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書庫ブログデボーションシェアリング

進藤牧師先生からの御好意で転載させて頂いている記事です。

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2013年10月31日(木)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】
使
28:1 こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。
28:2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
28:3 パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。
28:4 島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。
28:5 しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。


嵐のゆえに難破して命からがらマルタ島に避難したところから28章は始まる。
その始まりは「こうして救われてから」である。
私たちの信仰人生をものがたるものだ。
私たちは救われてからも蛇にまとわりつかれる。なぜならその信仰のゆえに神のみの御許にゆくからだ。だからその信仰を奪おうとサタンはまとわりつく。

しかし安心せよ。パウロがその蛇を火の中へ振り落としたように私たちも主イエスの名によって落とせる。そして何も害は無い。

私たちが悔い改めの祈りをするときにサタンは振り落とされる。
私たちが主イエスの名によって祈るときにサタンは振り落とされる。

火の中へ落とされたことは黙示録におけるサタンが,ゲヘナ(地獄)に落とされる象徴だ。
この蛇にまとわりつかれたあと、害を受けなかっただけではない。
人々の病を癒し、続くたびの必要まで与えられた。

救われてサタンにまとわりつかれても安心せよ。
主イエスの名によって振り落とせるし、害も受けないし、祝福を得るのだから。

【新改訳改訂第3版】
マル
16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」



はれるや デフ スポーツ伝道団 福島教会
作務衣での説教のリクエストにお答えしました。
この作務衣580円

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2013年11月05日(火)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】
ルカ
24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
24:19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。
24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。

長い聖句になってしまいましたがこのエマオ途上といわれる箇所から黙想をシェアしてみたいと思います。この一連の物語から学べること

①十字架と復活のことを論じ合っているときに主イエスは来られた。私たちが神様のことや主イエスのことを話しているときにはすぐ横に主は居てくださる。祈りやデボーションのときに。

②固定観念が邪魔をする。
生前あれだけ口をすっぱくして十字架と復活を語っていたのにもかかわらず主を認めることができなかった。聖霊を与えられる前といったらそうなのだが聖霊を拒むものは「かたくなな心」死んだ人がよみがえるはずがないという固定観念。しかし神に不可能なことはない。だれが考えよう、神のひとり子を十字架と共にサタンを滅ぼすことなど。神の子を、神の身分から人の子として送り出そうなどと。

③この二人の日常が二人を救う。つまり、しいて旅人であった主をもてなした。その故にパン裂き礼拝のときに主を認めることができました。これは日常的に親切にしているからでしょう。

④パン裂き、礼拝を通して霊の目が開かれた。この礼拝において主と出会う、主に触れられる、主により近づける、救われたのは礼拝を地上でささげるため!礼拝を聖別するとは本来の自分を取り戻すことでもある。霊のリフレッシュはこの礼拝に勝るものはない。

⑤信仰は肉眼で見えなくて良い。主イエスとわかった瞬間に消えた。これは信仰は見えていないからこそ信仰ということ。信仰は天国に行ったら神様と一緒だから要らない。信仰はみえないからこそ信仰。信仰から離れているとは主イエスが霊の目で見えなくなってずれた生き方をそしているときに信仰から離れているといわれる。できない!と思えば不信仰。信じないことも不信仰。

今日も信仰の目で、礼拝であけてもらった霊の目で、信仰生活を送ろう。



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今週の祝大:ネヘミヤ8章「神と聖書を喜ぶ」

2013年11月13日(水)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】
ネヘ
8:13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。
8:14 こうして彼らは、【主】がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。
8:15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」
8:16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。
8:17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。

律法学者であった祭司エズラの発見!仮庵の祭り。どんなに喜んだことだろうか。私たちも聖書を毎年、通読するたびに新しい発見をする。それは喜びと励ましと慰め。

そして何よりエズラたちイスラエルの民は聖書の命令を実行したことに喜んだ。私たちも同じだ。牧師も人の救いの喜びの洗礼もあるが、その救われた人の成長や神の命令に従うことを見るときに喜びを感じる。私たちは日々生活や仕事に追われている。その中で聖別していくことのたいせつさ。喜びがある。日々、肉の欲との葛藤の中で神の戒めを選んでいく幸せは良いアディクション(中毒)だ。

この時代の人々は奴隷として連れて行かれたバビロンからの帰還である。モーセの時代と重ね合わせて仮庵の祭りを忍び、かつ喜んで祝ったろう。同じ苦しみと悲しみ、そして希望の奴隷解放。それはキリストの解放である。この予型なのである。

今苦しんでいる人は喜べ。
今悲しんである人はより喜べ。
今落ち込んでいる人は喜べ。
そのような苦しみは解放され、そのような苦しみは誰かの救いのためのものなのだ。

ルカ
22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」


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2013年11月19日(火)
THEME:デボーションシェアリング
新改訳改訂第3版】
Ⅱコリ
7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。



神の御心に添った悲しみとは自分の犯してしまった罪への悔いた砕かれた心(詩篇51編)
罪に対しての悲しみ、神への申し訳なさ。
その悲しみは後悔の要らない救いに至る悔い改めに導かれるという。(聖霊によって)
悔いて改めるならば神はかならずその人を赦し受け入れる。赦されるものは義とされる。

世の悲しみとは物を失った悲しみ。あるいは人間関係を失った悲しみ。要するに罪への問題が無い悲しみのこと。

ルカ
18:9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」


佐藤勝彦牧師によると中東では胸を打ちたたく行為は女性のしぐさでありえないはなしなのだとか。哀れんで下さいとはあがなって下さいと訳されるのだとか。最近の中東で男性が胸を打ちたたいて悲しみを表現したのを見たのはフセイン大統領の死んだときだったとか。そのくらいめったに無い胸を打ちたたく行為であった。それだけ心に深い悲しみがあってそれを神に注ぎだしていた収税人が神に受け入れられて罪赦されて義とされつみ清められて帰ったのだ。

私たちもだれとも比べずに己の罪対して素直に神の前に悔い改めよう。
主イエス・キリストの十字架はまさに、罪赦されて義とされつみ清められるものなのだから。素直になろう。今日も。復活があるのだから。皆様の健康、霊的リフレッシュを祈りながら。感謝をこめて!あーめん。


牧師 進藤 龍也

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今週の祝大:ゼカリヤ書7章「神への断食」

2013年10月01日(火)
THEME:デボーションシェアリング
新改訳改訂第3版 ゼカリヤ書
7:4 すると、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。
7:5 「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。
7:6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。


この70年間とはバビロン捕囚の70年。
律法と慣習によって断食をしてきたが、それは自分自身のためのものであったろう!と、主なる神は問われた。
飲食の時でさえ、自分のためではなかったか!?と、主なる神は問われた。
パウロはこの聖句を心のに刻んでいたと思う。
1コリント10:31
「食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ、神の栄光を現すためにしなさい」神は我々のために食物を備えたもうた。感謝して食べると同時に神の栄光をたたえようと思う。

イザヤ書58章には本当の断食はこれだとある。
イザ
58:6 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
58:7 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。
58:8 そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、【主】の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
58:9 そのとき、あなたが呼ぶと、【主】は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、
58:10 飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。
58:11 【主】は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。
58:13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、【主】の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
58:14 そのとき、あなたは【主】をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と【主】の御口が語られたからである。


断食はほかでもない他者のためでもあるが、同時に神様へのものであるとを再認識させられた。
要するに悔い改めの断食である。

ヨナ書に出てくるニネベという国の悔い改め。ユダヤの敵であるニネベの救いは悔い改めにあった。

主は誠に心を見る。
Ⅰサム
16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」



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2013年10月07日(月)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】詩
147:3 主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。
147:4 主は星の数を数え、そのすべてに名をつける。
147:5 われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。
147:6 【主】は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き降ろす。


神が神ご自身のために選び使いたいと思う人間は謙遜な人である。

作られた謙遜ではない。

世の中には実るほど頭をたれる稲穂かな、、、という人は多く存在する。ヤクザの親分にもそのような人物は多い。しかし抗争になれば「殺し」の命令を出す。心にあるものが出る。

本当の謙遜とはどのような人であろうか!?
それは砕かれた人である。苦労してきた人とも違う。砕かれた人とは失敗を克服した人。間違いを認め悔い改め、自分の罪を恥じた人である。

ヨハネの福音書12章に出てくるマリアは主イエスの葬りの準備をした人である。300万円の高級な香油の壷を割って主イエスに塗った女性である。その香油は花嫁道具でもあった。その宝を割ってささげたのだ。その行為は主イエスにすべてをささげる心、自分は罪人でした!とういう砕かれた心!!その心があふれていた。12:3にある香油の香りで部屋が一杯になったという聖句はマリアの心が砕かれて主イエスの香りで一杯になったということである。そういう人を神は望んでおられる。

天の星、海辺の砂、髪の毛が数えられないのに天の父はそのすべてをご存知である。星のすべてに名前をつけていえる天の父が私たちの人生のすべてを知っていてくださる。
その方ご自身が心の貧しいものを支えてくださる。

心の貧しいものと訳された言葉は要約すると神しか頼れないもの、あるいは神に双子ごろの無いもの、謙遜なもの、、、です。そのような人を支えてくださる約束です。

そして悪者を地面に引き降ろすことも神ご自身がしてくださる約束です。ですから私たちは罪赦されたものとして裁く権利はないのです。神により頼むということは神の裁きに信頼するということ。そして悪人の救いを祈ることである。神ご自身も悪人の悔い改めを望んでおられる。私も悪人の一人だったのだ。
砕かれたものは神に信頼することができる、そして待つことができ、赦すことができる。



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2013年10月17日(木)
THEME:デボーションシェアリング
エズラ
10:1 エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白しているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた。
10:2 そのとき、エラムの子孫のひとりエヒエルの子シェカヌヤが、エズラに答えて言った。「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。しかし、このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。
10:3 今、私たちは、私たちの神に契約を結び、主の勧告と、私たちの神の命令を恐れる人々の勧告に従って、これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行いましょう。
10:4 立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」
10:5 そこで、エズラは立ち上がり、祭司や、レビ人や、全イスラエルのつかさたちに、この提案を実行するように誓わせたので、彼らは誓った。
10:6 エズラは神の宮の前を去って、エルヤシブの子ヨハナンの部屋に行き、パンも食べず、水も飲まずにそこで夜を過ごした。捕囚から帰って来た人々の不信の罪を嘆き悲しんでいたからである。


エズラ記は70年の捕囚がエレミヤの預言どおりにおわって帰還して神殿建設をする物語である。そこには悔い改めと信仰リバイバルがある。悔い改めがあってからリバイバルである。悔い改めの大合唱。

異教の女との離婚に全員が従う。なんとも理不尽と思うなかれ。これは神の命令。そして当時の国際結婚はまさに異教徒の結婚であった。その異教の偶像との結婚、それに付属する風習つまり子供をささげたたり(モレク)姦淫したり(バアル)、、、その国際結婚で晩節を汚したソロモン王は国までも汚し堕落させてしまった。その故の捕囚であった。その故に神の律法に帰ろうというリバイバルが起こった。

離婚するものたちは試練だった。その中には祭司もいたとうから堕落のすさまじさ。すでにもう子供もいるという。辛かったろう。このとききっとアブラハムを思い出して奮起したと思う。信仰の父アブラハムはイサクをささげたことは有名な話だ。その試練によってすべての国民の父となった。しかし、思い返すと、その前にイシュマエルとういう奴隷の側室から生まれた子と、その母ハガルを追い出している。とってもとっても辛かったろう。

試練に合格してのご褒美はこの世のこと。
私たち信仰者は「選ばれたもの」だから、
それに耐えうる、成長のための「試練」が与えられる。
乗り越えられない試練は与えられないのだ。

このときの異邦人との離婚は悔い改めの応答である。
この離婚なくして570年後のイエスキリストの出現はないといっていい。
ユダヤ民族がその血統を守るということはダビデの子の救い主誕生のプロセスなのだ。

こんにちにおいて、私たち信仰者が手放さなければ成らないものは個人個人ある。
信仰の邪魔になるものは手放していこう。手放せばそれ以上の最高のものを握ることができる。


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今週の祝大:使徒9章「恩人アナニヤ」

2013年10月25日(金)
THEME:デボーションシェアリング
使徒9:15〜16
行きなさい。あのものはわたしの名を異邦人と王たちとイスラエルの子らに伝える選びの器です。わたしの名の故にどんなに苦しまなければならないのかをわたしは彼に示すつもりです。

アナニヤの記事はここでしかないが、パウロが選びの器のようにアナニヤもまた選びの器であった。アナニヤなしにパウロの回心はなかったのである。このアナニヤに学んでみたいと思う。

アナニヤは幻の中で語られた主の言葉に、あいつはあんなにひどいやつですよ!と、訴えて助けたくないことを表明するも、本文の主の言葉に従った。
アナニヤはパウロが怖かった。嫌だった。けれど従った。どうして!?
①赦された一人として。
②主の命令に従うことを選択したから。
③十字架の真理を知っていたから。

そしてきっとヨナのことを思い出していたんじゃないかな・・・
憎んでも憎みきれない敵国のニネベの 滅びを預言したけどニネベは悔い改めて救われ赦され、結局ヨナは救いのために働いて神様にふてくされる物語だ。

新しいキリストの十字架の完璧な生け贄は「自分に死んでこそ」生きる。
アナニヤは自分に死んでパウロに会いに行き助け、救う。
このアナニヤなくしてパウロはなかった。
事実、このときのパウロに会いにいける強者としてアナニヤは、その信仰の故に選ばれたのだ。
そして救われたパウロは神学的にキリスト論を立証していく。
たとえ、このパウロしか救いに導けなかったとしてもパウロによって救われた多くの人もまた、アナニヤのおかげである。

私も多くの人を救いたい。そして命の恩人にこのことで恩返しして いる。
どうしても伝えたいことは1つ、キリスト。
私がキリストを語らなければ、なんの値打ちもない。



牧師 進藤 龍也

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今週の祝大:ダニエル書9章「神との時を聖別しよう」

2013年09月23日(月)
THEME:デボーションシェアリング
【新改訳改訂第3版】ダニエル
9:20 私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、【主】の前に伏して願いをささげていたとき、
9:21 すなわち、私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき、
9:22 私に告げて言った。「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。

9章のダニエルの祈りの中で自分の罪と民族の罪を告白してることに注目したい。
今日も私たちは教会内の罪について神の家族の失敗について責めるのではなく、自分の罪として悔い改めて執り成しの祈りをしたいものだ。
パウロにしかり、モーセにしかり、主にしかり。

祈りが終わらないうちに神の言葉を運ぶガブリエルという天使が来る。
「祈る前からあなたの必要をご存知の神」
まことに祈りは聞かれている。このことにも注目したい。

夕方のささげもののときにガブリエルは現れた。
ユダヤ人たちはモーセの慣習に従って祈る時間を聖別していた。
この時間にエリヤの雨があり、
ペテロとヨハネの神殿での足萎えの癒しのきせきがった。
時間を聖別して祈ることはとっても重要。
礼拝、遅天祈祷会、自宅でのデボーション、賛美、黙想、、、、

特に礼拝は教会を通してのキリストの計画がある。
ペテロ!あなたの上に教会を建てる!と。
心身ともに神による霊的リフレッシュを聖別して行こう!!


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2013年09月14日(土)
THEME:デボーションシェアリング
ダニ
2:17 それから、ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。
2:18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。
2:19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。


王の見た奇怪な夢を知者の誰もが夢の解き明かしができなかったので、皆殺しの勅令が下る。
この王の知者とは、占いや異教徒 魔術師たちだがエルサレムからの知的奴隷のダニエルたち4人も含まれていた。  (ヨセフと同じパターン)

神が褒め称えられ、ダニエルたち4人の若者たちが助かる3つのポイントを見つけた。
2:13 この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々はダニエルとその同僚をも捜して殺そうとした。
2:14 そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すために出て来た王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって応待した。

「知恵と思慮を持って応対した」知恵は普段から創造主なる神の言葉を学び祈り黙想して得るしかない。思慮とは注意深く考えること分別とあった。誰に対してもやはり普段から知恵と思慮を持って隣人と接したいものである。

2:16 ダニエルは王のところに行き、王にその解き明かしをするため、しばらくの時を与えてくれるように願った。
2:17 それから、ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。
2:18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。

無二の親友を持つことはなんという幸いか。そしてその親友が同じ信仰に立っているならなおのこと幸いだ。その無二の親友と共に祈った。「共に祈ること」すべてはここから始まる。鉄の扉を開くのは祈り!

2:19 そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。
鉄の扉が開いて神からの啓示があったとき「神を褒め称えた」


提案
結婚してやっていないことがあった。師匠である中野雄一郎式 喜びの訓練。喜べ!は神からの命令である。何を喜ぶのかというと神との親密な関係、神の子としての身分である。そのことを喜びに変えると「復讐することは神のすること」となり、神様が正しい裁きをしてくださるという確信になり「赦し」もう生まれてくる。
「喜べ!もっと喜べ!今、最高によろこべ!」と鏡の前で自分を鼓舞する。

わが魂よ。主を褒め称えよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな.

人生において良い時も悪い時も主を褒め称えていこうではないか。それが信仰である。
いちいち不満をもらしても始まらない。そんな窮屈な思いの中にサタンは拍車をかける。
神様が自分にどれだ良くしてくださったかを思い出すのだ。

すべては十字架において自分の罪を負ってくださった。自分のために復活してくださった。
その後においても祝福し助けてもらったことを何一つ忘れることの無いようにしよう!!


牧師 進藤 龍也

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2013年09月09日(月)
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新改訳改訂第3版】
エレ
で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、【主】が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、必ず行います。
42:6 私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、【主】の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、【主】の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」
42:7 十日の後、【主】のことばがエレミヤにあった。



偶像礼拝と堕落した文化によって神の裁きが下り生き残った残りのものおもだった者はバビロンへ捕囚となりエルサレムに残されたのは貧民層だった。けれど、この貧民層は裁きの中で選ばれた残りの者(レムナント)であった。この貧民層はエレミヤにすばらしいことを求めた。

歩むべき道と、なすべきこと を神に聞いてくれと頼みました。

エレミヤに答えがあったのは10日後のこと。
その10日間、祈りの時間はすばらしい神との時間。
すぐに来る祈りの答えと、そうでないときとあるが、主を待ち望むことは珠玉の時間である。その時間こそがテストなのだ。、

貧民層に下された神の指示は「エルサレムにとどまれ」であった。
進藤龍也に下された神の指示は「刑務所伝道をやめるな、とどまれ」であった。
教会をやめる人はごまんといる。ある日本の大きな教会も45年の歴史の中で2000人以上の洗礼を授けて300人の教会であると証の本にあった。
旧約の時代から残りのものは非常に少ない。
教会のこの現代においても教会をやめる理由は何ぼでもあるが「とどまれ」である。
思考の中にサタンは入る。
自分の罪の告白と悔い改めが無いとサタンの足場となっていく。

「とどまれ」の祝福には10~12節に
建て、倒さず、植え、引き抜かない、の約束
恐れるな!怖がるな!の激励
救い出す、哀れみを施す、の祝福がある。

すばらしいことを神に求めた貧民層の人たちは「神の指示」に従わなかった。
それは自分たちのしたいこと!
自分たちの決めたことと違ったからだ。
だったら聞くなと思う。神は目に見えないから信仰なのに。
自分のいやなことでも神の言うことなら従います。これが信仰である。

信仰の完成者イエスから目を離さないでいなさい。
完成者イエス様は、一番嫌だったであろう十字架にかかったのだ。
だからこそ、復活したのだ!!



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今週の祝大黙示録3章「信仰の買い物は悔い改めで」

2013年09月01日(日)
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新改訳改訂第3版 黙
3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。


火で精錬された金を買いなさいというが、それって何!?
新改訳改訂第3版 Ⅰペテ
1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。


そうか、試練のことか。試練とは信仰が試されるときのものだから、それを軽んじては成らないってことか。その試練とはおもに人との関係だろうな。あるいは指導者との関係、職場での人間関係だろう。
新改訳改訂第3版 ヤコブ
1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。


裸を現さないために着る白い衣って何だろう!?
アダムとイブが神に従わず罪人となったときに神の栄光が失われて裸でいることが恥ずかしくなった。つまり、罪のことだ。この罪のために神様はアダムとイブに毛衣を作って着せてくださった。これが後に来るキリストの血潮、あるいは信仰という罪を覆うものなのだ。

新改訳改訂第3版 Ⅰペテ
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです


目に塗る薬ってなに!?
ヨハネの福音書9章に出てくる盲人のことではないか。
主イエスのつばきとどろんこという、何も価値の無いもので、逆に嫌われそうなもので盲人の目に塗って癒された目薬。この話は目薬を塗っただけでは癒されなかった。シロアムの池に行って目をあらわなければ癒されなかった。シロアムとは遣わされたものという意味であるから、神によって遣わされたキリストの下に行って目を洗うことで癒されるということなのだ。つまり、信仰ってこと。

新改訳改訂第3版 ヨハ
9:6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
9:7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った


さて、買うってどういうことだろう。
新改訳改訂第3版 マタ
13:45 また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
13:46 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。


すべてをかけるということ。なくてはならないもの。
この3つの信仰を買うには、。悔い改めというものでしか買えない。
だから、熱心になって、悔い改めなさい

なのだ!!
今日も悔い改めて信仰を買うことができますように。


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2013年08月29日(木)
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【新改訳改訂第3版】
Ⅰヨハ
1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。


罪を犯したものが謝罪に来たのなら赦さなければ成らない。
神の前に悔い改めたといっているのなら、尚赦さなければ成らない。
赦しは命令である。掟である。
自分も罪ゆるされた一人なのだ。

神を知らない人物の謝罪にはことさら感謝し赦さなければならない。
そのように導いたのはほかでもない神なのだ。

赦すほうは二度と思い出してはならない。
と、いっても思い出してしまう。そんなときは神に癒されるように祈ろう。神に従ったものへの報いは大きいのだから。だから二度と口に出さないように!しよう。

赦してもらうほうは、赦してもらったなりの生き方をして行くだけ。悔いて、改めることが大切なのだ。

私は過去の失敗を聖書の文字通り信じて告白して、こてんぱんにたたかれた。それは自分の罪の故であってそのことを責めるつもりは無い。唯、私は失敗や悔い改めたものへ責めるものにはなりたくない。

赦しの戦いをするもに祝福と勝利あれ!!

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2013年08月21日(水)
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1ヨハネ2:9
光の中にいるといいながら、兄弟を憎んでいるものは、今もなお、闇の中にいるのです。


私たちは世知辛い世の中を生きる中で、どうしても隣人を憎んでしまいます。自分が弱っている時、つらいときは過分に逆恨みしてしまうのではないでしょうか。

人の振り見て我が振り直す・・・しかありません。
自分の中にキリスト信仰がありながら、人を憎む時、そこには、心の中は闇が作られていることを知りました。そこにはキリストは住まわれない。しかし、聖霊様が教えてくれる。その憎む思いを十字架につけよ!と。

できませんと宣言するのはやめよう。できないことを証している。
人にはできないことでも神にはできるのです。


牧師 進藤 龍也

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今週の祝大:ヨハネ16章「聖霊様とともに」

2013年08月14日(水)
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ヨハネ16:12
わたしには、あなた方に話すことはまだ、たくさんありますが、今あなた方は、それに耐えることができません。


耐えあられない、信じられいのは聖霊様の力がないから。聖霊様がともにおられないから。これからのちに信じる者すべてに与えられるキリストの霊、聖霊様によって可能となる。

罪について、義について、さばきについて、、、8節

私たちは聖霊様の力がなければ耐えられない。信じることもできない。
信仰の現在進行形のわれわれクリスチャンは日夜、聖霊様にたより自分点検していかなければならない。他人は変えられない。しかし自分は間違いなく変えられる。そして変わった自分こそが他者を変えることができる影響力ある材料であり証なのだ。

洗礼式の所信表明で同級生の彼が言った「愛のど真ん中にとどまりたい」これは名言である。教会に来てまだ2週間弱。頼もしいものだ。録画失敗したがしっかり悔い改めた。

聖霊様の喜ぶことをしよう。たがいに愛し合うこと、通読、祈り、悪から離れること、慈善、人助け、、、奉仕、献金。
逆を言えば聖霊様の喜びが私の喜びである。


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2013年08月10日(土)
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ヨハネ12:41
イザヤがこういったのはイザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。

本日の通読個所です。
イザヤという預言者は十字架から約700年前の人である。
イザヤ書53章において克明に十字架のことが書いてある。
十字架の打ち傷によって私たちは癒された(第一ペテロ2:24)

まてよ!イエスさまが12弟子とともに伝道生涯を送られた公生涯での奇跡、癒しはまだ十字架についていないぞ!栄光は受けていないぞ!

これが、はじめでありおわりである、ありてあるものの神、全能の神なのだ。
700年前にイザヤのみた十字架の栄光!霊の世界では完了した。
そして現実に主イエスが生まれて奇跡をなし、癒しをなした。
十字架のあがないは完了しているのだ。

現代の我々も同じく、過去に起こった十字架の栄光、あがないを信じて祈る時、奇跡や癒しが起こる。
祈ったことは天国では完了したと信じる。
地上で成就するまでの時差が「信仰を使う」時間なのだ。

願って叶えられないのは動機が悪いからだとヤコブ書で教えられている。
自分点検が毎日必要だ。
主に感謝しよう。主イエスさまの十字架の栄光。復活のいのちを!

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2013年07月29日(月)
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あなたがたが神の御心を行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
へぶる10:36


約束のものとは永遠の命。
ここで二つのことがわかる。
1、神の御心を行う
2、神の御心を行うには忍耐が必要

34節「自分の財産を奪われても喜び忍びました」
35節「確信を投げ捨ててはいけません」
とある。
当時の迫害の様子が書かれてある。
「聖霊によらなければキリストを主と告白できない」という聖句は聖霊論で語られるが、当時この信仰の告白は命がけでなされ、その告白は密告者がいれば死をもたらした。2000年前の中東がピンとこなければ江戸時代の日本の歴史を振り返ってほしい。
今の世がどれだけ幸せか。今の日本がいかにぬるいか。我々には熱すぎる聖句じゃないか。

この時代においてもキリスト信仰を持つだけで死刑や迫害を受ける国は多く存在する。共産圏、イスラム圏。そこに住むクリスチャンは2000年前のクリスチャンと同じような思いでヘブル書やペテロの手紙を読んでいるに違いない。
共産圏で中国の地下教会は1億人を超す大リバイバルが水面下で広がっている。
エジプトのコプト教(キリスト教)を取材に行った人から聞いた話だがキリスト教が迫害されている国においては「クリスチャン」というだけでクリスチャンが大喜びをして、俺も実はクリスチャンだ!といって歓迎してくれるそうだ。正教もカトリックもプロテスタントも福音派もカリスマもない。主にあってひとつになれたようだ。重箱の隅をつつくようなクリスチャン同士の争いはやめにしよう!!

話がそれてしまったが、私たちにとって命よりも大切なのは、この信仰です。信仰は命そのものだからです。信仰は永遠の命だからです。その確信の故に殉教があり、その殉教の尊い証の故に神の国が建設されて今日まで受け継がれている。
まことの命を損じないように!それが信仰であり、信仰とは忍耐なのです。

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今週の祝大:マルコ16章「日本宣教」

2013年07月22日(月)
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【新改訳改訂第3版】
マル
16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

韓国巡回では日本宣教のための団体2つでメッセージさせてもらいました。それぞれ違うメッセージでしたが、まとめてみるとこうなります。

異文化、言葉が通じないところへの伝道を宣教といいます。日本は韓国に対して大変残念な悲しい歴史を持っています。そのような中でも日本宣教を志している皆さんに心から感謝しています。だからこそ、あえてキリスト者として言うのです。もっと自分に死んでください。自分に生きるときに宣教は失敗します。臭いという字は自分が大きいと書くのです。

日々己を捨て自分の十字架を負っている人がキリストについていくことができるのです。

全国の教会を巡回している牧師として今の日本を伝えます。
どうか、大きな都市ではなく、地方の建物ばかりが大きい信徒の数が少ない教会に短期宣教チームを送って下さい。来年もまた来ますといってくれるだけで、田舎の信徒は励みになります。生まれる数より死亡の数が多い地方に行ってください。そういうところは、やっと大きく成長した子供も東京や大阪の学校や企業に行ってしまいます。そいういう地方でがんばっている牧師を助けてあげて下さい。

被災地に行くのであればノンクリスチャンの民宿などに泊まってあげて下さい。そして語り部の話を聞いてあげて下さい。一緒に涙を流して福音を伝えてあげて下さい。どこの被災地もキリスト教団体が一番継続してがんばっています。民宿だったら紹介します。支援団体も紹介します。

私たちの教会は「宣教」です。同じ日本人なのに宣教です。
なぜなら常識の通用しない刑務所にいる人、刑務所を出た人に伝道しているからです。
ヤクザはヤクザの掟だけに縛られて生きているので法律の外で生きているのです。一般常識は通用しません。このような人たちはキリストの愛でしか変われないのです。救われないのです。私たちは非常に苦しめられました。悲しみました。裏切られました。しかし主によって強くされ、救われる人たちがやまず成長しています。

日々己を捨て自分の十字架を負っているからです。だから私は主と共に開拓した罪友教会が命です。そこに集う信徒は宝です。
日本に宣教に来てもし、飢えたら私のところに来て下さい。世界宣教命令に従う人を助けたいと思います。
16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
アーメン。

牧師 進藤 龍也

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