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書庫聖書論 原罪と堕落

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第1章 原罪と堕落について
5.人の肉体にある原罪の徴 
副題サタンと人との姦淫の罪と人と人同士の姦淫の罪とは違う

父さまは、どんなに人が罪にまみれて、穢れても、見捨てる事はなさらない。
霊として産まれた時は無垢なる命、神様の子であるのに、人の肉体に原罪の徴があるばかりに、無垢なる命は、、肉体に宿った途端に肉体の原罪の徴により罪に穢れ、先祖の罪まで背負い、霊は穢されて生まれながら罪人となる。

父さまは、、とても悲しまれておいでです。
御自分の子として創造した人の子が、肉体に原罪の徴がある故に霊まで穢されて生まれながら罪の子ともなってしまう事を、。

創世記
3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

美味しそうだから知恵の木の実を食べたという表現から、自分の欲を満たすと言う意味では木の実を食べた事も快楽の一つと言えます。
腰を覆う事自体は罪ではないです。でも、罪を犯した部分を隠そうとした心は罪なのです。本当に裸であること自体が厭なら、胸も手足も体中隠すべきで、腰だけ隠すのも不自然です。

また、ユダヤの隠語で、腰は下半身を指す言葉ですから腰全体を隠したのではなく、エプロンのようなもので下半身だけを隠したという事なのでしょう。
3:7 Hebrew Bible
7 ותפקחנה עיני שניהם וידעו כי עירמם הם ויתפרו עלה תאנה ויעשו להם חגרת׃

そして、(オープンされた) かれらの 目は 両方と 彼らが イチジクの 葉を 縫って 自分 エプロン 作った その 裸を 知っていた。

サタンは元天使で霊的存在なので肉体は無かったでしょう。
もし肉体があっても、肉体のようなものを纏っていただけで、本当の肉体では無かったでしょう。

でも、、本来なら、最初の夫婦、アダムとエバとで神様の祝福のもと正式に結婚し、お互いを初めて知るべきでした。
正式な結婚前にサタンと霊的にだったにしろ肉体的だったにしろ交わった事は二人は婚約中と同じだったのですから、互いに姦淫の罪を犯した事になります。

そして知恵の木の実に食べても触ってもいけないと命じられた神様の御言葉に背いていますから、背きの罪も同時に犯していた事になります。
人の肉体にある原罪の徴は、人とサタンとで犯した霊的な姦淫の罪から来ている、。
サタンと人との姦淫の罪と人と人同士の姦淫の罪、、
この二つの姦淫の罪は似ていても天使長だった者と人が直に霊を重ねて繋がった霊的堕落、人の内なる神様の御霊、聖霊を穢すサタンの言葉を信じる事、。

つまりサタンとの契約、霊的姦淫と、人と人との肉体での快楽を求めて犯す肉欲的な姦淫の罪とは全くの別物であるという事です。

神様の命じられた取って食べるなとは、サタンとの関係をどんな形にせよ持つなということであり、、サタンと何らかの形で繋がり神様以上の存在として人が被造物であるサタンの言葉に従うという関係を持ったなら、、神様に背く大罪、原罪となる、、と原罪は、サタンと繋がる事に限定されていた事柄です。

サタンと人との姦淫の罪と人と人同士の姦淫の罪。
この二つの事を、類似しているからとして、同じ罪、原罪とみなすと、人から原罪を消すことは不可能という事になります。
サタンと人との姦淫の罪、原罪は、神様からルシフェルに触れるな、関わるなと直に禁止された事に人が自らの意思で背いた大罪です。

イザヤ書 57章 3節
お前たち、女まじない師の子ら(背信した者の子らという意味)よ/姦淫する男と淫行の女との子孫よ/ここに近づくがよい。

イザヤ書 / 57章 4節
お前たちは(今度は)誰を快楽の相手とするのか。誰に向かって大口を開き、舌を出すのか。お前たちは背きの罪が産んだ子ら/偽りの子孫ではないか

背きの罪が産んだ子らとは姦淫する男と淫行の女との子孫のことです、。背きの罪とは、アダムとエバの犯したサタンを自分の従うべき者、神として選んだ事。
つまりは偶像礼拝の事です。アダムとエバの犯した偶像礼拝が人の原罪です。

ここには大本の背きの罪、原罪が姦淫する男と淫行の女とによるものであると明確に書かれています。
サタンと人が霊的か肉的か、いずれかの方法で姦淫を犯し、快楽の相手として、それぞれがサタンを選び、それぞれがサタンと夫婦になった、つまり、夫婦はひとつと見なされるので、、正式な配偶者でなくても最初の人が夫婦二人ともサタンとも繋がってしまったと理解出来ます。

マグダラのマリア





4.人は人と結びつかなければならない

神の子ら、、霊的な存在である天使でも、肉体のようなものをまとって地上に降りて来ていた者たちがいたと書かれています。妻にしたとの言葉から、そのように読みとれます。

人の娘を妻とするには、、また子を作るには肉体のようなものが必要不可欠です。
人は基本的に単性では生殖行為は不可能だからです。


創世記
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
6:4 当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。

ここの聖句箇所と、ユダ書は繋がっています。

ユダ 
1:6 一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。
1:7 ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。

天使と、人との交わりは、
不自然な肉の欲の満足を求めることであり、神様の御眼には悪であるという事です。
自分の(守るべき)領分を守らないで、その住まい(天)を見捨ててしまった天使たちとは、天から立ち去った天使たちのことです、。

彼らがしたことは、、あの墜ちた天使長が犯した悪しき事、原罪の元になった事の模倣です。それで、彼らは天から追われて地に落されています。

神様は、、、
人が1人でいるのは善くない、、と仰って男と女、、人と人が一対となるべき存在として創造されていました、。

もし、天使と人が娶りあって良いというなら、なぜ、、最初の男性アダムに女でも男でもある天使を妻として与えなかったのか、、。
わざわざ、最初の女性エバを創造なさったのか、、。


天使には、神様の命の息は吹き入れられなかった。
従って天使は神様の子ではなく被造物の一つに過ぎない。

被造物と神様の子である人とが結びつくことは、、、
神様の御心にはそぐわない、。

もし、仮に、人の子の男性が、人型の被造物、天使の中から妻として娶るならば、妻を治める主体者は夫たる人であるので、問題点は少ない。

けれど、夫たる人が、被造物を治めるのではなく、被造物である妻に聞き従い神様の御心に背くならば、被造物に主権を渡した状態であり、主体者であるべき夫は被造物である天使に従属する者となってしまう。


また逆に人の子の女性が、人型の被造物、天使の中から夫を選び婚姻を結ぶ場合、妻を治めるべき主体者は夫たる被造物の天使となるので女性の場合は、神様の子である人(女性)が被造物に従属する者となってしまう。


このように人が被造物に従属するという繋がりは、最初の女性エバがサタンを自分の従うべき相手、神として選び、天使礼拝をしたのと同じ、、堕落と同じで偶像礼拝をしているのと同じ状態となる、。

神様の御霊を命、魂として宿した人が、、被造物に従属するという繋がりは、神様の子である人が、、被造物以下となる事を意味する。

それは、ひいては神様が、被造物以下となる事を意味する、。
なので、、自分の子として創造した人の子が被造物を治めるのではなく、被造物に支配権を与える事は父さまの御心にそぐわない、。

人は人と支え合って助け合って生きないといけない、。
天使やサタンを自分の従属する相手、、神の子である自分の主人にしてしまってはいけない。

人は、人以外の。あらゆる被造物に、自分の支配権を与えてはいけない、。

マグダラのマリア


追記
天使が娶る事の関連聖句

マルコ 
12:25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、(天に居る)天使のようになるのだ。

ルカ  20:35
20:35 次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。
20:36 この人たちは、もはや死ぬことがない。(天に居る)天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。



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3.原罪とは

原罪とは単に木の実を食べた、食ベない程度の罪では無かったのです。
堕落したアダムとエバの犯した原罪とは墜天使ルシフェルと霊を交わした事柄による罪の発生根源。

人は三層構造で、魂と霊と、肉体とがあります。
人の霊が、霊なる存在、墜天使ルシフェルに触れ、交わったことで、人の持っていた聖なる霊は穢れて死んだように、眠ったままとなりました。

天使だった者が人に語りかけた時、、既に、悲しみと、憎しみと怒りでその霊の命は変容し、清らかな姿形とは裏腹に心は、、憎しみと怒りしかなく、闇に降って穢れていました、。

食べても、触れてもいけない、と言われていた元天使だった者、、その霊的な存在にアダムとエバは霊で交わり霊的に触れて繋がって、、その神様の戒めを破った罪故に人に与えられていた無垢な命、聖霊がまず、霊的に穢れた故に死んでしまって眠った状態となりました。

人の持つ生殖機能によって、霊的罪の因子、霊的原罪がアダムとエバの子孫にまで、罪故に死んでしまった聖霊の命と共に受け継がれていきました。
創世記
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」

簡単に言えば、霊の命が死んでいる状態を霊的原罪を持っているということです。肉体に原罪の徴がある限り、この肉体に入る新しい命でも、生まれながら原罪を負い、原罪故に本人が何の罪を犯さなくても生まれながらの罪人なのです。
原罪のせいで、、育つに従って原罪の影響を受け罪を知らずしらず、又意図して犯すようになってしまいます。


アダムとエバは、堕落し罪を犯したために霊が穢れ死んでしまい罪ある者となりました。
当初は霊的原罪のみで、アダムとエバの肉体には肉的原罪の徴は無かった。でも、、アダムとエバから生まれてきた子は霊的原罪の穢れを二人の親からそれぞれ受けて、肉体までも穢れ、肉体にまで肉的原罪の徴を宿していきました、、。

原罪は、親の罪をも継承してしまいます。

出エジプト
34:7 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」

アダムとエバの犯した罪が、偶像(天使)礼拝であると同時に霊的姦淫であったために、二人とサタンとで作り出した原罪は肉体の生殖機能を通じて遺伝する性質を持ってしまっていました。

こうして、人は、アダムとエバの子供の世代から霊肉共に、原罪の徴を持つ者となりました。原罪とは、、霊の穢れが無原罪であるべき霊も肉体をも汚すほどに、とても大きな背信の罪だったのです。


神様御自身の子として創造された人と、天使ルシフェルの二者の堕落。
父なる神様はこれが原因で、とても悲しまれました。

全能全能の神様が、、エデンの園の中に隠れたアダムとエバが見つけられずに「どこにいるのか。」と御声をかけなければならないほどに、、神様は、、嘆いておいででした。
丁度、、母親が、目の前で我が子たちを失ってしまった時の如くに、、悲しみでいっぱいでした。

神様は、、この時、全ての被造物を、霊的に失ったような状態だったのです、。人に全ての被造物を治めさせる為に、、人に全てを与えられたのですから、。

その治める長となるべき人が、、神様から離れたのですから
神様が、、愛を注がんとして愛情を込めて創造されてきた全ての被造物、、それを霊的に言うと、一気に失ったような状態だったのです。
全てを失ったのですから、悲しいのは当然なのです。

原罪は、、この世にあってはならないもの、、。
神様の被造物ではないもの。
だから、、神様は、この原罪を、人の身体と霊から、取り去って元の無垢な姿へと、人を戻したいと、、切に望まれておいでです。


留意点として、
取って食べるなは、サタンとの関係を持つなということで、サタンと繋がり神様以上の存在として従うという関係を持ったら、、神様に背く罪、原罪となる、、と原罪は、サタンと繋がることと限定されていたことになります、。

イエス様を受け入れ、救い主として求め信じて、聖霊により罪が無いとされた人は

申命記
24:16 父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。

神様の掟を守り清くあるなら、
親の罪ゆえ子が罪に問われることはないと書かれています。

ですから、、当時は神様の与えられた掟を守ることが清さの条件でしたが、今で言うと、イエス様を受け入れて聖霊により新生し罪が無いと見なされた人の罪は、その人自身にだけ作用し、子孫には遺伝しないと言う事です。

たとえば、例えは悪いですが、イエス様を受け入れて新生し罪が無いと見なされた女性が堕落して不倫したとしても、その罪は姦淫の罪でしか無く、原罪とはならないのです。

この二つの姦淫の罪は似ていても天使長だった者と直に繋がった霊的姦淫と、人が犯す姦淫の罪とは別物であるということです。

この二つの事を、類似しているからとして、同じ罪、原罪とみなすと、人から原罪を消すことは不可能ということになります。

マグダラのマリア

加筆
創世記  3:15の他の原罪が何であったかを示す聖句。

イザヤ書 57章 3節
お前たち、女まじない師の子ら
(背信した者の子らという意味)よ/姦淫する男と淫行の女との子孫よ/ここに近づくがよい。

イザヤ書 / 57章 4節

お前たちは(今度は)誰を
快楽の相手とするのか。誰に向かって大口を開き、舌を出すのか。お前たちは背きの罪が産んだ子ら/偽りの子孫ではないか

シラ書(旧約続編)
23:22 夫を顧みず、よその男によって/世継ぎをもうける女も、同様である。
23:23 第一に、こういう女はいと高き方の律法に背き、/第二に、夫を裏切り、/第三に、みだらにも姦淫を行い、/よその男によって子をもうけたからである。

シラ書(旧約続編)に書かれている言葉はエバとルシフェル(サタン)と行った霊的姦淫の状態に酷似している。
みだらな女、姦淫の女とは、エバのような事をした者のことであり、それは、聖書中では、偶像礼拝を意味していることから、サタンを拝する偶像礼拝、サタンとの霊的姦淫が、人の原罪であると言える。

2.堕落への誘い

堕天使ルシフェルは、、
神様がお造りになる無原罪である無垢な人が、ルシフェルに簡単に騙されて罪を犯し、神様に背いて清いものでなくなったならば、善なる神様は穢れた人を愛さなくなるだろう。
簡単に騙されたりしない知恵のある天使の方が人より優れたものだと神様が思い直して、、
天使たちを、もう一度、一番に愛そうと思い直して貰えるかもしれない。と考えました。

神様は、そんなルシフェルの悪意ある考えを御存じであったので、アダムとエバに、知恵の木(知恵の天使)の知恵(言葉)は(信じて)食べてはいけない、(知恵の天使に)触れてもいけない、死んでしまうから。と教えていました。

知恵の天使ルシフェルは、
ずっと抱いていた。そんな思いを思っているだけではなく実行に移しました。
天使は霊的存在であるので見た目、男でも女でもなれる中性的な存在です。
輝く美しい純白の翼を持ったままの天使の姿で、、
エバを、、それからアダムをも誘惑したのです。
私に触れても死なないから、、触れて御覧と、、、。

この世のどんな者より美しく、神々しく、耀いた姿で、。
私の言葉の方を信じなさい、、。私に触れても決して死ぬことはない。私が与える知恵の言葉を食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。私を信じるなら神のごとき、この私のようになれる、。と。

こうして、、
アダムもエバも、神様が死ぬから、と仰った事よりも、サタンとなった天使の言葉の方を信じて、知恵の木と聖書で表記された堕天使ルシフェルと偶像礼拝(霊的姦淫、天使礼拝)の罪を犯しました、、、。

ルシフェルは、その天使礼拝の代償として人の自我という目を開き、目覚めさせ神様に反し背く行為にも使えてしまう、不完全な善悪の知恵を人に与えました。

この善悪の知恵とは、神様の御眼に悪しきことでも、こういう理由があるから正しいと神様に言い張るため、言い逃れをするために使われるような知恵や知識のことです。

例をあげると
創世記4:9 で、、神様が、、カインに弟アベルはどこにいるのか?と問われた時、この悪しき知恵が働かない場合なら、、
神様に問われた時、即時、神様を畏れ敬って、謝罪し、自分がアベルをあやめてしまったことを正直に告白出来たはずです。

でも、カインは、、、「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」と、自分は知らない。と嘘をついて神様を騙そうとしたのです。知らないと言えば、どうせ分からないだろうと、、。

アベルをあやめた自分を認めたくなくて、誤魔化すための嘘です。

まだ、、ここで、、過ちを認めて、悔い改めていたら、、、、父さまの御前から去らないといけなくなるまでいかなかったでしょうに、、神様に知らないと嘘をついたから、、神様の御顔を避けて見えない処へいかないといけなくなったのですから、。
自分の語った言葉の責任は、、自分自身で責任を取らなければなりません。


こうして人に次々と悪しき知恵を与え、罪を犯させ、善なる天使だったものが、、人を罪あり、と讒訴する者、、悪魔サタンになったのです。
善なる天使が
【神様に愛されていないと思い込んで、人を騙したこと】
いわゆる、善なる天使の妬みが、
善なる天使と最初の人の堕落の原因です。

知恵の書(旧約続編)
2:24 悪魔のねたみによって死がこの世に入り、/悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。

と、悪魔の妬みによって、、と明確に聖書に書かれています。
サタンとなった天使は、、本当は、人の子のアダムとエバではなく、自分の主人、御子なる神様であるイエス様を見ていなければいけなかった、。

なまじ知恵があったが為に、、人にだけ神様の命の息が吹き入れられたことの意味を気づいてしまった、、。意味を知らなければ、、解らなければ、神様から、離反することもなかったでしょうに、、。しかし、彼は自ら離反しました、。だから、、自らの意思で立ち戻らなければなりません。

マグダラのマリア


第1章 原罪と堕落について

1.プロローグ 天使長ルシフェル

人の堕落はなぜ起こったか。
元天使長であったルシフェルは智天使でした。
神様の叡智を備えていた天使です。

ルシフェルは人が産み出される前は、神様に最も近しい御座の元にいて、神様に信頼され愛されていた最初に創られた霊的な被造物、天の御使い達の長。
輝く暁の子と呼ばれるほどに美しかった大天使。

ルシフェルは霊的な被造物、天使たちの長として、神様の御心のままに、人としての受肉以前のイエス様、御子なる神様と共に天地創造にも携わった光の大天使。

ある時、天使ルシフェルは人が創造される以前に、人を自分達と同じ単なる被造物(肉なる命の霊を宿す者)として創造なさるおつもリではなく、神様の御霊(神様御自身の命の息、生ける命である聖霊)を魂として与え 神様の子(息の子ですから、息子)として 創造するおつもりである事を知りました。

天使長ルシフェルは
天使は神様の御霊を宿していない為、単なる被造物であり、創造主なる神様に仕える者でしかない。
そうなると神様の御霊を宿す人の子にも、自分たちは仕えなければならない。

天使は神様の御霊を宿していない以上、いくら力があっても、どんなに神様を愛しても、、、、
所詮は、、神様の御霊を宿す人の次に愛される存在でしかないのだと思い込みます。

創世記
2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

エズラ記 ラテン語訳(旧約続編)
3:5 塵はまだ命のない体、アダムを生じました。しかしそれは、あなたの御手によって造られたものであり、あなたはそれに命の息を吹き込まれ、体はあなたの御前に命あるものとなりました。

天使の主人は神様です。
そして人が神様の霊(聖霊)を宿したものとして創造されるならば、天使にとっては、神様の御霊を宿した人は神様の子であり天使の主人なのです。

天使ルシフェルにとっては
何の力もない人が、天使より優れたもの、しかも神様の子とされ、多くの天使たちの長であり力も知恵もある自分が、人に跪き仕えなければならなくなること が、、とても許し難く腹立たしい事でした。

自分たち天使は、
天地創造をし数々の苦労を神様と共にしてきたのに、なぜ労苦を共にした自分たちを差し置いて後から創造される人を愛するのか。
今まで、自分達たちは何のために長い月日を神様と共に神様を愛して過ごしてきたのか。
自分たち天使が一番始めに創造され、全ての被造物の中で最も力も知恵もあり、神様に信頼され愛されてたと思っていたのに、、、、。
後から創造される人の方が、なぜ我々よりより優れたもの、神様の子とされる?
そうか、、神様は自分たち天使を初めから、愛してなどいなかったのだ。力があるから、天地創造の手伝いをさせたかっただけで愛してなどいなかったのだ。

神様は自分や天使たちの捧げていた愛と信頼を先に裏切って、これから創造する人の子の方を何にもまして多く愛し、自分たち天使は用済みで、もう見放されてて、愛されていない、、。
とルシフェルは、このように、どんどん不信し、きっと、、
そうに違いないと思い込み、悲しくなり怒りました。



神様は全ての被造物に完全愛を注いでおいででした。
でも、自分が一番に愛されているのでは無いということでルシフェルは悲しみ、怒って、神様に対し、不満を持ったがために不信と裏切りの心が天使長だったルシフェルの心を支配しました。

ルシフェルの神様への愛は未熟な愛、不完全な愛でした。愛しているならこうあるベきだという見返りを求める愛でした。簡単に言うと、愛されて当然と想っている傲慢な愛です。

神様と同じような完全愛を天使ルシフェルが宿していたら、もしくは謙虚さがあったなら、神様に従い、神様から離反することはなかったでしょう。

イエス様は仰いました。
13:16 はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。(ヨハネ福音書)

天使ルシフェルは神様に仕えたように
神様の子として創造される人にも謙遜に仕えるべきでした。
神様が創造する以前から愛そうとされている人を神様と心を一つにして愛するべきでした。
天の国で、一番でありたいと思うなら、誰よりも彼は謙虚でなければいけませんでした。

堕ちた天使ルシフェルは、いくら彼が悪の権化サタンと言えど、神様御自身の命である、神様の御霊を宿している人を、完全には支配出来ないのです。
天使は、神様に従う者として創造されたので、生きている人の方に選択権があるのです。


実際、イエス様は強い意志でルシフェルの誘惑も支配も退け完全愛の心でルシフェルに勝利なさいました。

天使ルシフェルは
自分が神様に一番愛されている者であると自負していました。
神様に一番愛されていないと思った時、神様が一番大切に思っている人を自分のものとし、自分が人を所有することで自分が人より優れている者だと神様に立証しようとしたのです。


このように天使ルシフェルは
自分から神様を奪っていった人の子を、、人が創造される以前から妬み憎み、人が創造されたら、絶対に堕落させて罪を犯させようと人への悪意を持ってエバを待ち構えていました。

マグダラのマリア

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