観察 第二テモテも獄中書簡。昨日のデボーションのテトスへの手紙同様、獄中から愛弟子へ個人的な手紙であるが若い弟子に対する細やかな愛が見える。また、牧師としての勤め、心得と伝道者としての心得を諭している神に動かされて書いた手紙。だからこそ聖典なのだ。 みことば 第二テモテ2:1-3 そこで、我が子よ。キリスト イエスにある恵みによって強くなりなさい。 多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人に、も教える力のある忠実な人たちに委ねなさい。 キリスト イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。 適応 愛弟子にキリストによって強くなりなさいと言っている。キリストも私に強くなって欲しいといつも思っている。御国は力!なのだ。 また、教える力のある忠実な人たちに委ねるように!そう、委ねられるように教え励ましそだてなければ! 師匠パウロがイエス キリストは立派な兵士として苦しみをともにして欲しいと愛弟子に言っているが、主イエスも同じように私に言っている! ピリピ1:29 あなた方はキリストのために、キリストを信じる信仰だけではなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。 キリストにある苦しみは私を成長させてくれる。また、祝福へと導く道しるべであると私は信じます。信じるに値するだけのことが今まで起こりました。謙遜にへりくだり、争わず愛し赦すこと、呪わず祝福することにより私は成長して来ました。これからもあなたイエス キリストと共に人生を全ういたします。アーメン! ------------------------ 私たちの間でキリストのためになされている全ての良い行いを知ることによって、あなたの交わりが生きて働くものとなりますように。 ピレモンへの手紙6節 観察 パウロがピレモンへの個人的な手紙。しかしパウロがとりなすオネシモという脱走奴隷は、このピレモンの奴隷であった。 適応 私たちの良い行いはキリストにあるものであり、信仰によるものである。お互いがお互いの信仰の良い行いを見て刺激しあい、励ましあい、ほめあい、健闘を称え合うなかで!そう、交わりが生きて働くものとなりますように!努めよう! ただ、礼拝の後にお菓子をつついて、世間話をするのではなく信仰の働きについて話したいものだ。 祈り 講演会も伝道集会も主にあって大胆に語れますように!お供する聖徒も祝し大胆に語らせてください。 ------------------------- 救い主が生まれたのはベツレヘムというダビデの町。 そこは生け贄の子羊を育てる所です。ここに救い主が生まれるという預言も神様の采配です。 キリストの誕生を天使が知らせた羊飼いはシナコーグ(ユダヤ人の礼拝堂)には入れない存在でした。 生き物の飼育ですから安息日が守れません。 日雇い労働者のような社会的弱者の羊飼いです。 それはオーナーの羊飼いではなく、労働者の羊飼いです。夜番をしていたというのですから労働者と予測できます。 ダビデの時代のダビデはオーナー一族の家族経営的な中小企業経営者的な羊飼いでしょう。 経営者である父エッサイの羊の世話をしているのですから。 オーナーの息子ですから、自分の羊と同義語です。 ですから、いのちをかけて熊やオオカミと戦った良い羊飼いのダビデだったのです。 労働者の羊飼いは自分の羊ではありませんから命をかけずに見捨てられるのです。 そんな労働者の羊飼いは信用もなく、蔑まれていました。 そんな羊飼いに「救い主の誕生」が、先ず知らされたのです。 ここに福音があります。だからこそ、私が東京拘置所で救われたのです。 とことん弱者の味方なのです。 さて、この土地に羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 すると主の使いが彼らの所にきて主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。 「恐れることはありません。今私は民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。このかたこそキリストです」 ------------------ 92節 もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。 詩編119:92 私に神の教えがなかったら目的のない人生であったと思う。 いや、私たち人間に創造者である神の教えというものがなかったら、だれも本当の人生の目的を知らないで終わってしまう。 聖書の中に神の奥義が語られている。 また、その神の本質を求めて行く人生にこそ目的がある。 それはキリストの身丈に成長することである。 「聖められる」「愛」「赦し」「神の子としての気品と権威」などなど。 生きて行く限りなやみがあり、試練もあり、失敗もある。 信仰を持ったからといってなくなるものではない。 しかし信仰を持ったおかげで、全てが血肉となり成長する材料となる。 119編は律法学者エズラが残したようだ。なるほど!偶像礼拝と霊的腐敗から裁かれ奴隷となったバビロン捕囚から70年後、エレミヤの預言どおりにエルサレム帰還を果たす。そしてまず帰還したユダヤ人がしたことは神殿の建設であった。自分たちの本当のアイデンティティは信仰にある。もう一度神を知ることから回復が始まると確信していたのだ。 われわれ罪友も来年は移転である。戦後70年の節目はエルサレム帰還と同じではないか! 私の人生も多くのなやみ、不安、恐れの中から始まったけれども、聖書の言う通りに神ご自身と聖霊様が保証人になってくれて、なんの保障もない東京拘置所の独居房で「更正できる」と思った。出所した後も失敗もあり、恐れや不安も出て来たけれども最初の「できる」という神からの保障に支えられ続けてこられた。信仰をやめなかったからこそ、教会につながり続けて来たからこその成長であることは言うまでもない。感謝! 多くの聖徒に囲まれて、助けられ幸せだ。みんなに感謝したい。ありがとう!! --------------------- アブラハムとともにいた甥のロトは祝福を受け多くの財産を持った。 これは簡単な神の法則である。 祝福を受けているものに従い近くにいると自分も成長し祝福を受ける。 傲慢ではなく私とともにいるものは祝福されると信じる。 だから私も罪友会員も祝福を妨げないような生き方をしなくてはいけない。 罪友会員も会員の故に一緒にいる家族が友人が祝福されることを信じよう。 のちに申命記にその約束が出て来ますので通読を続けていきましょう!! さて、ロトも財産を持ったおかげでアブラハムと別れなければならなくなった時、、、 アブラハムは神とともにいる自信とロトへの愛の故に、ロトに土地を選ばせた。 ロトは大変肥沃で潤った町を選んだ。今でもイスラエル国家は農業自給率100%の国である。肥沃な土地である。 しかし、ロトの選んだ土地は神に裁かれ焼尽されるソドムである。 ここに教訓がある。アブラハムはことあるごとに祭壇を築き礼拝し主の御名によって祈った。しかしロトは自分の目だけで判断して選んでしまった。 私が尊敬する横山幹夫牧師(むこうは覚えていないと思う)は牧師就任において、給料なしの教会と20万の給料の教会と2つのオファーがあり、伝道者としての心をくすぐられて、また神の声を聞いて自活伝道から牧師を始められた。そして今日、石川県一の教会グループを形成している。給料欲しさで牧師になるならば、それは職業選択の一つであり神からの召命ではない。神からの召命がなければ自滅するだろう。そうなれば聖徒たちも被害者となる。召命があっても傷ついてやめざる終えなくなる伝道者の世界にあって召命と志願の燃える心が必要なのだ! 今年もまた祭壇を築き礼拝し主の御名で祈って行こう! 1それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。 2 アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。 3 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。 4 そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。 5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。 6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。 7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。 8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。 9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」 10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。 11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。 12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。 13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった。 14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。 15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。 16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。 17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」 18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。 牧師 進藤 龍也 |
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信仰において人を見てはいけない!というが、それはしっかりとした信仰の父がいない、師匠がいない、あるいは尊敬する信仰者がいない悲しいことなのだ。
パウロは私にならうものになりなさいとしっかり教えている。だから私自身も手本になる人物になるようにつとめている。また、 エリシャがエリヤについて学び、仕えたように私も中野雄一郎師を追いかけて来た。話す言葉や仕草まで観察した。 パウロはテモテとテトスには、愛する信仰の我が子!と呼びかけている。私もそのように言われたいと仕えて来た。はじめは俺にも弟子を選ぶ権利はあるとJTJの授業でも言われた位だ。いつの間にかに一番弟子だと言われるようになった。他にも一番弟子はいるとは思うが。 パウロがテモテとテトスに愛する信仰の我が子と呼びかけられたのはエリシャのように忠実であったからだ。私は中野のエリシャになりたいと公然と言っていた。その言葉を果たすつもりだ。そして2倍の賜物を頂き、2倍の働きをこの地上でするのだ!そして私の弟子は私の2倍の働きをして世界の救いの一翼を担うのだ! 今日のみことば テトス1:4-5 同じ信仰による真実の我が子テトスへ。父なる神及び私たちの救い主なるキリスト イエスから、恵みと平安がありますように。 わたしがあなたをクレテに残したのはあなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように町ごとに長老たちを任命するためでした。 --------------------- 信仰において人を見てはいけない!というが、それはしっかりとした信仰の父がいない、師匠がいない、あるいは尊敬する信仰者がいない悲しいことなのだ。確かに究極的にはそうなるけれど。 パウロは私にならうものになりなさいとしっかり教えている。だから私自身も手本になる人物になるようにつとめている。また、 エリシャがエリヤについて学び、仕えたように私も中野雄一郎師を追いかけて来た。話す言葉や仕草まで観察した。 パウロはテモテとテトスには、愛する信仰の我が子!と呼びかけている。私もそのように言われたいと仕えて来た。はじめは俺にも弟子を選ぶ権利はあるとJTJの授業でも言われた位だ。いつの間にかに一番弟子だと言われるようになった。他にも一番弟子はいるとは思うが。 パウロがテモテとテトスに愛する信仰の我が子と呼びかけられたのはエリシャのように忠実であったからだ。私は中野のエリシャになりたいと公然と言っていた。その言葉を果たすつもりだ。そして2倍の賜物を頂き、2倍の働きをこの地上でするのだ!そして私の弟子は私の2倍の働きをして世界の救いの一翼を担うのだ! 今日のみことば テトス1:4-5 同じ信仰による真実の我が子テトスへ。父なる神及び私たちの救い主なるキリスト イエスから、恵みと平安がありますように。 わたしがあなたをクレテに残したのはあなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように町ごとに長老たちを任命するためでした。 ------------------------- 観察 第二テモテも獄中書簡。昨日のデボーションのテトスへの手紙同様、獄中から愛弟子へ個人的な手紙であるが若い弟子に対する細やかな愛が見える。また、牧師としての勤め、心得と伝道者としての心得を諭している神に動かされて書いた手紙。だからこそ聖典なのだ。 みことば 第二テモテ2:1-3 そこで、我が子よ。キリスト イエスにある恵みによって強くなりなさい。 多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人に、も教える力のある忠実な人たちに委ねなさい。 キリスト イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。 適応 愛弟子にキリストによって強くなりなさいと言っている。キリストも私に強くなって欲しいといつも思っている。御国は力!なのだ。 また、教える力のある忠実な人たちに委ねるように!そう、委ねられるように教え励ましそだてなければ! 師匠パウロがイエス キリストは立派な兵士として苦しみをともにして欲しいと愛弟子に言っているが、主イエスも同じように私に言っている! ピリピ1:29 あなた方はキリストのために、キリストを信じる信仰だけではなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。 キリストにある苦しみは私を成長させてくれる。また、祝福へと導く道しるべであると私は信じます。信じるに値するだけのことが今まで起こりました。謙遜にへりくだり、争わず愛し赦すこと、呪わず祝福することにより私は成長して来ました。これからもあなたイエス キリストと共に人生を全ういたします。アーメン! ------------------------ 私たちの間でキリストのためになされている全ての良い行いを知ることによって、あなたの交わりが生きて働くものとなりますように。 ピレモンへの手紙6節 観察 パウロがピレモンへの個人的な手紙。しかしパウロがとりなすオネシモという脱走奴隷は、このピレモンの奴隷であった。 適応 私たちの良い行いはキリストにあるものであり、信仰によるものである。お互いがお互いの信仰の良い行いを見て刺激しあい、励ましあい、ほめあい、健闘を称え合うなかで!そう、交わりが生きて働くものとなりますように!努めよう! ただ、礼拝の後にお菓子をつついて、世間話をするのではなく信仰の働きについて話したいものだ。 祈り 講演会も伝道集会も主にあって大胆に語れますように!お供する聖徒も祝し大胆に語らせてください。 -------------------- 今週の祝大:ルカ2章「社会的弱者に先ず知らされたよきしらせ」救い主が生まれたのはベツレヘムというダビデの町。 そこは生け贄の子羊を育てる所です。ここに救い主が生まれるという預言も神様の采配です。 キリストの誕生を天使が知らせた羊飼いはシナコーグ(ユダヤ人の礼拝堂)には入れない存在でした。 生き物の飼育ですから安息日が守れません。 日雇い労働者のような社会的弱者の羊飼いです。 それはオーナーの羊飼いではなく、労働者の羊飼いです。夜番をしていたというのですから労働者と予測できます。 ダビデの時代のダビデはオーナー一族の家族経営的な中小企業経営者的な羊飼いでしょう。 経営者である父エッサイの羊の世話をしているのですから。 オーナーの息子ですから、自分の羊と同義語です。 ですから、いのちをかけて熊やオオカミと戦った良い羊飼いのダビデだったのです。 労働者の羊飼いは自分の羊ではありませんから命をかけずに見捨てられるのです。 そんな労働者の羊飼いは信用もなく、蔑まれていました。 そんな羊飼いに「救い主の誕生」が、先ず知らされたのです。 ここに福音があります。だからこそ、私が東京拘置所で救われたのです。 とことん弱者の味方なのです。 さて、この土地に羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 すると主の使いが彼らの所にきて主の栄光が周りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。 「恐れることはありません。今私は民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。このかたこそキリストです」 牧師 進藤 龍也 |
塩の効き目を自分の信仰に当てはめて成長していきたい。 古来より様々な宗教で塩は清めに用いられる。 ①塩の効き目とは先ず「清め」にある。 キリストの十字架の清め(購い:買い取り) ②保存:信仰を保たなければならない。 もし最初の確信を終わりまで保ちさえすれば私たちはキリストに預かる者となるのです。(ヘブル3:14) ③人生の味付け=人格の味付け 薄っぺらい人生や人格ほど味気ないものはない。塩は味付けに使われる。 信仰の味付けに欠かせないのは悔い改めによる味付けだ。 傷口に塗る塩は痛い。この痛みが悔い改めである。 やり直しに世間は甘くない。小指欠損に甘くない。入れ墨者に甘くはない。自分で歩んで来た道だ。それでも主イエスに従い通す者だけが生き残れるやり直しの人生は本当に険しい道だ。しかしできない訳じゃない。死ぬ気で恥を忍んで主にあってがんばればできる。そして信じてくれる誰かがいれば、喜んでくれる誰かがいれば大丈夫。そんな協会でありたいと思いモットーとしている。だから和合して暮らしなさい!なのだ。 祈り:主よ、あなただけが私の知恵と力です。 マルコ9:50 塩は効き目のあるものです。しかし、もし塩に塩気がなかったら何によって塩気を取り戻せましょう。あなた方は自分自身のうちに塩気を保ちなさい。そして互いに和合して暮らしなさい。 牧師 進藤 龍也 -------------------------- ところで聞いていただくことがあります。私はあなた方をほめません。あなた方の集まりが益にならないで返って害になっているからです。 まず第一にあなた方が教会の集まりをするとき、あなた方の間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。 というのは、あなた方の中で本当の信者が明らかにされるためには分派が起こるのはやむおえないからです。 第一コリント11:17-19 パウロの苦悩を感じる。手塩にかけた伝道の実である聖徒達が分派分裂を引き起こして行く。昔も今も変わらず、噂話、陰口、リーダーへの不平不満で神に持っていく心を人の耳に持ち込んで教会を腐らせてしまう。 交わりからどうしても外された人は自分の行為がわからない。 自分 から離れた人も心に浮かぶ猜疑心の取扱いがわからずはぐれる。それだけではなく、自分が正しいと主張して周りにリーダーが悪いと言いふらす。 そうして教会を壊して行く。そのことに気がつかないのだ。 弱い信者は、はぐれた人の主張だけを聞き、共に離れて行く。しかし、ここでパウロが言うように、そのような分派分裂の嵐の中で本当の信者が明らかにされる。 その人の主張に対して、同意しない。愛を持って聞いてあげるが、その人の間違いを諭してあげる。あなたの行為は赦さないという決断ですよ!と。 なぜ、自分から疑問を晴らそうとしないのか?和解に向けて働きかけないのか?あなたのしている行為は良くないことだと諭してあげることが本当の信者としてであろう。 また、和解に向けて一緒に祈り、また、とりなしていける人が聖徒である。 第一コリント13:25-27 それは、体の中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。 もし一つの体が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に尊ぶのです。 あなた方はキリストの体であって、一人一人は各部分なのです。 ------------------------------------ 彼はあなたがたがみな、言うことをよく聞いて、恐れおののいて自分を迎え入れてくれたことを思い出してあなた方への愛情をますます深めています。 (②コリント7:15) 観察 7章では第一の手紙で厳しく指導して一瞬後悔もしたけど、みんなが悔い改めてくれて良かったとあり牧会者としての苦労がにじみ出ている手紙でもある。 適応 手塩にかけた弟子のテトスをコリント教会に送ってうまく進んでいる。どれほどうれしいことか。第一の手紙の効力でもある。 パウロ本人のみならず、テトスの言うことも良く聞いてくれる。今でもそうだが後任の牧師と馬が合わず問題になるケースはいくらでもある。 テトスが喜び、そして用いられた原因はここにある。 「自分を迎え入れてくれたことを思い出して愛情をますます深めた」 私も含めた教会員はこの気持ちを忘れないことだ。 昨日の働き人となるためのセミナーでも話した ①感謝を忘れない ②原点を忘れない ③キリストにあって自分は何者なのか!?アイデンティティの確立 そのままの今日のみことばであった。 祈り だれ一人としてかけることなく新会堂に移れますように。今朝の徐起源牧師との電話でもらった預言をそのまま受け取ります。100ヘーベー以上で駐車場2台分、家賃12万のところが見つかったと前もって感謝します2月8日 主日礼拝の徐起源牧師のメッセージと預言と癒しの聖会が祝されたことを前もって感謝します。前日のERM聖書学校に楽しくお迎えにいけるメンバーも与えられたことも前もって感謝します。アーメン 牧師 進藤 龍也 -------------------------- ことばは神であった。ことばの神は「ことば」について厳しくいさめている。 心にあるものが口から出てくるとも教えている。 使徒パウロも俗悪なことばを慎むように下品な冗談も言ってはならないと教えている。なぜなら、「いったとおりになる」からだ。 たとえば、誰かにレッテルを貼る。すると自分の中ではその人に貼ったレッテルどおりの人となってしまう。一度貼られたレッテルは自分でははがしようがない。実に怖いものだ。 また、謙遜ではなく自己卑下によって「間違った自分像」を自分にレッテルをはれば、そのとおりの自分になってしまう。 自分は価値あるものだとどう やって知ることができるのか? それは神の子が自分のために十字架にかかって死んでくれたほどに価値ある自分なのだ。 人は神の似姿であり価値がある。 人をほめることは神をほめることだ。 マタイ 12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。 12:34 まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。 12:35 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。 12:36 わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。 12:37 あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」 牧師 進藤 龍也 ---------------------- 観察:律法の専門家であり旧約聖書の神学者であったパウロが救われた時の目からウロコは旧約の覆いがとれて旧約成就のキリスト信仰が現れた瞬間であった!その神学者パウロがローマ書において神学的にイエスが救い主キリストであることを述べている。特に7〜11章において律法と福音の関係性が書かれパウロの救いが福音書のためでもあると言わざるおえない。 適応:神学者パウロは机上で論破したわけではなく実際に命をかけて宣教した。実際にシナゴーグというユダヤ教礼拝堂に行き論破した。 我々も実際の伝道者、神学者でなければならぬ。 律法は良いものだけどユダヤ人は信仰によって追い求めることをしなかったから到達しなかったという。私たちクリスチャンは信仰により、聖霊様により、 生き方に律法が全うされるようになった!ローマ8:4 律法は良いものだけど、律法主義が悪いのだ。 人と比べて優越感に浸る。 基準が全てで合否が決まりレッテルを貼る。愛がなくなり、できるできないが基準となってしまった。 主イエスは 安息日のために人があるわけではなく、人のために安息日があるのだとおっしゃった。 だ からこそ、7日のうちに全てのものが休む安息日があるのだ。 祈り:安息の主イエスに今日も憩えますように! しかしイスラエルは義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで行いによるかのように追い求めたからです。ローマ9:31〜32 牧師 進藤 龍也 |
マラ:キ2:10
私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか。 今日のデボーションは高岡市へ向かう車内で。 神と人との契約において選民の裏切り行為への嘆きである。 神との契約の破棄は致命傷である。なぜなら人との関係においても平気で裏切るようになるからである。 目に見える兄弟を愛さないものが見えない神を愛せないとキリストがおっしゃった通りである。 裏切りと聞いてイスカリオテのユダを思い出した。彼はキリスト宣教団の会計係で信用された人物なのに何故? サタンの介入と高慢、 感謝の忘却、 自分の理想へのしがみつきが不従順に繋がってしまった。私たちはキリストに従順でありたい。 教会生活においても訓練を受ける。 私も昔、救ってくれた鈴木先生のアドバイスを無視した結果、遠回りしたことを思いだす。ユダに学ぶことを今日のザアカイでメッセージしたいと思う。 今日はノートではなく小さなパソコンであるiPhoneで書いているのでせっかくなのでシェアします。 ---------------------------- さて、ステパノは恵みと力にみち、人々の間ですばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。 (使徒6:8) ステパノの信仰は6章、7章を読めばわかる。 しっかりと聖書の知識があり7章のステパノの説教は旧約聖書のダイジェストである。 それだけではない。 キリスト教 殉教第一号としてふさわしい最後の言葉は「彼らに罪を負わせないでください」であった。 十字架上で自分を殺すもの立ちに向かって「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからないのです」と神に執り成しをした主イエス・キリストと同じであった。 これは神業である。聖霊様の力なしにはできないことだ。 普段から、すばらしい不思議なわざとしるしをおこなっていたようなステパノであるが、彼の日常的な奉仕はなんだろう。 6章の始めにあるように教会の共同体の食事かかりであった。 仕えるしもべとして生きていた。 与えられた奉仕を神への奉仕として喜んで犠牲を払う生き方が神を動かす。 学ぶ姿勢のあるものを神が放っておくはずがない。 主よ。今日もとこしえまでも、私たちが聖霊様で満たされるように謙遜に、そして喜んで神へ人へ奉仕できますように。アーメン ------------------------------ 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。 (使徒13:52) 忍耐強いが時に激しい性格のパウロと、パウロを見いだした慰めの子バルナバの最強コンビ。 違う性格、違う賜物のコンビはなんとすばらしいことよ。 この二人が使わされ多くの奇跡を行ったのはアンテオケ教会における礼拝と断食と祈りであった。 今でも正教オーソドックスは週二回の断食の日をもうけている。 キプロスに遣わされた2人は聖霊様の力で大いに語り、救い導いた。 同じ大きさで迫害に会いながら前進し続けた。 そしてついに町の有力者たちによって町から追い出されてしまった。 町の人たちにとってこの2人はキリストを教えてくれる大事な先生でもあったのに喜びで満たされた。なぜ?弟子だからである。 この2人をさして弟子と書いてあっても追い出されてなお、喜びで満たされたのであれば自分たちがいなくても、この町で生まれたクリスチャンは大丈夫だと確信が持てたのだろう。 この町の人には学ぶ姿勢があったのだろう。 2人が確信を持てるくらいに熱心になってみことばをまなんでいたのだろう。 私たちも謙遜に学ぶ姿勢をとり続けていきたいものだ。 私の師匠に対する姿勢がそのまま牧会につながると思うので、私は親分に仕えるように尊敬し仕えている。 ---------------------------- ヨブ17:3 「どうか、私を保証するものをあなたのそばに置いてください。他に誰か誓ってくれるものがありましょうか。」 自分の魂の保証人がいるということはなんたる恵み! ヨブは旧約の大昔の人。その時代には聖霊様は特別な形で特別な人にしか降らかった。ヨブが魂の保証人を求めたのもうなづける。 潔白であったヨブは、何の根拠もなく不幸に見舞われる。神から与えられた試練である。この試練を通してヨブは2倍の祝福を得る物語だ。 しかし、良く考えると私たちはヨブの数十倍恵まれた人であることを神に感謝しよう! 魂の保証人である聖霊様がキリスト様によって与えられている。 また、2倍ではなく30倍、60倍、100倍の祝福が約束された時代に生きているのだ! 今日は昨日、報告した石関兄の葬儀の司式ですが彼は魂の保証人である聖霊様がキリスト様とともに天国へ帰りました。私たちも最後までキリストの体である教会の一部となり邁進してゆきましょう! ---------------------------- 今週の祝大:マルコ14章「お金を購う献金」それからイエスは献金箱に向かって座り、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。 (マルコ12:41) 言うまでもないが献金は強制でもない。 また献金しないからといって死ぬ訳でもない。 献金の献は「ささげる」と書き献身を意味する。 私たちが日々、礼拝の中で献金をする行為はこの世の神である経済(マモン)に頼らず、まことの神である主イエスに頼ります!という信仰の告白である。 この世の神であるマモン(サタン)はこの世で一番大切なのは金であると偽りを言って自分の支配下に人を置く。 そして自分勝手な経営者を虜にして、労働者までもが儲けのためには人を裏切るようにさせる。 注目したのは主イエスは献金の様子を黙って見ていたことだ。 強制ではない献身の行為を見ておられた。こころの中まで見ておられただけではなく、財布の中身まで知っておられ、やもめの2レプタ献金をほめられた。1デナリ=日当分。1デナリの128分の1 10円2枚 ようするに献金の質をほめられたのだ。 20円だけど全財産であったと。そこには神に頼る切実な心を主イエスは受け取ったのだ。 私たちも献金の質を大切にしなくては行けない。だから初物なのだ。給料をもらったらまず神のものとして取り分ける。 そしてプロセスが大切。どのようにして得たお金ですか? また献金にはお金を購うと私は信じる。マネーの語源はマモンという偶像。ようするにサタンである。 ロバート・モーリス牧師も言っていたがお金には何らかの悪魔的な力があると。 だとすれば神に捧げるという行為において私はお金を購う行為であると信じる。 平たくいうとお金を清める行為が献金ということ。 祈り 今日もきれいな心でお金ではなく神を一番にしますように。お金よりも人間関係を大切にできますように。献金の心をいつも色あせないために私の命が続く限り十分の一返金をたゆまず行えるように。主の名前でアーメン! 牧師 進藤 龍也 |
今週の祝大:黙示録14章「忍耐は勝利」&住み込み洗礼動画黙 14:12 神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」 主イエス再臨前の難患時代の勝利、それは生徒たちの忍耐の勝利である。 反キリストによる暴虐、迫害に耐えうる信仰。 それは反キリスト勢力における暴虐、迫害に対して、主ご自身が正しく裁いてくださるという信仰の下に対抗せず、忍耐していく勝利のことである。これが 神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。 ということなのだ! 忍耐しているものは喜べ!主は正しく裁かれるからだ。 忍耐している自分も喜べ!主は正しく報いてくださるからだ! 私は粛々と主に任された道を歩む。主は正しく采配を振るわれる。 祈り:これから南三陸に向かいます。ボランティア以外にも談話室での講演会が初めて行なわれます。震災時からの友達も新しく出会う人たちにもあなたの存在を知らせて下さい。そのラッパにさせて下さい。 住み込み洗礼 ----------------------- 【新改訳改訂第3版】ダニ
2:17 それから、ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。 2:18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。 2:19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。 バビロン王が不吉な夢を見てその夢の解き明かしがだれもできないことに腹を立て、バビロンの知者つまり呪術師や占い師を殺すことに決めダニエルたち4人も殺されることになったときのこと。 ダニエルは思慮ふかく知恵を用い礼儀をもって殺しにきた侍従長に対応し、王に謁見するチャンスをものにする。ダニエルたちが助かるばかりではなく、異邦人の呪術師や占いまで救われるというキリストの予型である。イエスキリストの誕生のとき東方の博士つまり異邦人の星占い師が真っ先にキリストの誕生を見つけたのである。 ダニエルたちが命を救い、世を救った秘訣をデボーションで教えられたのでシェアしたい。 1、ダニエルの誠実さは日常の生活から世間に鳴り響いていた。 身を汚すまいと心に定め(1:8)て、そのとおりに生活した。 エゼキエルという同世代の預言者エゼキエルにまでその名を轟かせていた。エゼキエル書参考。エゼキエルは庶民の中に居た預言者。ダニエルは王宮に居た預言者である。住む場所が違うのにその名を知っていたのはダニエルの誠実さが知れ渡っていたからだろう。ダニエル書1章参考。 殺すために来た王の侍従長アルヨクに知恵と思慮とをもって対応した。(2:14) だからこそ、この侍従長も話を聴く耳をもてたのだ。 2、かけがえなのない友が居た。奴隷として引いてこられた仲間にシャデアラク、メシャク、アベデネゴという信仰の友がいた。苦楽を共にしてきた仲間が居たのだ。私にとっては二上英治牧師や川口隊長だろうか。人生やり直しからの仲間である。そんな仲間に打ち明けて祈ることができたのだ。互いに電話で祈りあう仲間を教会員にはどうか作ってほしい。 かけがえのない仲間と祈り求めて神からの啓示が与えられた。 ここに我々の武器をもう一つ教えよう。このデボーションだ。 神の声とは、みことば。このみことばは聖書にある。読み、熟考し書く。そうすると神からの知恵がくるのだ。クリスチャンの成長とはここにある。聖書の著者たちは間違いなく書きとめたのだから。口述筆記もあるけど・・・ですから皆さん、通読とデボーションしていきましょう! ------------------------------- エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。
--------------------------(ルカ3:38) ユダヤ人はアダムという名前を恐れ多くつけないという。 神の子アダムもついにサタンにだまされ罪を犯してしまった。 そしてその結果としてすべての人は罪人となり、この世はサタンの支配下になってしまった。 創 5:3 アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。 罪を犯してしまった後に造った子どもも罪人として生まれている。 その証拠に「彼のかたちどおりの子」となっている。 神の子として生まれたアダムの子も神の子として生まれなければならなかった。 しかし罪によって罪人として人間のことしてセツが生まれたのだ。 しかしその回復のために、もう一人のアダムであるイエス・キリストがこの世に生まれた。神の一人子が人間として生まれたのだ。そして人類の罪を処罰された十字架。これが私たちの信仰である。アダムが損なってしまった神の子としての身分の回復のために十字架があり、永遠の命の保障として復活がある。 キリストを信じるということは神の形の回復なのだ。 ------------------------- この宮が廃墟となっているのにあなたがただけが板張りの家に住むべきだろうか。万軍の主はこういわれる。
「あなたがたの状況を良く考えよ」 (ハガイ1:4〜5) エレミヤの預言の通りにバビロン帝国からユダヤ人たちがエルサレムに帰って来た。その理由は神殿再建のためであった。この奇跡的な帰還に夢を膨らませて帰って来たというのにサタンに操られたさサマリヤ人の妨害などにあい16年も中断していた。そこで立ち上がったのがハガイとゼカリヤという預言者だった。今日はハガイが語った神の言葉のデボーションである。 石文化のパレスチナでは板張りの家は今も高級住宅だそうな。16年も中断しているうちに本来の帰還の目的であった「神殿再建」を忘れ自分たちの暮らし向きの自慢に心を奪われていた現実があったのだ。ヨハネの手紙にも、暮らし向きの自慢は神から出たものではないとある。 帰還の目的は「神殿再建」まず故郷すべきことは神殿再建であった。なぜなら信仰の堕落から滅ぼされることになってしまった。悔い改めて神殿という信仰の再建に取り組むための帰還であったのだ。 そこに「「状況を良く考えよ」との神の言葉。 私たち罪友本部もザアカイもよく考えなければならない。来年、立ち退きを宣言された。 祈っているものの、「もっと祈れ!もっと一致せよ!もっと考えよ!」との神からの迫りがある。 ハガイやゼカリヤが立ちあがって神の言葉を伝えた。簡単に言えば「何をしに帰って来たんだ。神殿再建のためじゃなったのか」と。 私たちももっと崖っぷちに立って「考え」なければならない。 月一会員も毎週きてくださる教会員もリーダーも賛美隊もお客さんは誰もいないはずだ。全員、おらが家なのだ。 祈り:状況を良く考え、がけっぷちに立って今の現状を一致して乗り切ることができるように。お客さん的傍観者がいないことを感謝します。全員がキリストが命がけで救ってくれたいのちです。だれ一人としてかけることがないように。全員が今まで以上に犠牲を払って仕えていくことができますように。このことを通して一段と結束力が深まりますように。アーメン 「神の声は感謝から聞こえてくる」
ピリ 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 1、思い煩いが信仰を鈍らせる サタンの策略は喜びを奪い心配を残すこと。 2、感謝を持っている心、祈りが神に受け入れられる。 3、感謝は高慢にならない。感謝は謙遜さを失わせない。 任命 JTJ岸学長 当時から霊性委員長という聖徒会長に任命された。 岸学長を通して 岸学長はだれより弱いものに目を向ける人である。 ハンデを負っている私を励ますために私を選んでくれたのだ。 神の声 召命の声を聞く あなたを選んだのはこのわたし、神である。 弱小イスラエルを選んだこのわたし神はあなたのようなクズを選んだ。 わたし神のゆえにあなたの未来は大きくなる。 ------------------------- 今も昔も神殿(教会)建設には身内から苦情が出る。しかしネヘミヤのリーダーシップはすばらしい。 自分の給料を要求せず(私も)苦情を出す身内へ間違いを指摘して悔い改めさせ一致させている。 教会建設で分裂や離散が良くあるがそれはサタンの勝利宣言である。 イエス様の不正の富(この世の富)のたとえ話に出てくる利子を返していく話があるが、そのとおりのことをしなさいとネヘミヤは指導する。11節 民にお金がない、生活費がないと苦情を言われたけれども、民の間違いをしてきした。我々も生活ができないと苦情を言う前に信仰にたって、神のものを神に返すことを怠り、神のものを盗んでおいて生活が苦しいと神に文句を言うのを止めよう。また敬虔な信仰生活のために節約する生活を心がけないで生活が苦しいと神に文句言うのを止めよう。 私は超貧乏を出所して経験してよかった。訓練された。タバコも止められた。妻からけちといわれるほどに安物買いだ。しっかり神のものを神に返すことが私のの第一だからである。そのことがみんなができたら教会運営資金に困ることは無いだろう。信仰によってなので強要するものではない。これは私の信仰である。このネヘミヤ書5章、以下 ネヘミヤ書 5:1 ときに、民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声をあげた。 5:2 ある者は、「私たちには息子や娘が大ぜいいる。私たちは、食べて生きるために、穀物を手に入れなければならない」と言い、 5:3 またある者は、「このききんに際し、穀物を手に入れるために、私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない」と言った。 5:4 またある者は言った。「私たちは、王に支払う税金のために、私たちの畑とぶどう畑をかたにして、金を借りなければならなかった。 5:5 現に、私たちの肉は私たちの兄弟の肉と同じであり、私たちの子どもも彼らの子どもと同じなのだ。それなのに、今、私たちは自分たちの息子や娘を奴隷に売らなければならない。事実、私たちの娘で、もう奴隷にされている者もいる。しかし、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。」 5:6 私は彼らの不平と、これらのことばを聞いて、非常に怒った。 5:7 私は十分考えたうえで、おもだった者たちや代表者たちを非難して言った。「あなたがたはみな、自分の兄弟たちに、担保を取って金を貸している」と。私は大集会を開いて彼らを責め、 5:8 彼らに言った。「私たちは、異邦人に売られた私たちの兄弟、ユダヤ人を、できるかぎり買い取った。それなのに、あなたがたはまた、自分の兄弟たちを売ろうとしている。私たちが彼らを買わなければならないのだ。」すると、彼らは黙ってしまい、一言も言いだせなかった。 5:9 私は言い続けた。「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、私たちの敵である異邦人のそしりを受けないために、私たちの神を恐れながら歩むべきではないか。 5:10 私も、私の親類の者も、私に仕える若い者たちも、彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう。 5:11 だから、あなたがたも、きょう、彼らの畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家、それにまた、あなたがたが彼らに貸していた金や、穀物、新しいぶどう酒、油などの利子を彼らに返してやりなさい。」 5:12 すると彼らは、「私たちは返します。彼らから何も要求しません。私たちはあなたの言われるとおりにします」と言った。そこで、私は祭司たちを呼び、彼らにこの約束を実行する誓いを立てさせた。 5:13 私はまた、私のすそを振って言った。「この約束を果たさない者を、ひとり残らず、神がこのように、その家とその勤労の実とから振り落としてくださいますように。このように、その者は振り落とされて、むなしいものとなりますように。」すると全集団は、「アーメン」と言って、【主】をほめたたえた。こうして、民はこの約束を実行した。 5:14 また、私がユダの地の総督として任命された時から、すなわち、アルタシャスタ王の第二十年から第三十二年までの十二年間、私も私の親類も、総督としての手当を受けなかった。 5:15 私の前任の総督たちは民の負担を重くし、民から、パンとぶどう酒のために取り立て、そのうえ、銀四十シェケルを取った。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。 5:16 また、私はこの城壁の工事に専念し、私たちは農地を買わなかった。私に仕える若い者たちはみな、工事に集まっていた。 5:17 ユダヤ人の代表者たち百五十人と、私たちの回りの国々から来る者が、私の食卓についていた。 5:18 それで、一日に牛一頭、えり抜きの羊六頭が料理され、私のためには鶏が料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒をたくさん用意した。それでも私は、この民に重い労役がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった。 5:19 私の神。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。 牧師 進藤 龍也 |