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2015年10月03日(土)
THEME:デボーションシェアリング
エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて毎日、怠りなく彼らに与えよ。
こうして彼らが天の神になだめのかおりをささげ王と王子のために長寿を祈るようにせよ。
(エズラ6:9〜10)


神の定めた70年という奴隷期間、そいてエルサレムの安息日の回復が時が満ち終わった。そしてエルサレムに帰還する。

70年の間に民をふるいにかけ、建て上げ、増やした。
罪友も同じかもしれない。

まず帰還した民がしたことは神殿建築。
これは我々にまず優先すべきは神と神の礼拝であることを教えてくれる。

この工事を妨害しようとする川向こうの総督「タテナイ」タテナイが建てないようにするという。
しかし、この妨害は徒労に終わる。ダリヨス王が前々王である「クロス王」の勅令を発見してこの工事が正式なことであることを知ったからだ。
それだけではなく、我々のために祈らせよ!という命令までもまし加わった。天の神の存在を信仰とは言わないまでも認めたのである。


キーは5:5
しかし、ユダヤの長老たちの上には神の目が注がれていたので、、、


祈り:われわれ罪友教会にも神の目が注がれて映画になったりTVで紹介されたりしています。感謝します。必ずあなたの与えたもう教会をゲットします。


私の留守でもしっかり礼拝できる教会です。

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2015年11月03日(火)
THEME:デボーションシェアリング
今回のタイトルはザアカイの家の協力(強力)メッセンジャー青森から自費で来て支えてくださる佐々木ひでいち師の説教を私が聞いてメモした言葉です。「原則を飛ばした成功はない」

マルコ12:17
12 17 するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。

カイザルのものはカイザルに返すとは税金のことである。
この地上で生きる責任と言って良い。
また、この世に生きる信仰者としての「証」となる。
社会人として生きてこそ信仰者なのだ。

還付金をもらって喜んだが、喜んではいけない。
それだけ収入が少ないということなのだから。
それに税金を支払うということは社会貢献しているということだ。
献金が楽しいように楽しんで税金を納める人に私はなりたい。
この世の富も神のものだからだ!

神のものは神に返すとは十分の一返金(献金)のことである。
マラキ書
3 10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。


マタイの福音書
23 23 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。


この返金ほど信仰が試されることはないというが、ヤクザ経験のある人には苦ではない。それが習慣になっているからだ。なので私はこのあたりはヤクザでよかった!?と思っている。この返金は欠かしたことがない。ど貧乏の時にも。だからこそ祝福されてきて食べること、支払いに困ることがなくなった。出会いも仕事も全て末広がり。この祝福を教会全体に流したいといつも願っている。

「原則を飛ばした成功はない」 アーメンです。
この返金ができなくても首にもならなければ責められもしない。
これは証である。できるようなもにならせてくださいと祈り始めて、第一歩を早く踏み出して欲しいと思う。
タバコをやめて、それでも苦しい。もしそうだったら、教会にきてご飯食べよう!


牧師 進藤 龍也
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2015年07月20日(月)
THEME:デボーションシェアリング
怒りは、神様の標準から、私たちを遠く引き離すからです。
‭‭ヤコブの手紙1:20 リビングバイブル

日暮れまで怒っていてはなりません。とも、みことばにあるように、怒りというものは冷静さを欠くばかりではなく、正常な判断すらできなくなる。
妻への怒りを収める事ができなくなった夫がラスベガスに行き破産してしまった、、、なんて話を本で読んだ。
我々が怒りに支配されて喜ぶのは反対勢力の悪魔たちである。
その感情に揺さぶりをかけ、そうだそうだ!ゆるしちゃならん!と誘いこみ、ついには仕返ししてやれ!ということになる。
全く神の意志の逆方向へと誘い込む。

私たちは忘れてはならない。
赦されたものとして赦していく人生に責任があるということを。
これは命令でありそれが出来なければ自分も赦されない。
もし、私に赦されなかった人は赦される経験がないばかりに、赦せない人になってしまう。
赦しとは責任あるものなのだ。

赦すけど、愛せなくなった!なんて夫婦には最悪な場合があってはならない。
良く聞く先輩牧師たちは夫婦喧嘩の時の一番のメンターはイエス様だと。
愛する愛をください。私には愛する愛が足りません!とひたすら祈り、元どおり!いや、それ以上の愛を持って友に生きていると。
怒りは、そのような祈りすら忘れさせてしまう。喧嘩のたびにこのような祈りの中で主に助けられ教えられ謙虚にさせられる。

主よ。今日も、明日もとこしえまでも、あなたとこのような親しい交わりができますように!アーメン

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あらゆる努力をして! 今週の祝大:2ペテロ1章

2015年08月03日(月)
THEME:デボーションシェアリング
信仰の成長には「へりくだり」である。
預言の成就には「従順」である。つまり預言をもらって、それが志と合い、みことばも与えられたら、その預言の成就に向けて努力するのである。

あらゆる努力をして」と2ペテロの手紙にある。
努力は絶対に必要である。
世の中の人に対してクリスチャンは努力しません。なんて言ったらどうでしょう?

努力を努力と思わないほどに私は働いて神学校で学びましたし、現在も努力している。
この努力に聖霊なる神は強く働いてくれることを私は知っている。
体験してるから。
聖霊なる神が与えらて努力がいらなくなるのではなく、努力を努力とわからないほどに集中できるということだ。
それはまさに「目的を知る人生」 「使命に生きる」 からだ。

信仰には徳を。
徳とは「人柄」であり「他者の利益を望む人」である。

徳には知識を。
熱心なだけではよくない。あるいは
弁明する準備をしていなさい。と、みことばにある。

知識には自制を。
自制を一番効かせなければならないのは「舌」である。ヤコブ書の通りである。
災いの元であると昔からいう。また、人を殺すこともできる。

自制には忍耐を。
忍耐とはヤコブ書にあるように「試練」の時にこそ使う。
試練は神からくる。だから試練は乗り越えるためのものである。
そうすれば何一つかけたところのない完全なものとなれる!と、みことばにある。
忍耐はどのように?
ヘブル11:1
信仰は望んでいる事柄を保証し目に見えないものを確信するもの。

忍耐には敬虔を。
敬虔とは「らしい振る舞い」であると同時に「仕える心」である。

経験には兄弟愛を。
兄弟愛とは赦す心、いけ入れる心。

兄弟愛には愛を。
完全な愛は人間にはない。だから完全な愛を神に求めるのだ。
もう愛せない!そんな時こそ祈るのだ。
「神様、愛する愛をください」と。
十字架で最大の犠牲を払って愛してくださったキリスト様が答えてくださいます。


あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。


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今週の祝大:ヨハネ12章「祝福された人生」

2015年08月10日(月)
THEME:デボーションシェアリング
しかし、それにもかかわらず、指導者たちにもイエスを信じるものがたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白しなかった。会堂から追放されないためであった。
彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したからである。
(ヨハネ12:42〜43)


主イエスを信じることにおいて現在の我々日本人は法律にも触れず安全である。
主イエスを信じることにおいて家庭内で孤立してしまうケースは地方に行けば顕著かもしれない。
自己保身のために主を告白できないのは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したからである。と、同じかも知れない。

当時、会堂から追放されることは「村八分」になるということだ。
あのヨハネ4章のスカルの女のようになるということだ。
この会堂からの追放を恐れてヨハネ9章の盲目の人の親は「あれに聞いてください」といった。

神からの栄誉を選びとった我々は安全圏ながらも「神の家族」である。
会堂からの追放もいとわずに村八分になってまでも信仰を選び取ったものは、神からの栄誉を受けるだけではない。9章で主イエスが、盲目の人を捜し出したように主イエスが探し出すほどに愛してくださる。

人生の様々な所で神と世の中の天秤があるが「神」を選択して行く人生を祝福された人生と言う。

神を2番目に大切にすることを「偶像」という。


牧師 進藤 龍也
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2015年05月26日(火)
THEME:デボーションシェアリング
昨日はソロモン大王が堕落して晩節を汚し死に、国が分裂する所でおわりました。今日の箴言の著者は、このソロモン大王なのです。
以下 進藤のデボーション

その右手には長寿があり、その左手には富と誉れがある。箴言3:16

このみことばをそのまま単純に信じることも大切です。しかし、もっと実現を早めるには理解して実行しなければなりません。この箴言は神の知恵と奥義が書かれそれを握り大切にしろという一貫した教えであります。

長寿の約束は十戒の約束です。また箴言にもありますが両親を敬うことであります。私もヤクザをやめてすぐにしたことは親に謝罪して、今も親孝行を心がけています。

富と誉れは、神の知恵を握り大切にする!それには聖書を読まなければ神がわからない、信仰がわからない、だけではなく神からの語りかけに耳を塞ぐことなのです。
神からの語りかけを聴いて、実践して働く。私も一意専心、この分野では右に出るものがいないと言われる働きを心がけています。
収入に繋がらない神の働きですが、

神の名は不思議という。士師記

経済は後からついてきました。誰かが、その働きを見てくれただけではなく、支えてくれる人が起こされてきました。神からの語りかけを聴いて実践して行きてきたからです。

腰は低く、志は高く!

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2015年05月30日(土)
THEME:デボーションシェアリング
ほおっておきなさい。彼に呪わせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼の呪いに代えて、私に幸せを報いてくださるだろう。
(2サムエル16:11〜12)

呪いを祝福に代える方法

ダビデが息子のクーデターにより都落ちをしているさなかに、前王サウルの一族ベニヤミン人、シムイからの呪いに対してダビデ王の態度と言葉。

一、この呪いは神からのものと受け止めた。それはダビデ自身の姦淫と殺人バテシェバ事件の報いであると理解した。

二、主は心を見ることを知っていた。自分が神に選ばれた時のみことばである。反撃する思いより、先に悔い改めの心で主に向かい合うことを優先した。

三、呪いを祝福に代える神であることを知っていた。それには呪われた時の反応、態度が神からのテストであると若き日の苦労から知っていた。前王サウルとの歴史

ダビデとその部下たちは道を進んで行った。シムイは山の中腹をダビデと平行して歩きながら、呪ったり、石を投げたり、チリをかけたりしていた。(13節)

しつこい嫌がらせに対してもじっと我慢した。
主がお裁きになるという信仰の原点に返って若き日のことを思っていたに違いない。
あの若き日、どんな戦争にも先頭に立っていたダビデが部下たちを戦場に行かせ、自分は王宮で踏ん反り返っている時にバテシェバ事件は起きた!
そんなことを悔い改めながら、シムイの呪いを受けていたと進藤は信じる。
その態度と心を主はご覧になり、呪いを祝福に代えたのだ。

主がお裁きになる!
それに委ねる!
悔い改める!
それで呪いが祝福に代わった。

三千年前のダビデの話は現代も同様に神の法則は生きている。

我々クリスチャンは感謝すべきである!
救い主 イエス キリストが我々の呪いを引き受けて死んでくれたのだ!
その事実を無効にしてはならない!
仮に今、呪われても、それは何の害にもならないのだ!十字架で無効なのだ!

アブラハムの祝福の回復が十字架で有ることを知ろう!
あなたを祝福するものは祝福され、あなたを呪うものは呪われるのです!

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2015年06月10日(水)
THEME:デボーションシェアリング
今週の祝大:エペソ5章「夫婦のあり方の秘訣」
教会がキリストイに従うように、妻も、すべてのことにおいて夫に従いなさい。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身を捧げられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。(エペソ5:24〜25)
それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。
(エペソ5:33)


教会は他人が天国の家族として集まる所です。地上にいる限り、嫌なこともあります。しかし、そこで赦し、和解し、愛が成長します。また他人を家族同様に思い、励まし慰めたてあげる関係です。ここで言われているように救い主キリストは教会のためにも十字架で死なれたほどに愛されたのです。その教会を愛することは御心です。

すべての人間関係に置いてキリストというフィルターを通してみることをお勧めします。
キリストがこの人のために死なれたのだ。
キリストならこの人にどうされるだろうか?
さて夫婦についての秘訣がここに書かれてあります。
聖書ですから、神がパウロを通して書かせたものですからこれ以上に信頼するものはありません。
まず、妻は夫に従うこと。従うとは「尊敬」がなければできません。
牧会カウンセリングで男性を気持ちよくさせ、働く意欲を出させる原動力は「尊敬」と言われておりますが、出所はこの聖書です。簡単に言うと「ほめる」ということでしょうか。
女性は「愛されたい」と思っています。向き合って話してほしいらしい。
新聞を読みながら話す、、、これは50点 目を見て話してほしいらしい、、、
また愛を伝える5つの方法という本には
1、プレゼント
2、ボディータッチ
3、一緒に時間をすごすクオリティタイム
4、褒め言葉 肯定的なことば
5、仕える
この5つは人それぞれ順位が違うそうです。
これを私たち夫婦がお互いに実践して行こうと思います。
私は4、5が必要だと感じています。

牧会カウンセリングの名著「愛されたい妻と尊敬されたい夫」があります。調べてみてください。
また、この聖句のギリシャ語の「尊敬」とは「一緒に居たい」という意味が含まれていると聞いたことがあります。
言い得て妙です。尊敬するものとは一緒に居たいものです。
世界の核も教会の核も家庭です。罪友教会の家族のこと祈っています。

牧師 進藤 龍也
[罪人の友]ザアカイの家 http://zkaihouse.jimdo.com


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今週の祝大:歴代誌14〜16章「ユダ王国三代目アサ王から学ぶ」

2015年06月16日(火)
THEME:デボーションシェアリング
ソロモン王の初めは神に愛される王であり信仰と知恵に並ぶべきものがいなかった。しかし異教徒との結婚において持ち込まれた偶像の神を排除する事ができずに残念な王として終わってしまった。バラム事件も、異教徒の女性を使った色仕掛けでイスラエルの民はそそのかされてしまた。男性は異性関係において清さを保つことが大切である。ソロモン王の失敗人生は国の分割にまでなってしまった。

その跡継ぎはもっとひどくなたものの、救世主的王のアサが3代目として登場する。
イスラエルに信仰リバイバルを導いた人物である。
Ⅱ歴代
14:2 アサは、彼の神、【主】がよいと見られること、御目にかなうことを行い、
14:3 異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。
14:4 それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、【主】を求めさせ、その律法と命令を行わせた。


エチオピア(クシュ)の100万の軍勢も主の戦いといて「主」により頼んで勝利に導く。
Ⅱ歴代
14:9 時がたって、クシュ人ゼラフが、百万の軍勢と三百台の戦車を率いて、彼らに向かって出陣し、マレシャにまで寄せて来た。
14:10 そこで、アサは彼に対抗して出陣し、マレシャにあるツェファテの谷で戦いの備えをした。
14:11 アサはその神、【主】に叫び求めて言った。「【主】よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、【主】よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。【主】よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」
14:12 【主】はアサの前とユダの前に、クシュ人を打ち破られたので、クシュ人は逃げ去った。
14:13 アサおよび彼とともにいた民は、彼らをゲラルまで追いつめた。クシュ人は倒れ、生きている者はなかった。【主】の前、その宿営の前に、打ち砕かれたからである。そこで、彼らは非常に多くの分捕り物を持ち帰った。


預言者オデデの預言を握り奮い立って、さらに信仰を奮い立たせ、母がアシェラ像を充て建てたということで王母の位から引きずりおろすことまでいている。

Ⅱ歴代
15:1 すると、神の霊がオデデの子アザルヤの上に臨んだ。
15:2 そこで、彼はアサの前に出て行き、彼に言った。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが【主】とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたが
ンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが【主】とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。
15:3 長年の間、イスラエルにはまことの神なく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。
15:4 しかし、その悩みのときに、彼らがイスラエルの神、【主】に立ち返り、この方を尋ね求めたところ、彼らにご自身を示してくださいました。
15:5 この時期には、出て行く者にも、入って来る者にも平安がありませんでした。国々に住むすべての人々に大きな恐慌があったからです。
15:6 そして彼らは、民は民に、町は町に相逆らい、共に打ち砕かれてしまいました。神があらゆる苦しみをもって、彼らをかき乱されたからです。
15:7 しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。」
15:8 アサは、これらのことばと預言者オデデによって預言されたことを聞いたとき、奮い立って、ユダとベニヤミンの全地から、また彼がエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき物を除いた。そして、【主】の玄関の前にあった【主】の祭壇を新しくした。
15:9 さらに、彼はユダとベニヤミンのすべての人々、および、エフライム、マナセ、シメオンから来て彼らのもとに身を寄せている人々を集めた。彼の神、【主】が彼とともにおられるのを見て、イスラエルから多くの人々が彼をたよって来たからである。
15:10 こうして、アサの治世の第十五年の第三の月に、彼らはエルサレムに集まった。
15:11 その日、自分たちが携えて来た分捕り物の中から、牛七百頭と羊七千頭を【主】にいけにえとしてささげた。
15:12 さらに、彼らは、心を尽くし、精神を尽くしてその父祖の神、【主】を求め、
15:13 だれでもイスラエルの神、【主】に求めようとしない者は、小さな者も大きな者も、男も女も、殺されるという契約を結んだ。
15:14 それから、彼らは、大声をあげ、喜び叫び、ラッパと角笛を吹いて、【主】に誓いを立てた。
15:15 ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らにご自身を示されたからである。【主】は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。
15:16 アサ王の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼は王母の位から彼女を退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、粉々に砕いて、キデロン川で焼いた。



こんな素晴らしいリバイバリストであるアサ王であったが、、、
予見者ハナニの忠告に腹を立て、軟禁し足枷をつける暴虐を行った。
また、晩年に両足を悪くしたが、それに対しても「主」を呼びもめず、「医者」頼ったダメな王で閉じられている。

現代においても偉大なリバイバリストが堕落するスキャンダルは後を絶たない。
そのことを言いたいわけじゃない。
堕落した人を悔い改めに導くこと、祈ること、赦すことを選択しない人、特にクリスチャンは「責める」資格あないと思う。

取り返しのつかない罪を犯したダビデ王も、これから登場する最悪の王アハブも主の前に「へりくだった」ときにゆるされた。
しかし、このアサ王は違った。

現代においても同じある。
どんなに成功しても「自分の力」と過信するものは「堕落〉するのである。


Ⅱ歴代
16:9 【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」
16:10 すると、アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼に足かせをかけた。このことで、彼に対し激しい怒りをいだいたからである。アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった。
16:11 見よ。アサの業績は、最初から最後まで、ユダとイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。
16:12 それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は【主】を求めることをしないで、逆に医者を求めた。
16:13 アサは、彼の先祖たちとともに眠った。すなわち、その治世の第四十一年に死んだ。



牧師 進藤 龍也
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2015年05月14日(木)
THEME:デボーションシェアリング
24 しかし、ダビデ王はオルナンに言った。「いいえ、私はどうしても、十分な金額を払って買いたいのです。あなたのものを主にささげるわけにはいきません。費用もかけずに全焼のいけにえをささげたくないのです。」

2サムエル記24章の並列記事のこのテキストであるが断然この1歴代21章のほうがわかりやすい。
と、いうのはダビデが神の御心を損なう人口調査が「サタン」の誘惑であると1歴代誌は書いている。ちなみに尾山礼仁牧師の現代訳では2サムエル記24章でも
主は悪魔がダビデ王を誘惑するのを許しておられたので」とある。
誘惑はサタンからくるが、それさえ神の許しがなければならない。
神の子としてどれだけ我々は恵まれているのか!
サタンの誘惑ですら、そのときの私たちの態度をも主は見ておられる。

歴代誌24章を見ると「サタンがイスラエルに逆らってたち」とある。
イスラエルに逆らう諸外国の崇める神は偶像のケモシュやバアルである。いまでも悪魔の代名詞。
人身供養、セックス教団の宗教である。そのサタンがダビデ王をそそのかしたのである。

ダビデ王がそそのかされた結果として、国民の7万人が死亡するはめに。
大きな犠牲であるが経営者や管理職やリーダーたちは、私を含めて心したいものだ。
王の判断でよくもなり悪くもなる。牧師の牧会やリーダーシップと同じである。

さて、ダビデは悔い改め、自分自身の罪のための「生け贄」のための定められた地所にいくと民オルナンは恐縮しダビデに与えようとする。しかしダビデは丁重に断り十分な金額で買う。これが購いである。罪のための購いとは買い取る事である。

ダビデの罪のための「生け贄」はダビデ自身のものでなければならない。
献金と同じである。自分自身の犠牲でなければ意味がない。
オルナンの持ち物でダビデの罪は赦されるものではない。
唯一、他人の罪の購いを完成できるのは神の子イエス・キリストの十字架でしかないのだ。


今日のみことば 1歴代誌21章
15 神はエルサレムに御使いを遣わして、これを滅ぼそうとされた。主は御使いが滅ぼしているのをご覧になって、わざわいを下すことを思い直し、滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人オルナンの打ち場のかたわらに立っていた。
16 ダビデは、目を上げたとき、主の使いが、抜き身の剣を手に持ち、それをエルサレムの上に差し伸べて、地と天の間に立っているのを見た。ダビデと長老たちは、荒布で身をおおい、ひれ伏した。
17 ダビデは神に言った。「民を数えよと命じたのは私ではありませんか。罪を犯したのは、はなはだしい悪を行ったのは、この私です。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。わが神、主よ。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。あなたの民は、疫病に渡さないでください。」
18 すると、主の使いはガドに、ダビデに言うようにと言った。「ダビデは上って行って、エブス人オルナンの打ち場に、主のために祭壇を築かなければならない。」
19 そこでダビデは、ガドが主の御名によって語ったことばに従って上って行った。
20 オルナンが振り返ると御使いが見えた。彼とともにいた彼の四人の子は身を隠し、オルナンは小麦の打穀をしていた。
21 ダビデがオルナンのもとに行くと、オルナンは目を留めてダビデを見、打ち場から出て来て、地にひれ伏して、ダビデに礼をした。
22 そこで、ダビデはオルナンに言った。「私に打ち場の地所を下さい。そこに主のために祭壇を建てたいのです。十分な金額で、それを私に下さい。神罰が民に及ばないようになるためです。」
23 オルナンはダビデに言った。「王さま。どうぞ、お取りになってお気に召すようになさってください。ご覧ください。私は、全焼のいけにえのための牛、たきぎにできる打穀機、穀物のささげ物のための小麦を差し上げます。すべてを差し上げます。」
24 しかし、ダビデ王はオルナンに言った。「いいえ、私はどうしても、十分な金額を払って買いたいのです。あなたのものを主にささげるわけにはいきません。費用もかけずに全焼のいけにえをささげたくないのです。」
25 そしてダビデは、その地所代として、金のシェケルで重さ六百シェケルに当たるものを、オルナンに与えた。
26 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。
27 主が御使いに命じられたので、御使いは剣をさやに納めた。
28 そのとき、ダビデは主がエブス人オルナンの打ち場で彼に答えられたのを見て、そこでいけにえをささげた

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2015年05月20日(水)
THEME:デボーションシェアリング
11 ツロの王フラムは文書を送ってソロモンに言った。「主はご自身の民を愛しておられるので、あなたを彼らの上に立てて王とされました。」
12 さらに、フラムは言った。「天と地とをお造りなったイスラエルの神、主はほむべきかな。主はダビデ王に、思慮と悟りとを備えた知恵ある子を授け、主のための宮と、自分の王国のための宮殿とを建てさせられるのです。
13 今、私は才知に恵まれた熟練工、職人の長フラムを遣わします。


ダビデの後継者は不義の関係であったバテシェバとの子であった。大きな代償があったにせよ、回復の神であることを覚える。

父ダビデ王の時代は異教徒との戦いに明け暮れていた。しかしようやく落ち着いてきた。統一国家も樹立して安息時代に入っていく。それは若い時代のソロモンは主に愛される人格であった。

異教徒との戦いに明け暮れていた中で、ツロのフラム(列王記ではヒラム)はダビデ王の時代から友情を保ってきた。(2サムエル記でダビデ王の王宮をたてる時に応援をしています。)ツロとは現在のレバノンです。レバノン杉として有名で現在も国旗に杉の絵があります。

ツロはいきょうとの民ではありますが、新王のソロモンへの祝いのことばがふるっています。それが本テキストです。確かなヤハウェ信仰のことばであるのかは疑わしいですが、こうして当時の信仰者が告白するフレーズをもって祝っているのです。ここで色々知らされました。

1、友情は信仰を伝える最も有益なものである。
2、信仰が違っても協力し合うことが出来、かつ尊敬し合うことができる。
3、すべての人は神のものである。

イスラエルの民は、現在のユダヤ人は世界に神を伝える祭祀の役目がった。今もそうであるが宣教という面においては異邦人がキリストの十字架の後に重荷を負っている。それはキリストが異邦人の私たちのためにもユダヤ人のためにも十字架によって死んでくれたからである。強制ではない、愛による自発において私たちは万民祭祀、万民伝道者なのだ。

1ペテロ2章
9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。


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2015年05月26日(火)
THEME:デボーションシェアリング
一年間にソロモンのところに入ってきた金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった(1列王10:14)

ソロモン王の時代の1タラントは1ヶ月の労働賃金とされていますので666ヶ月分の労働賃金の金の目方が一年間に入ってきたというのですが、、、
666とは反キリストの象徴です。
これはソロモンが反キリストというより、私は栄華を極めたソロモンでさえ、、、というキリスト様のみことばにもあるように、
また、1列王10:23にもある、富と知恵において地上のどの王よりも優っていた!ソロモンでさえ、富そのものが罠となり、神に愛されたソロモンは晩年を汚してしまいました。偶像礼拝と、富による高慢がソロモンをダメにしてしまいました。
その表記が666として表れ預言的に記されていると思います。

ソロモンの堕落は一代だけのものではなく、民族そのものを堕落させてしまいました。
今の世も総理大臣から民間企業の社長も牧師も、各管理職もリーダーと呼ばれる者は偶像礼拝と富による高慢をさけるべきだ。




牧師 進藤 龍也
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