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書庫聖書論 ノアの物語の意味

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ノアの息子は、三人。
セム・ハム・ヤペテです。

ある時、ハムは父ノアを葡萄酒に強い媚薬?を入れて眠らせ、、
あわよくば殺そうとしました。
聖書には殺そうとしたとは書いてありません。

創世記
9:21 あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

父ノアが、裸で天幕の中に居た、とだけ書かれています、。
でも心正しい人と聖書に書かれているノアが、、
服を脱ぎ捨て裸で寝てしまう醜態を晒す程に酒を飲むか?
といえば考え難いです。

創世記
12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。


創世記 9:21ここの天幕は、、、普通の天幕ではなく、
祭壇を築いてある天幕、聖所であったはずです、。
聖所であったからこそ、ノアは祭司の衣を身に付けていた、。

祭司の衣は、祭儀のときにのみ身に付ける聖なるものです。
聖所でなかったなら、ノアは祭司の衣を身に付けてはいないでしょう、。

創世記
9:24 ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、
9:25 こう言った。「カナンは呪われよ/奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」

この聖句の前後から考えて、末の息子ハムがしたこととは、、
ぶどう酒を持ってきて、
父ノアに飲ませ、酔わせて父の服を剥ぎ取って裸にしたこと、。
だと分かります。

父親の普段着をハムが剥ぎ取っても、何も霊的な意味はありません。

しかし、、子が父親を、、単なる酒で泥酔させ、ふざけて裸にしたり、、、
父親が酔って裸になったのを
たまたま見たくらいで、、、
子孫にまで及ぶ呪いを受けるなどナンセンスです。

ハムが悪意を持って
ノアを眠らせ裸にし、、何かをしたから呪われたのです。

ハバクク書
2:15 災いだ/自分の隣人に怒りの熱を加えた酒を飲ませ/酔わせて、その裸を見ようとする者は。


意識不明、、下手したら死んでしまうくらいの、、
強い睡眠薬入りのぶどう酒を飲ませていなかったら、、、
とても大の大人を丸裸になど出来ません。

浅い酔いであるなら、服を脱がせている途中で起きますし、
ぶどう酒を運んだハムは、、起きたノアに、、
『何でそんな恥ずべき事(親を裸にするようなこと)をしているのか!』
と叱られます。

ノアは祭司であったので聖所では、最初から裸ではなく、
祭司の服、衣を着ていた。
もし、聖所で、、祭司であるノアが、、
自分から祭司の服を脱いだら、、死です。
 
出エジプト記
28:43 アロンとその子らがそれを身に着けていれば、臨在の幕屋に入ったとき、あるいは聖所で務めをするために祭壇に近づいたとき、罪を負って死を招くことがない。これは彼とその後の子らにとって不変の定めである。


その服をハムが父を裸にして取った理由はあるのか?
ハムは父親の祭司の服を自分の跡継ぎの徴として欲しかったのです。

民数記
20:26 アロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる。」
20:28 モーセはアロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せた。アロンはその山の上で死んだ。モーセとエルアザルが山を下ると、

20:29 共同体全体はアロンが息を引き取ったのを悟り、イスラエルの全家は三十日の間、アロンを悼んで泣いた。

アロンが死ぬとき、その権威の象徴である祭司の服を、、
モーセはアロンの子、エルアザルに着せて与えています。

アロンの祭司の服を受けたアロンの子エルアザルを、、
アロンの後継者と認めたということです、。

イスラエルの民は、何も聞かなくても、、
アロンの子エルアザルがアロンの祭司の衣を身に付けているのを見て、
大祭司アロンが亡くなった事を悟ったのです。

ここでは神様の御命令で祭司の服をエルアザル着せた、、
と書かれていますが、。

ノアのときも、、

イスラエルの民は、何も聞かなくても、、
アロンの子エルアザルがアロンの祭司の衣を身に付けているのを見て、
アロンが亡くなった事を悟った、、

それと同じように、
セムとヤペテに、
父ノアの死と、自分たちの弟
ハムが父の跡継ぎとなったのだと、、
ハムは悟らせようとしたのでしょう、。

ハムが、父ノアの祭司の衣を着ていて、、
父が、祭司の服を脱いで自分に与え、
ハムを自分の後継者としたと、、
ハムから聞き、それが事実に見える事柄だったならば、、
ハムの二人の兄たちは、それを受け入れるしかありません、。

家長の決定は絶対的なもので、家長に逆らえば一族中から退けられて、
生きていく術は失われます。

創世記
9:22 カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
9:23 セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。


セムとヤペテは天幕の中で父ノアが裸で居るのを見て、
ノアが死んでいると想ったのでしょう、。

ハムも、そう想っていたから、
兄たちに父親ノアが裸であると告げたのです、。

裸であるとハムが兄たちに告げたのは、、、
父ノアの死を兄たちに確認させるためであったからです。


ハムが、兄たちを差し置いて父ノアの後を継ぎたかったのは、、
理由があります、。

セムとヤペテは同じ母親から生まれていますが、、
三男のハムだけは出自が明らかにされていません。

セム・ハム・ヤペテと書かれています、。
普通なら、セム・ヤペテ・ハムと書くべきであるのに、。
なので、ハムを次男と勘違いする人も居るようです、。

ノアは心が正しい人と書いてあるため考え難いことなのですが、、、
たぶん、、三男のハムの母親は、、
セムとヤペテの母とは別の女性であったのでしょう。

セムとヤペテを産んだ母とは別の女性が産んだのなら、、
ハムは、その女性からしたら長男です、。

だから、
セム・ヤペテ・ハムとは書かずに、、
ノアの正妻による長男セム、その女性による長男ハム、
ノアの正妻による次男ヤペテ。

セム(長男)・ハム(三男でもあるが長男でもある)・ヤペテ(次男)
と表記されたわけで、、

セムとヤペテを産んだ母とは別の女性、、
彼女は、、正妻であるセムとヤペテの母が認めなかった女性
であったためか、、
もしかして、、ノアのお妾さんとの子、
不義の子であったからそうされたと思われます。

それで、、ハムは彼女の子であるとも、正妻の子であるとも書かれず、
あいまいなまま、、母の存在が誰なのか、、は公にされなかった、、。

ノアの息子ハムの四男はカナンと言います。
カナン人とは、カナンが最初に住んだ地にいた人、及びカナンの子孫。

ヨルダン川の西方の地域に住むイスラエル以外の全ての民を指していました。
神様はノアによってカナンとカナンの子孫を奴隷となれと呪いました。

もし、ハムが父の祭司の服を徴として父の後継ぎになっていたら、、
セムとヤペテはハムに仕える者、いわば奴隷になっていました。

それでハムとハムの子孫への罰は仕える者となれ、、という呪い、、、
カナンは奴隷となれという呪いを受けることとなりました。

しかし、、呪いは、永遠にではなく、、赦される時が、、あります、。
償いの期間が終わったら、、、赦される、。

ノアが、裸で居たのは、、自分(ノア)のせいではなく、、
ハムにより、意識不明にされて、、そうされたのです、。

ハムが父ノアの裸を見たから、カナンが呪われたのではありません。

裸になったのが、、ノア自身による醜態であったなら、、、、
上で書いたように、
祭司が、神様の御前で祭司の服を纏わないで立つことは死を招く大罪です。

酔ったにしろ、自ら、祭司の服を脱ぎ捨てていたなら、、
ノア自身が罰せられ、父さまからノアは死を賜っていたはずです、。

酔って醜態をさらしたノアではなく、、
ハムの子カナンが呪われ罰を受けたのですから、、
ハムが、、重い罰、、
子孫までひびく呪いという重罰を受けるようなことをして居たのです。

ハムは、自分自身が罰を受けるより辛い罰を受けたのです。
自分の子、、カナン、、
そして、その子孫までが兄たちの奴隷となって苦しむことになっても、、
何も出来ずに、見ていることしか出来ないのです、。
親というものは、たとえ自分が苦しんでも、、
子が苦しむのは、、みたくないものだからです。

ハムは、、死以上の罰を受けた、。
生きてある限り、自分の子カナンと、、
その子孫の苦しみを見続けさせられたのですから、。

父さまは、すべてに公正なるお方、。
その裁きは正しく、、人を導かれます、。




マグダラのマリア

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ノアの物語の意味
第1章 ノアの物語
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ノアの箱舟の物語、、。
40日、40夜、雨が降り続いて、
箱舟に乗った動物たちと、ノアと8人家族が洪水から救われ生き残ったお話、。

関連記事
ノアの箱舟(船)の話中の数字について


聖書で書かれてる事で罪からの清めの数、聖別の数で40をあげる方は多いです。
でもそれの元となる数4は、創世記の光と闇を神様がお分けになられた天地創造の第4日のところから来ています。

それと、、もう一つ、、
アダムとエバ、カインとアベル、神様のおつくりになられた最初の家族4人を清める象徴として、4を清め聖別することで、最初の家族、、人を聖別した象徴としているのです。
なので、、本来は、清めの数は40ではなくて4です。

40になったのは、、アダムとエバ、カインとアベルの4(人)で清める事を、、カインとアベルの捧げものの儀式のとき、カインが怒ってアベルをあやめてしまって失敗したためです、。

カインとアベルの捧げものの儀式については、↓こちらの記事をお読みください、。
カインとアベル物語

贖罪は、失敗したら、、10倍、、償う期間も、日、月、年と言うように、規模が大きくなります、。

たとえば4日で失敗したら40日、40日で失敗したら、40年、、400年、、、4000年となっていきます。

アダムから10代目のノアの時、10代分なので4の10倍で40。
それでノアは40数を取り戻さなければならなくなりました。
このノアの時、贖いのための聖別の数が4から40になりました。

それで、、40日、清める天からの水、雨が降り注ぎました。
雨が止んでから、40日経つまで、窓を開けることさえできませんでした。

一旦は、ノア達は神様の言いつけを守り、勝利し神様の祝福を得ましたが、、ノアの三男ハムの失敗によって40の数はまた失われました。

ちなみにノアの三男ハムの犯した罪は、、自分の親であるノアの殺人未遂です。

関連記事
神様からの愛の証

ノアの子ハムの失敗のせいで、ノアが成就した40の数は無かったことになり、再度、モーセが40の数の成就のために40日の間断食をすることになりました、。

このときも一旦は成功しますが金の子牛を礼拝したイスラエルの民とモーセ自身の失敗、、、神様から与えられた十誡の石板を怒りに任せて自分の所有物のように叩き割ったこと、メリバの水の争いの時のこと、などで、神様の御心に背いていた為に、再度失う事になりました。

創世記
15:9 主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」


ノアとノアの子ハムとの、、親子関係での信頼がなかったために失敗した事の償いは、、ノアから10代めのアブラハムが神様に信仰をみせなければならなくなりました。

アブラハムの求められた捧げものの意味は、。
三歳の雌牛と、三歳の雌山羊はエバの二つの罪をあがなうために捧げられた物(雌です、エバは女性ですから)

エバは2回、罪を犯したので2頭で贖うこととなりました、。
蛇、つまり悪魔の誘惑に負けて離反の罪を犯した事とアダムにも食べるよう誘惑したことの2つの罪。

次の三歳の雄羊(雄です、アダムは男性、イエス様は捧げ物の羊にも例えられ、第2のアダムとも呼ばれます)はアダムの罪の償いのため。

山鳩と、鳩の雛は、カインが山鳩、アベルは鳩の雛。

関連記事
アブラハムのイサク奉献は、なぜしないといけなくなったか

ゲッセマネの祈りはアブラハムの動物の捧げものの儀式と、イサクの奉献の儀式、この二つの儀式に関係しています。

アダムの家庭での信仰の失敗をアブラハムの家庭で償うことを神様は望まれていらした。

この理由のため、神様はこれら5つの動物の捧げ物を要求なさいました、。エバの分が2頭あるので、5つの捧げものですが、本来は、アダムとエバ、カインとアベルの4人、、つまり、人類、、人そのものを清める為の重大な聖別の儀式でした、。

もし、、アブラハムが鳥の捧げものを失敗しなかったら、イサク奉献の儀式は行わないで済んだのです、。

人に独り子を捧げることを神様が求めたから、、もし、、人が信仰を現わすことに失敗したら、、、神様の御独り子イエス様が、、人の身代りに罪を償う可能性が出来てしまったのです。

イサクは、御使いの助けが入らなかったら、、アブラハムの手に掛かっていた筈です。イサクは本来なら死んでいたのですから、、命まで捧げなくてはいけなくなる可能性が出来てしまったのです。

もし、、アブラハムが鳥の捧げものを失敗せず、イサク奉献の儀式が行われないで済んだのなら、、イエス様が、、信仰を現わすことを失敗した人の身代りに信仰を現わす為とはいえ、自分自身をイサクのように生け贄に捧げなくても済んだことでしょう、。

つまりは、アブラハムが鳥の捧げものを失敗しなかったら、、イスラエルが不信仰であったとしてもイエス様は命まで捧げなくても済んで、他の方法で償う道が与えられる事が出来た、という事です。
神様が、イサクの身代りに雄牛ではなく、雄羊を用意なさったように、。

山鳩と鳩の雛で一対、
三歳の雌山羊と三歳の雄羊も雄雌の羊と山羊で一対。
三歳の雌牛と対となる捧げ物は雄牛でなければいけない、、。

イサクの身代りに雄牛を捧げ物にしていたら、、神様は三歳の雌牛で償う筈だった罪を購う為に後に現れるイエス様を十字架に掛ける事を予定する事。しかし、、神様はそうなさいませんでした。

イサクの奉献中止の後、イサクの代わりに雄牛ではなく雄羊をアブラハムの元に遣わし捧げ物にされました。もしイエス様が十字架にかける事が予定論なら、イサクの代わりに雌牛と対となる雄牛が捧げられたはずです、。


アブラハムが鳥を裂かなかったために、、規定違反となって、捧げものは、、完全には捧げる事が出来ずにわずかであっても失敗してしまいました。
それで、、捧げものの捧げ直しを求められる事になります、。

鳥はアダムの子供のカインとアベルの象徴であったために、、後でアブラハムは、、自分の子イサクを捧げるようにと神様に求められることとなりました、。

そしてアブラハムとイサクとで、親子での信頼関係を信仰と言う形で現わすことで償いを求められ、彼らは見事勝利しました、。

それで、イサクの子 ヤコブの時、民族の基礎が創られました。


モーセの時は、、金の子牛を礼拝したイスラエルの不信のため、償う規模が大きくなり、、、40日の成就から、40年間荒野をさまよって40の数を成就し償う事を求められました、。
イスラエルが不信さえしなかったら、、荒野での40年間のさすらいは不要な物でした、、。
荒野での40年間は、本来は、、予定外の事だったのです。

ダビデも、、40の数を成就しています、。
サムエル記 下 5:4
5:4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。

でも、、ダビデはサタンの誘いに負けて神様の御心に背き、40の数の成就は無かった事になってしまいました、。

イエス様の公生涯も30歳からです。ダビデはその後40年王位にいました。ダビデは30歳から70歳まで王だったのですね。
ダビデは神様の数、完全数7を持っていました、。
ダビデはエッサイの8番目の子でした。
ノアの箱舟に乗ったのも8人で、ダビデの時、8の数も現れていました。8の数は、神様の数、、完全数である7を引くと、1となります。

ノアの箱舟の時のように、、はじめ(1)から、、再出発を意味する数が8(1に戻る意味)です、。


イエス様はダビデのように、三十歳で王の王としてこの世に現れました、。そうして40日断食をして40の数を成就されていました、。

でも、、本来なら、40日ではなく、、モーセの時から成就出来ていない40年の数、それの償いの数かけることの10倍で、、400年断食する必要がありました、。

でも、、御母マリアの命がけの信仰、、たとえ石打ち刑で殺されることがあってもいいから、イエス様を宿し、この世に送り出すこと、、神様の御心に従い切る信仰を現わした事によって償いの期間は大幅に短くされて、、40日となり、イエス様は、、40日間、断食をなさいました、。

ノアの物語のなかで、、
四十日、四十夜、四十日後、、40が三回で120、、。

カラスが鳩より先に舟から出ました。

カラスは汚れた生き物とされ、、、
ここではサタンの象徴であり、反キリストを意味する、、。
一度目の鳩は、、帰天されて、神様の元へ戻られたイエス様の事、、。
二度めの鳩はイエス様の勝利を受け継いでおいでの再臨主イエス様を意味している、。


カラスが鳩より先に舟から出たということは、、、。
これはサタン(の意識に支配されてる人)が、、
再臨主イエス様より先に受肉して地上に降り立つということ、、。

鳩(イエス様
)より先に、カラス(サタン)が、
モーセのとき天使ミカエルから奪い去ったモーセの遺体を用いて、
受肉し、
見かけは神様の子、人の子のように、、、
この世に生まれるということを意味していて、、。

受肉したサタンが、この世に現れたら、、、
その120年後、、再臨主が、この世に現れる、、、と言う意味、、、。

サタンは、、、肉体をまとって、神様の子のようにして生まれれたら神様が自分を愛してくれるとでも思っていたのでしょうか、、。

モーセの遺体を奪い取ってまで、受肉して、人として生まれて来ることを望みました、。

アダムの時と、、モーセの時と、ダビデの時、イエス様の時と、、
サタンは、
勝利されたイエス様を除いたら、、
三度も直に人に関わってきて邪魔をしていました。

しかしながらサタンの受肉は、、、
神様の御心ではありません、。
おそらくは、、、
なんとかして神様に自分の方が人よりすぐれていると証明して愛されたくて、、愚かな事ばかりするサタンを、、
父さまが憐れんでの黙認なのでしょう、

マグダラのマリア


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