ここから本文です

書庫ブログデボーションシェアリング

進藤牧師先生からの御好意で転載させて頂いている記事です。

記事検索
検索

2014年03月10日(月)
THEME:デボーションシェアリング
レビ
20:1 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
20:2 「あなたはイスラエル人に言わなければならない。イスラエル人、またはイスラエルにいる在留異国人のうちで、自分の子どもをモレクに与える者は、だれでも必ず殺さなければならない。この国の人々は彼を石で打ち殺さなければならない。
20:3 わたしはその者からわたしの顔をそむけ、彼をその民の間から断つ。彼がモレクに子どもを与え、そのためわたしの聖所を汚し、わたしの聖なる名を汚すからである。
20:4 人がモレクにその子どもを与えるとき、もしこの国の人々が、ことさらに目をつぶり、彼を殺さなかったなら、
20:5 わたし自身は、その人とその家族から顔をそむけ、彼と、彼にならいモレクを慕って、淫行を行うみだらな者をすべて、その民の間から断つ。


昨日の礼拝では民数記からバアル信仰についても学びましたがモレク信仰についても知っておきましょう。同じように新生児を生きたままでささげるこのモレク信仰。聖書にはモロクともミクロムとも書かれておりますが同じです。

特に第一子をささげていたようです。このような民、信仰を神が裁かれるのです。そしてその裁きに奴隷であったイスラエルを選ばれたのです。民数記にあるとおりです。


9:4 あなたの神、【主】が、あなたの前から彼らを追い出されたとき、あなたは心の中で、「私が正しいから、【主】が私にこの地を得させてくださったのだ」と言ってはならない。これらの国々が悪いために、【主】はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。
9:5 あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪いために、あなたの神、【主】が、あなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。


モレクもバアルも古代のパレスチナにとってはどこにでもある信仰でした。そこに入植して追い出し占領していくイスラエルの旧約の歴史は血なまぐさい戦争の歴史であるが霊的戦いの歴史でもある。

今現在の日本に置き換えてみると、どこにでもある神社や仏閣、そこに霊的イスラエルとなったわれわれ日本人クリスチャンが霊的戦いをして魂を勝ち取っていくのだ!そのように私はこの荒野の歴史であるモーセ五書とヨシュア記を読んでいる。

皆さんもどうかイスラエルの敵を罪と置き換えて読み進めていってください。
現代のわれわれに示唆することを聖霊様が教えて下さいますから祈りつつあきらめずに読み進めていきましょう。私のデボーションシェアでした。感謝します。

皆さんの祝福を祈りながら!!

------------------------------------------------


2014年03月17日(月)
THEME:デボーションシェアリング
ガラ
5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。


キリストは私たちに自由を得させるために十字架について死んでくださった。
罪からの自由、のろいからの自由、束縛からの自由、、、このために。
キリストを受け入れるということはこういうことなのだ。
ほかに比べることはできない。

ラザロ松村兄は7千万円だか4千万円だかを服役中に部下に持ち逃げされて憔悴しきっていた。そういうときに居酒屋であった。ある人に刑務所で先生の本を読んで大ファンがいるから是非あってほしいといわれて逢ったのであった。刑務所で私の本を読んだということは救われるかもしれないと。人と会うことに面倒くさがってはいけないのだ。

さて、ラザロ松村兄は救われた。この持ち逃げの裏切り行為だけはなかなか赦せなくて戦っていたが最近「解放」されたらしい。晴れるや!
最初に会ったときの私の言葉「お金に換えられない永遠の命がありますよ」そのとおりになった。

解放されたなら「しっかりと立つ」のだ。
ガラテヤ書における霊的戦いは内側クリスチャンとの戦いである。というのは、律法帰りと戦いである。「恵み」にしっかり立とう!!
その恵みとは無条件の赦しの十字架である。
この十字架にしっかり立てば律法の奴隷に帰らなくて良い。
しかしわれわれはユダヤ人でもないのに律法主義に戻りやすい。というのは自己の義に立ちたがる性質があるからだ。しかし、それもまた十字架につけるが良い。

解放(恵み) → 戒め(たて上げ)
出エジプト  → 律法
十字架    → 復活

赦されたように赦していくのがクリスチャンです。
十字架上のキリスト様の祈りは”自分を殺すものたちに”祈られたのです。
無条件です。謝ったら、悔い改めたらの条件付ではないのです。
もし、謝ったら、悔い改めたらの条件付であるなら、その謝ってほしい人に縛られているということになります。無条件に赦されたのだから無条件に赦すのです。
もちろん罪が示されたら誠実に悔い改め謝罪し負債をザアカイのように払うべきです。

ステパノも同様に”自分を殺すもの”のために赦しを祈りながら亡くなりました。その祈りの結果、パウロが生まれたのです。
私たちはゆるすことの特権に預かっています。
その特権を行使するときに奇跡があえること、祝福があることを証して私は生きています。


----------------------------------

今週の祝大:1コリント9章「十字架上の祈りのDNA」

2014年03月26日(水)NEW !
THEME:デボーションシェアリング
Ⅰコリ
9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。


大伝道者パウロは実は一部のクリスチャン仲間から使徒とは認めないなどと批判され白い目で見られていて、そのような内輪からの冷たい仕打ちと戦っていたようだ。そのような中であれだけの世界宣教ができたのは「目的」に向かって「救いの情熱」を燃やしていたからである。
現代の日本クリスチャン業界においても足の引っ張り合いを止めなくてはいけない。

Ⅰコリ
9:2 たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です。


さて、コリントとはソドムとゴモラのような不品行の街、西川口のような街である。そして国際都市であった。ここにパウロによって教会が立てあがっていくが問題も多かった。・・・罪友?
問題が多いことは改善し成長するチャンスであることを知らねばならない。
パウロ自身、罪人のカシラというほどの人物。重鎮ステパノを殺した張本人。だからこそ忍耐して指導にあたれたのだ。それも社会人として一般で働きながら!!このとにおいては愛と配慮ある諭しをしているがゼロ開拓伝道の辛さを十分私は理解できる。

なぜ、パウロは「もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ」といったのだろう。
パウロは間違いなく迫害者であり殺人者だ。ダマスコ途上で主イエスと出会い劇的回心者となりえた。その瞬間にステパノの最後の祈りが理解できたのだと思う。

使
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。


殺した相手の最後の祈りの言葉。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」
この祈りは神からの賜物、神業。自分を殺すものに向かって宣言する赦しの祈り。これは
主イエスの十字架上の祈り
「父よ。彼らを御ゆるし下さい。何をしているのか自分でわからないのです」

キリスト → ステパノ → パウロと受け継がれ、実に私たちにお及んでいるこのキリストのDNA。
死罪、永遠の滅びから救われたパウロにとって福音、キリストを述べ伝えるのは当然のこと。のべ伝えないのであれば「災い」価値の無いもの!!そういっている。それは私たち全員がそうなのだ。世界宣教命令はすべてのクリスチャンイ向けられている。今日もキリストを証していこう!

牧師 進藤 龍也
進藤龍也牧師の真面目な方のブログ http://blog.goo.ne.jp/churchljc
youtubeのページ http://www.youtube.com/user/churchljc
ザアカイ youtube http://www.youtube.com/user/zkaihouse2011?feature=mhee



2014年02月18日(火)
THEME:デボーションシェアリング

2:17 次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない。

奴隷の地エジプトで奴隷からの解放を得て、約束の地カナンへ向かう選民イスラエルの旅地はまさにクリスチャンライフである。
神を知らず罪の奴隷から、神を知り罪の奴隷から解放されて、約束の地である天国への旅路。

その旅路における神の戒めや決め事が多くあるがこのテキストもその一つである。

① 2:17 次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。

これは人生の旅路の中で、すべての神の民の心の真ん中に神をすえなければならない。ということだ。これは本当に間違いないと私は証する。

② 2;17 (後半)彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない。

この旗印とは神!キリストのこと!これに従って歩む。これに尽きる。これが信仰者。

この民族大移動、一説には男だけで60万人の移動で戦闘集団として、どのくらいの宿営になるかというと20キロメートルの幅の隊列になるという。川口から新宿あたりの距離になる。

このイスラエルの移動の宿営を山の頂から眺めた不埒な預言者バラムが居る。彼は金銭欲にくらんで敵国モアブの王バラクに依頼され、イスラエルを呪うという目的のために山に登り呪おうとした!しかし、神の栄光に触れ、呪いではなく祝福を三度もしてしまいます。


24:5 なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。

バラムの見たものはいったいなんだったのでしょう!
それは十字架です。東を先頭に
ユダ族      74600
イッサカル    54400
ゼブルン     57400
186400これが十字架の下の長い縦棒です。

南には
ルベン      46500
シメオン 59300
ガド       45650
151500これが右の横棒です。

北には
ダン       62700
アシェル     41500
ナフタリ     53400
157600これが左の横棒です。

西には一番短い縦棒にあたる、、、
エフライム    400500
マナセ      32200
ベニヤミン    35400
108100となります。

20キロに及ぶ集団を山の頂から来た十字架の形をした光景!!これをみたバラムは驚嘆して美しいといったのです。

主よ。なんという私は幸いでしょうか。山の頂に上らなくても十字架のあなたの栄光が心の中から浮かんできます。目をつぶればゴルゴタの丘の十字架が見えます。聖霊様に感謝します。


--------------------------------------------------

2014年02月25日(火)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】 民数記
11:33 肉が彼らの歯の間にあってまだかみ終わらないうちに、【主】の怒りが民に向かって燃え上がり、【主】は非常に激しい疫病で民を打った。
11:34 こうして、欲望にかられた民を、彼らがそこに埋めたので、その場所の名をキブロテ・ハタアワと呼んだ。

「偽り」と書いた墓を踏みつけながら、偽りを捨てよ!と説教を語る異端教団の牧師を見たことがある。すばらしいメッセージだった。しかし自分が神であった。

本文の場所をキプロテ ハタアワ 「欲望の墓」と呼んだ。

エジプトの奴隷から解放されてまだ2年のことである。
目の前で大きな奇跡を見て体験しているのに、、、肉が食べたいと不満を漏らす。
このことで後のあの大預言者エリヤのように「死」を願う。
なぜ「死」を願うほどまで苦しんだのだろう。
モーセを苦しめた原因と、そのおろかさを学んでみたいと思う。

原因 民
11:4 また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。

混じってきたものたちが不平不満を言い始めた。
要するにイスラエル人以外のものたちである。出エジプトのときについてきたものたちだと思われる。そのものたちが言い始めると火がついたようにイスラエル人も言い始めた。
これは現代の私たち教会にも当てはまる。
混じって来たものは懇切丁寧に指導しなければならない。不平不満を抱えたままの入会はない。同じ過ちを繰り返すだけ。帰れるように指導する。赦しと和解をすすめる。

もし神が置かれたところで人に認めもらえなかったり、リーダーのやることに同意できないと指導者を批判して自分の足りなさに向かい合わずに去っていくのです。困難を通して神が立て挙げてくださることに気づかないのです。教会を変える、教会に行かないということは自分自身の欠点と向かい合うこともなければ人間関係の中で成長させられていくことも無いのです。キリストの体なる教会の一員となることは天国の住民である証拠です。(人につまずくとき一部参考)

原因2 モーセが死にたいと思うほどに不平不満をもらした。
大声を上げた!と、書いてあるが深夜の「嫌がらせ」のようなこともあったのかもしれない。また、お前のせいだ!と、いい続けたやつも居ただろうし、石打ちで殺してしまおう!という声を聞いたと思われる。
命を懸けてきたモーセにとって一番苦しかったろう拒絶と離反。
主イエスも同じであった。

結果
神を侮り、モーセを苦しめた不平の民は疫病で打たれた。
信仰とは従うことであり、取り組むことなのだ。
命を賭けて、王子の位を捨てて奴隷解放の指導者となったモーセは神の預言者でもあった。その働き人を苦しめた民は打たれて死んだ。

発端は肉が食べたい欲望であった!気をつけよう。「衣食があれば満足すべきです」というみこばもある。私たちも日々、欲望の墓を作っていこう。
キリストの十字架と共に欲望を葬っていこう。
そしてキリストと共によみがえっていこう。


----------------------------------------------------

2014年03月08日(土)
THEME:デボーションシェアリング

31:15 モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。
31:16 ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、【主】に対する不実を行わせた。それで神罰が【主】の会衆の上に下ったのだ。
31:17 今、子どものうち男の子をみな殺せ。男と寝て、男を知っている女もみな殺せ。

31:22 金、銀、青銅、鉄、すず、鉛、
31:23 すべて火に耐えるものは、火の中を通し、きよくしなければならない。しかし、それは汚れをきよめる水できよめられなければならない。火に耐えないものはみな、水の中を通さなければならない。
31:24 あなたがたは七日目に自分の衣服を洗うなら、きよくなる。その後、宿営に入ることができる。」


聖絶(皆殺し)の恐ろしい古代中東の歴史を霊的に現代の信仰に当てはめ読み進めよう。
敵国からイスラエルを呪うようにと雇われたバラムは結局呪えず祝福を与えてしまいますが、その後でバラムの「色仕掛け」の策略によってバアル信仰に陥ってしまった。

25:1 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。
25:2 娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、【主】の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。


この事件の実行犯である女は殺された。モアブの女たちは体を使ってイスラエルの男たちを抱き込んでバアル礼拝に誘い込んだ。バアル礼拝においてはセックスも儀式の一つだった。神殿娼婦というのは五穀豊穣を祈願して神殿に来る信者とセックスをする。そしてできてしまった子供は生きたまま焼いてバアルにささげるのである。モレク神と同じである。

聖絶の子供は何の罪も無いとここでつまずきが起きないわけではない。が、しかしここは霊的に読み進めよう。時代が下ってサウル王の時代に聖絶できなかったアガク人の末裔がそのずっと後のエステル期においてユダヤ人撲滅を志す。ハマンその人である。古代のヒットラーである。

ここから読み取れることは、旧約においての異教、異教徒は罪との戦い、霊的戦いであるということ。ただの戦争ではない。その背後にある霊的戦いなのだ。だから聖絶なのだ。私たちは罪に対して妥協してはならないということだ。

聖絶における清めの儀式こそバプテスマであろう。
31:23 すべて火に耐えるものは、火の中を通し、きよくしなければならない。
これはまさに聖霊の火のバプテスマ!
火に耐えないものはみな、水の中を通さなければならない。
まさにこれは水の悔い改めのバプテスマ!
。Ⅰペテ
1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります
自分自身、モアブの女と不品行をし、偶像礼拝をしてきた。救い主イエス様を信じて無条件で赦された。しかしこの染み付いた罪を徹底的に聖絶しなければ元に戻ることは簡単である。主イエス様によって勝ち取った多くの魂と恵み、人間関係、そして自分自身を聖霊の火で清くし、日々の悔い改め(水のバプテスマ)によっても清くしなければならないことを教えてくれた。




牧師 進藤 龍也
進藤龍也牧師の真面目な方のブログ http://blog.goo.ne.jp/churchljc
youtubeのページ http://www.youtube.com/user/churchljc
ザアカイ youtube http://www.youtube.com/user/zkaihouse2011?feature=mhee



2014年01月24日(金)
THEME:デボーションシェアリング

49:5 シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。
49:6 わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。
49:7 のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。


イスラエル(神に勝った者)と神ご自身より命名された父祖ヤコブが臨終を前に子供たちに祝福を与えるところです。今回はレビ人の祖となったレビへの祝福の言葉をデボーションシェアで取り上げました。

この呪いにしか聞こえない言葉は実は預言的な祝福の言葉なのです。
と、いうのは神は罪を憎んで人を憎まずなのです。
だから、怒りと憤りの罪に対する呪いであってレビ直接の呪いでないと推測します。
しかし、刈り取りはしなければなりません。

この怒りと憤りとは妹に対する復讐のことです。
「復讐は神のするところである」ことをやぶり感情に任せて復讐したことです。
「なんてことをしてくれたのだ」というヤコブの言葉に表されています。
重大な責任においても主はヤコブを助けられた。これが選びである。私も同じ!

”私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。”
この時代から400年以上たってエジプトを脱出する。まさに開放!
そのあとに律法を賜る。そして不従順によって40年のあらの生活の後に約束の地に入る。

さて、この一連の出エジプトの指導者はだれか!?レビ族出身のモーセであった。
約束の地に入ったのち、神に選び別たれた神の奉仕者はレビ族である。
怒りと憤りをほしいままにした、あの暴虐のレビであった。
ここに神の愛と赦し、回復がある。

刈り取りとして「所有地を持たずに、逃れの街の管理者」となった。
今でいう過失致死罪の人々をかくまい養う羊飼いであった。
まさに罪友教会ではないか!!

神はレビに対して不相応の赦しのプレゼントを与えた。だから名誉あるレビ族なのだ。
赦し=不相応の赦し=恵み  だから回復する!
この恵みを受けたものは変わることができる。

キリストはすべての罪を処罰された。これ以上、誰かを責め裁くことはキリストの十字架を無にすること。だから私たちも不相応な赦しのプレゼントをしてあげるのだ!

-------------------------------------------------
2014年01月27日(月)
THEME:デボーションシェアリング
その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名付けた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」といったからである。
(出エジプト2:10)


モーセの出生の出来事である。
モーセの生涯は主イエスの予型であり預言的生涯である。
そしてまたキリストの出現をはっきりと語った預言者である。

キリストが生まれたときにも2歳以下の子供が虐殺されるという悲劇があり、キリストの家族はエジプトに避難するのである。
モーセの出生の時も男の子は皆殺しという悲劇のまっただ中であった。
そういう虐殺の時代に生き残るどころか成長して民族を救いに導くのもキリストの生涯のひな形、預言的生涯であった。
キリストの生涯においてエジプトの避難から始まる生涯は偶然ではなく選民イスラエルの歴史そのままの焼く直しである。選民の購いも当然含まれているのである。

さて、男の子が生まれて3ヶ月がたち隠しきれなくなって、流した川は三途の川ならぬナイル川。このナイル川は男の子を捨てて殺す川でもあった。その殺す川に流された子、モーセは生かされて引き上げられる。キリストの復活である!

パロの娘、王女がモーセを水の中から引き上げると王家の養子となったモーセ。
これは水から引き上げられてバプテスマを受けたものは王の王、主の主である王の子となる洗礼を意味する。

水に関する聖句
エゼキエル36:25〜26
私がきよい水をあなた方の上にふりかけるそのとき、あなた方はすべての汚れから清められる。わたしは全ての偶像の汚れからあなた方を清め、あなたがたに新しい心を与え、あなた方に新しい霊を授ける。

ヨハネ3:5
人は水と御霊によってうまれなければ神の国に入ることはできません。

モーセのこの、名前の由来は幼児洗礼であったろう。(一部のプロテスタントは認めていない)
このモーセの名前の由来は水のバプテスマのことでしょう!
まさにモーセのこの出来事は預言的バプテスマであった。
この出来事から水のバプテスマを学ぶことができた。感謝。
今週も祝福された日々であるように。アーメン。


-----------------------------------

今週の祝大:出エジプト36章「神を愛しているから」

2014年02月03日(月)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】出エジプト
36:6 それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。
36:7 手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。


神の幕屋を造るための材料調達と技術者の証である。
私たちの教会も買った物は講壇だけで十字架も椅子もすべてがささげ物、もらい物である。教会堂すら母からのお下がりだ。改築などI兄弟、A兄弟はじめ多くの方がやってくれた。
そうした皆さんの神への思いが詰まった会堂(幕屋)である。

教会維持、運営のための献金(ささげ物)ではありますが出エジプト記にあるように「心から進んで」「自ら進んで」「感動したものが進んで」「喜んで」が基本なのです!

本テキストはリバイバルの記事!
「有り余る祝福です」主イエスが男だけで5千人に5つのパンと2匹の魚で満腹にして”さらにあまったパンが12かご”有り余る祝福、これが祝福です。

ナイジェリアのある教会は5万人収容の大会堂があり毎回4万8千人で礼拝をささげ、学校もあり、なんと銀行も教会が経営している。驚くべきことだが彼らは驚かない。神様に感動して自ら進んで喜んで十分の一返金を神にささげているから神の国がここに到来するのです、、、と。
さらに献金の全収入の十分の一をしっかり貧しいところにささげているというのです。
私たちも多くの人に支えられている教会ですが全収入の十分の一をユダヤ人やアフリカの子供や中野先生や神学校にささげています。

このように御言葉に忠実になることもリバイバル!
御言葉に飢え乾くことっもリバイバル!
救いがどんどん起こることもリバイバル!

神を愛しているから教会に行って礼拝をささげるのです。
神を愛しているからささげるのです。
神を愛しているから人も愛するのです。

主よ。あなたによって私は救われました。私のすべてはあなたのものです。どうぞ、お好きなように使って下さい。


牧師 進藤 龍也
進藤龍也牧師の真面目な方のブログ http://blog.goo.ne.jp/churchljc
youtubeのページ http://www.youtube.com/user/churchljc
ザアカイ youtube http://www.youtube.com/user/zkaihouse2011?feature=mhee



2013年12月24日(火)
THEME:デボーションシェアリング
ルカ
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
2:17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
2:18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。

なぜ羊飼いが救い主の誕生を知らせて驚いたのかというと8節にあるように夜番の羊飼いとは「雇われの羊飼い」であったからだ。
この雇われの羊飼いとは当時、ユダヤ人でありながら人権が侵害されていた人たちであった。
羊は生き物であるから当然、安息日も世話をしなければ成らない。
安息日に仕事をする人たちであるから律法を守れない=さげすまれる=会堂に入れない人たちであった。
この羊飼いのために安心して安息日に礼拝できたであろう人もいたろうに、、、
裁判での証言にも採用されない人権がないような人たちであったようだ。
この羊飼いに真っ先に救い主の誕生が知らされた。
これが新しい時代の幕開けである。

律法を守れないものたちに!(ルカ2章)
律法を持たないものたちも!(マタイ2章)
救われるクリスマスの物語。
救われないやつらだと、さげすまれたものたちが救われるようにと救い主はお生まれになった。
これがクリスマスだ。
さげすまれているものは喜んでキリストを受け入れよ。
理解されないものも喜んで主を受け入れよ。主はともに居てくださる。

メリークリスマス!!
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」


-------------------------------------
2013年12月31日(火)
THEME:デボーションシェアリング
今年も皆様に支えられてきました。感謝します。全員がキリストの体であることを実感します。来年もよろしくお願い申し上げます。

ヨハ
8:31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
8:33 彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」
8:34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。


「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません」この言葉に注目しました。この発言者はキリストを信じたユダヤ人です。旧約のモーセ五書には「奴隷であったことを忘れてはならない」とあります。たとえ、その本人が奴隷の経験が無くても過去の歴史において先人たちが奴隷であったことを忘れないのは「あわれみの心」を閉ざすことがないようにとの神様の配慮です。ですからこのユダヤ人の発言は間違っています。間違ってるというより傷ついているのでしょうか。その傷に向き合って主により頼み癒してもらうのが信仰です。このユダヤ人は直接、主にぶつけることができたので幸いな人です。


真理を知って自由になるとは

①罪の奴隷からの開放

信じる者に与えられる聖霊によって罪を認め、悔い改めに導かれる。すると罪から離れる。Ⅰヨハ
3:9 だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。


②罪を選択しないという自由

わかりやすいので進藤龍也を例にすると、、、

今でも覚せい剤をやろうと思えばできる。けど、やらない。

今でもヤクザに戻ろうと思えば戻れる。けど、戻らない。

むかついたやつをぶっ飛ばすこともできる。けど、やらない。

罪を選択しないという自由を真理知ることによって勝ち取ったから!!


③真理を知ると罪を選択しないばかりか「神が好む生贄」を選択するようになる。

キリストの十字架は究極の自己犠牲である。この自己犠牲こそが大いなる愛である。

この愛の中に入ったクリスチャンも愛の中で生きる。

愛にもと基づく自己犠牲が神に喜ばれる生贄である。

*時間 *経済 

礼拝も、献金も、奉仕も、愛に基づく自己犠牲であり、神への応答である。


礼拝こそ、天国のいったんを垣間見ることのできるところである。

礼拝にいかれない理由はいくらであるある。しかし聖別していくことこそ事故時勢ではあるまいか。明日の元旦礼拝は住み込み者のためのものでもあります。田舎に帰っていない人は是非お越し下さい。


----------------------------------------------------------

今週の祝大創世記34、35章「人生の祭壇」

2014年01月14日(火)
THEME:デボーションシェアリング

34:24 その町の門に出入りする者はみな、ハモルとその子シェケムの言うことを聞き入れ、その町の門に出入りする者のすべての男子は割礼を受けた。
34:25 三日目になって、ちょうど彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブのふたりの息子、ディナの兄シメオンとレビとが、それぞれ剣を取って、難なくその町を襲い、すべての男子を殺した。
34:26 こうして彼らは、ハモルとその子シェケムとを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出して行った。
34:27 ヤコブの子らは、刺し殺された者を襲い、その町を略奪した。それは自分たちの妹が汚されたからである。
34:28 彼らは、その人たちの羊や、牛や、ろば、それに町にあるもの、野にあるものを奪い、
34:29 その人たちの全財産、幼子、妻たち、それに家にあるすべてのものを、とりこにし、略奪した。
34:30 それでヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは、私に困ったことをしてくれて、私をこの地の住民カナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。私には少人数しかいない。彼らがいっしょに集まって私を攻め、私を打つならば、私も私の家の者も根絶やしにされるであろう。」
34:31 彼らは言った。「私たちの妹が遊女のように取り扱われてもいいのですか。」

35:1 神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
35:2 それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。
35:3 そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」
35:4 彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。
35:5 彼らが旅立つと、神か
ケムの近くにある樫の木の下に隠した。
35:5 彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。


娘のディナが手篭めにされ婚前交渉になってしまったことによる兄たちの復讐の虐殺事件です。そのことによってイスラエルの名前をもらった父ヤコブはピンチになってしまいます。この土地では新参者だからです。この復讐劇に学べることは

①感情的な復讐は正しくても正しくなくなる。復讐することは神がすることである、これが聖書の原理。完璧ないけにえのキリストの十字架で勝利をつかむこと。赦しを宣言していくこと。

②今の世も婚前交渉は不品行と呼ばれ聖なる神を悲しませ、祝福の妨げとなる。また互いを傷つけあう行 為である。

さて、息子たちの不祥事に怯えるやヤコブに神からの声!なんという哀れみ、徹底した神の味方!これがわれらの神なのだ。その神の声は神と契約を結んだべテルに行けという。べテルとは「神の家」神の家に行けと言う。私たちも神の家に行こう!
そこで祭壇を築けという。この神からの応答に、、、
ヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。

①異国の偶像を取り除く。偶像礼拝=むさぼり これを取り除く。

②身を清める。儀式的なこともあろうが「誠実な生き方」が身を清める。

③着物を着替える。これは古い過去の罪人を脱ぎ捨て新しい人、キリストを着ること。

だれでもキリストにあるなら新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。(2コリント5:17)

人生の祭壇を築く生き方とは実にこの3つの誠実な生き方である。そのための十字架と復活である。


牧師 進藤 龍也
進藤龍也牧師の真面目な方のブログ http://blog.goo.ne.jp/churchljc
youtubeのページ http://www.youtube.com/user/churchljc
ザアカイ youtube http://www.youtube.com/user/zkaihouse2011?feature=mhee

2013年12月02日(月)
THEME:デボーションシェアリング
マタ
8:18 さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。
8:19 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」
8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
8:21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
8:22 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」
8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」


キリストの時代のその地方の人にとってガリラヤ湖の向こう側は満ちの世界であったようだ。(イスラエル牧師研修で教わった)琵琶湖のように大きな湖であった。湖の向こう側が未知の世界と知るなら、この会話もイキイキしてくる。

行ったことのない未知の世界を前にパリサイ人の弟子には「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と、決心を求めます。
もうひとりには、「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」と、何よりもまず主に仕えることを教えられた。きっと、12弟子だったら父が良くなるように祈って下さいと信仰を示しただろう。百人隊長の信仰のすごさがわかる。

この会話で見えてくることは「決断」の大切さ。
そして、何事にも優先してキリストに従うことの大切さ。
現代の適応としては礼拝である。いろんな理由があるだろう。でも何事にも優先して礼拝を大切に私はしてきた。その豊かさにあふれていると証しよう!

8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
12弟子は躊躇なし!なんのためらいもなく船に乗り込む。私もそのような弟子になりたい。
彼らはじきじきに人間をとる漁師にしてやろうとスカウトされ商売道具も父親も置いて従ってきたのだ。それも見栄えの無い無学な普通の人。そのような見栄えのしない無学で普通の人をキリストは好まれるのだ。

キリストと船に乗り込んでから嵐にあう。これはもう信仰生活を映し出している。信仰に入って信仰が試される。その試練の中で「主により頼む」ことを学ばされる。そうすると主のお言葉、み言葉で嵐が止む。自分の心の嵐までもが止むのだ。そんな経験の中で信仰がはぐくんできた。そのことも私は証しよう。

試練があるのは主に愛されている証拠だ。
試練があるのは神の子供としての証拠だ。
今日も天地の造り主により頼もう!


-------------------

今週の祝大:マタイ2:16「預言的賢者の贈り物」

2013年12月19日(木)
THEME:デボーションシェアリング
そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして宝物をあけ、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。

クリスマスおめでとうございます。今夜はザアカイの家 礼拝のクリスマスです。日曜礼拝とは違うメッセージを毎回しますので両日来られる方はご安心を。ささやかなプレゼントも両日、用意してありますので!

畠田秀生牧師の説によりますと星占いの博士はイランイラク地方よりももっと遠い国だと言うのです。それは2年もかかったのだから!と。
9節の「ついに幼子」嬰児ではなく幼子、11節「その家に入って」家畜小屋ではなく家。16節「2歳以下の男の子を一人残らず殺させた」以上の記事から博士たちは2年後に来たのではないかと。

いつ救い主をみつけたのかが問題なのではない。
博士がどこの国の人なのかが問題なのではない。
創造主なる三位一体の神の子なる神が神の位を捨てて人として、人の罪を取り除く救い主として誕生したことがすごいことなのだ。このことを知っている信仰こそが世に打ち勝った勝利なのだとヨハネの手紙に明らかにされている。

この博士は異邦人、つまり救われない異邦人。ユダヤ人にとって交際もしない異邦人。汚れた種族の異邦人。この異邦人に救い主の誕生がまず知らされたことが救い主イエス・キリストの新しい時代の幕開けだった。星占いという、とんでもない人たちに救い主の誕生が知らされたのだ!

私も異教徒の中で説教や証をする。全ては聖なる下心、救いのためだ。
この2年もかけてやって来た博士の信仰を神はよしとされた。
新幹線も車もない時代、野武士や盗賊に襲われる危険な旅路であったろう。
当時の最高級品である3つの贈り物は預言的な贈り物である。
1、黄金 これは王の王!
2、乳香 これは祭司としての象徴
3、没薬 これは埋葬のときに使うもの

救い主は世の罪を負って死ぬことを預言しているのである。
そしてその通りになるが、死を打ち破って3日目によみがえって今日も生きておられる。

賢者の贈り物と言う名作がある。貧乏な夫婦の物語。夫は妻のクリスマスプレゼントを家宝である懐中時計を売って妻の自慢の髪に似合う髪飾りをかう。妻は夫のために自慢の髪を売って懐中時計に似合う鎖をかった。かけがえのない自慢のものを売ってまで愛する人へのプレゼントをする夫婦の物語。この物語にクリスマスがあります。

神は実にその一人子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。

そして博士は2年という犠牲を払ってまで最高級品の預言的贈り物をしました。
私たちも犠牲を払って贈り物をしたいものです。私はクリスチャンになったとき献金する金にさえ困っていました。だから人生を犠牲にしてキリストのために生きます!と誓って祝福された今日があります。どうかみなさん、救い主を信じて永遠の命をもらってください。


牧師 進藤 龍也

[罪人の友]ザアカイの家 http://www.zkaihouse.jp/
[罪人の友]主イエス・キリスト教会 http://tsumibito-no-tomo.church.jp/
進藤龍也牧師のヤクザな日記(ブログ)http://ameblo.jp/1st-geocities-churchl/
進藤龍也牧師の真面目な方のブログ http://blog.goo.ne.jp/churchljc
youtubeのページ http://www.youtube.com/user/churchljc
ザアカイ youtube http://www.youtube.com/user/zkaihouse2011?feature=mhee


本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事