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書庫ブログデボーションシェアリング

進藤牧師先生からの御好意で転載させて頂いている記事です。

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2015年04月05日(日)
THEME:デボーションシェアリング
3 悪者はおのれの心の欲望を誇り、貪欲な者は、主をのろい、また、侮る。
4 悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない」の一言につきる。
(詩編10:3〜4)

1 愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。
(詩編14:1 & 詩編53:1)

指揮者のために。主のしもべ、ダビデによる
1 罪は悪者の心の中に語りかける。彼の目の前には、神に対する恐れがない。
(詩編36:1)


詩編に見る愚か者とは「神はいない」と言っている人につきる。だからといって蔑んでいいのだろうか!?神の作品でありかけがえのない存在。神の形である。私何ぞは愛されてはいけい最たるもの。神はそれをも愛しておられる。

ユダヤ教もイスラム教も同じ神ではないか?確かにそうだ。けれども御子がいない。神に遣わされた御子を否定する事は神を否定しているのだ。だから敵対していい?!そんな事はなく、隣人を自分の事のように愛するのだ。


6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
(ヨハネ14:6)

16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。/font>(マルコ16:16)

キリストを信じないという事が唯一、最後の審判で問われる事なのだ。それを信じるクリスチャン。だからこそ、愛するという決断の人生を送っている。愛する事は自己犠牲が伴う。また、生き様なのだ。


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2015年04月17日(金)
THEME:デボーションシェアリング
サウル王を苦しめたのは、神からの災いの霊!これは王の失態における失脚の神の罰に見えるが、それが目的ではないことはダビデの人生を知ればわかる。この神からの災いの霊はダビデの成長のためであった。これを試練という。

悪魔からの試練はない。悪魔からのものは誘惑であり破壊である。
試練とはまさに乗り越えられるものである。だから試練なのだと聖書に書いてある。逃れどころは神しかない。結局、神に近づくものになってゆく。神に近づくものは自然と成長する。
ゆえなく、いじめられる人よ!私も含め、神に近づけ!神はあなたを愛して用いてくれる器として磨いてくださる。それを思えば勝手なことを言う人よ!感謝です。あなたのおかげで神に頼りましたから。

今日のみことば
ときに、災いをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家に座っており、その手には槍を手にしていた。ダビデは琴をてにしていた。サウルが槍でダビデを壁に突き刺そうとしたとき、ダビデはサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ち付けた。ダビデは逃げ、その夜は難を逃れた。
1サムエル19:9-10

関連聖書 詩篇59

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2015年04月23日(木)
THEME:デボーションシェアリング
あなたの良い行いをみて天の父が崇められるようにしなさい。マタイ5:16

岡山刑務所は長期刑務所である。故に無期が多い。岡山刑務所のキリスト教の講話で話すチャンスを45年会の神友吉岡創牧師の尽力により開かれた。
キリスト教講話に来た囚人60人の半分は竹ノ内 進先生の尽力により洗礼を授かっている。

私はこの日のために文通や面会を通してまた、刑務所出の人たちの自立に働いて来た。
また、生涯刑務所から出られない囚人クリスチャンに一生分の励ましを与えたいと、このみことばを選んだ。

あなたの良い行いをみて天の父が崇められるようにしなさい!これが礼拝なんだと。そして、それは刑務官に伝道することなんだと!だから模範囚になれ!と。
天の父の目線は神なんていらないという刑務官より、前科者の囚人クリスチャンを愛しく思っている!と。

見張りの若い刑務官から睨まれてしまった。埼玉に帰り刑務所から電話をもらう。クレームを覚悟で電話をとると、素晴らしい説教だからクリスマスで全員の囚人に聞かせて欲しい!と、その年のクリスマスで800人の囚人に話し、キリスト教はリバイバルし私も文通が増えた。

イエスの証は預言の霊である。この証はまだまだ続くであろう。今年も刑務所での講演会や働きが続いて行く。海外にまで道が開かれた。この話は学研の 未来はだれでも変えられる にある。


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2015年04月23日(木)
THEME:デボーションシェアリング
ダビデをつくりあげたサウルからの逃亡の10年は神に委ねることを学ぶ10年であった。つまり、とことん神の裁きに任せるというチャレンジでもあった。
そうした中で1サムエル25章のナバル事件は、主は生きておられる!という即座の神からの回答であり、神からのダビデへのエールでもあった。

ナバル事件とは、ダビデに助けられたナバルという人がダビデが困っているときに、ダビデが助けてくれと三顧の礼をもって挨拶したにもかかわらず、助けなかった恩知らずの人のこと。名前のナバルとは「愚か」という意味である。つまり聖書でも恩知らずは愚か者である。恩知らずにだけはなりたくないと私は思っている。協力者のことは祈り続けよい報告(救い)を提供していく。それが私の役目である。

辛い辛いサウルからの攻撃にも、こういったナバルのような出来事を通してダビデは神に信頼して行くことを学んでいく。
自分で仕返しすれば早い!とか、本当はこうだ!と公表したい!とか、葛藤がある。しかし、この聖書は神の裁きに委ねることを教えてくれる。

私も実際、誹謗中傷、悪口雑言、嘘八百、なりすましにやられて来たがダビデを思い出し、そして「主は生きておられる」と宣言して信仰の勝利をして来た!そしてこれからも若きダビデのように生きて行く所存だ。


30 主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、
31 むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまづきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。主がご主人さまをしあわせにされたなら、このはしためを思い出してください。」
32 ダビデはアビガイルに言った。「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。
33 あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。
34 私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」
35 ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」
36 アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは自分の家で、王の宴会のような宴会を開いていた。ナバルが上きげんで、ひどく酔っていたので、アビガイルは明け方まで、何一つ彼に話さなかった。
37 朝になって、ナバルの酔いがさめたとき、妻がこれらの出来事を彼に告げると、彼は気を失って石のようになった。
38 十日ほどたって、主がナバルを打たれたので、彼は死んだ。


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今週の祝大:2サムエル記6章「心の限り踊れ賛美せよ」

2015年05月02日(土)
THEME:デボーションシェアリング
5 ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。

ダビデ王以下、精鋭は力の限り喜び歌い踊った。
神の箱とはまさに神の臨在である。その臨在の中で踊ることは当然ではなかろうか?罪友賛美にも振り付けがあったり、飛んだりはねたり、自由に踊る。(もっと広い場所がほしい)神の臨在の喜びの中では当然の事なのだ。
手を挙げる原始信仰の形の賛美も今では定着している。この事においても戦いがあったそうな。激しい礼拝も、静かな礼拝も、どちらも礼拝である。激しい賛美を蔑んではならない。人を蔑むという行為は神を蔑むという事なのだ。神の似姿が人なのだ。特に油そそがれたダビデを蔑んだ妻のミカルは子に恵まれなかった。これはこの時代、負け組なのである。

6 こうして彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押さえた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。
7 すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ。


ダビデのしもべウザは不敬の罪で神にうたれて死んだ。
理由は神の方法である律法を無視して人の方法で神の箱を運んでいたからである。
インディージョーンズ失われたアークという映画が神の箱を開けたら神の光によって、その光を見た者は死んでしまうという聖書に基づいた物語であった。神の正しさに触れられて生きていられる者はいない。しかし、イエスキリストの血の注ぎかけを受けた者は生きる。

さて、なぜ、ウザは死ななければならなかったのか?神の箱を触ったからである。
元々、モーセの律法には二本の棒を通して、神輿のように担いで運べと書いてある。
その通りに運べば神にうたれなくて済んだのだ。

私たちの人生も同じように神の方法を無視してはうまく行かないものだ。
自分のやり方、生き方で失敗したくはないものだ。

12 主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。
13 主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。


3ヶ月たって、ダビデのリーダーシップが発揮される。
①しっかり律法を調べ、担がせている。何が原因かをしっかり調べた。
失敗は成功のもと というが失敗から学ばなければ痛いだけだ。

②担がせて6歩進んだときに、生け贄を捧げて礼拝した。
私の妻の母は呉服屋の経営者であった。毎朝の朝礼は礼拝であった。このようなリーダーシップに支えれての神学校入学であった。「神を恐れるのは知恵のはじめ」と箴言にある通りである。

③王であり祭司であるダビデ  旧約聖書においては王と祭司は分業である。
なぜ、王と祭司職がダビデに許されていたのであろうか?
それはキリストの予型だからである。
マタイの福音書1章 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図
この3人は王であり祭司である。これが新約の流れである。
そして我々もこの流れの中にあり、王であり祭司である。特にプロテスタントは万民祭司。

1ペテロ2章9節 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

②サムエル記6章 今日のみことば
1 ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。
2 ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上ろうとして、自分につくすべての民とともに出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名で呼ばれている。
3 彼らは、神の箱を、新しい車に載せて、丘の上にあるアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子、ウザとアフヨが新しい車を御していた。
4 丘の上にあるアビナダブの家からそれを神の箱とともに運び出したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。
5 ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。
6 こうして彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押さえた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。
7 すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬の罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ。
8 ダビデの心は激した。ウザによる割り込みに主が怒りを発せられたからである。それで、その場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日もそうである。
9 その日ダビデは主を恐れて言った。「主の箱を、私のところにお迎えすることはできない。」
10 ダビデは主の箱を彼のところ、ダビデの町に移したくなかったので、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。
11 こうして、主の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。
12 主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。
13 主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。
14 ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。
16 主の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。
17 こうして彼らは、主の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の場所に安置した。それから、ダビデは主の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。
18 ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、万軍の主の御名によって民を祝福した。
19 そして民全部、イスラエルの群集全部に、男にも女にも、それぞれ、輪型のパン一個、なつめやしの菓子一個を分け与えた。こうして民はみな、それぞれ自分の家に帰った。
20 ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前に裸におなりになって。」
21 ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。
22 私はこれより、もっと卑しめられよう。私の目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちに、敬われたいのだ。」
23 サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもがなかった。


牧師 進藤 龍也
[罪人の友]ザアカイの家 http://zkaihouse.jimdo.com
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々週の祝大:ヨシュア2章「先陣仕る」救われたのは救うため!

2015年03月22日(日)
THEME:デボーションシェアリング
ヨシュア2:14
あなた方の妻子と家畜とはモーセが与えたヨルダン川のこちら側の地に、とどまらなければならない。しかし、あなた方の勇士はみな編隊を組んで、あなた方の同族よりも先に渡って彼らを助けなければならない。


ヨルダン川の向こう側、約束の地にイスラエル民族は入り占領しなければならない。それは邪な悪霊崇拝を裁くためである。ケモシュやバアルは人身供養つまり人間生け贄や、五穀豊穣とSEXを結びつけて神殿娼婦と性交させ、出来た子供を捧げるようなサタン崇拝であった。

ヨルダン川を渡る前にルベン族とガド族とマナセの半部族は領地を与えられていた。しかし、それには条件があった。聖戦において先陣を仕ること。
当然のことながら、これは私たちクリスチャンの歩みを示唆している。

先に救われた我々クリスチャンは、救うために先に救われたのだ!
この3部族のように先陣を仕り、伝道し本当の幸せ、人生の意味を伝えてゆかなければならない。
主よ。今日もあなたと共に人に仕えさせてください。

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2015年03月23日(月)
THEME:デボーションシェアリング
ヨシュア記 13章
1 ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。

エジプトの奴隷からの解放はまさに私たち人間のサタンの縛りからの解放である。
紅海での奇跡は洗礼であった。しかし荒野での不信仰によってその世代は滅ぼされてしまう。
唯、信仰を貫いたヨシュアとカレブだけが約束の地に入った。

約束の地にはヨルダン川を渡らなければならないが、このヨルダン川の奇跡こそが聖霊のバプテスマである。聖霊様によって力を受けて「占領すべきところを占領していく」
聖霊様とともに私たちの「占領すべき領域」とは?
新しい事業!?教会移転!?プライド!?見栄!?高ぶり!?むさぼり!?依存!?

ヨシュアとカレブの同世代は滅んだのだからパレスチナ(約束の地)入植のときには老人であった。その老人に神からの語りかけが本文である。老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。

引退したいができないとぼやく老牧師と生涯現役を高らかに宣言する牧師と、どちらがみりょくてきであろうか。ヨシュアとカレブのように生涯現役でいたい。召命と賜物はかわらないのだから。

ここでカレブの85歳の時の告白と、不信仰のマナセ族の告白を比べてみたい。
ヨシュア記 14章
6 ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。
7 主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。
8 私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。
9 そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。
10 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。
11 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。
12 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
13 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。
14 それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。
15 ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバであった。アルバというのは、アナク人の中の最も偉大な人物であった。そして、その地に戦争はやんだ。


ヨシュア記17章
12 しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。
13 イスラエル人は、強くなってから、カナン人に苦役を課したが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。
14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」
15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」
16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもに十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」
17 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。
18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」
12 しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。
13 イスラエル人は、強くなってから、カナン人に苦役を課したが、彼らを追い払ってしまうことはなかった。
14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」
15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」
16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもに十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」
17 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。あなたは、ただ一つのくじによる割り当て地だけを持っていてはならない。
18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」


戦う前から勝敗は決まっているではないか!


ヨシュア記1章
5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。
7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。


今日もこのみことばを握って勝利から勝利へ!アーメン


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2015年03月24日(火)
THEME:デボーションシェアリング
ヨシュア記21章43 こうして主は、イスラエルの先祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられたので、彼らはそれを占領して、そこに住んだ。44 主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。
45 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。

神が約束されたものは申命記28章にあるように良い事ばかりではなく、呪いもあった。
しかし今、祝福を手にしたのだ!それを考察したい。

約束の地とは言うものの、敵地である。更地を買う訳ではない。サタン礼拝をしている異教徒たちがわんさかいる。”戦い、勝ち取って”手に入れるのだ。約束のものとは神から与えると約束されたもの。

勝ち取るのにもう一つ大切な事は「従う事」神に従ったからこそ勝ち得たのだ。
人生という旅路は神との二人三脚である。自分が動くのだ。聴くだけのものになってはいけないとヤコブ書にもある通りだ。
事業においても伝道においても同じではないか。恐れ、不安と戦い、神を信じて神に従う。

神に従わないで祝福された人生なぞある訳がない。
また、神の御旨を聴く事をお勧めしたい。まて、いけ、だめ。この3つならキャッチしやすい。また、平安がないものについてはよく吟味する事である。サタンは心配と誘惑と反抗を持ってくるのだから。

祝福される3要素
マラキ3章10節  十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

イザヤ58章13節  もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と主の御口が語られたからである。

箴言3章27節 あなたの手に善を行なう力があるとき、求めるものにそれを拒むな。

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2015年03月26日(木)
THEME:デボーションシェアリング
人の集まるとろ、分派分裂がある。
古代の旧約聖書の時代から今日まで。
極道のの世界も会社もキリスト教会も組織というものはすべて。

18 まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。
19 というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。(1コリント11章)


2000年前の初代教会はユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの壁とかいろいろあった。(エペソ書参考)
ではなぜ、分派がやむおえないとパウロは言ったのだろうか?
7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(2テモテ1:7)
この慎みということばは、英語の聖書では「秩序」と訳されている。(ERM聖書学校の学びより)聖霊の働かれる人や教会は「秩序」がある。逆をいえば、秩序を乱す態度や言動は聖霊様が働いていない証拠である。人格が幼いばかりではなく聖霊様が働いていない証拠である。だからパウロはほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないと書いたのだ。

9年半の開拓伝道の中でも「秩序」を乱し、分派分裂を引き起こそうとして失敗して出て行くものをみればよくわかる。一致の霊、慎みの霊である聖霊様に守られてきた。感謝します。本当の信者が残っていること。また、己の足りなさにも聖霊様が働いて悔い改めに導いてくださり感謝します。


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2015年03月30日(月)
THEME:デボーションシェアリング
1コリント14章
39 それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。
40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。


①コリント12章は様々な賜物について教え、
13章は最も偉大で大切な愛について教え、
14章では特に異言について教えている。

聖霊とは 力と愛と慎みの霊である。(2テモテ1:7)
慎みとは秩序の事でもある。聖霊様とはまさに秩序を重んじる神なのである。

入院していた本当にあった話。
入院中に牧師さんが信徒さんを連れて見舞いにきてくれたらしい。大部屋であったにもかかわらず見舞いにきた数人は熱心に異言で祈ったという。他の入院患者に大変迷惑かけただけではない。クリスチャンって「変な人」のイメージを植え付けたに違いない。異言を語れるものはギアチェンジできるのだからTPOを考えてほしい。聖書にある通りの配慮、」愛なのだから。

①コリント14章
22 それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。けれども、預言は不信者でなく、信者のためのしるしです。
23 ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかが入って来たとき、彼らはあなたがたを、気が狂っていると言わないでしょうか。

とはいえ、本文のように異言で話す事を禁じてはいけない。
異言は聖霊のうめきの祈りであり、天使の援軍の祈りである。
ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。



牧師 進藤 龍也
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2015年02月28日(土)
THEME:デボーションシェアリング
36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。
37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
40 (異本)イエスはこう言われて、その手と足を彼らにお示しになった。
41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。


24章は復活のイエス様のお話です。
このテキストの前がエマオ途上の弟子のお話です。
エマオに向かう弟子たちに主エス様が現れるお話です。

道々、主イエス様と会話していたのに気がつかず、パンをさく仕草のときに霊の目が開かれて主イエス様であることがわかるお話です。パンをさく聖餐式のときに目が開かれ、わかった瞬間に見えなくなりました。信仰は見えないから信仰なのです。わかった瞬間に見えなくなったのは見えなくていい本当の信仰になったのです。
カトリックのミサの中心はこのパンさきです。つまり聖餐式です。
プロテスタントも聖餐式を礼典として大切にしていますがどちらかというと礼拝の中心はみことば、つまり説教になります。

そのエマオ途上の弟子2人がエルサレムに戻ってのお話が今回のテキストです。

36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。
エマオ途上から、いや、その前から主イエス様はこの弟子とともにおられた。
そして証のときに主ご自身が「立たれた」つまり、私たち現代の弟子たちクリスチャンが証に立つとき、あるいは伝道しているときに主ご自身が「彼らの真ん中に立たれる」のである。

そして主ご自身が魚を目の前で食べてみせるパフォーマンスをもって証されるのである。栄光の体で!


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2015年03月04日(水)
THEME:デボーションシェアリング
私がヤクザをしていたときは池袋、新宿でした。
また、生まれ育ったのも西川口という埼玉県一の風俗産業の盛んな町でした。
ですからコリントという国際都市であり、また歓楽街もあった古代の都市に親しみがわくと説教したことがあります。

第二の手紙を書かなければならない理由とはまさに11章から続く偽教師たちの間違った教えのためです。本当に私たちは幸せです。旧約聖書のほかに救いの完成型である新約聖書がだれの手元にもあるからです。そして牧師がいる教会は、牧師がしっかりと聖書を教えてくれることを喜んでください。偽教師にだまされることがないのですから!

同じ開拓伝道の経験者である私はパウロの切実さ、コリント信徒への愛情が深く、愛おしい気持ちが伝わって来ます。 

箴言26章5節に、このようなことばがあります。「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵のある者と思わないだろう。(箴言26:5)

パウロがここで話していることは、このみことばと同じことです。たとえ自分が正しいことを話しても、今の心理状態、霊的状態では話を理解できないからです。そこであえて愚かになって「アブラハムの血統」「キリストのしもべ」「苦労して伝道したこと」を告げて、一番誇らなければならないということは「自分の弱さ」なのだと導くのです。「弱さのうちにこそ神の力が現れる」のだと。

29節 誰かがつまづいて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。

このみことばに胸が苦しくなります。だれであれ牧師は一人のつまづき、離散は激しく心が痛むのです。私ほどの人並みの人間でさえ、悲しむのですから天の主イエス様はどれほどの涙を流されることでしょう。主イエス様のためにも私ども牧師は愛をもって励まし、慰め、指導し訓戒して一緒に生きて行かなければと思います。


第二コリント11:16〜33
16 くり返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません。しかし、もしそう思うなら、私を愚か者扱いにしなさい。私も少し誇ってみせます。
17 これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者としてする思い切った自慢話です。
18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。
19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています。
20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。
21 言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、―私は愚かになって言いますが―私もあえて誇りましょう。
22 彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。
23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。
29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。
30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。
32 ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。
33 そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。


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先週の祝大:申命記34章「モーセに学ぶ生き方」

2015年03月17日(火)
THEME:デボーションシェアリング
申命記34章 デボーション
5 こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。


1、人生の目的を知る
モーセも、その兄アロンも主の命令によって死んだ。
なんとうらやましい。
私も最後まで主に従って死にたい。信仰とは神に従う事だからだ。
この地上での役割を終えて、使命を果たして天に帰ったのだ。
この二人の兄弟の使命とは選民イスラエルを奴隷から解放することであった。

2、何者なのか?アイデンティティ
たとえ経営者であってもお金のために働いているのであれば、お金の奴隷である。つまりサタンの支配下である。自分のため「だけ」に働いていれば自分の奴隷である。自分が神なのである。
自分たちがエジプトの奴隷であったことを忘れず、弱いものたちを虐げず助けよ!と、繰り返すモーセの告別説教がこの申命記である。

3、神に従って生きる事の大切さ
申命記32章で死の理由が神から告げられる。
51 あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現さなかったからである。

これはモーセの罪

52 あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へ入って行くことはできない。」

これはキリストの十字架、つまり購いの予型である。
民の罪を負って身代わりに黄泉に下る主イエス様。

私たちも大なり小なり、主イエスと出会うまでは何かの奴隷であった。それを解放してくださった。モーセの出エジプト記はまさに我々の奴隷解放の物語である。
主よ。今日も解放のみわざをあなたとともに行なわせてください。アーメン。



牧師 進藤 龍也
進藤龍也牧師の真面目な方のブログ http://blog.goo.ne.jp/churchljc
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2015年02月09日(月)
THEME:デボーションシェアリング
この命令を受けた看守は、2人を牢に入れ、足に足かせをかけた。真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、他の囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち全部あいて、みなの鎖が解けししまった。
(使徒16:24〜26)


伝道の働きの最中に牢に入れられ、足かせまでされてしまった。
私たちこの世に存在しうるものは残念ながら、イエス様を知らなければサタンの牢獄にいるようなものだ。
また、人生に足かせをかけられているようなものだ。


しかし主イエスを信じたときに呪いから解放された!
ガラテヤ3:13
キリストは私たちのために呪われたものとなって私たちを律法の呪いから贖い出してくださいした。

人生においても永遠の中においても救われたパウロとシラスだが神の国のために、伝道旅行の中で現実に牢獄に入り、足かせをつけられた。
その迫害から救ってのは賛美の力であった!賛美の中に主は住まわれるのである。
牢獄から解放し、足かせを解かしてしまったのは賛美の力であった!
人生において賛美の中で生きていこう!

昨日の礼拝賛美を徐喜源牧師が聖霊様がガンガンに働いていた。それはみなの一致があったからだよね。と、褒めてくださった。徐先生は賛美に聖霊様を感じると自然と異言がでて来て異言で歌うそうなのだが昨日は異言で歌ったそうな。みなの一致に、感謝



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2015年02月16日(月)
THEME:デボーションシェアリング
昨日のメッセージは安息日であった。
そして今日の通読も安息日の祝福と呪いの箇所であった。
呪いは十字架で信じるものには終わったが、礼拝(安息日)を守らなければ、さもありなん。
安息日の礼拝を守るだけでこんなにも祝福されるなんて!
確かに私は洗礼後に1回しか礼拝は休んでいない。
それは、自分は礼拝を受けるにふさわしくないとサタンの嘘にだまされた!そんなやつほど十字架と復活が必要なのだ!

インターフェロン治療も月曜日に注射をしてもらうようにすれば日曜日には副作用が切れている。
痔の手術も日曜日には回復するような日取りを決めた。
お金に困った神学生時代も日曜日の日当2万円の仕事を断って来た。
神の国と神の義を第一として来て良かった。私の人生が証しするのである。


レビ記 26章

1 あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである。

2 あなたがたは、わたしの安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない。わたしは主である。

3 もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、

4 わたしはその季節に従ってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、

5 あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかにあなたがたの地に住む。

6 わたしはまたその地に平和を与える。あなたがたはだれにも悩まされずに寝る。わたしはまた悪い獣をその国から除く、剣があなたがたの国を通り過ぎることはない。

7 あなたがたは敵を追いかけ、彼らはあなたがたの前に剣によって倒れる。

8 あなたがたの五人は百人を追いかけ、あなたがたの百人は万人を追いかけ、あなたがたの敵はあなたがたの前に剣によって倒れる。

9 わたしは、あなたがたを顧み、多くの子どもを与え、あなたがたをふやし、あなたがたとのわたしの契約を確かなものにする。

10 あなたがたは長くたくわえられた古いものを食べ、新しいものを前にして、古いものを運び出す。

11 わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。

12 わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。

13 わたしはあなたがたを、奴隷の身分から救い出すためにエジプトの地から連れ出したあなたがたの神、主である。わたしはあなたがたのくびきの横木を打ち砕き、あなたがたをまっすぐに立たせて歩かせた。


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2015年02月25日(水)
THEME:デボーションシェアリング
ルカ23章
12 この日、ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである。
13 ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、
14 こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。
15 ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。
16 だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
17 (異本)さて、ピラトは祭りのときにひとりを彼らのために釈放してやらなければならなかった
18 しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」
19 バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入っていた者である。
20 ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。
21 しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ」と言った。
22 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
23 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。
24 ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。
25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。


いよいよ十字架にはりつけられる23章です。
ここで十字架の預言的和解が起こる。12節のヘロデとピラトの和解。それ以上の「仲良くなった」事実。これは不思議なことであり奇跡。
十字架の出来事とは人と人の和解であり「仲良くなる」ことである。赦しなくてはできぬことである。
主イエスを信じていないものに、この奇跡が残された。
主イエスをさばいたものたちに、この奇跡が現れたとするならば、信じている私たちには言葉にならないほどの恵みがあることは疑いの余地もない。
ヘロデとピラトの共通点は「罪を認めなかった」こと。13〜16節

ついに「ねたみ」にかられた宗教指導者や先導された民衆の声が勝った!無実の主イエスを十字架につけねばならなくなった。
そこで、主イエスの代わりに暴動と人殺しの囚人が釈放されるという「あり得ない」購い、つまり身代わりの釈放が成立した。
これはまさに「救い」を意味している。
私たちはもれなく全員、神の前に罪人である。その罪を、罪なき神の子が負わなければ処理できない。

私の先輩にミッション・バラバという元ヤクザの伝道集団がある。私を救ってくれた鈴木啓之牧師も以前は代表も務めていた。
この名前の由来は、この「人殺しのバラバ」である。
キリストが身代わりになって助かったバラバである。
私たちクリスチャンは全員がバラバであることを忘れてはならない。



牧師 進藤 龍也
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2015年01月13日(火)
THEME:デボーションシェアリング
石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべて、あなたが私に賜る物の十分の一を必ず捧げます。
(創世記28:22)

アブラハムの子、イサクの子、双子の弟ヤコブは、その名の通り兄と父を騙して長男の権利と祝福を奪ってしまう。そのことのゆえに兄から命を狙われ逃亡の旅の始まりに見た啓示の素晴らしさに記念日を立て、そして誓ったのがこのみことばである。この啓示が今後のヤコブの人生を支えて行く原点となった。

私も人生の中で信仰を支える原点となる出来事がある。
刑務所から出てきた日のこと、
始めて教会に行った時のこと、
住み込みを始めた時のこと、
洗礼を受けた日のこと、
JTJに入学した日のこと、
開拓伝道を始めた日のこと、
この原点を忘れない生き方は謙遜にさせられる。

今日のこのみことばは、私の献金の始まりの原点である。
東京拘置所で読み始めた聖書であるがこのみことばをよみ、生まれて初めて、差し入れがあった5万円のうちから5千円をシロアム教会へ十分の一献金を送った。嘆願書のお礼でもあったが信仰を持って捧げて、その日以来、十分の一献金を欠かしたことはない。もちろん同居した母がいたからできたことであるかもしれないが、どんなに苦しくても神様を一番に頼る信仰で有り続ける訓練でもあった。そして約束通りすべての祝福の扉が開き今日がある。感謝します。教会と教会員はキリストと私の宝物です。

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2015年01月24日(土)
THEME:デボーションシェアリング
奴隷として売られ、、、濡れ衣で投獄され、、、
踏んだり蹴ったりの人生と思えるヨセフの思春期において、彼を支えたものは信仰。
お父さんに溺愛されていたという事実。神による奇跡の数々。

このヨセフの物語を目を輝かせて私は東京拘置所の中で読んでいた。
私の人生もこのようになると信じて読んでいた!
結果はキリストに従いきれないで、けんかを3回もして懲罰をくらいさんざんなであったが、間違いなく主はともにおられた。懲罰房で悔い改めの祈りを聴いてくれていたのだ。

ヨセフが監獄で解き明かしをした献酌官は「ヨセフの伝言」を忘れてしまう。
現代の刑務所もよくある話である。

ヨセフはこの献酌官のせいで、さらに2年の監獄生活を送らねばならなかった。
人間的に見たらこれはついていない出来事である。うらんでも仕方のないことだ。
しかし、この2年がグッドタイミング!いや、God`s timingなのだ。

ヨセフにはしっかりとした神の子としてのアイデンティティーがあった。
それは父親譲りの信仰と父親に愛された事実によって!!
だから恨み節よりも、どんな状況によっても神は必ず助けてくれるという確信があったのだ。

これを信仰を使った2年という。
信仰を使った人生という。

創世記40:23〜41:1
ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。
それから2年の後の、パロは夢を見た。
見ると彼はナイルのほとりに立っていた。

「どんな失敗をしてもイエス・キリストにあって復活する」 進藤龍也牧師クリスマス・メッセージ in罪友教会 2014.12.21.


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2015年01月24日(土)
THEME:デボーションシェアリング
オナニーの語源とも言われるユダの息子オナン。
このオナンの兄、エルは主を怒らせたので主は彼を殺した。創世記38:7

当時、子孫を残すことがイスラエル民族における使命であった。それは救い主誕生という神の計画があるからだ!それゆえオナンは父の言うとおりに当時の習わしに従って兄嫁との間に子供を作らねばならなかった。この定めは神によりモーセを通して400年後に確立されてゆく。
しかし、彼は子種を地に流し、神の怒りに触れて殺された。

これは避妊が罪なのである!という理解よりも、父の言うとおりに、つまり民族の使命を果たさなかったことによる罪と、

しかしオナンは、その生まれる子が自分のものにならないのを知っていたので!兄に子孫を与えないため!創世記38:9 という自己中心の我欲に支配された避妊であったためだと今日のデボーションで私は知らされた。

この物語にも救いがあるではないか!救い主キリストの家系となるユダ族の祖が息子たちが神様に2人も殺されるという。また、ユダ自身が人間的な方法をとり嫁タマルに三男のシェラをやらなかった。そこでタマルがユダを騙し子種を得る。その子孫から救い主キリストが誕生する。
神に逆らい殺される息子たちの父親ユダからキリストが生まれたのだ!家庭崩壊の家系から救い主がうまれたのだ!

創世記38:6-10
ユダは、その長子エルにタマルという妻を迎えた。
しかしユダの長子エルは主を怒らせたので主は彼を殺した。
それでユダはオナンに言った。あなたは兄嫁のところに入り義弟といての務めを果たしなさい。
しかしオナンは、その生まれる子が自分のものにならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないために、兄嫁のところに入ると、地に流していた。
彼のしたことは主を怒らせたので主は彼をも殺した。


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今週の祝大:1ペテロ2:9「万民祭司は万民伝道者」

2015年02月02日(月)
THEME:デボーションシェアリング
1ペテロ2:9
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるたるためなのです。


ルターに始まった宗教改革は摂理と信じます。このことによって悲しい歴史はあったものの宗教改革があって、カトリックも生き返ったのだから。

1、信仰義認 これは信仰によってのみ救われるということ。
2、聖書のみ 聖書の権威
3、万民祭司 神の前に平等である

これがプロテスタント信仰の柱であるが、今日のみことばにはプロテスタント信仰と、救われた目的がある。その目的とはあなたがたが宣べ伝えるたるためなのです。と。

万民祭司である私たちプロテスタントのクリスチャンは直接、神に申し上げることができる祭司である。
その祭司はすべてのものが伝道者なのである。


牧師 進藤 龍也
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